3‐23.反撃開始(side 晴)

 鼻血を垂らした二人の男が部屋に転がり込んできてそれまで澄ました顔をしていた相澤と桃子は唖然とした。

晴のよく知る二人の男が暗がりの廊下から姿を現した。


『晴ー。遅くなって悪い。表にいた連中、ウジャウジャと虫のように湧いて出てくるからさぁ』


 陽気な声で笑いながら立て付けの悪い扉を足で押さえているのは黒龍No.2の蒼汰。


『よぉ、エリカちゃん。あ、今は桃子ちゃんって言った方がいい?』


兵藤桃子を見つけた蒼汰は陽気な声にはミスマッチな鋭く冷めた目で桃子を射る。ビクッと肩を震わせた桃子は見るからに動揺していた。


「なんであんたがいるのよっ? 計画ではあんたとリーダーはこっちに来れないはず……ねぇ直輝さん! そうでしょ?」


相澤の腕にすり寄る桃子に相澤は言葉をかけることはなく、彼は蒼汰の後ろにいる男を凝視していた。


『あんた達の計画の誤算を教えてやろうか』


 蒼汰ではない、もうひとりの男の声が響く。蒼汰が押さえた扉から黒龍の現リーダー、洸が姿を見せた。


『今いる黒龍のメンバーだけが黒龍じゃねぇってことだ』


 いつもの黒に覆われたファッションの洸は雨と汗に濡れた金色の髪を無造作に撫で付け、ドスの効いた声で相澤と桃子を威嚇した。

黒龍リーダーの洸とNo.2の蒼汰の圧倒的オーラに怯んだアルファルドとレグルスのメンバー達は後退りしている。


『晴、無事か?』

『俺がそう簡単にやられるわけないっしょ。じゃ、やりますか』


 洸に笑って見せた晴は胸ぐらを掴む男の腹部めがけて膝蹴りを喰らわせる。それが合図となって洸と蒼汰が一斉に部屋にいる男達に向かっていった。後ろに控えていた黒龍のマサルも参戦する。

情けない声をあげて逃げる男、無謀にも洸と蒼汰に向かっていく男、プレハブ小屋は一気に乱闘の場に変わった。


『晴!』


男にパンチを撃ち込んだ蒼汰が地面に伏す別の男の上を飛び越えて晴の元にやって来た。


『遅いんだよ、バーカ』

『ごめんって。でもほら、鍵。何の鍵かわからなかったけど表にいた奴らテキトーにボコって奪った。もしかしなくてもこれって手錠の鍵だろ?』

『お前なぁ……もう、さすがとしか言えねぇわ』


 手錠の鍵を持ってニンマリ笑う蒼汰に晴は苦笑いを返す。蒼汰が晴の手錠の鍵を外す間、丸腰の二人を攻撃から守るためにマサルが盾になっていた。


「なんなのよこれ……直輝さん……? 直輝さん!」


 乱闘から逃れて部屋の隅で立ち尽くす桃子はしきりに相澤の名を呼んでいる。相澤は騒ぎに紛れて自分だけ逃げたようだ。

手錠が外れて自由になった手首を二、三度振り、晴は隣の悠真と亮の手錠を外した。手錠の拘束を解かれた悠真と晴も目付きが変わっている。


『亮、試合近いんだからほどほどにな』

『悠真も指は大切にしろよ』


悠真と亮は互いに妖しく笑って戦闘に加わった。残るは隼人だ。


 晴は隼人の姿を捜す。部屋の隅で隼人はまだ二人の男に両側から拘束されていた。晴と隼人の目が合った瞬間に高く振り上げた隼人の右脚が側に立つ桃子の手元に命中した。


「きゃっ……!」


短い悲鳴をあげた桃子の手からクスリの入った注射器が落ちる。床に転がり落ちた注射器を晴が踏みつけて破壊した。


 放心する桃子を放って隼人はそのまま両サイドの男の拘束を乱暴に振りほどく。左右から向けられる拳を器用に避けた彼は幅跳びのように軽々とジャンプをして空間を飛び越えた。


晴の目の前に華麗に着地を決めた隼人は余裕の笑みを浮かべる。さっきまで腹部を殴られてグッタリしていた人間とは思えない身体能力の高さに晴は感嘆した。


『隼人、前世はカンガルーだったのか? なに今のジャンプ。幅跳びのオリンピック選手になる気?』

『とっておきの必殺ライダージャンプ』

『カンガルーじゃなくて実は仮面ライダーだったのかよ!』

『まぁ、あれはバッタだしな』


 軽口を叩いて差し出された隼人の手錠の鍵を外す。これで晴と隼人も参戦だ。

床にはアルファルドとレグルスのメンバーから取り上げた鉄パイプが散乱する。

黒龍は武器を使わない。喧嘩は素手で、黒龍初代リーダーの氷室龍牙から受け継がれている鉄則だ。


 逃げ出した連中を抜くと二十人いたアルファルドとレグルスの残党も半分に減り、大半が唸り声をあげて床に倒れていた。


『素手だとコイツら弱ぇーな。体力もねぇし』

『武器に頼って体鍛えてこなかったんだろ』


 闘いを終えた隼人と悠真は涼しい顔で床に転がる鉄パイプを転がして弄ぶ。隼人が部屋の隅でうずくまる桃子に視線を移す。


『相澤、お前を置いて逃げたな』

「あ……」


 ガタガタと震える桃子は部屋を見渡した。桃子の共犯者の相澤の姿はどこにもない。

怯えた小動物のような目をした桃子はブランド物のハンドバッグを抱えて慌てて立ち上がった。

逃げようとする彼女の行く手を四方八方で晴達が囲む。晴、隼人、悠真、亮、蒼汰、洸、マサル。七人の男に囲まれて桃子は怯えて後退りした。


 隼人が桃子に近付く。


『お前、結局相澤に裏切られてるじゃねぇか。人を裏切った奴は同じように裏切られるんだよ。そこに信頼関係がないからな』

「うるさいっ! それ以上近付かないで! 近付くと死ぬよ」


 ハンドバッグに手を入れた桃子は折り畳みナイフを取り出した。桃子ナイフの刃先を自分に向ける。

ナイフの登場で隼人も動きを止めた。隼人と悠真が目を合わせるが、悠真は首を小さく横に振る。今は手出しするな、の意味だ。


 援助交際、学校での賭け事、違法薬物の次はナイフ。桃子をここまで荒ませている原因は何だろう?


『なぁ桃子ちゃん。クラブで俺を逆ナンしたことも晴のダチ達を相澤の標的にしたのも桃子ちゃんが考えたことじゃねぇよな? 桃子ちゃんに近付いて相澤と桃子ちゃんを引き合わせた奴がいる』


言葉をかける蒼汰を見て桃子が薄く笑う。


「そうよ。それが誰か、黒龍のあんた達はもうわかってるみたいね。からこの計画を持ちかけられたのは私が杉澤を退学した後。でももうおしまい。ことごとく私のお楽しみを潰してくれて。あーあー。この先の人生に楽しいことなんか残ってないじゃない」


 桃子がナイフの柄を強く握った。このままだと目の前で桃子に死なれて最悪の結果を招いてしまう。どうすればいい?


「生きてても意味ない。警察に捕まって刑務所暮らしもまっぴらよ。死んだ方がマシ』


この先に楽しいことが残っていない?

死んだ方がマシ? 生きていても意味ない?


(ふざけんなよ……どうしてそんな悲観的になるんだよ。なんか……悲しいじゃねぇか)


 喉元まで出かけた晴の叫び。言葉を紡ごうとした晴は入り口に現れた人物を見てハッとした。


『桃子! 止めろ』


 桃子を含めた全員の視線が入り口に立つ男に注がれる。視線の先には兵藤桃子の兄、兵藤清孝と刑事の香道秋彦がいた。

黒龍元No.2の香道の顔を見て晴、洸、蒼汰、マサルは安堵の表情に変わる。偉大な先輩の存在は大きかった。


「お兄ちゃん……どうして……」

『ごめんな。俺が父さん達のプレッシャーに負けてリタイアしたから父さんと母さんの期待は全部お前に向いた。父さん達は勉強でしか俺達を評価しない。だからお前は必死で勉強して杉澤に受かって……』


傷害事件を起こして4年前に杉澤学院高校を退学になった清孝はとび職として働いている。清孝は仕事の作業着のままだ。


「そうだよ! お兄ちゃんのせいでお父さんとお母さんは私に期待を全部背負わせた。一流大学に行って一流企業に就職すること、あの人達は自分と同じ道を私達に歩ませようとしてた。私は本当は保母さんになりたかったのに……その夢を捨ててあの人達の言いなりになった! 全部お兄ちゃんのせいだ!」


 桃子が清孝にナイフを向けるが、清孝は動じず桃子と距離を詰める。かつて不良グループを仕切っていた度胸なのか妹を想う兄の心なのか、清孝の動きには迷いがなかった。


『あのままだとヤバくないですか?』

『今はあいつに任せる。万が一の時は俺が出ていく』


不安げな洸と蒼汰に香道が力強く頷いた。


「私が杉澤を退学になってあの人達が私に何て言ったと思う? “あんたも脱落者の役立たずね”だって。あの人達にとっては一流のレールを外れた私もお兄ちゃんも役立たずなんだよ! 親に必要とされていない私は生きてても仕方ないの!」


マスカラとアイラインで黒々とした桃子の目から大粒の涙が溢れた。


『父さん達が必要としてなくても兄ちゃんには桃子が必要だ。だから死ぬなよ』

「誰のせいで私がこんな風になったと思ってるの? お兄ちゃんなんか大嫌い!」

『俺は桃子が好きだよ。お前はたったひとりの大事な妹だ』


ナイフを持つ桃子の手を躊躇なく取って清孝は桃子を抱き締めた。ナイフが床に落ちる。


「嫌いだよ……。お兄ちゃんなんか……だいっきらいだよ……」


 清孝にしがみついた桃子は子供みたいにむせび泣いた。桃子の持っていた折り畳みナイフを香道が回収する。


『ひとまずこっちは一件落着だな。……ん? これは……あちゃー。大事な証拠品が……』


 彼は割れて粉々になった注射器を見下ろした。晴が香道に歩み寄る。


『アキさんすいません。それ踏んづけて壊したの俺です……』

『いいよ。お前も必死だったんだよな。鑑識に頼んで回収してもらうさ。で、これからのことだが』


香道が清孝と桃子に視線を移す。清孝にしがみつく桃子はすっかり大人しくなっていた。


『香道さん、桃子は利用されただけなんです。だから……』

『わかってる。だがいくら利用されていたとしても薬物使用と所持、蒼汰に濡れ衣を着せた罪は消えない。桃子さん、君には相澤についても聞きたいことがある。お兄さんと一緒に警察に来てくれるかな?』


 泣いたせいでマスカラが落ちて目の下が黒く染まった桃子は無言で頷いた。香道が呼んだ数人の警官が桃子と付き添いの清孝をパトカーまで誘導し、部屋で倒れているアルファルドとレグルスの残党を連行する。


 晴、蒼汰、洸の三人はまだ浮かない顔で成り行きを傍観していた。


『晴。黒幕は相澤じゃないのか?』


 悠真が晴に尋ねる。悠真と隼人と亮はまだこの計画の裏側を知らない。晴も洸からのメールで初めて知ったのだから。


『黒幕は相澤……だと思う。でも桃子をけしかけたのは相澤じゃない。相澤の弟だ』

『弟? そう言えば相澤が俺達のことは弟から聞いたって言ってたな。俺達の知ってる奴?』

『悠真も隼人も亮も知ってる奴。賭け事件の時にお前らも会ってるよ』


晴の周りに集まる悠真、隼人、亮は三者三様の表情で晴の言葉を待っていた。晴が重たい口を開く。


『相澤の弟は……黒龍のNo.3だ』

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