3‐11.歌舞伎町(side 龍牙)
7月26日(Fri)午後10時
新宿歌舞伎町のバーでは黒龍初代メンバーのヤスがバーテンとして働いている。氷室龍牙は旧友が作ったカクテルを喉に流し、カウンターの向こうのヤスを見た。
香道にも話した“新宿界隈で羽振りのいい若い男”の情報はヤスから仕入れたものだ。
『そいつ、最近うちの店に来るようになってさ、俺も店長に聞いた話だけど相澤グループの御曹司らしい』
『相澤グループって……電子機器メーカーの?』
『そう。その会社をやってる財閥グループの長男。本人はフランス帰りの自称建築デザイナーって胡散臭そうな職業名乗ってる。フルネームは
相澤グループは携帯電話や電気製品メーカー、AIZAWAの大元。例の男はそこの長男のようだ。
『この相澤直輝が新宿で羽振り利かせて婚約者連れ歩いて豪遊してるってわけね』
『噂では婚約者もどっかの財閥のお嬢様で物凄い美人らしい。けど相澤が昨日ここに連れて来たのはその婚約者じゃなかった。どう見てもどっかのお嬢様でもねぇし物凄い美人でもない』
『連れの女の特徴は?』
『金髪のウルフカットのショートヘアーで、とにかく化粧も服も派手なケバい女。あとめちゃくちゃ長い爪してた。スカルプネイルって言うやつ。歌舞伎町の女の子達の方がまだ化粧も服も洗練されてるな。つけてる香水もチープな桃みたいな匂いで、全体的に安い女って感じ』
金髪のショートヘアー、化粧と服が派手、蒼汰が言っていたエリカの特徴と一致する。ヤスは腰を屈めてカウンターに手をつき、声を潜めた。
『アキがガサ入れしたエスケープでは春頃から客の女の子がクスリ飲まされてVIPルームで集団強姦される事件が相次いでる。うちの常連の子も被害に遭いかけたんだ』
『エスケープはクスリの取引に使われていただけじゃなかったようだな。気が滅入る話だ』
『気になるのはエスケープに相澤が頻繁に出入りしてるってこと。もしかしたら集団強姦に相澤が噛んでるかも』
『相澤直輝……かなり黒いな』
酒のグラスを空にして支払いを済ませた龍牙をヤスは不安な眼差しで見ている。
『これから尾崎の店に行くのか?』
『新宿の裏事情を聞くには裏を仕切ってる人間に話を聞くのが手っ取り早い』
『気を付けろよ。相手はあの尾崎だろ』
『大丈夫だ。尾崎も地位ある身になってるんだ。地位ある奴は軽率な真似はしねぇよ』
龍牙はバーを出た。弁護士バッチを外してネクタイを緩めたスーツ姿の今の自分はこの不夜城に違和感なく溶け込めているだろう。
舌足らずで甘えた声を出すキャバクラ嬢、客引きの黒服の男、近寄るすべての人間を無視してネオンの光る歌舞伎町を
アポはとってある。よほどの手違いがない限りはスムーズに通してくれるはず。手違いがあった場合は臨機応変に。
店の手前で立ち止まり、緩めたネクタイを締め直して弁護士バッチをジャケットにつける。ここまで来る間には不必要だった“弁護士”の身分がここから先は重要になる。
ホストクラブの扉を開けた途端に視界に入る煌びやかな照明で目がチカチカした。出迎えのホストが怪訝な顔で龍牙に会釈する。
『オーナーに氷室龍牙が来たと伝えてくれ。アポはとってある』
出迎えのホストはまだ新米らしく、側にいた先輩ホストの意見を仰ぎ、先輩ホストが少々お待ちくださいと言って奥に下がった。数分で約束の人物が姿を現す。
『氷室か。しばらく見ない間にずいぶん立派な面構えになったな』
『尾崎さん、ご無沙汰しています』
龍牙は形ばかりの挨拶をした。
尾崎はここのホストクラブのオーナー。年齢は龍牙の二つ上。役職は真壁組若頭補佐だ。
黒龍時代に黒龍と敵対していた暴走族グループのリーダーが尾崎だった。抗争の末、紆余曲折あり龍牙と尾崎は和解をしたがお互い現役引退後は弁護士とヤクザ、真逆の人生を歩んでいる。
尾崎が所属する神和会真壁組は歌舞伎町一帯を取り仕切っている。新宿で多発するクスリ密売について知らないわけはない。
龍牙は店の最奥のVIP専用の個室に招き入れられた。アポを入れた際に大方の事情は話してある。悠長に昔話に興じている暇はないと判断した尾崎はすぐに口火を切った。
『氷室。この件から手を引け』
『尾崎さんがそう仰るとは一連の売人殺しの裏には相当デカイ組織が絡んでいるんですね?』
龍牙の質問には答えずに尾崎は宝石のついたライターで煙草に火をつけた。
『これ以上、売人殺しに首突っ込むな。下手すれば消されるぞ』
『売人殺しはただのオプションです。俺は可愛い後輩をハメた女とその裏にいる人間を突き止めたいだけですよ。尾崎さんは相澤直輝……ご存知ですか?』
尾崎の右眉がかすかに動く。彼はまずそうに煙草をくわえて黙り込んだ。
さらに龍牙の追及が続く。
『俺の仕入れた相澤のネタは奴が相澤グループの跡取り息子で自称建築デザイナーって経歴だけ。でも相澤にはそれだけじゃない、別の顔がある。違いますか?』
ゆっくりと紫煙を吐いた尾崎はこめかみを押さえて溜息をついた。
『俺が持ってるネタは確かな情報じゃない。ただの噂だ。ここだけのオフレコでいいなら話してやってもいい』
『かまいません。ネタが確かかどうかはこちらで判断します』
尾崎は一度立ち上がり個室の外に誰もいないことを確認してソファーに戻った。かなりの警戒の仕方だ。
『相澤はヤクの売人だ。破格で安く仕入れたクスリを倍の値段で新宿を拠点にして売りさばいている』
『やはりそうでしたか。それを尾崎さん達は野放しにしてるんですか? 真壁組のシマで相澤に好き勝手やられてよく真壁の組長が黙っていますよね。真壁組が相澤に手出しできない理由でも?』
龍牙の探りを尾崎は鼻で笑って
『悪いが俺にも立場ってものがある。言えるのはここまでだ』
尾崎が先に個室の扉を開けた。出ていけの合図だ。通路に龍牙が出て、尾崎が出る。
『相澤のバックにいるのは誰ですか?』
尾崎の一歩前を歩いていた龍牙が振り向き様に爆弾を投下した。尾崎は足を止めて龍牙を睨み付ける。
『お前、死にてぇのか?』
『まさか。これでも可愛い妻と娘がいる身ですよ。何があっても死ぬつもりはありません』
『ああ、あの気の強い女をそのまま嫁さんに貰ったんだったな。じゃ、その可愛い嫁さんと娘のためにもお前はこの件には深入りするな。俺も昔やり合ったお前が消されるのは避けたい。一応、忠告はしたからな?』
真壁組若頭補佐の尾崎がここまで警戒して恐れる人物……相澤直輝の裏にただならぬ存在の匂いを感じた。
ホストクラブを後にした龍牙は欲望を発散させようと渦巻く人の群れを掻き分けて前を進む。
この街に潜む暗い闇に
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