1-9

 黒髪にメッシュを入れた男が赤髪の男の腹部を一発蹴り上げた。道端に転がる空き缶を蹴飛ばすような軽さのある自然な動き。

男の蹴りを食らった赤髪が呻いて地面に倒れた。


『コイツ、二年の緒方おがた……!』

『緒方ってもしかして緒方晴っ?』

『杉澤の緒方晴って……』


 赤髪の仲間達が一斉に騒ぎ出した。隼人にはなぜ彼らが血相を変えているのかわからない。


『杉澤の緒方って黒龍こくりゅうのNo.3だぞ! 喧嘩負けなしって噂の!』

『黒龍っ?』


腹部を蹴られた赤髪も自力で起き上がって顔色を変えた。


『おーい。お前ら何こそこそ話してるのかなー? やるの? やらないの?』


 黒髪メッシュの男は口元は笑っていても目は鋭く彼らを威嚇している。凄みのあるオーラ。先ほど赤髪を蹴り飛ばした動きを見ても、この男はかなり喧嘩慣れしている。


『コイツ相手にするのはまずい。行くぞ』


舌打ちした赤髪が真っ先に逃げ出してその後に続いて仲間達が慌てて走り去る。正義のヒーローに退治された悪役かと思うと笑いが込み上げてくる。


『なんだよー。笑えるくらい余裕あるじゃん』


 隼人の前に屈んで明るい笑顔を見せる今の彼からは凄みのある殺気は消えていた。


『いや。あんたが助けてくれなかったらヤバかった。ありがとう』

『礼ならいいって。ああいう喧嘩のやり方は嫌いなんだ』

『お前……一年の時に同じクラスだった緒方晴だろ?』


 隼人が名前を呼ぶと緒方おがたはるはきょとんとした顔をした後にニッと笑った。


『俺、一年の時はあんまり学校来てなかったのに覚えていてくれて嬉しいよ。俺もあんたのこと覚えてる。木村隼人だろ?』

『ああ』

『立てるか?』


晴が隼人に手を差し伸べる。隼人はその手を取り、立ち上がった瞬間に腹部と頭に激痛が走った。


『あちゃー。イケメンくんが台無しだな。とりあえず保健室行こーぜ』


 晴と隼人は連れ立って裏門から再び校内に入る。昇降口で上履きに履き替えて保健室に繋がる廊下に出た。


『さっきの奴らお前のこと知ってたみたいだな。コクリュウがどうとか言ってたけど』

『あー……うん。杉澤の裏門で喧嘩やってるって黒龍の仲間から連絡来て、もしかしたら敵対グループの奴らかもしれないからすっ飛んでったけど違ったんだな。でも結果的に木村を助けられたから良かった』


 誰も通らない静かな廊下に響く二人分の足音と声。黒龍、敵対グループ、赤髪の仲間が晴を名指ししていった黒龍のNo.3……ここまで揃えば答えは明白だった。


『黒龍って族のことだろ?』


晴はどうしてわかったんだと言いたげな顔をしていたが、彼はまた白い歯を見せて微笑した。


『そうそう。一般的に言えば黒龍は暴走族ってことになるね。で、俺は黒龍の元メンバーだった』

『辞めたのか?』

『半年前に抜けた。族以外に本気になれるものが出来たんだ』

『本気になれるもの?』


その先を言うことを晴は迷っていた。迷いの時間内に到着した保健室の鍵を晴は確認する。


『まだ閉まってないじゃーん。おーい。いくちゃーん』


 晴は“いくちゃん”と言って遠慮なく扉を開けた。いくちゃんが誰なのか隼人には想像もつかない。


「まーたあんたか」


保健室にいる養護教諭が晴を見て呆れた顔で笑っている。

またと言うからには晴は保健室をたびたび利用しているようだ。病弱には見えないから喧嘩の手当てで利用しているのだろう。

杉澤高校に通って2年になる隼人は初めて保健室を訪れた。養護教諭のいくちゃんとも初対面だ。


『いくちゃーん。今日は俺じゃなくてコイツだよ。手当て頼むよ』


 晴は隼人を回転式の丸椅子に座らせた。いくちゃんは隼人を見て溜息をつく。


『まったく。あんた達は懲りないねぇ。はいはい、服脱いでねー』


養護教諭のいくちゃんに言われて隼人はシャツを脱いだ。腹部には痛々しい青アザができていた。


『なぁいくちゃん、麦茶飲んでいい?』

「一杯五百円ね」


 隼人の腹部の状態を見て湿布を選ぶいくちゃんが返事をする。一杯五百円は高すぎると隼人は冷静に考えていた。

こういったやりとりは晴といくちゃんの間では常日頃なのか、晴は冷蔵庫から麦茶のボトルを出してグラスに注いでいる。


『木村も飲む? ってか、飲めるか?』


晴が隼人に麦茶を渡す。隼人はいくちゃんの手当てを受けながら、カラカラに渇いた喉を麦茶で潤した。晴の心配通り、口の中を切っているから冷たい麦茶が傷に滲みる。


『なんでアイツらと喧嘩してたん?』

『あの赤髪の奴の女を俺がったらしい』

『盗っちまったのか』

『知らねぇよ。アイツの女が勝手に乗り換えてきただけ』

「あんた男前だからそりゃあ女の子が放っておかないよ。でもせっかく綺麗な顔してるんだから傷付けちゃいかんよ。ご両親から貰った大切な身体なんだからね」


いくちゃんに諭されて隼人も晴も素直に頷いた。


 本名が郁実いくみの通称いくちゃん(推定年齢50歳)に手当てをしてもらい、少しの雑談を楽しんで二人は保健室を出た。


 さっきと同じように裏門を出ても今はもう隼人に絡んできた男達はいない。隼人と晴は雨が降り出して来そうな曇り空の下を最寄りのJR高円寺駅まで並んで歩いた。


『そこまで酷い怪我じゃなくて良かったな』

『顔の怪我が最小限で済んだのはありがたい』


口元の傷よりは腹部の青アザの方が重症で、歩くたびにズキズキ痛む。


『アイツらも怪我してたしお前もけっこうやり返したんだな』

『当たり前。やられっぱなしは性に合わねぇ』

『あの人数相手にひとりで向かってく木村はいい根性してるよ』


陽気に笑う晴と暴走族に入っていた過去が隼人にはどうにも結び付かない。


『族を辞めたのは族以外に本気になれるものが出来たからって言ってたけどそれって何なんだ?』

『ああ、それね。うーん……』


晴は顎の下をさすって空を見上げた。隼人もつられて空を仰ぎ見る。


『今日これから暇?』

『まぁ暇だけど』

『帰り遅くなっても平気?』

『家に連絡入れればいいし』


薄暗くなっていく空の下で交わされるやりとり。


『じゃあ今から俺が行く所に付き合ってくれよ』


 そう言った緒方晴は晴と言う名前に相応しいキラキラとした笑顔をしていた。

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