1-8
京介がイタリアに旅立って2週間が経つ。イタリアに着いて早々に京介からエアメールが届いた。
手紙にはイタリアのサッカーリーグのことや、イタリアで通う学校のことが書いてあり、イタリア語に苦戦する京介は今はサッカーよりもイタリア語の勉強に必死なようだ。
京介を快く送り出せたって隼人自身の空虚が薄れることはなく、今も変わらず煙草と女にまみれた自堕落な日常を過ごしていた。
だけど煙草も女もこの空っぽになった心を埋めてはくれず、寝る前に読む推理小説が毎日の楽しみになっていた。
6月も終盤に差し掛かったある日の放課後。梅雨時のじめじめとした湿度を肌に感じながら隼人は校舎を出て裏門に向かっていた。
正門には登下校の時には必ずいる生徒指導部の教員が立っている。茶髪にピアスに香水、堂々と校則違反をしている隼人はいちいち教師に注意されるのが鬱陶しくて最近は正門ではなく裏門から出入りするようになった。
(蒸し暑っ。今日は本屋寄って面白いミステリー調達してこよう。間宮誠治の新作は確か昨日発売だったよな……)
「木村先輩っ……!」
裏門に向かう隼人を女子生徒が呼び止めた。校則違反ゼロの純朴で大人しそうな、進学校の杉澤学院に最も多いタイプの女子生徒だ。
『なに?』
「あの、1年3組の増田奈緒と言います。私……木村先輩のことが好きなんです!」
真っ赤な顔をした増田奈緒が隼人を見上げる。隼人は告白をされても平然としていた。
『ごめんね。君とは付き合えない』
「先輩にたくさん彼女がいることは知っています。特定の彼女を作らないことも……。だから私もその中のひとりにしてくれませんか?」
スカートの裾を握る彼女の手は震えていた。彼女の表情からかなり無理をして言っていることがわかる。告白するのも初めてかもしれない。
『君は俺の女には向かないよ。もっと君だけを見てくれる人を好きになった方がいい。自分を大事にしなよ』
奈緒の頭に軽く触れて彼女の頭を撫で、隼人は背を向けた。
増田奈緒のような純粋な女は苦手だ。遊びと割りきって付き合える女の方が気楽でいい。
こちらが本気になれないのに純粋な女を傷付けて汚すことはしたくない。
幼なじみの加藤麻衣子の好意に気付かないフリをしているのも同じ理由だ。
『自分を大事に、か。今の俺に言えたことじゃねぇけどな』
独り言を吐いて裏門を出た彼はすぐに数人の男に取り囲まれた。
『お前が木村隼人か』
他校の制服をだらしなく着て髪を赤く染めた男が隼人の前に仁王立ちする。その制服は通称はバカ高と呼ばれる東京で偏差値最低ランクの高校の制服だ。
赤髪の男の隣には隼人と同じ杉澤学院の制服の人間が数人いた。
東京都の偏差値最高ランクと最低ランクの高校が並んでいる……と感心している場合でもなさそうだ。
(なんなんだよ。俺はこれから本屋に寄って間宮誠治の新作買って早く家に帰りたいんだよ)
今日はよく人に呼び止められる日だ。盛大な溜息が漏れる。
『あんた誰?』
『俺の女を寝盗るとはいい度胸だな』
『あんたの女って誰のこと?』
(お前の女って誰だよ。つーか、まず名前を名乗れバカ高。対話の基本は自己紹介だろ)
『
『リサ?』
(この赤髪バカ高野郎の女のリサってどのリサ? リサなんていっぱいいるからわかんねぇし……非常階段でヤったあの理佐か?)
リサと言う名前のセフレは数人いるが、男がいちゃもんをつけてくる心当たりがあるのは杉澤学院の三年生の
彼氏が馬鹿で嫌になると愚痴を言っていた気がする。その馬鹿な彼氏が赤髪の男なら納得もいく。
赤髪から隼人に乗り換えたのは理佐だ。文句があるなら理佐に言えばいいものを。
『話あるなら手短に頼む。リサを返せってこと?』
まったく悪びれない隼人の態度に赤髪の男は舌打ちした。
『お前気に入らねぇな』
『それはお互い様。じゃ』
お前に気に入られたくもないと心の中で呟いて赤髪の前を通り過ぎようとしたが、案の定簡単に帰らせてはくれない。
赤髪の仲間が隼人を羽交い締めにし、隼人の顔に赤髪の拳が飛んでくる。
(痛ってぇなぁ。一対複数は卑怯だろバカ高野郎……)
赤髪が笑いながら隼人の髪を鷲掴みにした。
『お前こんなナリしてっけど成績はトップクラスでスポーツもできる優等生くんなんだってな。生徒指導には引っ掛かるくせに教師からの信頼もあって女子からは杉澤の帝王って呼ばれてるらしいじゃん? だから知らず知らず恨み買ってたりするんだぜ。モテモテで完璧な奴は大変だなぁ』
それまで保っていた隼人の平常心の糸が切れた。優等生だの完璧だのと、そう言われることが彼は最も不愉快だ。
羽交い締めにされて腕を拘束されている隼人が使える武器は脚のみ。隼人は右足で赤髪の腹部を思い切り蹴り上げた。
サッカーで鍛えた隼人の脚力で蹴られた赤髪は相当なダメージを受けたようで腹を押さえてしゃがみこんでいる。
赤髪が蹴り飛ばされたことで逆上した仲間が隼人を乱暴に突き飛ばす。突き飛ばされた隼人は軽々と受け身をとり、怒りの形相でこちらに向かってくる赤髪の拳を避けた。
喧嘩は好きじゃない。一対複数じゃ勝てる気はしないがやられっぱなしは性に合わない。
小学生の時に父親に無理やり習わされた拳法と合気道がこんな時に役立つとは。
赤髪の拳を避けて顔面パンチを食らわせる。読者モデルをしている隼人には顔は商売道具。顔を殴ってくれたお返しだ。
赤髪の仲間達にも蹴りを入れ、しばらく乱闘が続いたが人数的に分が悪い。
隼人は一瞬の隙を突かれて動きを封じられて腹を殴られた。激しく咳き込み、電信柱に背をつけて崩れ落ちる。
誰か加勢が欲しかった。渡辺亮や友達の陽平を呼びたかったが彼らは部活中だ。それに試合が近い彼らに怪我はさせられない。
応援を呼ぼうにも携帯電話はカバンの中だ。乱闘で暴れた隼人のカバンは道の横に放り出されている。
ここは裏門を出てすぐの場所。走って学校に逃げ込んだとしても他の生徒を巻き込んでしまう。
裏門付近は普段から人通りも少なく、校舎からも遠い。学校に残っている生徒や教師が隼人達に気付くことはまずない。
腹は痛いし口の中も血の味がした。
『杉澤の帝王も大したことねぇなぁ。優等生くんは勉強は出来ても喧嘩はできないみたいですねぇー』
赤髪と仲間達の見下した笑いに苛ついた。
ひとりで喧嘩する度胸もないくせに。赤髪ひとりなら余裕で倒してる。
杉澤の帝王も女子生徒が勝手に言っているだけだ。学校の地位なんて隼人には些末なことだ。
『そろそろフィナーレだ』
赤髪が仲間から金属バッドを受け取ったのを見て、隼人は苦笑いした。絶体絶命とはこういう時に使う言葉だ。
(バッドは野球で使うものだろ。人を殴る道具じゃねぇぞ)
『じゃあな。杉澤の帝王さん』
赤髪が笑ってバッドを振り下ろした。隼人は反射的に目を閉じて左腕で頭を庇った。
――数秒の時が過ぎても頭にも身体にも何の痛みも衝撃もない。
『お前らさー、ひとりに対してこの人数は卑怯じゃねぇーの? それともひとりじゃ弱すぎて戦えないって?』
この場にはそぐわない陽気な声と金属バッドが地面に落ちる音が頭上から聞こえた。目を開けた隼人の前には短髪の黒髪に赤や青のカラフルなメッシュを入れた男が立っている。
隼人と同じ杉澤学院の制服を着た黒髪の男の顔に見覚えがあった。
あの男は確か……一年の時に……
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