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5月27日(Sun)


 ドタバタと階段を駆け上がる音がする。足音の主に気付いた隼人は溜息をついて頭から布団をかぶった。

そう、昨日から“奴”が帰って来ている。


「隼人ー!」


ノックもせずに遠慮のない足取りでずかずかと隼人の自室に入ってきた女はベッドで寝ている隼人の身体を何度も叩いた。


『……ぼうりょくはんたーい』

「いつまで寝てるの! もうお昼になるよ」

『うるせぇなぁ。耳元でわめくな、叩くな。休みの日くらいゆっくり寝かせろよ、菜摘』


布団から顔を覗かせると、女は寝そべる隼人の身体の上に跨がって、また彼の身体を叩いた。


いてっ! この暴力女!』

「あんたが呼び捨てにするからだ!私は隼人の彼女じゃありませんー。お姉様と呼びなさいといつも言ってるでしょ」

『だよなぁ。こんな美味しい体勢なのに相手が姉貴じゃ勃たねぇ』


 身体の上に乗る姉、菜摘なつみの腰を隼人は両手で掴んだ。スタイルは申し分ない姉の細い腰を掴んでもまったくそそらない。姉を見てそういう気分になる方が問題あるが。


「離せエロガキッ」


菜摘が腰に回る隼人の手の甲をつねる。隼人は顔をしかめて彼女から手を離した。


『チッ。俺達には姉と弟の禁断の関係は無縁か』

「ホントにどうしようもない弟だな。とにかく早く起きなさい。出掛けるからバイク出して欲しいの」

『母さんの車があるだろ。出掛けるならそれ乗って行けば?」


菜摘が身体の上から退き、隼人も渋々起き上がった。


「お母さん車使って出掛けてるの。だから隼人がバイク出してよ。免許とって1年になるんだから二人乗りできるでしょ?」

『俺は運転手かよ。しかも姉とバイク二人乗りって最悪……』


 ベッドを降りて部屋着のTシャツを脱ぐ。菜摘は隼人のマガジンラックを物色して勝手に雑誌を引っ張り出していた。


『あのさ、姉貴』


隼人は上半身裸のままクローゼットの扉を開け、姉の方を振り向いた。菜摘はソファーに座って隼人の雑誌をパラパラとめくっている。


『弟の着替え見て楽しいですか?お姉様』

「あははっ! なにー? 照れてるの? いやぁ隼人も立派な男になったなぁと思って。お姉ちゃん嬉しいわ」


 笑ったと思えば泣き真似をする姉。いつもいつも、姉のハイテンションにはついていけない。本当に血の繋がりがあるのか疑うほど、隼人と菜摘は真逆の性格をしていた。


こんな繊細さやデリカシーの欠片もない姉が医大生なことがいまだに信じられない。横浜の医大の寮住まいの菜摘が実家に帰って来ると途端に家が騒がしくなる。


『そんなんだから彼氏が出来ねぇんだよ』

「何か言ったー?」

『別にー』


 昔から姉にだけは勝てない。おそらく、この異様にテンションの高い姉の性格を上手くかわすために“姉ちゃんの言うことはとりあえず適当に聞いておけば楽”と、子供時代からの姉の取り扱い説明書がインプットされてしまったのだろう。


 支度を終えて、隼人は菜摘をバイクの後ろに乗せて自宅を出発した。行き先は姉が指定した東京郊外のアウトレットのショッピングモール。

ショッピングモールに到着して店内を見て回る隼人と菜摘。


『姉貴、なんでこっち帰って来たんだ? いつもは土日でも帰って来ねぇしゴールデンウィークもこっち来なかったじゃん』

「なんとなくホームシックかな。久しぶりにお母さんのご飯食べたくなったの!」


 菜摘はこれと言って何を買うでもなく、ウインドウショッピングを楽しんでいたが、あっちへこっちへ連れ回されて隼人はかなりくたびれていた。これが自由人な姉を持つ弟の宿命だ。

モール内のカフェで二人は一息つく。この季節のテラス席は初夏の爽やかな風が気持ちいい。


「さっきなんで帰って来たのか聞いたよね。隼人が心配だったからでもあるんだよ」

『俺が心配?』

「サッカー辞めたんでしょ?」

『……うん』


アイスコーヒーで喉を潤して頭上の青空を見上げる。絵の具で描いたような鮮やかな青い空と白い雲のコントラストが綺麗だ。


「サッカーバカの隼人がサッカー辞めたらどうなっちゃうんだろうって心配になって様子見に来たの」

『見ての通り腑抜けた野郎になりました』


自嘲気味に笑う隼人を見て菜摘は眉をひそめて隼人の頭をポンポンと叩いた。


「私は腑抜けになってもいいと思う。何もかもが嫌になって現実逃避する……そういう時期も必要だよ。でもね、どれだけ腑抜けになっても警察のお世話になるようなことだけはしないようにね?」

『わかってるよ。俺だってそこまでバカじゃねぇしガキでもないから』

「お父さんとお母さん、翼にもあまり心配かけないでね。翼なんてね、兄貴がサッカー辞めちゃったぁって私に泣きながら電話してきたのよ」

『まじかよ』


その話は初耳だ。翼も隼人がサッカーを辞めたことが相当ショックだったらしい。


「翼はあんたに憧れてるのよ。隼人はさぁ、子供の頃から勉強もスポーツも器用にこなすしね。ヤンチャな悪ガキだけど根は優しくて面倒見もいいし。でもあんたって一本木な性格だからどうしても不器用になっちゃうんだよねぇ。頭いいのにバカなんだから」


褒められているのか複雑な気持ちだった。けれど姉なりに励ましてくれている気持ちは伝わった。


 菜摘の携帯電話に母から今晩はすき焼きにするから足らない材料を買ってきてとメールが入り、二人は帰り道にスーパーに立ち寄る。


『二本でいいだろ』

「ダメ! ネギはたくさんがいいからこっち! 食べ盛りの隼人と翼がいるんだから食材はいくらあっても足らないでしょ」


スーパーの野菜売り場で二本入りのネギと三本入りのネギのどちらにしようかで口論する姉と弟。結局三本入りのネギが買い物カゴに収まった。


「あっ、隼人ー。お菓子欲しい」


お菓子売り場で菜摘が隼人の服の裾を引っ張ってお菓子をねだる。これが21歳になる医大生だとは隼人も信じがたい。


『なんでも好きなものどうぞ』


 隼人が持つ買い物カゴに菜摘が選んだお菓子がどんどん放り込まれていく。隼人と菜摘の様子を見ていたレジの店員が若いっていいねぇと笑っていた。


(あのレジのおばちゃん、絶対に俺と姉貴が恋人だって勘違いしてる。おばちゃん違うんだ。この変な女は俺の姉だ……)


ショッピングモールでも店員や他の客達には姉を恋人と勘違いされていたのかもしれない。勘弁してほしいものだ。


 その夜は家族五人ですき焼きを食べ、久々に菜摘と弟の翼と三人でテレビゲームをして5月最後の日曜日が終わった。

心配して帰って来てくれた姉。あんなにフリーダムな姉だけど、いい姉だと思う。

ありがとうは照れ臭くて直接は言えないけど。でも、ありがとう。

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