No.8 告白

 生き物としては、明らかに不完全なカタチ。

 主要となる大部分の脳の欠落。辛うじて生命維持を司る延髄と下垂体、小脳、中脳の一部だけが存在していた。


 アルフレドには、生身の人間のように衝撃を受ける感情はない。

 眼の前を通り過ぎていく現実を、ただ事実として受け入れるだけ。


 イブが目覚めない原因を、ただはっきりと理解しただけ。


 生身の生き物ならば、脳が欠落していれば生きる事すらできない。

 けれど、イブの肉体は生きていた。アルフレドの手で、生かされてしまった。

 不完全なカタチのまま。


 あってはいけないカタチ。背徳のカタチ。

 イブが目覚める事は、決してない。肉体だけが生きたまま、昏々と眠り続ける。

 その細胞の最後の一粒が朽ちるまで。


 発見した時から、染色体の何処かに異常をきたしていたのかもしれない。著しい劣化で、本当は再生すら不可能だったのかもしれない。


 けれどアルフレドは、その人工頭脳でそれを越えてしまった。


 禁忌に触れてしまった。  



 アルフレドは、ガラス菅のイブを見た。

 綺麗なカタチ。鑑賞用の魚のように、水の中を揺らめく。


 命を忘れた螺旋。

 人のカタチをした、生身の肉や骨。


 心を通わせ合う事は叶わない。

 彼女は感情を生み出す、脳という機関を持っていない。


 イブの心臓が奏でる、なだらかな音と波。確かに今、彼女の体は生きている。

 このガラス菅の外へ出れば、アルフレドの手を離れれば、生き続ける事もできない儚い肉体。

 心を持たない、感情を持たない命。


 ここにあるのは、造り物の不完全なものばかり。

 造り物の人工頭脳が学んだ『感情』というプログラムを発動させる、模造品の少年。



 君を再生させる途中に、僕は大切なモノを造り忘れてしまったのかもしれない。

 『魂』というものが宿る処。


 『魂』=『心』であるのかは、『命』を持たないアルフレドには判らない。

 酷く人間的な考えだと思う。少し人間の書物を読み過ぎたのかもしれない。


 『魂』と『命』の違い。難し過ぎて、理解もできない。


 美しい人。

 これからも君は、このまま眠り続けていくんだね。

 その透き通る程に淡い眼球を、僕に向ける事もなく。



 それでもアルフレドは、イブに恋をしていた。




       ∞




 母星から、アルフレドの体の燃料と本が積まれた無人貨物便が到着した。そこには、読み続けてきた三部作の最終巻も積まれていた。


 アルフレドが、送られて来たその本を大切に手に取る。貧しい青年と、美しい娘の物語の続き。恋の結末。

 アルフレドは厚い茶色の表紙を開き、その本の一頁目をゆっくりと捲った。




       ∞




 アルフレドは、イブの眠るガラス菅の前に静かに立った。

 豊かな水に満たされ、ゆらり彼女は漂う。長い髪を、優雅に閃かせながら。


 仄淡い光が、イブの体を照らしている。

 まるで彼女の細胞一粒一粒が発光しているような、優しい輝き。



 僕だけの、イブ……。



 瞬きを必要としないアルフレドの人工眼球は、寸分の動きすら見せないままイブを真っ直ぐに見詰めていた。


 やがて、生きた少年のように穏やかに微笑む。



「イブ……」




 アルフレドの唇が、彼女の名前を紡いだ。

 アルフレドが付けた、唯一である彼女の名前。



 永遠の片想いの、彼女へ。






「僕と、心中して下さい」




 永遠の片想いの彼女へ、アルフレドはそう告げた。


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