No.7 欠落
貧しい少年は成長していつしか青年となり、遠い異国へと旅立って行ったいとしい娘を追いかけ海を渡る。再会叶わず何度もすれ違い、その度に身分の差を思い知らされる。様々な障害を乗り越え、青年はようやく娘の元へ辿り着く。青年の想いに最初は戸惑っていた娘だったが、次第に心動かされ互いに通じ合っていく。
ある三部作の恋愛小説の、二冊目の物語。
本能の伴わない『恋』という現象。
それは、鉱物のカタチに似ている。赤や青。まだ未熟な、けれど初々しい仄淡い煌めき。
この宇宙の数知れない要因が重なって発生した、繊細なカタチ。
貴い結晶。
「早く、君と『心』を交わしてみたいんだ」
あの物語の貧しい青年と、美しい娘のように。
心と心を。感情と感情を。
「僕の心は、造り物の心かもしれない。この感情も」
本を読んで人間の感情を学習して、心というものを得たつもりになっているだけなのかもしれない。きっと、そうなのだと思う。
全て造り物の模造品に、感情など芽生える筈もない。アルフレド自身、そんな事くらい知っていた。
けれど、アルフレドの人工頭脳は学んでしまった。細やかな感情という波。
淡く秘められた、『恋』という感情。
イブに恋する気持ちは、止めどなく広がっていく。この人工頭脳の回路、一本一本全てを
いとしい人。緩やかな光を纏う、崇高な肢体。
何処までもとどまる事なく、けれどいつかは終わる有限の器。
貴いカタチ。もどかしくて甘美な感情。神経回路が造り出す、電流。
この人工頭脳のプログラムがリセットされれば、消滅してしまうカリソメの心かもしれない。
「けれど」
培養液に浸され佇むイブをはっきりと見詰め、アルフレドは云った。
「イブ……、僕は君に、恋をしてるんだ」
恋しい眠り姫。君はいつ、目覚めるの……?
∞
彼女はただ、昏々と眠り続ける。
アルフレドの想いを知りながら、無邪気に翻弄する思春期の少女のように。
アルフレドは恋しい少女を見詰める事しかできない、片想いの少年。
イブが眠り続ける理由。眼を覚まさない原因は……?
彼女の覚醒。それが、アルフレドのただひとつの願い。
イブへの感情が、思考回路を占領していく。
アルフレドは、母星から送られて来た本の中から医学関連の物を選び出し、読み漁った。
生身の人間が眠りから目覚めない理由。意識不明。昏睡状態など。いずれも外傷などによる強い衝撃で起こる事が多い。その他、薬、食品などの中毒。
アルフレドは、ガラス菅の外からじっくりイブの体を観察してみた。
異常らしいものは、何も見当たらない。臍に繋がったチューブはきちんと機能し、イブの体に栄養と酸素を送り続けている。心拍、血圧、体温、全てが正常。
アルフレドは、イブの顔に眼を向けた。
薄い目蓋に覆われ、その眼球を見る事はできない。透ける程に白い頬。柔らかな形の唇は、僅かな血色を孕んだ淡紅。
脳や内臓に何らかの問題があるのかもしれない。
アルフレドはイブをガラス菅の培養液に浸したままの状態で、体の内部の様子を映し出す事にした。
人間の医療機関で行われる、MRIの技術と同じ方法。生命体を発見するなどのあらゆる可能性を想定して、この基地には高性能な医療機器が備わっている。
イブの体に何らかの問題が発見されれば、アルフレドの技術を以て処置できるだけの設備は揃っている。
アルフレドは早速、イブの体をMRIにかけてみた。
輪の形をした光が、ガラス菅に入ったイブの全身をゆっくり擦り抜けていく。余す処なく入念に。光の落とす影が、イブの色素の薄い皮膚を撫でるように這い上がる。
その映像は、すぐに現れた。
イブの肉体を輪切りにした画像。体の各箇所の内部の様子が、画面に映し出される。鮮やかな肉の色。アルフレドの人工眼球は、それを淡々と見詰めた。
内臓部分をじっくり下から観察していく。医学書で見た母星の人間の内部と、ほぼ同じ造り。特に問題や異常はないように思われる。食物を直接摂取していない為、腸や胃の弱体、機能低下は見られるが、それも大きな原因ではないだろう。
肺も少々弱体気味。心臓も弱いが、きちんと機能している。食道、咽、顎の部分、その上にびっしりと生え揃った歯。そして舌。
画像が、輪切り状のイブの肉体をじわじわと這い上がっていく。鼻腔、耳の管、そして脳幹の部分が現れる。丸い、眼球の形。
アルフレドは、這い上がっていく画像を止めた。
不自然な映像。
そこにあるべきモノが、映っていない。
アルフレドは一度止めた画像を再度ゆっくりと進めてみた。
やはりそこには、何も映っていなかった。何もない、ただの空洞。
アルフレドは、頭蓋の中を正面から映した像を画面に呼び起こしてみた。更に、左右から映した様子も同時に。
画面一帯が、イブの頭蓋の内部の画像で埋め尽くされた。
大脳新皮質だけが綺麗に欠如した、イブの頭部の画像。
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