No.5 揺らぎ

 最初は魚のようなものだった。

 それが移ろうようにカタチを変え、鳥のような姿になり、四つの足を持つ生き物になった。

 渇ききった命の残骸だった粒が、ガラス菅の中でくるくると姿を変えていく。

 アルフレドは与えられた仕事をこなしながら、星の動きよりも果てしない生命の変化を見詰め続けた。


 ガラス菅の生命は、今はすでに人間の胎児のカタチをしていた。膝を抱えるようにして液体の中に浮かんだまま、背中を丸めて眠っている。繋がった臍の尾のようなチューブから、必要な栄養素を送り込む。培養液全体が、生命の心音や血圧、体温などを拾い上げ、データとしてコンピューターに届けてくる。


 生物の体は、時の流れに目まぐるしく姿を変えていく。胎内に居る間に、何億年もの進化の過程をなぞるように成長していく。


 アルフレドは、始まりも終わりも同じ。造られたその日から、このカタチ。壊れる時も、このカタチのまま動きを止めていく。

 あんなに小さかった細胞が、今では最初のガラス菅では収まらない程大きくなり、見違えるくらいに人の姿になっている。

 透明なガラス菅に眠る赤子。その細い髪が、ゆらゆらと魚の尾のように揺れている。


 アルフレドの神経回路に、ほんの刹那の揺らぎが生じた。

 僅かな回路のズレ。そのズレが、アルフレドの神経回路を波打たせた。


 回路の不具合だろうか。

 けれど単なる不具合と処理してしまうには、少し違うような気がした。朝の点検では、異常も見られなかった。

 特に問題はないだろう。アルフレドは、そう判断した。


 けれどその刹那の揺らぎは、その日を境に度々アルフレドの回路にズレを生じさせるようになった。

 時に微量の震えであったり、誤作動のようなぶれであったり。

 まるで大きさの異なる石が水面に広げる波紋のように、アルフレドの神経回路を震わせながら、余韻を残して消えていく。


 体の機能は正常だった。

 日に二回の点検では、全く異常は見られない。

 その揺らぎが生じるのは、いつも決まってガラス菅の中の命を観察している時だった。



      ∞ 



 人工頭脳の休息を終え覚醒すると、アルフレドはいつも真っ先にガラス菅の元へ向かう。眠ったまま緩やかに成長していくその形を、ゆっくり観察する。


 ガラス菅の中の生命は今ではすっかり手足を伸ばし、体を真っ直ぐに立てて液体の中に浮かんでいた。体の大きさはまだアルフレドよりずっと小さく、幼子をようやく脱したくらいの人間の子供の姿をしている。

 染色体や体の造りから、性別は『雌』、『女』であるようだ。


 眼を閉じて、まだ深く眠り続けている。

 規則正しく描かれる、心拍の波と音。この肉体が生きている、確かな証し。

 与えられた作業を行い、本を読み、そして育っていく生命を観察する。自分とその生命しか存在しないこの星で、アルフレドはただそんな日々を繰り返した。


 アルフレドに時の流れの感覚はない。

 星の動きは、時が巡ればいつしか同じ処へ戻ってくるだけ。ガラス菅の中の生命の成長が、歳月の経過をアルフレドに教えてくれた。


 刻々と時を重ねていく、その人の肉体。

 体の丈は伸び、色素の淡い長い髪がゆらり漂う。

 母星の人間と、同じ形。

 母星の人が『少女』と表現する頃合いの生命が、長円形のガラスの空間に浮いていた。16、7歳の少年の姿をしたアルフレドよりも、まだ少しばかり幼いだろうか。


 ガラス菅の端に取りつけられたメモリー数値から、この生命の元となる細胞を見つけた日から13年程の時が経過している事が判る。あれからずっとこの星の調査を続けているが、あれ以来生命の存在らしい痕跡は発見していない。生命の活動があったり、栄えていた形跡も全くない。

 とすればこの『少女』も、アルフレドのように何故か別の場所からここへ辿り着いたのだろうか。


 アルフレドは、ガラス菅の中の生命をじっと見詰めた。色素が非常に薄い以外は、母星の人とほぼ同じ特徴。瞳の色は目蓋が閉じられているので確認はできないが、染色体から判断して恐らく透明に近いような淡い青。


 アルフレドの人工眼球が、『少女』の描く柔らかな線をなぞる。陶器のように白い皮膚の下に、僅かに血管の模様が透けていた。


 アルフレドの神経回路に、また揺らぎが生じた。いつもより、深く。

 この頃は度々、この感覚が回路に現れる。けど、不快ではない。

 むしろアルフレドは、この深い揺らぎが生じるのを待ち望むようになっていた。理屈では解析できない、この揺らぎを。


 アルフレドは、『少女』の顔に視線を向けた。とても均整のとれたカタチ。

 緩く閉じられた目蓋の先には、淡く長い睫毛が小さな水泡を乗せていた。


 『彼女』は、いつ目覚めてくれるだろうか。

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