第八話(エピローグ)
「死んだか?」
完全にウィラードが息絶えたことを確認してから、ダベンポートは死体の検分を始めた。
ポケットナイフでシャツを切り裂き、胸元を調べる。
「……あったぞ、グラム。たぶんこれだ」
ダベンポートはウィラードが首から下げていた鍵をグラムに掲げてみせた。
引き続き魔法の検分。肉体強化が行われていた右腕を中心に調べていく。
ウィラードの右腕には、複数の魔法陣が焼きついていた。
「解呪しないで魔法を重ねたのか……。こんなことをしたら
ダベンポートはウィラードの目を調べてみた。
瞼を裏返し、光のない瞳の中を覗いてみる。
ウィラードの目は白く濁り、右目にはうっすらと魔法陣が焼きついていた。
「バカな事を」
ダベンポートはウィラードに毒づいた。バカな事を。そんな事をしても視力は回復しない。
ダベンポートは立ち上がると、グラムに言った。
「グラム、明日この鍵をセントラルのマスターキースミスに見てもらおう。あの爺さんだったらこれがどこの鍵かもわかるだろう」
マスターキースミスはセントラルの片隅に小さな店を構える鍵屋だった。鍵に関しては生き字引の様な人物で、セントラル中の全ての鍵を知っていると噂される人物だ。
バイザーをしたその老人はグラムから受け取った鍵を明るい光の下で矯めつ眇めつしたり、拡大鏡で拡大したりしていたが、やがて口を開いた。
「これは古い鍵だねえ。こんな鍵を使っている場所は一箇所しかないよ」
「それはどこだね?」
とグラム。
マスターキースミスはカウンターの向こうで肩を竦めた。
「スラムさ、旦那。港の裏のスラム。そこ以外には考えられないね」
グラムとダベンポートは昼番の八人の騎士を引き連れ、スラムに向かった。
港湾裏のスラムは沈鬱な場所だ。不快な臭気に満ち、日差しは通りに干されたボロの洗濯物に遮られている。路地には失業者や貧困者、浮浪児がやるせなく座り、街は限りなく不衛生だ。
「よし、行け」
スラムの中心でグラムが部下に命令する。青い制服に身を包んだ騎士達はすぐにガシャガシャと剣の鞘を鳴らしながら四方八方へと飛び出していった。
…………
ウィラードの家はスラムの外れにある安下宿の一角にあった。
古い建物で、壁面のレンガが煤ぼけている。
「こんなところに二十年以上も一人で住んでいたのか……」
思わずグラムが呟く。
「そうみたいだな。変な奴だ」
一方のダベンポートは無表情だ。
ダベンポートは持ってきた鍵を使って中に入ってみた。
思ったよりも整頓されている。小型の本棚、服の入ったバスケット、小さな机、キャビネット。
床に転がった大小のダンベルが元住人の趣味を雄弁に物語っている。
「こんなところでひたすら身体を鍛えているっていうのはどういう気持ちなんだろうな」
「さあね……それよりも魔法だ」
ダベンポートは言った。
ウィラードに同情する気持ちはない。それよりも謎を解かないと。
「こんなところにいる奴が魔法を習えるとは思えない。一体ウィラードはあの魔法の知識をどこで手に入れたんだ?」
そう言いながら部屋の捜索を開始、ウィラードと魔法の関連を探す。
「そもそもウィラードは目玉で何をしようとしていたんだ?」
ダベンポートがウィラードの蔵書を調べ始めた時、グラムはダベンポートに訊ねた。
「肉体強化だろう」
ダベンポートは振り向きもせずグラムに答えて言った。
「近眼だったのか老眼なのか知らないが、ともかくウィラードは魔法で視力を強化しようとしたんだと思う。だが、僕の見た限りでは
ダベンポートは肩を竦めた。
「そりゃあさぞかし焦っただろうな、何しろやればやるほど視力が落ちるんだ。だからあんなにたくさん目玉を集めたんだろうよ」
ウィラードの蔵書はほとんどが解剖学の本だった。その一冊ずつを丁寧に本棚から取り出し、パラリパラリと中をめくる。
本は高い。
「分不相応に高価な買い物だな。それにしてもあいつ、字が読めたのか」
思わず呟きが漏れる。
やがて、ダベンポートは目的の本に辿り着いた。
『魔法入門上級』。
どうやら、魔法に興味がある市井の人を対象に書かれた本の様だ。
見覚えのある魔法陣が挿絵に描かれている。
「これを写したんだな」
ダベンポートはグラムにそのページを示して見せた。
「見出しには肉体強化呪文とある。ウィラードの奴、こんな与太を信じたんだ」
「で? この本の中身はどうなんだ?」
グラムはダベンポートに訊ねた。
「いい加減だ。どうやら生半可な知識で書かれている様だね。だが発動だけならなんとかできるかも知れん……それだから余計にタチが悪い」
『魔法入門上級』? そんな本を売るから余計な被害が出る。
いつの間にか、ダベンポートは誰に対するでもなく怒っていた。
怒った時のダベンポートは静かだが、その雰囲気はとても冷たかった。怒ったダベンポートにはどこか人を寄せ付けない剣呑さがあった。
まるで室内の温度が下がったかのような冷たさ。無表情な白い顔の中で瞳だけが昏く光っている。
魔法は
「……グラム、今回の件で娼婦は何人くらい死んだんだ?」
「さあてね」
怒っているダベンポートをこれ以上刺激しないように気をつけながら、グラムは分厚い手で顎を撫でた。
「警察の報告だけで少なくとも十人、そのほかに病院に重傷患者が二人。詳しく調べればもっと被害者は増えるかも知らん」
「……こんな、こんな下らん本のために若い娘がそんなに死んだというのか」
思わずダベンポートはその本に毒づいていた。
「こんな本があるからウィラードのような奴が出る。グラム、この件は僕から上申するよ」
ダベンポートは証拠物件として本を大切にカバンにしまいながらグラムに言った。
「本来、こんな本が世の中に出てはならないんだ。妙な入門書は人の道を誤らせる。この出版社には然るべき手段を取るよ」
ダベンポートはカバンの中を確かめるように上から叩いてから、もう一度ウィラードの居室を一瞥した。
粗末なベッド、小さな机に小ぶりな本棚。床の上にはダンベル以外何もない。
まぬけで身体がでかいだけのウィラード。思えばこいつも大馬鹿だ。こんな下らん与太話を信じやがって。しかも挙げ句の果てが娼婦狩りとは恐れ入る。自分よりも遥かにか弱い娼婦ばかりを襲うだなんて、あまりにやり口が卑怯じゃないか。そんなに身体を鍛えていたんだったら、もっとほかに出来ることがあっただろうに。
もう、十分だ。
「……さて、行くかグラム」
相変わらず目を昏く怒らせたまま、ダベンポートはグラムの先に立ってウィラードの部屋を出た。
「日が陰ると冷えるな」
思わずグラムが胸元に手を伸ばす。
ダベンポートは最後に室内を一瞥すると、手にした鍵でドアにしっかりと施錠した。
そのまま振り返ることもなく、グラムと肩を並べてスラムの出口を目指す。
だが、二人が去った後も、その部屋にはダベンポートの怒りの冷気がいつまでも立ち込めているかのようだった。
──魔法で人は殺せない4:目玉狩り事件 完──
【第二巻:事前公開中】魔法で人は殺せない4 蒲生 竜哉 @tatsuya_gamo
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