少年探偵コイン、現る

 そうこうしているうちに、自動車くるまは郊外から市街地へ入った。

 運転手がフロントガラスのワイパーをめた。

「おや、雨はあがったか」

 後部座席の鴨凪かもなぎ正二しょうじ記者が運転手にたずね、窓から空を見上げた。

「どうも、そのようです」と運転手。

 幹線道から入り組んだ脇道へ入り、右に左にハンドルを切りながら自動車くるまを進める。

「おいおい、大丈夫かい? こんな曲がりくねった細い道を行ったりして?」

 鴨凪記者の問いに、運転手は「こっちの方が本社までの近道なんです」と答えた。

 それからいくつかの角を曲がり、自動車くるま何時いつの間にかハチドリ市でも一、二を争う歓楽街に出ていた。

 歓楽街にも上級・中級・低級と色々あるが、その通り周辺は少々品の悪い地域でもあった。

 冷たい雨の降る平日昼間だというのに、両側の歩道には遊び人風な格好の男女がそこそこ歩いていた。

 新聞社の自動車くるまが、ある有名なキャバレーのスイング・ドアの真ん前を通り過ぎようとした、ちょうどその時だ。

「ダンッ、ダンッ」という、明らかに銃声と分かる炸裂音が二発、スイング・ドアの向こう側から車内まで響いた。

「き、きみ! 運転手さん! ぐに自動車くるまを停めてくれたまえ!」

 さすがに記者の本能が働いたのか、事件の匂いを嗅ぎつけた鴨凪正二が、前のめりに手を伸ばして運転手の肩を叩いた。

 ききっ、とブレーキを鳴らして、キャバレーを少し過ぎたところで自動車が停まった。

啓一けいいちくん!」

 鴨凪記者が、緊張した顔でこちらを見つめている少年記者へ振り返る。

「はいっ」と返事をする少年記者。

「きっと、キャバレーの中で何かあったんだ。君は公衆電話を見つけて、本社に電話をしてくれたまえ……い、いや……け、警察が先だ。まず警察に電話するんだ。それから本社へ」

「わかりました」

「ほら、あのビルヂングのわきに路地がある……」後部座席の窓ガラス越しに、鴨凪はキャバレーの真向かいにあるビルを指さした。ビリヤード場や飲み屋の入った、古ぼけた四階建てのビルヂングだった。「路地を抜けると、ぐに別の大通りに出る……確か、真ん前に公衆電話があったはずだ」

「はいっ」

 返事を言い終わらないうちに、少年は自動車くるまから歩道へ飛び出し、通りを渡って四階建てビルヂングの脇の路地へ消えた。

 残った鴨凪は、運転席側から助手席側へ、後部座席の上で尻をずらした。

 そちら側の窓からのぞいた方が、キャバレーが良く見えた。

 ルームミラー越しに運転手と目が合った。運転手の顔に脂汗が吹き出ていた。

 また、「ダンッ、ダンッ」と銃声が二発。

 通行人たちが立ち止まり、遠巻きにキャバレーの玄関を見つめた。

 近づく勇気のある者は一人も無かった。

 鴨凪は、記者の習慣として常に持ち歩いている距離計連動レンジ・ファインダー式焦点調節機構のカメラを片手に、後部座席の扉の掛け金をカチリッと外した。

「どうするつもりで?」運転手が振り向いてたずねた。

「因果な商売だからね」と鴨凪。「どこかで誰かが血を流しているなら、それをフィルムに収めないと」

 運転手は、もう何も言わない。

 後部座席の扉をそっと開け、記者は歩道へ出た。

 野次馬たちが距離を置いてキャバレーの玄関口をジッと見つめている。

 また、「ダンッ、ダンッ」と二発。

 そこに居る全員が、驚いて首を縮める。

 鴨凪は震える手でカメラを握りしめ、一歩、また一歩とキャバレーのスイング・ドアへ近づいた。

 突然、「ぎゃーっ」という女の悲鳴。

 直後、スイング・ドアを勢いよく押し開けて、露出の多い踊り子の衣装を着た女が一人、「お助けッ」と叫びながら通りに飛び出てきた。

 その女に五歩と遅れず、二連式の猟銃を持った男が通りに現れた。

 ぎらぎらと血走った目を大きく見開き、「ちくしょうめ!」と叫びながら銃を構え、女を撃つ。

 また、銃声。

 散弾銃から飛び出た無数の弾丸たまが、踊り子の左肩甲骨を砕き、肺を潰し、動脈を引き裂いた。

「アッ」と叫んでけ反り、直後、半裸の女はアスファルトの上にうつぶせに倒れた。

 無数の散弾によってき肉状態にされた背中から、真っ赤な血が泉のようにいた。

 女の口が「ごふっ、ごふっ」とせるたびに、そこから大量の血が路上に吐き出される。

 冷たく湿った曇り空の下、その場に居た全員が一歩も一寸も動けず、ただ、真っ赤に染まっていく踊り子の体を凝視し続けた。

「血の流れるさまをフィルムに収めるのが仕事」と言っておきながら、記者は、カメラのシャッターを切ることもフィルムを巻くことも忘れてしまった。

 他の野次馬と同じように、女が死んでいくのを、ただ黙って見つめる他なかった。

 背中の傷口から出る血の勢いが無くなった。

 もうせる事もなかった。

 女の全身から力が抜けたのが分かった。

「やいっ!」

 猟銃を持った男が叫んだ。相変わらず目が血走っている。

 その血走った目で野次馬どもを順々ににらみつける。

「なにを見てやがるっ、見せもンじゃねェぞっ」

 猟銃を肩に付け、銃口を野次馬に向ける。

 その場の全員が息を呑んで、一歩下がった。

 背中を向けて逃げ出す者さえ一人も居なかった。逃げる勇気すら持てないのだ。

 猟銃の銃口が右から左へユックリと動き、最後に鴨凪記者の前で止まった。

 男の血走った視線が一瞬下がり、鴨凪が手に持ったレンジ・ファインダーに注がれ、ぐに上がって銃口と共に記者の眉間あたりに貼り付いた。

「おいっ、貴様! てめェ、写真に撮りやがったな! 俺の顔を撮りやがったな!」

 怒り叫ぶ猟銃男に対し、何も言えずただブルブルと首を横に振る鴨凪記者。

「承知しねえ! 承知しねえ!」

 男は猟銃を構えなおし、ジワジワと引き金の指先に力を加えた。

 もう駄目だ、撃たれるッ!

 鴨凪記者は思わず目を閉じた。

 その直後!

「フハハハハッ」

 どこからともなく響き渡る不敵な笑い声……

 その場に居た全員が(何処どこだ?)とあたりを見回した。

「アッ! あそこだッ!」

 誰かが叫んだ。

 みながその方を向いた。

 若い男が、高い場所を見上げて指さしている。

 その指さす先は、キャバレーの向かい側……扉板とびらいた少年が、警察に連絡を取るため横の路地に走り込んだ、あの古ぼけた四階建てのビルヂングだった。

 そのビルヂングの屋上に、不思議な姿の少年が一人、建物のふちギリギリの所に立って、こちらを見下ろしている。

 目のまわりを隠す赤いマスク。

 黄色のネクタイに、鮮やかな青メタリック色のジャケット。

 両手に焦げ茶色の手袋グローブ

 ズボンのすそ込んだ、やはり焦げ茶色のブーツ。

「ハハハハッ」

 屋上の少年が、不敵な声で笑い続ける。

「ぬッ! な、何奴なにやつッ!」猟銃男が叫んだ。

「悪のやいばが光るとき、金のコインが飛んて行く! 科学の力とほとけの心、敵は殺さず捕らえましょう! 神出鬼没の少年探偵、その名はコイン、ここに見参!」

「しょ、少年探偵? コインだとッ! こ、小癪こしゃくなッ!」

 鴨凪記者へ向けていた銃口を、今度は屋上の少年へ向ける。

「ガキだからって容赦はしねぇぜッ! 喰らえッ!」

 引き金を引き絞る。

 ダァァァンッ! と銃声一発。

 しかし、放たれた鉛玉は、青メタリックのジャケット表面でカンッ、カンッ、カンッ、と火花を散らし、弾かれた。

「ハッハッハッ! そんなものは、僕には効かないッ! タァァァッ!」

 掛け声とともに、四階建ての屋上から飛び降りる謎の少年……いや、少年探偵コイン!

「危ないッ!」と叫び、野次馬たちが目をらす。

 しかし、飛び降りた少年は見事アスファルトに着地し、スックと立ち上がった。

 あれだけの高さから跳び降りたというのに、かすり傷ひとつ負っていない。

「き、気味の悪いヤロウだぜ……だが、この近間ちかまからなら、外すめぇ!」

 負け惜しみとも強がりとも取れる台詞せりふを発しながら、男は素早く猟銃に弾を込め、少年探偵コインに向かって発砲した。

 流れ弾に当たってはたまらんと、野次馬たちが一斉に頭を抱えて地面に伏せる。

 一発、二発。

 連続して発射された散弾は、しかし、少年探偵コインの青メタリック色ジャケットの表面で火花を散らし、むなしく弾かれるばかり。

「フッハッハッハ! 無駄だと言ったはずだ」

 覆面の少年が、余裕の眼差まなざしで猟銃男を見返した。

「今度は、こちらから行くぞっ、放電コインだっ! ヤァッ!」

 少年探偵が両腕を銃男に突き出すと同時に、ジャケットの袖口から黄金きん色の物体が発射された。

 黄金きん色の物体は、青白い放電光の尾を引きながら、猟銃男へ真っぐ飛んでいき、その体に当たった瞬間、ひときわ大きな青白い光を放った。

「ぎゃっ」

 悲鳴と同時に男は猟銃を落としアスファルトの上にクタクタと力なく倒れた。

 ここまで、ほんの数分の出来事。

 あまりの異常さに、その場の誰も動けない。

 凍りついたような空気を溶かしたのは、遠くで鳴るサイレンの音だ。

 音は、徐々にこちらへ向かってくる。

「やっ、どうやら警察が来たようだ」

 少年探偵コインがつぶやく。

「今は、まだ……僕の正体を明かす訳には行かないのです。では皆さん、さようなら……ローラー・ジェット!」

 ブーツの両ふくらはぎ部に装着された超小型ジェット・モーターのファンがうなりを上げて回転し、大量の空気を後方へ噴射。

 その反動を使い、少年探偵コインは、アスファルトの道をまるでスピード・スケートの選手のように滑走し、去って行った。

全速力の自動車でも追いつけないほどの速度だ。

「……少年探偵……コイン……いったい何者?」

 鴨凪記者は、ただ呆然としてつぶやく他なかった。

 やがて警察車両が到着し、現場検証やら野次馬たちからの聴取やらが始まった。

 いつの間にか、扉板とびらいた啓一けいいち少年も、現場に戻っていた。


 * * *


 これが……以後、時間を変え、場所を変え、幾度となく遭遇する事になる、ハチドリ日日にちにち新聞記者鴨凪かもなぎ正二しょうじと、少年探偵コインと名乗る謎に包まれた不思議な少年との、最初の出会いだった。

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