お見舞い
中田さんが心筋梗塞で緊急入院して二週間が経った。幸い、術後の経過も良好で一般病棟に移ったと聞き、私は課の先輩と共にお見舞いに伺った。顔色も良く、入院患者とは思えないほど元気そうな中田さんは、同じ病室の人を気遣ってか、私達を談話室へと連れて行って缶コーヒーをおごってくれた。
「暇で暇で。話し相手が来てくれて良かった。」
と中田さんは嬉しそうに自分もお茶を飲んだ。食べ物も飲み物も、特に制限は無いとのことで、持参したお菓子を嬉しそうに口にした。少しの雑談の後、ふと私の顔をみて話し始めた。
「あんた、いつだったか、林課長のことを口にしたよね。俺、今回のことで先が短いかもしれないから、奴の事は全部、あんたに話しておこうって思い立った。奴のことを一番良く知っているのはもう、社内で俺だけしかいないんだなって、思ってさ。」
そう言うと、中田さんはときどき懐かしそうに、そしてときどき申し訳なさそうに話を始めた。
「林はね、もう15年、いや20年?まあそのくらい前だ、うちの会社でISOのQMS構築委員会を立ち上げたのは。世間的にも、QMSの第三者認証を取るのが流行っていた時代で、取引業社間でも認証された会社の製品しか扱わない、なんていう時代の流れがあって、取らざるを得なくなったっていうことだったんだけど。林はその立ち上げメンバーの一人だった。まだ30歳にはなってなかったんじゃないかな。もともと、頭のいい奴でね。どうしてうちの会社に居るんだっていうくらい、なんていうか、頭一つ出ていたんだよな。正直、俺らはコンサルの言うことの半分が理解できるかどうかっていう頃に、奴はもうかなり本質まで理解していて、研修をしにきたコンサルをちょっと時間があれば捕まえて質問攻めにしていたし、社内のマニュアル作りも熱心に意見を出した。QMSの構築に強いやりがいを感じている様だったけれどもその半面、社内で自分以外の人間が理解できないことに随分と苛立っているようだったな。今振り返っても、大した奴だったよ。結局、認証取得後に5年も10年も続けてきてようやく、俺らはその本質的なことやメリット、デメリットが分かってきたような気がするっていうのに、奴はあの時点で全てが見えていたんだな。当時の所長にも何度となく、トップダウンすべきトップがわかっていない、って、食って掛かっていたっけ。仕舞には本社から視察に来た役員に噛み付いたことまであって、さすがに俺もその時は制止に入ったもんだった。そんな態度も役員には評価されて、奴は歴代最年少で品質管理課の課長になった。その辞令を渡した一週間後のことだ。会議室に俺を呼びだして、ぼそぼそっと「突き詰めた先を知りたい。」と言った。「でもこの会社で突き詰めてしまったら、社員を不幸にしてしまいかねない。」奴はそう言うと、そっと辞表を差し出した。」
ふうっと中田さんはため息をついて、お茶を口に含んだ。
「辞めちゃったんですか?課長になって、すぐに?」
と尋ねた私に中田さんは、小さく頷いた。
「まあ、みんなどれほど驚いたか知れないよ。あれほど熱心に取り組んでいて、ようやくQMSの指揮を取れる立場になった矢先のことだろ?より一層張り切ってくれるものと誰もが疑わなかった。…引き止めるべきだったんだ。どうにかして、何としてでも。どうして引き止めきれなかったんだろうって、自分を責めたこともあったさ。」
中田さんはしばらく自分の手元を見つめたまま沈黙した。私も先輩も、中田さんが再び口を開くのを待つしかなかった。
「人はね、二度死ぬって、聞いたことあるか?一度目は本人の死、二度目はその人の記憶を持つ人の全滅。今回、俺、集中治療室で寝ている時にね、林の職場での活躍ぶりを記憶しているのは俺だけなのかなって思ったんだ。職場での奴の奮闘ぶりや秀でた才能はさ、きっと家族よりも俺の方が知っていた。でも俺が居なくなったら、奴も二度目の死を迎えちまう。だから、俺はあんたに林の事を話しておきたくなった。そう思えるほど、奴は素晴らしい人間だったと、俺は、そう思うんだよ、うん。」
私は、自分の目が驚きでまん丸くなっていることを自覚していた。閉じていた口から出るべき言葉がわからない。時が止まる想いだった。そんな私のことなど気にせず、中田さんは言葉を継いだ。
「退職日に事故でね。道から車ごと転落したんだそうだ。目撃者の話だと、どうも飛び出した猫を避けたはずみでハンドル操作を誤ったんじゃないかってことだったらしい。…頭のいい奴程、早死にだよな。もったいない人だったよ。」
これが、林課長に関する情報のすべてだった。
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