彼女が使った魔法とは?
皐月
第一話 彼女は突然現れた
「アラン。おい、待てよアラン!」
呼び止める声に聞こえないふりをして俺は足を速めた。
午前の授業が終わり大勢の生徒たちが食堂へと向かっている。その流れに逆らって人波をよけつつ、廊下から外へと出ようとしたところで大声がした。
「待つんだ! アーレングラム・エルフィールド・グリエス・
俺は舌打ちをして足を止めた。
周囲では名前の主が俺だと察したらしい生徒たちがこちらを振り返る。
初等部のまだあどけなさを残す少年たちは、わざわざ足を止めて俺のことをまじまじと見つめていた。
巨体を揺らしながら追いついてきた男が俺の横に並ぶと、にやりと笑う。
「やっぱりおまえを呼び止めるにはこれが一番だな。名門エルフィールド家の跡取りにして王立魔法学校一の天才」
「前に言ったはずだぞ。次にフルネームで呼んだら縁を切ると」
「聞こえているのに無視するのが悪い。それにおまえはなんだかんだ文句を言いつつ、結局は困っている人間を見捨てることができない奴なんだ。悪ぶるのはよせ」
「別に悪ぶってはいない。今は体調がよくないだけだ」
これは本当だ。ここ最近は気分が塞ぎ気味で、体調を崩している。
「たしかに顔色が悪いが、大丈夫か?」
そう言いながら巨躯を折り曲げて俺の顔を覗き込んだこの男はガリウスという。
エルフィールド家のことを名門と言ったが、家の格でいえばガリウスほうが遥かに上で王都でも五指に入る名家だ。
だがこいつはそのことを鼻にかけたりはしない。
その表情には先程までのからかう様子は失せ、本当にこちらを心配しているのがわかる。
体格に似合わず細かい気配りが出来る好漢、ガリウスとはそういう男だった。俺のような傲岸不遜で人付き合いが悪い人間にも分け隔てなく接してくる。
十歳の時に魔法学校に入学してから七年が経つが、俺にとって友人と呼べるのはこのガリウスしかいない。
逆にガリウスには多くの友人がいるが、なぜかこの男は俺のことを気にかけてくる。一度その理由を尋ねてみたことがあるが、
「そりゃあ天才の側にいたら何かと得だろう」
そう
実際のところガリウスは頭脳明晰だが魔法の能力はお世辞にも高いとはいえない。
本人もそれを自覚していて、将来は文官として王宮に勤めることができればよし。駄目だったらディレッタントだなと笑った。
まあこちらを便利に使うつもりならそれで構わない。俺みたいな人間を友人として扱ってくれるのだ。向こうにも何かしら利点がないと対等ではないだろう。
俺はそう考えているのだが、周囲もそしてガリウス自身も俺たちは親友だと思っているらしい。
人間関係に興味のない俺にはそもそも親友とは何なのかがわからない。
俺とガリウスはそんな関係だった。
「それで何の用だ?」
「サーシャについて相談したいことがあるんだ」
「……サーシャについてか」
サーシャというのはガリウスの恋人で魔法学校の同期だ。
もっとも男子部と女子部は校舎も別だし当然だが寮も別々だ。積極的に会おうとしなければ男女が顔を会わせることはない。
したがってガリウスたちのように学内で付き合っているものは少数派だった。もちろん俺には恋人などいない。
「実は昨日、どう考えても説明のつかないことがあったんだ。そこでおまえの知恵を借りたい」
「役に立てるかはわからないぞ。とりあえず人のいない所へ行こう」
「そう思って飯は買ってきてある。食いながら話そう」
俺たちは並んで校舎を出た。
外へ出ると秋風が冷たく感じられた。
だからというわけではないが俺たちは硝子で覆われた温室へと入った。昼休みのこの時間なら植物研究や薬草の栽培で利用する人間もいないからだ。
作業用の踏み台に思い思いに腰を掛ける。
ガリウスはナプキンの包みを開くと、ライ麦のサンドを取り出してひとつをこちらに寄越す。
俺は礼を言って受け取ると口に運んだ。
あまり食欲はなかったのだが、塩とレモンのよく効いた蒸しサーモンが挟まったライ麦サンドは旨かった。
しばらくは俺もガリウスも無言で口を動かす。
「飲み物も持ってくればよかったな」
あっという間に食べ終えたガリウスが指を舐めながらそうこぼした。
「それで説明がつかないことというのは?」
俺は食べながら話をうながす。
「ああ、それなんだが。最近サーシャに会ってないと思ってな、ヤーン婆さんの店に行ったんだ」
ヤーン婆さんの店というのは下町にある薬草店のことだ。サーシャは学校の授業が終わってからそこで働いていた。
王立魔法学校は全寮制で基本的に衣食住には困らない。
だが自分で使う細々とした日用品や私服、気晴らしに外出した時の食事や遊ぶための代金は当然自腹だ。
俺やガリウスのように実家がそれらの費用をいくらでも出してくれる生徒だけが通っているわけではない。
魔法学校には魔法の能力がない人間は入れない。だがわずかでも素養があって家が貧乏だと、人減らしのために門を叩くという者も少なくなかった。
そういった生徒は自ら働いて小遣いを稼ぐしかない。
サーシャもそうしたひとりだ。
ヤーン婆さんは偏屈で口喧しいが悪い人間ではない。サーシャも楽しそうに働いていた。
俺はガリウスに無理やり連れられて数回訪ねただけだが、ガリウスは足繁く通い詰めていた。
サーシャに会うためだけだとばつが悪いからだろう。ガリウスはその度にカモミールやローズなどのお茶になるハーブを買ってくる。
そして自分だけでは飲めない分を俺に寄越してきた。おかげで寮生活での飲み物には困っていない。
「昨日俺が行った時には店が混んでいてな。サーシャの姿が最初は見えなかったんだが、奥の倉庫から出てくると梯子を使って高い場所の棚から品物を取ったりと忙しそうだった。
この様子じゃしばらくは声を掛けられないなと思っていたら、ヤーン婆さんに追い払われたんだよ」
ガリウスは手を振って、あっちへ行けというしぐさをした。ヤーン婆さんが顔をしかめながらそうする様子がありありと思い浮かぶ。
「まあ忙しそうだったしな、婆さんを怒らせるのも面倒くさいと思ってそのまま退散することにした」
「懸命な判断だ」
話を聞きながらライ麦サンドを食べ終えた俺は、制服に付いたパン屑を払う。
「それでそのまま帰ってきたんだが、なんとなく真っ直ぐ寮に戻る気にならなくて裏庭の池に寄ったんだ」
「おまえたちがよく逢瀬に使っている場所だな」
「逢瀬なんかじゃない。二人で会って話をしているだけだ」
それを世間では逢瀬というんだが……。
だが俺にはからかうつもりも話の腰を折るつもりもなかったので、黙ったまま話の続きを待った。
「サーシャのことを考えながら歩いていて池のほとりに近づいたんだが、あそこには大イチョウの木があるだろう?」
俺は頷く。
そこでガリウスは俺のことを真剣な表情で見てきた。
俺はその視線から逃れるように横を向き、早く話せとうながす。
それでもガリウスはしばらく溜めてから押し殺した声を発した。
「そうしたら木の後ろからサーシャが現れたんだ」
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