フロリダ・ドリーム
岬
オマージュ
「今日、泊まっていっていい?」
静寂な中、軽く口笛を吹くように女は言った。長い肢体。
季節がいいから、やりやすい。ゴトっと静かに大理石のテーブルに一眼レフのカメラを置いたまま、俺は立ち上がってリモコンを操作した。14時53分。
「あ、ごめん、寒かった?」
短い金髪から雫を垂らしながら、女は俺が後ろから肩にかけるバスローブを羽織る。腰の位置が高い。完璧なプロポーションだ。
女はゆっくりと白いバスローブの前を合わせた。俺は高い天井を見上げて緑の葉陰のリクライニングチェアを引き寄せた。グレーのクッションが分厚い。
「疲れた?」
俺は立ち上がって、マシンからエスプレッソを淹れた。これって飲み始めると癖になる。
女は「ペリエでいい」と言って、テーブルにあった小さな瓶のキャップを自分で捻った。
「さっきの返事聞いてないけど」
俺はそこにあったグラスに氷とストローを入れ、コースターの上に置いた。
女は「要らない」と、唇から胸元にペリエの雫を流した。
「明日の天気は?」俺がそう言うと、女は「雨」と言った。この晴天続きも、今日で終わりらしい。いや、俺は実は雨だと知っていた。
「泊まるのはなし。3人でしたいなら別だけど」
女はクスッと笑った。「それ本気?あなたが言ったら、本気に聞こえない。」
「Jさん帰ってくるからね、明日」
女はくすくす笑った。「じゃ4人じゃないの?」
「じゃ、もう一回、浸かってくれる?」
女は諦めたようにばさっとバスローブをその場で脱ぎ捨て、裸になると、スタスタと円形のバスタブに向かう。一糸乱れぬ裸も、ここまで完成されているといやらしさが微塵もない。
「日が落ちる前にさ、もう一回」
孔雀のような水紋に天井から入る光が反射する。完璧な造形物。
注意深く俺は「腰を浮かせて」と手のひらでサインを出す。それから、ジーパンの膝の右横を軽く叩いて、「右足出して」と白いタイルを指差した。そうそう。
女の横顔はギリシャの時代の彫刻のように完成されていた。俺が子供の頃から、見ていたデジャヴが現実になってる。美しい対象物に事欠かない日々。
女は諦めたように伸びた。それから、一旦水中に沈んで、ざばッと立ち上がった。
「3人でも4人でも構わないんだけど!!」
「……ごめん、やっぱ今日はもう疲れてる?」
俺は撮影時間短い方なんだが、女はプロにあるまじき気の短さだった。
「そんなんじゃなくて」
俺は仕方なく「ハイハイハイハイ、何でもします」と言った。
女は機嫌良くなって「約束!」と呟いた。「なんでもしてね」
俺はモデルには触らないが、首の喉首を指して、「ここ、もうちょっと見せてくれる?」と言った。女は上機嫌に姿態を作る。こんなに綺麗が、俺は顔は撮ってない。
「息吸って……吐いて……」俺は自分のシャツを上下させた。俺はTシャツは着ない。
女がその通りにする。
「はい、もう一回……目をつぶって……首を伸ばして……大きく息して……吐いて……」ゆっくり俺が言う。催眠術のように繰り返す。
隆起する白い二つの丘はまるで夏の日の海岸線のようだった。俺は絶対にモデルには触らないが、触るなと言うのが無理なくらいの気高い魅力に満ちている。自分の思う通りにしたいと男が思うのは当然なくらいに。
「はい、もう一回ね……これで終わるから……体の力抜いて……息を吐き出して……ゆっくり……体浮かして」
俺は囁き続けた。ファイダー越しに見るのと、実際に見るのは違うことが多い。膜を破るようなフラッシュの音が響く。何も感じるなと言うのが無理なくらいに。目をつぶれと言うのは、ある意味、俺の親切心。女の息が荒くなる。
俺は優しく囁き続ける。女神を誘惑するように。お付きの鹿はすっかり俺の言いなりだ。俺はいつだって、簡単に人を魅了するが、動物も同じ。
遠くでベルが鳴った。「終了、お疲れ様」
俺がそう告げると、女はここがどこかわからなくなってるように惑う視線を泳がせ、俺を見つけた。「電話鳴ってる」
俺はリビングを顎で指し、それから、女の右手を取って、水から上がらせた。
女はバスローブを羽織って「ありがとう」と言った。
はだけたバスローブにハイヒールで、女はタバコを吸いに2階のテラスに上がった。俺はキッチンで作ったモヒートを片手にテラスに出る。
「やっぱり帰る」
女は俺に黒電話を押し付けながら、言った。黒いコードが境界線のように伸びていた。
「送ってくよ。ありがとう」
「1人で帰りたいからいい」
俺は黙って彼女の首筋にキスをした。まだ髪は濡れていた。
それから折れそうな腰に大きく手を回して自分に引き寄せた。もう一度、手櫛で濡れた髪を両手でそっと撫で付け、耳元で囁いた。
「また今度」
彼女は俺の胸板を手のひらで押し返した。俺は軽く壁に背中をぶつける。
「いじわる!」
彼女は柔らかい自分の体を俺に押し当て、太ももを割り込ませた。ノーブラだ。
腰に手を当てたが、ノーパンだ。女は簡単に忘れ物する。
「ごめんごめん……そう怒らないで」
「ね?」
ほら乗って、と俺は助手席のドアを開けた。オープンカーはどんな時でも気分が上がる。特に気候のいい時期の海岸線のドライブは、どんな不機嫌も吹き飛ばす。俺は、車のボンネットをベッドに、身動き取れないように女を挟んでから、胸元にキスを這わせ、軽く歯を立て、彼女の細い両方の手のひらを自分の手のひらに合わせて吐息で女を温めた。すぐに息ができなくなるのは、長く水に浸かっていたせいだ。俺は「今日は帰ろう?」と言った。
ブルーの闇にオレンジ色が融ける時間まで間もない。彼女は拗ねたような顔をして、窓からの風に金色の髪をなびかせていたが、もう怒ってはいなかった。
〜 Fin
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