老女王と灰色の絵
つばめ
老女王と灰色の絵
とある国のとある城に、一つの絵が飾ってあった。城の一番高いところにある一室に飾られたその絵は、この城の城下の様子が描かれていた。その絵の特徴的なところは、すべて白と黒、そして灰色のみで描かれていたことだ。絵の下にあるプレートにはこう書かれている。
キリカ作、灰色の街並み・・・と。
ある夜、月明かりが照らすこの絵の前に、一人の男が現れた。燕尾服に蝶ネクタイ、シルクハットをかぶったこの男は、夜の闇、月の光で何とか見えるこの絵を、眺めていた。
「おやおや、こんな真夜中に絵画鑑賞とは、感心しないねぇ。もっと明るい時間にしたらどうだい?」
男は、警戒した様子で、そのしゃがれた女性の声のほうに顔を向ける。
「こんばんは、カシミール・アラン。いや怪盗シモンといったほうがいいのかねぇ」
「これはこれは、お見事、といわざるを得ませんな女王陛下。私の侵入を見抜くとは」
「やめておくれよ。ここにいるのは一人のばあさんと怪盗一人さ。あんたの予告状が送られてきたもんでねぇ。伊達男のあんたが、地下の宝物庫にある、たかが国一つ分の金銀財宝なんか盗むものかね」
「ではお言葉に甘えて。じゃあなんで、ここには衛兵が一人もいないんだい?ボク一人ぐらい、この国の衛兵なら簡単に捕まえられるはずだ」
「逆に聞くがねぇ。あんた、あたしをなんでまだ眠らせてないんだい?あんたのことだ。ポケットに麻酔とか煙幕とか仕込んであるんだろう?」
「これは、一本取られたな」
「まあ、立ち話もなんだね。腰掛けちゃどうだい?」
女王はそういうと、椅子に手を伸ばす。怪盗はゆっくりとその椅子に近寄ると、紳士的に座る。
「さてと・・・ウィスキーでいいかい?」
「ああ、ありがとう」
女王はウィスキーをグラス二つに少し注ぐと、一つは怪盗に、一つは自分の手元に置いて椅子に座る。
「しかし、泥棒とはいえ、客人にウィスキーをだすとは。やはりこの国は野蛮だな」
「ふん!ワインなんざ飲んだら悪酔いして、あしたにゃ二日酔いさ。それにこいつほどパンチの聞いた飲み物はないだろう?」
「確かに」
二人は密かに、声を上げないように笑うと、グラスを近づけ、乾杯する。
「ところで、一つ聞いてもいいかい?どうしてあの絵を盗もうとしたんだい?あんたなら衛兵が詰めてる宝物庫にだって、入ることなんざ朝飯前だろう?」
「さあてねぇ。面白そうだったからさ」
「それだけかい?」
「ああ、それだけだ」
「面白いやつだねぇあんたは」
「おほめにあずかり光栄だね。逆にこっちも聞きたい。どうしてこの絵をここに飾ってるんだい?見たところ相当名うての画家が描いたものだ。それに、この国の昔の様子に似ている。あなたはなぜ、過去のトラウマを蒸し返すような絵を飾っているんだい?」
「さあてねぇ・・・あたしにもわからんよ。あたしももうこの歳になっちまった。イヤな思い出も、この歳になっちまうと、そんなに悪いもんでもないさね」
「ふふ、あなたの方こそ、面白いじゃないか」
「誉め言葉として受け取っておくよ」
女王は、グラスを傾けると、そのままウィスキーを一気に飲み干す。
「どうだい。あの絵の代わりに、あの絵の逸話を盗んでいくってのは」
怪盗は指を顎に当てると、少し考え、こう答えた。
「ふむ・・・悪くない取引だ」
「といっても大して面白い話じゃないさ。そんなんでよければねぇ」
「聞こう」
女王はグラスにウィスキーを注ぎながらゆっくりと口を開く・・・
「昔々、といってもほんの10年ぐらい前さね。この国は全域が灰色だった。知っているだろう?」
「ああ、知っている」
「そいつはあるばあさんが
「魔法の眼鏡が生まれたのは8年前だ。当時のその事件を受けて、急いで開発されたとか」
「ああそうさね。だがそこは重要じゃない。重要なのはそのばあさんは、色が見えなかったってことさ。そのばあさんは年老いていくうちに、不平等を感じるようになっちまったのさ」
「不平等?」
「ああ、自分以外の人間は、すべてが鮮やかに見える素晴らしい世界に住んでいる。なのにどうして、自分だけは、その世界を見ることができないのか。しかも生まれつきさ。そしてそのばあさんは、いろいろ考えたうちにこう考えた。世界を、自分の見える世界と、同じにしちまえばいいとねぇ」
「ほう・・・」
「そうして、自分の手の届く世の中すべての色を奪っちまったのさ。木々や街並み、パンの色さえも全部灰色さ。当然民たちは怒り狂ったさね。そうしたやつらを、そのばあさんはみんな牢にぶち込んだのさ。民たちは意気消沈。特に兵士はひどかったねぇ。なんせ実際に魔法使って、色を盗んだのは兵士だからねぇ」
「ああ、それでここ最近まで、灰色の国なんて呼ばれてたな」
「今となっちゃぁ色とりどり、昔なんかより鮮やかになっちまったよ。問題は、どうしてそうなったか・・・だ」
「面白い。どうなったんだ?」
「あるときな。一人の少女が来たんだよ。当時でいやぁ生まれてから15年ってところの子どもさ。そいつは、当時ご法度だった絵具を持ってたのさ。しかも、どんなものにも色を付けられる特注品さ。そいつは声高にこういいやがったんだ。全部灰色なんてつまらない。私がみんなの色を取り戻してあげるってさ」
「ふむ・・面白い」
「当然色を奪ったばあさんは怒り狂ったさ。その子を捕らえようと衛兵を送ろうとしたが・・・ほら、さっきも言ったろう?兵士が一番意気消沈してたってねぇ。あいつらをいくら出兵しても、その子は捕らえられず、むしろ帰ってこないやつもいたぐらいさ。その子が国に色を取り戻していくうちに、国に活気が戻っていった。そいつを見たばあさんは、こう思ったんだ。自分だけその色が見えない。活気づいて見えるものも、自分だけがそれを目撃することができない、なんてねぇ。今度はばあさんのほうが一気に老け込んじまったのさ」
「ふむ・・・それで?」
「あの子が城下街を色づけて占領して、ついに城の前まで来た。城にいたばあさんは上からこう叫んだのさ。あんたはなぜ色を付けるんだ。あたしの気も知らないで、なんてさ。その子にわかるわけないじゃないか。ばあさんの気持ちなんかさ。だからその子はこういったんだ。色がなくてみんなつまらなさそうにしてるから、私がみんなに色を付けてあげてるの!ってねぇ。もうばあさんはかんかんさ。それに加えて、その子はばあさんの目の前で、城の外壁に色を付けやがった。老け込んじまったばあさんは、そんなことがなかったかのように怒鳴り散らしてたさ。もう何を言っているかわからないぐらいに。でもばあさんにはなんにもできなかった。なんせ城の兵士含め、みんなその子と同じように、城の外壁に色を塗りたくっていたからねぇ。そいつを見ていたばあさんは、もう怒鳴る元気もなくなっちまってさ。自分の部屋に閉じこもっちまった。最後の、自分の部屋だけは色を付けさせないようにねぇ」
「ふむ・・・」
「しばらくして、あの子はばあさんの部屋にやってきた。灰色の部屋にだ。その子はばあさんにこう言ったんだ。どうしてみんなの色を奪ったのってねぇ。ばあさんはそいつを聞いて、また頭に角をはやした。みんなが色とりどりの世界を見てるのが、耐えられないんだ。色なんてなくなってしまえばいいんだ。なんてねぇ。ばあさんも半分狂乱状態さ。自分でも何を言っていいか、わからんぐらいにねぇ。それを聞くと、その子は絵具を取り出した。そうすると、絵筆でいろんなものに色を付け始めた。ほら、そこの花瓶も、この机も、あんたとあたしが飲んでるウィスキーにもだ。ばあさんは、その様子を見てるしかできなかった。首を絞めて殺してやろうと思ってもいたが、その当時からすでに老いかけた身。若いやつのすばしっこさには追いつけなかったのさ。その子が一通り色を付けると、こういったんだ。どう?色のある世界って素晴らしいでしょ?とさ。だがばあさんは、自信満々にこう返した。あたしゃ色がみえなんだ。いくらあんたが頑張ったって、あたしには同じ景色にしかみえないんだ。ざまぁないね、なんてさ」
「ほうほう・・・」
「そん時のあの子の顔といったら、今でも忘れらんないねぇ。ひどい顔だったよ。まるで自分の信じてたものが、全部、しかも理不尽にぶち壊されたような感じだった。悪いのはそのばあさんだが、本当に悪いのは、そのばあさんにもどうにもできない問題だったからなのさ。その子は3日ぐらい、顔をみせなかったねぇ。あとで聞いた話じゃ、食事はのどを通らんわ、一日中、借りたアトリエから出なかったとかさ。だが、3日目の昼に、あの子は顔を見せた。自信満々な顔でねぇ。そん時こういったのさ。あなたにも見える絵があるって。それを聞いたばあさんは、どんな絵だろうかと意地悪に考えたものさ。もうばあさんの頭にゃ、この子をどう打ち破ってやろうか。色が見えることが、他人を不幸にしちまうってことを、どう叩き込んでやろうかと考えていたさ。だがその子が持ってきた絵は、とんでもないものだったのさ。ぱっと見は普通の風景画さ。色が見えないばあさんには、普通の絵じゃないかと思ったものさ。その絵を見たばあさんは、この絵をあざけってやろうと、しばらく暇にしていた宮廷専属の鑑定士を呼んだのさ。そしてそいつに聞いたんだ。この絵はどの色で描かれてるってねぇ」
「なるほど・・・」
「それで鑑定士はこう答えやがったのさ。この絵は、黒と、白と、灰色で描かれていますってねぇ。それを聞いて、ばあさんはもうびっくりしたものさ。この絵は、だれが見ても、自分の見ている景色と同じようにみえるってねぇ。ばあさんはその子に聞いた。なぜこの絵をって。その子は、自信ありげにこう答えたものさ。色が見えなくたって、みんなと同じく絵が描けるんだ。だから、あなたも絵を描こう?って。そん時のばあさんの顔は、あんたにも見せたかったよ。もう涙がボロボロさ。床にシミができるぐらいだったよ。もうわかるだろう?そん時の絵が、あんたが盗もうとしたものさ」
「ほう・・・これは面白い。それで、その彼女は今どこに?」
「さぁて、そいつはわからんねぇ。うちの宮廷画家にならないかとは言ったが、私は絵師じゃないって答えてさ。次の日には荷物まとめてどっかへ旅立ってったよ。だからあたしにゃ行方はわからんねぇ」
「ふむ・・・ありがとう」
怪盗は席を立つと、女王の横を通り抜けて、窓際へと向かう。
「もう、行くのかい?」
「ああ、新しい目標ができたのさ。何より面白そうな獲物だ。これを逃す手はないね」
「ふん、せいぜい頑張りな。帰りは正門の衛兵には注意するんだね。あいつらは無駄に目がいい代わりに、だれであろうと一回は武器を向けるからねぇ」
「わかっているさ。それでは、女王陛下」
怪盗は窓を開けると、そのままその窓から飛び降りた。
直後、入り口のドアがゆっくりと開く。中からは甲冑を着込んだ、大柄の男が入ってきた。
「よろしかったのですか?陛下」
「ええ、あの者には国宝の代わりに、それと同じぐらい貴重なものを盗ませました」
「それはいったい何ですか?よろしければぜひ私目にお教えください」
女王はゆっくりと、怪盗の飛び降りた窓に立つ。
「今はもう、決して戻れない、過ぎ去りし時の思い出ですよ」
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