湯あたりするジェイクさんの話

「うーん、入浴剤入りのお風呂は良いですねぇー」


 暢気な口調で呟いたのは、ジェイクだった。悠利ゆうりお手製の入浴剤は効果抜群で、香りだけでなく疲労回復や美肌効果なども抜群だった。とはいえ、ジェイクにとってはそんな追加効果などどうでもよく、普段より芯から温まるような入浴剤入りの風呂が気に入っているだけである。

 時間帯の関係か一人で入浴できているので、ゆったりと満喫できるのもまた良いことだった。基本的に四、五人入っても問題無い作りはされているが、やはり静かにゆったりと入ると疲労回復に効果的に思えるのだ。有り体に言えば、騒ぐ子供と一緒ではないのでリラックス出来るのだ。

 伸びをしたり、湯船の中で膝やふくらはぎを揉んだり、肩を叩いたりと、ジェイクは一人ご満悦だった。ひたすら本を読んでいるので眼精疲労が蓄積されている目元をぐりぐりと解しながら、ずるずると身体を湯船に沈める。肩までしっかり浸かり、首を湯船の縁に預けてのんびりするのは実に幸せな時間だった。


「風呂は命の洗濯とはよく言ったものですねぇ……」


 しみじみとジェイクが呟いた言葉は、実は《真紅の山猫スカーレット・リンクス》の創設者である先代リーダー様の口癖でもあった。風呂好きで知られる女傑様は、先の言葉を引用して快適な風呂を作り上げたのだ。……普通、冒険者のクランにこんな立派な入浴設備は整っていない。

 数人で入れる風呂が二つ(男湯と女湯できっちり分けてある)上に、一人で入れる小さな個室風呂が一つ。おまけにシャワーまで完備しているのだから、先代はどこまで風呂が好きだったんだというツッコミが多方面から出てくる。しかし、快適なお風呂は皆ありがたいので、そのツッコミは呆れであっても否定的ではない。

 ちゃぷんちゃぷんと音をさせながらのんびりと湯船でくつろぐジェイク。入浴剤のほのかな木々のような香りが、より一層リラックスを誘っている。先日の柑橘系も良いが、今日のあまり自己主張しない匂いも良いなと思うジェイクだった。

 さて、ここで重要なことを告げておかなければならない。ジェイクは学者である。知的好奇心が暴走して色々アレコレやらかす困ったダメ大人である。そして、彼は致命的に体力が無かった。一応冒険者でありながら、その体力は一般人並。下手したら一般人以下である。

 そこを踏まえて考えて欲しい。風呂は、案外疲れるのだと言うことを。そして、油断したら湯あたりするのだということを。肩までしっかり湯船に浸かったまま長い時間が過ぎればどうなるのか、察して欲しい。

 しかも困ったことに、心地良い香りのおかげでジェイクは完全にリラックスしてしまっていた。うっかり眠ってしまいそうな具合には気が抜けている。幸いにも首を湯船の縁に預けているので、そのまま沈んでしまうことはないだろうが。


「良いお湯ですねぇ……」


 のほほんと呟く声が、微妙に呂律が回っていないことに当人は気づいていなかった。眠気が出てきたのか、逆上せたのか、はっきりしない。

 そんな暢気なジェイクの耳に、がらりと扉を開ける音が聞こえた。のろのろと視線を向ければ、アリーがいた。風呂に入るので眼帯を外しているが、その目は無粋な傷跡で覆われており、開かれることはない。


「おやー?アリー、どうしたんですかー?」

「どうしたって、空いてる間に風呂に入りに来ただ……、ヲイ、ジェイク」

「はいぃ?」

「……さっさと出ろ。顔が赤い」

「へ?」


 呆れたように嘆息してアリーが告げた言葉に、ジェイクは不思議そうな顔をした。何がですか?とでも言い出しかねない。意味が解らないままにゆっくりと身体を起こしたジェイクは、そこでぐらりと視界が回転するのを経験した。

 そして。


「頭から沈むな、阿呆!」


 バランスを崩して顔面から湯船に突っ込むところだったのを、アリーが咄嗟に支えて事なきを得た。ぐるんぐるんと回る視界に、ジェイクはあれー?という間抜けな声を上げるだけだった。完全に湯あたりしてしまっている。

 ちっと舌打ちを一つして、アリーはジェイクを湯船から引っ張り出して脱衣所へと連れていく。浴室の大きさに合わせて脱衣所も大きく作られており、休憩するためのシンプルな長椅子も置いてある。そこにジェイクを転がし、身体を拭く大きな布で下半身を隠してやるアリー。

 そこまでして彼は、脱衣所の扉を少しだけ開けて外に向けて叫んだ。


「誰か手空きならバカの面倒見てくれ!湯あたりしやがった!」


 言い方が色々アレだが、救援要請に他ならない。バタバタと足音をさせてやってきたのは、お人好し代表のようなリヒトだった。彼は何だかんだで生き倒れているジェイクを拾ったりして面倒を見てくれているので。


「アリー、ジェイクが湯あたりしたってどういうことだ?」

「知らん。俺が入ったら湯あたりしてた。湯船に沈みかけたのを引っ張り出したんだが、後を頼んで良いか」

「了解した」


 完全に目を回しているジェイクと、面倒そうな顔のアリーを見て、リヒトは困ったように笑いつつも了承した。リヒトは既に入浴を終えているので、自由時間なのだ。まだ風呂に入っていないアリーよりは看病役に適任とも言えた。

 濡れたままのジェイクの身体を丁寧に拭き、ぐったりしているのをものともせずに下着を履かせたりとテキパキ対処したリヒト。風呂場で冷水で布を絞って冷やすように処置したりと、実に丁寧だった。

 丁寧なのだ、が。


「一人で風呂も入れないのか、ジェイク」

「はい……?」

「意識があるだけまだ良いと思うが、頼むから一人風呂で死にかけないでくれ」


 多分相手に届いていないなと解りつつも小言を口にするのであった。お説教をされている側のジェイクの意識がはっきりしていないので、生返事ばかりが戻ってくる。それに怒ることはせずに、呆れ混じりに説教するリヒトだった。

 まぁ、本格的な説教は、意識が戻った後にアリーがやってくれるだろうと思うリヒトだった。あと、多分事情を聞いたら悠利も呆れながら説教してくれるんだろうな、と。普段のほわほわした雰囲気から忘れがちだが、危ないことに対して悠利は大変お怒りになるのだ。多分今回のジェイクのうっかりは説教対象である。


「もうちょっと落ち着いたら部屋に運ぶからな」


 やれやれと言いたげに呟いたリヒトの言葉にまともな返事は返ってこなかった。廊下で生き倒れるのも迷惑だが、風呂場で倒れるのだけは止めて貰いたいと思うリヒトだった。何しろ、風呂はそのまま死に直結しそうなので。

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