第312話 ルー
「しかし、カレーか…」
「あ、やっぱり気になります?」
「いや、弱気になってるわけじゃなくて、楽しみだなって」
なにしろカレーは、幹太の好物の一つである。
「一体、どんな工夫をしてくるんだろうな」
それだけに、こちらの世界の人がどのようなカレーを作るのか興味深々なのだ。
「わかります♪ワクワクしますよね♪」
「しかもあのメイドさんと一緒に作ってるってことはさ…」
「はい♪ぜーったいお肉ですよね♪」
そうして二人が再びご当地ラーメン作りを始める少し前、ナーマルとアメリアは、やはりカレーを試作していた。
「うん♪これはイイね♪」
と、鍋に入ったうっすら黄色いスープを味見したナーマルは、笑顔でスプーンを置いた。
「はい」
「カレー…たぶんカレーって読むんだって言ってたっけ?」
そう言いながら、ナーマルは日本語でカレー粉と書いてある缶を手に取る。
「ですね。先ほどマルコ様がそうおっしゃってましたから」
ゾーイの結婚式の際にブリッケンリッジの王宮に寝泊まりしていたマルコとハンナは、幹太と由紀の作った日本のカレーを食べたことがあったのだ。
「…もしかして、マルコ様は僕らに勝ってもらいたいのかな?」
「いいえ。おそらくそれだけ芹沢様が強敵ということかと」
と、アメリアは断言する。
「…やっぱりそう思う?」
「はい。私たちのように毎日決まった人間に料理を作る料理人より、不特定多数のお客様に向けて料理をする料理人の方が経験値は高いでしょう…」
「そうだね。それは僕もそう思ってた…」
そう言って、ナーマルはグツグツと湧き立つ鍋の中を見つめる。
「すごいよね…鷄の骨で取ったスープって、こんなに美味しいんだ」
「えぇ、私もこの方法でスープを取るのは初めてでしたから驚きました」
ナーマルとアメリアは、ジャクソンケイブの食堂のおばちゃんから聞いたラーメンスープの取り方を参考に鶏ガラでスープを作り、それをカレーのスパイスと合わせていた。
「僕たち、いつもは牛と野菜で取ってるもんね」
「はい」
「けど、このスープもいつものスープみたいに、ちょっと野菜の風味が欲しいかな…」
ナーマルは鍋の前を離れ、様々な野菜が置かれたパントリーの前に立った。
「まぁせっかく煮込むんだから、具になる野菜がいいよね…」
そう言って、まずは大きな人参を手に取る。
「ご当地…アメリアさん、僕は根菜がいいと思うんだけどアメリアさんはどう思う?」
「私も賛成です。根菜ならロシュタニアでもけっこうな種類が栽培されてますから…」
「だよね♪よし!」
ナーマルは、カレーの具に使えると判断した野菜をいくつかザルに入れ、調理台に持ってくる。
「よし。長いこと煮るから、ぜんぶおっきく切って煮るのがいいね♪」
そして鮮やかな手捌きで全ての野菜の皮を剥き、ざっくりと大雑把に刻む。
「アメリアさん、このカレーって、スパイスでもっと辛くできるよね?」
「えぇ、できますね」
「なら後でお願い。ちょっと限界まで辛くしてみて」
そう頼みつつ、ナーマルは大きめに切った人参、玉ねぎと、ロシュタニア特産の紫芋をスープの中に入れた。
「とりあえずこんなもんで、あとは待つだけだね」
「はい」
そして、それからしばらく経った後。
「な、なんかすごくおいしそうな匂いする…」
お腹を空かせたハンナが、ふらりとキッチンにやって来た。
ここが義実家であるハンナは、ロシュタニアにいる間は夫のマルコと共にこの家で寝泊まりしている。
「あれ?ハンナさん、おひとりですか?」
「はい。マルコはホテルの方に…」
そう言いつつ、ハンナはナーマルの頭から爪先までを眺める。
「ナーマルさん、その格好お似合いですね♪」
「あぁ…これですか」
そう言って、ナーマルは自分の着ている服の胸の辺りを引っ張った。
今日のナーマルは、日本の洋食店でもよく見る白い長袖のコック服に、下には同じく白の極めて丈の短いショートパンツを穿いている。
「わ!すごい汗です…」
ナーマルの額に流れる汗の量に驚いたハンナは、首にかけていたタオルで彼女の額を優しく拭う。
もともと気温も高く、風通しが良い以外はこれといって冷房などないキッチンの中で、ナーマルとアメリアは冷却魔法を使わずに調理をしていたのだ。
「な、なんだか…こうして近くでみると、ナーマルさんってすっごく綺麗なお肌をしてますね…」
ハンナはピタリと汗を拭う手を止め、若干猟奇的な表情でナーマルの額を見た。
「そ、そうですか…」
「えぇ、とっても…私も日差しの強い島で暮らしてますから、どうしたらこんなに透き通るように白いお肌になるか気になります…」
そう言いつつ、ハンナは顔だけでなく、ナーマルの首筋や太ももまで凝視し始める。
「あ、あのハンナさん…」
「やっぱり顔以外もキメが細かいわ…なにか特別なケアみたいなことはしてます?」
「こ、これといって別に…」
「ウソ!このキメは絶対に何かしてるはずよ!
お願いだから恥ずかしがらずに教えて下さいっ!」
「ハンナさん…」
とそこで、アメリアがナーマルとハンナの間に割って入った。
「私たちの国では、寝そべって砂漠の砂に埋まる独特の美容法が…」
「今すぐ行きましょう!さぁ早く!」
アメリアの言葉を聞いたハンナは二人の手を掴み、ものすごい力で外へと連れ出そうとする。
「ちょっ!ちょっと待ってください、ハンナさん!まだ料理がっ!」
「そ、そうです!まだ鍋を火にかけたままです!」
「…あ、そうでしたね♪」
ハンナは二人の手を離し、クルリと反転して湯気の立つ鍋の中を覗いた。
「えっ?これって、ラーメンですよね?」
鍋の中のスープに見覚えがあったハンナは、当然のようにそうナーマルに聞いた。
「…そう見えますか?」
「え、えぇ…私が見たのはこんなに黄色くはなかったですけど…あ、でもこの匂い…」
ハンナは鍋から立ち昇る湯気を手で扇ぎ、匂いを嗅いだ。
「やっぱり…ハンナさんは知ってるかな?」
「これって確か…私たちがシェルブルックで食べた…」
「えぇ、たぶんそれです…」
「そう!カレーだわ!」
「フフッ♪やっぱりハンナさんも食べたことがあったんですね♪」
「もしかして…お二人はカレーを作ってるんですか?」
「「はい」」
「素敵♪すごく美味しそう♪」
「でしたら、ハンナさんも食べてみますか?」
と、ナーマルはゆっくりと鍋をかき混ぜながらそう聞く。
「えっ!いいの?」
「はい。あちらに側に話さないのなら」
「そうね。その方がいいわよね♪」
元よりハンナも、どちらの側にもつくつもりはないのである。
そして、それから数十分後。
「かっらーい!」
ハンナは二人の作ったカレーを食べて悶絶していた。
「こ、これ…さすがに辛すぎじゃ…って、あ、でも美味しい♪」
そして口に入れてしばらく経ってから、打って変わって幸せそうな笑顔になる。
「フフッ♪良かった。
ね、アメリアさん♪」
「はい。良かったです」
その様子を見たナーマルとアメリアは、そう言って頷き合った。
「最初はもの凄く辛くてどうしようかと思ったけど、後からすっごく美味しくなるのね♪」
「辛さはアメリアさんが調節してくれますから、もう少し辛くなくできますよ」
「ううん、大丈夫。辛さも見た目もこれはこのままでいいと思うわ」
「えっ!ハンナさんがお城で食べたものは、こういう見た目じゃなかったんですか?」
「うん。なんていうか、スープがこんなにシャバシャバじゃなかったわね」
そう言いながら、ハンナは一度スプーンでカレーを
「ハンナさんは、だからラーメンだと思ったのですね?」
そう聞いたのはアメリアだ。
「そうよ。お城で食べたカレーはもっとドロっとしてたから…」
「ドロッとしてる…ですか?」
「こういうスープっぽい感じじゃなくて、お肉とかにかけるソースっぽいっていうか…」
「なるほど…それで味の方も美味しかったんですね?」
「うん♪とっても美味しかったわ♪」
「ん〜?」
二人の話を聞いていたナーマルは腕を組み、たった今試食したカレーを見つめる。
「…もっと野菜を煮込んでとろけさせたのかな?」
そしてアメリアにそう聞いた。
「ありえますね。
それに…もしかしたら鷄の骨だけでなく、丸ごと煮込んでいるかもしれません」
「それって、肉もついてる状態で煮込むってこと?」
「そうです」
「ん〜?じゃあとりあえず、その両方でやってみよっか?」
「ですね。では…」
「あ、けど…そう!由紀さんはこのタイルみたいなスパイスを使ってたわ!」
ハンナは厨房の壁に貼られた、細かいタイルを指差しながらそう言う。
「タイルみたいなスパイス…ですか?」
ナーマルにそう聞かれたハンナは立ち上がり、調理台にあるナーマルとアメリアが使ったであろうスパイスの粉を手のひらに乗せた。
「こういう粉っぽいのじゃなくて、もっとおっきな…そう!このチョコレートみたいな塊だったの!」
そう言って、ハンナはデザート用に置いてあった板チョコを手に取る。
「つまり…スパイスを固めてたってことかな?」
「えぇ、たぶんそうでしょう」
そうなのだ。
ハンナやマルコが王宮で食べたのは、作るのにある程度コツがいる粉のカレー粉ではなく、由紀のような料理音痴でも完璧なカレーが作れる固形ルーのカレーだったのである。
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