第77話 レイブルブルー

そんな風にアンナ達がこちらに向かっているとは夢にも思わない幹太は、ご当地ラーメンの試作に没頭していた。


「あぁ、ダメだ〜」


と、麺とスープのみで試作したラーメンを完食した幹太はガックリと肩を落とす。


「なんでっ!?すっごく美味しいわよ!ね、ゾーイ?」


「はい。美味しいです」


一方、初めてのラーメンを食べ終えたクレアとゾーイには好評である。


「ん〜♪やっぱりラーメンって良いわね♪

色々とバリエーションが作れそう♪」


「こんなに美味しいお魚のスープは初めてです」


二人はよほどこのラーメンが気に入ったらしく、スープまで飲み干していた。


「それで幹太?このラーメンの何が気に入らないの?」


「うーん、ちょっと生臭くないか…?」


「そうかしら…?

ぜんぜんそんな感じはしないけど…」


「私もこのぐらいなら大丈夫ですね」


レイブルストークのご当地ラーメン作りにおいて、まず幹太がぶつかった壁はこれであった。

クレアやゾーイを含め、このレイブルストークの住人達は基本的に毎日魚介類を口にしている。

もちろん港町というだけあって、そのほとんどが新鮮な魚介類なのだが、中には魚の内臓などを使った独自の調理法があり、強烈な魚介類の風味を味わう食文化も存在していた。


「ちょっと味覚が違う気がする…」


「なんだか失礼な感じね!幹太!」


「いや、ゴメン。悪く言うつもりはないんだ」


「でも芹沢様、私達が大丈夫ならばそれでいいのではないですか?」


「うん。ご当地ラーメンだし、それでもいいっちゃいいんだけど…」


確かにその地域に住む人達だけを相手にした商売であれば、地元の人が好きな味だけ作っていれば良いだろう。


「ただなぁ〜やっぱり地元の人にも美味しくて、外から来た人達にも受け入れられやすいってのがベストなんだよ」


日本でもそうだが、ご当地ラーメンは決して地元の人だけのものではく、地元をアピールするため、他の地域の人達に食べてもらう為のものなのだ。


「適度に魚介の香りが残ったスープってのを狙いたいんだ」


「へぇ〜そうなもんかしら?

本当に私達にはちょうどいいのに」


「ん〜クレア様がそこまで言うならこれはこれで出してもいいけど、やっぱり改良したスープも作らなきゃダメだと思う…」


幹太はそう話しながら、寸胴鍋のスープをスプーンで掬って味見した。


「レンゲが欲しい…」


ブリッケンリッジにある姫屋の屋台であれば、幹太が日本の屋台で使っていたレンゲがある。

しかし、文字通り身ぐるみ剥がされてこの街に来た幹太は、レンゲのひとつも持ってきてはいないのだ。


「幹太、レンゲってなによ?」


「あ〜やっぱりクレア様も知らないか…」


幹太の記憶では、日本に転移して来たばかりのアンナもレンゲという食器は知らなかった。

たぶんこの世界にレンゲという食器は、幹太が日本から持ってきたもの以外に存在しない。


「こういう形のスプーンなんだけど…焼き物でできてるんだ」


そう言って、幹太はスープのレシピを書いていた紙の裏にレンゲの絵を描く。


「あら、 素敵な形ね♪」


「まぁ蓮の花びらの形だから蓮華って言うみたいだしな」


「クレア様、コレならガラス職人さん達に頼めば作れませんか?」


「うん。さすがゾーイね♪私もそう言おうと思ってたのよ♪」


と、クレアは両手でゾーイの手を握る。


「あ、ありがとうございます」


「でも熱いスープを飲むんだぞ。

こっちのガラスじゃ割れたりしないか?」


先進国の日本にいた幹太でも、純粋なガラス製のレンゲなどなかなか見ない。


「フフッ♪リーズの職人を舐めないでちょうだい♪

私達が作ったリーズのガラス食器はね、この宮殿でもスープ皿で使っているのよ♪」


「ですよ!芹沢様っ!」


そう言って、クレアとゾーイは胸を張る。


「そっか、んじゃできたらお願いしようかな…」


「ううん。ぜひやってみましょう♪」


そして翌日、


離れの二階で寝ていた幹太は、下の階から聞こえる物音で目を覚ました。


「う…う〜ん?なんだ?

なんだか部屋もすごく暑いぞ…?」


晩夏とはいえ暑すぎる部屋の温度に、堪らず幹太は起き上がる。


「クレア様〜?ゾーイさ〜ん?

こんな朝っぱらから何して…」


そう言って幹太が階段を降りていくと、一階の入り口からクレアとゾーイがひょっこりと顔を出した。


「おはよ、幹太♪遅かったわね♪」


「おはようございます、芹沢様」


いつも通りの表情のゾーイとは違い、ニコニコと笑顔のクレアはとても機嫌が良さそうだ。


「おはようございます、クレア様、ゾーイさん。

それで、朝っぱらから何してんですか?」


「説明するよりも見てもらう方が早いわ♪

早く下に降りてらっしゃい♪」


と、クレアに言われた幹太が一階の部屋に入ると、中ではガラス細工用の窯が焚かれていて、その前で数人の職人達が作業していた。


「こりゃすごいな…」


彼らは猛烈な熱気も物ともせず、金属製の棒の先に付いた溶けたガラスをじっと見つめている。


「すごいでしょ〜♪

みんなにレンゲの事を話したら、さっそく作りに来てくれたの♪

レンゲ作りは詳しく形を聞いてからって言ってたけど、今はラーメンの器を作ってくれてるみたいよ」


「えぇっ!ラーメンのどんぶりを一つ一つ職人さんが作るのか!?」


「うん?まずは試作品を作るって言ってたけど…なんか困るのかしら?」


「いや、困るって訳じゃないんだけど、緊張はするかな…」



普段から手荒く扱われるラーメンのどんぶりという物は、気がつくと欠けていたり、ヒビが入ったりしている。

日本の幹太の屋台では、移動中の振動や重ねた時の衝撃などもあり、月に一つは必ず割れていた。

なのでほとんどのラーメン屋では、市場などの問屋に置いてある大量生産品を使うのが常識なのだ。


『本当に店のどんぶりを全部職人さんが作るとしたら一体いくら掛かるんだ…?

正直、割るのがおっかなくて仕事にならなそうだ…』


幹太がそう思いながら作業を見ていると、一人の職人が、洋梨形に溶けたガラスを窯から引き抜いた。

職人は空洞になっている鉄の棒に息を吹き込んだり、濡れた布で擦ったりしながらガラスの形を整え、再び窯へと差し込む。


「あそこからどうやって器の形にするんだろう…?」


「まぁ見てなさい、幹太♪

それこそ本当に魔法みたいよ♪」


職人はそれから数回に分け、溶けたガラスを窯から出し入れながら形を整えていく。

そして最後に口のような場所を作った後、巨大なピンセットような器具をその口に差し込み、その先端を一気に開いた。


「おぉー!すごい!ああやってやるんだ!」


今まで丸いガラスの塊だった物があっという間に器の形になり、幹太は驚きの声を上げる。


「ね、すごいでしょ♪」


と、クレアはまるで自分がやった事のようにドヤ顔をする。

職人の手で棒から外された器は時間が経つにつれて徐々に冷めていく。


「お、おぉ、だんだん色が青く…」


そしてそれが完全に冷えると、美しく透き通るブルーのどんぶりが完成した。


「……」


完成した器のあまりの美しさに、幹太は言葉を失う。

これではもう食器というよりも芸術品である。


「本当に綺麗でしょ♪

これはレイブルブルーって言うのよ♪海の町ならではの素敵な名前でしょ」


クレア達がガラス細工の研究を始めてしばらく経った頃、一定の分量でこのレイブルストーク周辺で取れるガラスの原料を混ぜると、美しいブルーに発色する事を発見したのだ。


「そう言えば…あれが第一歩だったのよね、ゾーイ」


「えぇ、クレア様」


「これは…このガラスはね、私達が長い時間と手間をかけて、この国を代表する工芸品として作ったの。

だからあなたのラーメンが完成した時には、ぜひこのレイブルブルーの器を使ってちょうだい」


そう言って、クレアは完成したどんぶりを誇らしげに見つめる。



「…そうだな、そうさせてもらうよ」


クレアのこのガラスに対する思い入れを知った後となっては、幹太はそう返事をするしかなかった。

そもそもレイブルストークのご当地ラーメンを入れるのであれば、当然この町特産のガラスのどんぶりを使った方がいい。


「あ〜その…気をつけて使うけど、もし割っても怒るなよ」


幹太は冗談めかしてそう言った。


「なんだ♪さっきから様子がおかしいと思ってたけど、そんな事を心配してたのね♪

それなら大丈夫よ。ね、ゾーイ?」


「はい、クレア様。では…」


ゾーイはガラスのどんぶりを持ち上げ、そして手から落とした。


「あーっ!」


幹太は焦って手を伸ばすが、とてもじゃないが間に合わない。


『割れるっ!』


と思った瞬間、


ゴンッ!


という鈍い音を立てて、ガラスのどんぶりは地面に落ちた。


「フフッ♪見てみなさい、幹太♪」


「えぇ!?マジでか…?」


幹太が疑い半分で落ちたどんぶりを手に取ってみると、どんぶりにはヒビ一つ入っていない。


「すごい…ぜんぜん割れてない」


「だから舐めないでって言ったでしょ。

レイブルストークのガラスは頑丈なんだから、落としたぐらいじゃ割れないわ♪」


「う、うん。ごめん、クレア様。

しかし、本当に凄いな…」


幹太の感覚では、日本のプラスチック製どんぶりでもヒビぐらいは入る衝撃だったはずだ。


「そうよ!うちのガラスは凄いの♪

だからあなたは余計な心配なんかしないで、この器に負けないラーメンを作ってちょうだい、いい?」


と、クレアは幹太の胸に拳を当てて言った。


「了解だよ、クレア様。

そんじゃこのどんぶりに負けないラーメンを作らなきゃだな!」


それからしばらくして身支度を整えた幹太は、再び一階のキッチンへと降りてくる。


「よ〜し、今日のスープはどうかな〜?」


彼はまず寸胴鍋の蓋を開けて匂いを嗅いだ。


「おっ!昨日のよりだいぶマシかな…?」


前回のスープは蓋を開いた瞬間に魚介の香りがしたが、今回のスープはスゥっと吸い込んでから香るといった感覚である。

幹太が昨晩仕込んだスープは、鰹の荒節の量を前回より減らし、昆布と鶏ガラの分量を増やしたものであった。


「えぇっ!?昨日の方がいいんじゃない?」


「芹沢様、磯の香りが薄いです…」


幹太の隣では、クレアとゾーイが彼と同じく鍋の匂いを嗅いでいた。

ちなみに今日のゾーイは、いつもの軍服の上に黒いエプロンを着け、頭にも黒い三角巾をしている。


「ゾーイさん、エプロン似合うんだな♪」


そんなゾーイに、幹太の天然が初ヒットした。


「はうっ!せ、芹沢様!?」


「ほほぅ…幹太はこういうのが好きなのね…」


クレアは幹太のリーズ公国移住をまだ諦めてはいないようだ。


「よし、とりあえず麺も作って食べてみよう」


幹太はまず麺を打ち始めた。

今回の作る麺は、細めのストレート麺で、かん水を少なめにした歯ごたえのあるものだ。

ちなみにかん水は、サースフェー島と同様に海に近い井戸のミネラル分の多い水を使っている。


「この麺ならあまりスープが絡まないはず…」


幹太は出来上がった麺に粉を打ち、ひとまず調理台の隅に置いておく。


「ほんっとラーメンって時間がかかるわね〜」


「そうだなぁ〜スープ取るだけで最低でも六時間はかかるからな」


なので、一般的なラーメン屋では常に二本の寸胴鍋を用意し、一本は当日の営業用、そしてもう一本は翌日のスープの仕込み用として使っている。

つまりは次の日のスープを、前日に仕込むという作業を毎日行っているということだ。


「ほぇ〜あなたはそれをずっとやっていたの?」


「あ〜そう言われりゃ…うん、ずっとやってんな」


クレアに言われて改めて思い返してみると、確かに自分の人生はラーメンの事ばかりである。

最近になって女性関係などに色々と変化もあったが、それもほぼ全ての事柄にラーメンが関係している。


「意欲的で勤勉…これはますます…」


「うん?なんか言ったか?…っと、そろそろ大丈夫かな」


二人がそんな話をしている間に麺湯とスープが湧き、ラーメン試作の下準備が整った。


「それじゃあさっそく…」


幹太は先ほど作った麺を、よくほぐして麺湯の中に投入する。


「麺が細いから急がないと…」


幹太はいつも通り手早く正確に、レイブルブルーのどんぶりに入ったラーメンを作った。


「はい、お待ちどうさま〜」


そうしてテーブルに座るクレアの前に置かれたのは、ほのかに魚介の香りのする、透き通った茶色いスープのラーメンだった。


「それじゃあいただくわね♪」


クレアは嬉しそうにそう言って、ラーメンをすすり始める。


「あ!やっぱり美味しい♪

食べてみると昨日のと変わらないわね。

ほら、ゾーイも食べてご覧なさい」


クレアはそう言って、どんぶりをゾーイの前に置く。


「いただきます、クレア様」


ゾーイは麺を一口啜った。


「あぁ…昨日と変わらず美味しいです」


「昨日と変わらない…?

二人ともごめん、おれも貰っていいかな」


「はい。どうぞ」


幹太はゾーイからどんぶりを受け取ってスープを飲む。


「…本当だ。昨日とあんまり変わってない」


寸胴鍋で沸かしている時の魚介の香りはある程度収まったものの、それをどんぶりに移し、麺を入れて食べると相変わらず強い魚介の風味が口の中に残る。

この街で魚介類に慣れ親しんだクレアやゾーイには気にならない程度であっても、もしこのラーメンを山育ちのソフィアや東京育ちの由紀が食べたとしたら、たぶん幹太と同様に口に残る魚介の風味が気になるだろう。


「う〜ん、こりゃなかなか難題だぞ…」


この町のご当地ラーメンを作る以上、幹太はこの町の獲れた魚介を使ったスープにこだわりたかった。

しかし、幹太がいままで培った知識では魚介独特の臭みを消すのは難しく、かと言って一から全て試すとなるとスープの完成までに膨大な時間がかかる。


「あいかわらず二人には好評だしなぁ〜」


「えぇ、そうよ♪

たから何度も美味しいって言ってるじゃない♪」


「…芹沢様、もう一杯お願いします」


二人のように濃いめの魚介風味が好きな人には、今のままのラーメンを食べてもらい、そうでない人の為にはもう少し風味を加減したラーメンを作る。

例えそうするとしても、通常のスープと風味を加減したスープの二つを作らなければいけないのだ。


「何かいい手はないかなぁ〜」


と、手詰まりになった幹太がなんとなく部屋の中を見回すと、食器棚に置かれたレイブルブルーの器が目に入った。


「クレア様、あの食器はどんな料理のために作ったんだ?」


「ん〜?あぁ、あれね。

あれは最初にレイブルブルーで作ったカップよ。

別になに用って決まってるわけじゃないけど、深さがあるからたくさん具の入ったスープなんかによく使うわね」


「具の入ったスープか…」


ラーメンのどんぶりより一回り小さいその器は、初期の頃に作られたからなのかかなり濃いめのレイブルブルーである。


「そっか、もちろん同じ大きさだけじゃないんだよな…」


幹太は深い海の色をしたその器を手に取り、興味深く観察する。


「なるほど…確かにこりゃ色んな料理に使えそうだな…例えば…ん〜?あぁっ!あれならいけるかもっ!」


幹太は突然そう叫んだ。


「いけるって?なにか閃いたの?」


「うん!ちょ、ちょっと待っててクレア様!すぐ作ってみるから!」


彼は興奮気味にそう言い残し、再びキッチンへ戻って行った。






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