第70話 豚骨といえば…

それから数日が経ち、幹太は久しぶりにブリッケンリッジ中央市場に出店していた。


「よーし!久しぶりのちゃんとした営業だな!」


「そういえばずいぶん働いてない気がしますね…?

えっと…最後はいつでしたっけ?


アンナはどんぶりをカウンターの上に置きながら考える。


「ん〜?青空市場の後ぐらいでしょうか〜?」


最後にそう言ったのはソフィアだ。

今日の姫屋は、この三人での営業である。


「幹太さん、メニューは前回と同じですよね?

麺、大丈夫でしょうか?」


アンナは今回も麺打ちを担当している。

すでに麺を打つだけなら、幹太よりアンナの方が手際が良い。


「あぁ、スープも前回と同じだからそれで大丈夫だよ。

こないだのローラ様のバザーは特別な日だったからな。

普段の日のお客さんの評判がどうか、同じラーメンでやってみないと…」


「この市場のお店の人もあのバザーにはかなり来てましたからね。

もしかしたら、今日もすっごく忙しくなるかも知れませんよ♪」


「うーん…まぁ人気があるならオッケーってことで」


「幹太さ〜ん!アンナさ〜ん!」


とそこで、外回りの掃除をしていたソフィアの少し焦った声が聞こえた。


「おっ?なにかな?ソフィ…」


「なんですか?ソフィ…」


「は〜い♪姫屋はこちらです〜♪

お隣のお店の邪魔にならないようにお並びくださ〜い!」


二人が顔を上げて声のした方向を見ると、すでに彼女は開店前から姫屋に並ぶお客さんの整理していた。


「開店まだかー!?」


「おれはバザーの日からずっとこの店を探し回ってたんだー!」


「早くあけろー!」


どうやら姫屋のここ数日間の休みが、お客の中毒症状を引き起こしてしまったらしい。


「ははっ…ごめんアンナ、こりゃ本当に地獄かもしんない…。

いや…もしかしたら極楽にいけるかも?」


「えぇ…間違いなく。見事に昇天できますよ、幹太さん」


「幹太さ〜ん!アンナさ〜ん!できたらもう開けちゃって下さ〜い!あ、あぁ〜」


二人は屋台の中から、光を失った瞳で人波に呑み込まれるソフィアを見つめていた。


「あぁ、し、死ぬ…」


「か、幹太さん…お昼でほとんど麺がなくなりました…」


数時間後、ヘロヘロになった幹太とアンナはお互いに寄りかかって座り込んでいた。


「はい♪…お代確かに♪ありがとうございました〜♪」


とそんな中、ソフィアだけが元気に最後のお客を見送る。


「さぁ♪片付けちゃいますか〜♪」


そう言って振り返った彼女は、戻し忘れの食器を山のように重ねて持ち、屋台裏の洗い場に戻って来た。


「お二人ともお疲れさまです〜♪

ふっふふ〜ん♪ふっふ〜♪」


そして彼女は、そのまま鼻歌を歌いながら食器洗いを始める。


「な、なぁアンナ?ひょっとしてソフィアさんってもの凄くタフなんじゃ…?」


「えぇ、やっぱりそうですよね?

だって餃子焼きと外周りと…あとは会計もほとんどしてましたし。

仕事量で言ったら、確実にソフィアさんが一番働いているはずなんですけど…」


「はい〜♪アンナさん、なんですか〜?」


「い、いえ、その…ソフィアさん、お疲れじゃないんですか?」


「はい、大丈夫ですよ♪

村の仕事より楽ですから〜♪」


ソフィアは洗い物の手を止めず、笑顔でアンナにそう答える。


「そういやソフィアさんって村ではどんな仕事してたの?

卸の仕事してたってのは聞いたけど…」


「そうですね〜♪基本的には農作業です。

うちの畑は村でも広い方でしたから、とっても大変でした〜♪」


「それってうちの王宮よりも広いんですか?」


「そうですね〜たぶんぜんぜん広いです〜♪」


「ウ、ウソだろ…?」


シェルブルック王国の王宮は、どう見ても日本で見る城の数倍の大きさがある。

幹太の感覚で言えば、ローラの私室のある庭だけでも、地元の井の頭公園の広さをゆうに越えている。


「あそこだけでも、ゆっくり散歩したら半日はかかるぞ…」


「…なので村に住んでいる親戚が総出で管理をしてました〜♪」


「そりゃすごいな…。

確かにパットさんもティナさんもタフだったもんなぁ〜」


パットとティナは、ソフィアの両親である。

実のところ、ソフィアの実家であるダウニング家は、ジャクソンケイブ村で村長の一族を超える豪農一家である。

年頃のソフィアにまったく恋愛経験がなかったのは、それによって村の男性達が気後れしたという理由もある。


「私の両親と言えば…アンナさん、今朝はどうなされたんですか〜?」


「えぇっ!?なっ、なんの話でしょうかソフィアはん?」


アンナはソフィアから目を逸らし、吹けない口笛をヒュ〜ヒュ〜吹いた。


「今朝、シャノンさんとトラヴィス国王様にお会いになってませんでしたか〜?」


「い、いや、それは!」


「そういや今朝来るのが遅かったよーな…?

国王様はなんの御用だったんだ?

もしかして婚約の事か?」


「あ〜なるほど。アンナさん、そうなんですか〜?」


幹太とソフィアが、汗と油にまみれたテッカテカの顔でアンナに迫る。


「はぁ…分かりました。

皆さんには今晩にでもと思ってましたが、お二人には先にお話ししておきましょう」


それは今朝早くのこと、


アンナは久しぶりにシャノンに起こされて目を覚ました。


「あぅ…シャノン…?こんなに早くどしたんです?」


「おはようございますアナ。

お父様がお呼びです」


「ふぁ〜こんなに早くでしゅか…?」


アンナはあくびをしながら、すでにビシッと軍服を着たシャノンに聞く。


「お父様は今日、視察のご予定があるのです。

なので、出発前にお話ししておきたい事あると…」


「分かりました。すぐに着替えます」


ポンコツとは言えさすがは王女。

手早く着替えたアンナは、すぐにトラヴィス国王の元へと向かった。


「おはようございます、お父様。

それで?ご用件とはなんでしょう?」


「あぁ、おはようアンナ。

そのな、婚約の件なんだが…」


トラヴィス国王がそう言った瞬間、


「お、お父様っ!今さら無かった事になんて言わないですよねっ!?」


と、アンナが寝起きとは思えない勢いで王座に駆け上がり、目を血走らせながらトラヴィス国王の胸ぐらを掴んだ。


「い、言わん!言わん!

ア、アンナ!大丈夫っ!大丈夫だからっ!ちょっと後ろに退がりなさいっ!」


「はぁ〜良かったです♪」


あっさり正気を取り戻したアンナは階段を降り、再びシャノンの隣に立つ。


「それで?婚約がどうしたのですかお父様?」


「いやな…リーズ公国にお前の元婚約者がいただろう?」


「リーズ公国に婚約者…?

私にですか…?そんな人、いましたっけ?」


「まったくもう…アナ、ビクトリアお姉様が勝手に破棄した相手がいたではないですか」


「あっ!マーカス!?マーカス殿下!」


「はぁ…そうですよ。

しかもマーカス殿下は私達の幼馴染でしょうに…」


シャノンは額に手を当て、ため息混じりにそう言った。


「それでお父様?マーカスがどうしたのです?

ま、まさかあのヤロウ!私と幹太さんの結婚の邪魔を…?」


完全にプリンセスがしてはいけない表情をして、アンナは拳を握りしめる。


「いや…その…アンナ、違うぞ…そうではないのだ」


そんなアンナに向かって、トラヴィス国王がとても言いにくそうに話を続ける。


「あのなアンナ、お前を傷つけまいと黙っていたのだが、実を言うと婚約の話はマーカス殿下からも正式にお断りされているのだ…」


国王の一言に、王の間がなんとも言えない静寂に包まれる。


「…あ〜そ、そうなんですか…。

なんだか調子に乗っちゃてたみたいですんごい恥ずかしいですっ!」


アンナは真っ赤な顔を両手で隠してしゃがみ込んだ。


「ゴ、ゴホンッ!あ〜いいか、続けるぞアンナ。

婚約は破棄されてるとは言え、今回のアンナの件はキチンとあちらへ報告せねばならん。

なのでお前達二人と幹太君達で、リーズ公国に行ってもらう」


「しかしお父様、失礼ながらそれは使者でも事足りるのではないですか?」


シャノンがまだしゃがみ込んでいるアンナの頭をナデナデしつつ聞いた。


「私もそう思ったのだが、先方がお前達に直接会ってお祝いをしたいと申しておるのだ」


「えっ、マーカス殿下が?

そうですか…ならば行かなければなりませんね。

それでお父様、訪問するのはいつ頃が良いのでしょうか?」


「ちょうどあちらで経済交流会がある。それに合わせて、お前達に行ってもらうことになるだろうな」


というやり取りが、今朝行われていたのだ。


「それならそうと早く話せばっ…あだっ!ソ、ソフィアさん!?」


幹太の余計な一言は、突然のソフィアの肘打ちによって中断される。

唐変木の彼には、たとえそれが過去だとしても、自分に婚約者がいたと彼に知られたくない乙女心など理解できるはずもない。


「ではアンナさん、リーズ公国にはすぐに行くのですか〜?」


「いえ。姫屋の事もありますし、もうちょっと様子を見てからにしましょう」


「そっか、アンナがそれで大丈夫なら助かるけど…」


正直言って、幹太は姫屋の知名度が上がりつつある今の大事な時期に、このブリッケンリッジを離れたくなかった。


「実はもう一つメニューを増やしてもいいかなって思ってるんだ」


「え、そうなんですか?私、聞いてません」


「私もです〜」


「うん、ごめんな。

まだ検討中だから、もうちょいしっかり考えてから話すよ」


「そうですか…ではキチンと考えた後で」


「了解です〜♪」


その晩、夕食後にアンナは改めてリーズ公国に連れて行く全員を集めて話をしたが、訪問の時期については姫屋が落ち着いてというだけで、しっかりとした日程は決まらなかった。


それから数日後、


幹太は一人、ローラに与えられた厨房で新メニューの試作を始めていた。


「つっても簡単なんだけどな…」


「簡単ってなにするの?幹ちゃん?」


幹太がブツブツ独り言を言いながら仕込みをしていると、トレーニングウェア姿の由紀が店にやって来た。


「あぁ由紀、お疲れ様」


彼女は先日から、本格的に王宮の女性衛士隊のトレーニングを任されていた。

由紀が日本でやっていたような近代的なトレーニング理論はまだこの世界になく、それに目を付けたシャノンが、彼女に教官を頼んだのだ。

ラーメン屋よりもそちらの方が自分に向いていると思った由紀は、二つ返事でそれを了承し、今日も今まで女性衛士達の指導をしていた。


「新しいメニューを決めたんだよ。

確か一度、由紀とも食べたと思うんだけど…まぁとりあえず食べてもらおっかな」


まずは沸かしたお湯に麺を入れ、次に中華鍋で野菜を炒め始めた。


「あっ!その量!私、もう分かったかも♪」


「だろ!体育会系なら御用達だよな!」


幹太はそう言って威勢良くモヤシやキャベツ、サク切りの人参などが入った鍋を返す。

真剣な表情で幹太が鍋を煽るたびに炎が上がり、隣にいた由紀はその姿に目を奪われた。


『やっぱり私の旦那さんってカッコイイなぁ〜♪』


まだ旦那ではないのだが、恋する乙女とっては些細な問題である。


「そんじゃ麺を上げて…」


幹太は手早く麺を湯切りして、スープの入ったどんぶりに滑り込ませた。


「よし!これで完成っ!」


最後に先ほどまで炒めていた野菜と、大きなチャーシューをラーメンの上に乗せて由紀の前に置く。


「はーい!野菜マシマシ豚骨ラーメンお待たせー!」


由紀の前に置かれたラーメンには、山盛りの野菜炒めが乗っていた。


「なんか懐かしいっ!そういえば行ったね♪」


「あぁ、ラーメン五郎な。

あそこは茹でた野菜だけど、ラーメンの構成的にはほぼ一緒だ」


なぜ炒めたのかと言うと、単純にシャキシャキ感のある炒め野菜の方が幹太の好みだったからである。


「でもなぁ〜あそこって注文が難しくて、幹ちゃんとしか行けないんだよ〜」


「うん。正直、男の俺でもちょっと行きづらい…」


「それじゃ熱いうちにいただきます♪」


そう言って、由紀は野菜からでなく掘り返した麺から食べ始めた。


「うん!美味しい!やっぱりこの麺とスープは相性いいね!

それじゃ野菜を…」


次に由紀は野菜炒めをバリバリ食べ始めた。


「これもいいねー♪

チャーシューの塩っからさと合わさって最高ー♪」


などと言いつつ、由紀はあっという間に豚骨ラーメンを完食してしまった。


「うん、これはいけるでしょ♪

あそこの市場なら尚更だよね♪」


「俺も体力勝負の市場ならこの量でもいけるかなって思ってさ。

実はお昼のソフィアさんがヒントだったんだよ」


「え〜?ソフィアさん…?なんで?」


由紀はこのコテコテのラーメンが、どうしてフワフワお姉さんのソフィアに繋がるのか全く分からなかった。


「いや、ソフィアさんって凄い体力してるんだけど、やっぱりそれだけ量も食べるんだよ」


「あぁ〜そうね…確かに凄いかも…」


由紀は口元に手を当て、いつものソフィアを思い出す。


『由紀さん、お肉おかわりあるそうですよ〜♪』


『ローラ様にブドウを頂きました〜♪』


『やっぱりビールにはソーセージですよね〜♪』


『ソフィアさん…?それってバーボンとソーセージじゃ…?』


そう言われてみれば、それだけ食べてなぜ胸部以外に肉が付かないのか不思議ぐらい、普段のソフィアはよく食べる。


「もしかしてこの国の人って、今の日本人よりよく食べるんじゃないかなって。

それじゃあまずは単純に量を増やしてみようと思ってさ」


「そうね。いいかも♪」


「とりあえず明日からは、醤油のチャーシュー麺と野菜炒めの二種類でいってみるよ」


「そっか♪

明日も私は行けないけど、頑張ってね、幹ちゃん♪」


「おう!由紀も頑張ってな。

とりあえず今日はもう遅いからお城まで送るよ」


「うん。ありがとう、幹ちゃん♪」


その後、由紀を送った後も幹太は仕込みを続け、それから深夜になるまで、厨房の灯りが消えることはなかった。


「おはようございます!幹太さん!」


「おはようございます〜」


翌日、アンナとソフィアは朝イチで幹太いる店舗にやって来た。


「あれ…?おーい!幹太さーん!」


しかし、アンナが何度呼んでも、幹太は厨房に降りて来ない。


「ん〜?おかしいですね?

ソフィアさん、上に上がってみましょう」


「はい〜」


二人は訝しげに階段を上がり、幹太の部屋へと入る。


「えぇっ!幹太さんがいませんっ!?」


「アンナさん?どうしました〜?」


アンナの言う通り、カーテンが閉まった薄暗い二階に幹太の姿はなく、その後、焦った二人はあちこち探し回ったが、どこにも彼の姿はなかった。


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