第50話 困惑と初出店

翌朝、


アンナとソフィアが姫屋の営業の準備をしにキッチンワゴンにやって来ると、なぜか幹太が御者台で毛布に包まって横になっていた。


「あれ…?なぜ、こんな所に…?

幹太さん…?おはよ〜ございま〜す」


アンナがそう言って、幹太のつむじをツンツン突きながら起こす。


「あ、あぁ、おはよう、アンナ、ソフィアさん」


幹太はあまり深く眠っていなかったらしく、すぐにパチッと目を開けて上体を起こした。


「幹太さん、昨日一度お部屋に帰って来てましたよね?

こちらで寝てらしたんですか?」


ソフィアは昨日の夜、客間の大広間のソファーにやたらとボンヤリした幹太が一人座っていたのを見ていた。


「うん…なんだか部屋じゃ眠れなくてさ。

ここで寝れば二人が起こしてくれるかなって思ってね。

ふぁ〜、とりあえず顔洗ってくるよ…」


大きくあくびをする幹太はかなり眠そうだ。

彼はそのまま御者台から降りて、顔を洗いに王宮へと歩いて行く。


「はーい。行ってらっしゃーい。

一足先に私は麺を仕上げてしまいますね」


「私も手伝います〜」


二人は昨日打った麺の生地を持って馬車の荷台に入り、アンナが手回し式の製麺機で麺を作り始める。

今回は中太のストレート麺であった。


「ソフィアさん、お願いします」


「はい」


ソフィアは出て来た麺に粉を打ち、木製の麺箱に一人前づつ丁寧に並べる。


「幹太さん、体調は大丈夫そうに見えましたけど…。

何かあったんですかね〜?」


「う〜ん、そうですね…少し気になりますが…。

まぁ、とりあえず私達は私達のお仕事をしっかりやりましょう」


アンナにそう言われたソフィアはん〜っと少し考えた後、


「…ですね、分かりました。

今日は頑張りましょう、アンナさん♪」


と、アンナに笑顔で返事をした。


朝の仕込みを終え、幹太、アンナ、ソフィアの三人は昼前にはブリッケンリッジ中央市場の屋台街に到着していた。

シャノンと由紀は王宮で女性騎士の訓練をしており、一緒には来ていない。


「よーし、じゃあ今日はここにしよう」


幹太が一際広いスペースに馬車を停め、三人は手早く屋台を組み立て始める。

朝の仕込みの時は少しボーっとしていた幹太も、市場の活気に当てられて、だいぶキビキビと動けるようになっていた。


「よーし、んじゃ開店しようか!」


「「はい!」」


そうして全ての仕込みが整い、姫屋ブリッケンリッジ店は開店した。


「いらっしゃいませぇ〜♪ラーメンいかがですか〜♪」


いつもどおり表周りを担当するソフィアが呼び込みをする。

そしてその柔らかな声に誘われた数人が、すぐにソフィアの周りに集まって来た。


「これはどんな食べ物なんだい?」


「麺なのか?」


「スープはなんのスープなんだ?」


たぶん市場に働いているであろう人達は、矢継ぎ早にソフィアに質問を投げかける。


「いままでにない麺ですよ♪

スープは…」


ソフィアは笑顔で一つずつ丁寧に質問に答えていく。


「これはメニューに工夫をした方が良いかもな。

もっと詳細に図解したメニューが必要かも…」


「それ、いいですね♪今日帰ったら描いてみましょう♪」


外のソフィアの様子を見ていた二人がそんな話をしていると、一人また一人とお客が姫屋のカウンターに注文に訪れた。


「いらっしゃいませー♪

こちらからご注文をどうぞ〜」


アンナがメニューを差し出しながら接客する。


「それじゃあこの姫屋ラーメンってのを頼むよ」


「おれはこっちの焼豚の醤油?ラーメンで」


お客さん達はソフィアの丁寧な説明のお陰もあり、ラーメンと言う新しい食べ物を、あまり躊躇する事なく注文できているようだ。


「はーい♪ありがとうございます♪

では少々お待ちください。

幹太さん、姫屋1、チャーシュー1でーす!」


「はいよ!イチ、イチね!」


どうやら幹太は完全に調子を取り戻したらしく、キビキビと麺を麺箱から取り出し、優しく揉み解しながら熱湯の中に投入する。


「最初のお客さん、入りましたね♪」


「うん、だな。これが続いてくれれば良いけど…」


二人がそう話す間にも、ソフィアの周りにはラーメンに興味を持った人達が続々と集まっていた。


「チャーシューってなんだい?

ローストポークみたいな物か?」


「あんた凄く綺麗だな!彼氏はいるのか!?」


たまにラーメン以外の質問もあるようだが、さすがにこの王国最大の市場だけあり、概ねラーメンという新しい食べ物に対する興味を持った人がほとんどだ。


「さぁ、忙しくなるぞー!」


「はい!頑張りましょー!」


そうしてだんだんと姫屋を訪れるお客の数は増え、しばらく経つとソフィアが説明しなくとも、他の客が食べているラーメンを見た新しいお客が、自然と屋台に注文に来るようになっていた。


「アンナ、チャーシュー麺のお客さんが多くないか?」


「そうですね〜。七・三でチャーシュー麺のお客さんといったところでしょうか…?」


と、そこへ食器を洗いにソフィアが屋台に戻って来た。


「そういえばチャーシューのみの追加はできないのか?って聞かれました〜」


「あんなにでっかいのが4枚入ってんのにかよっ!?」


「ブリッケンリッジ市民の肉好きはこの国でも有名ですからね♪」


アンナがニコニコとラーメンにチャーシューを乗せながら言う。


『もしかして肉好き王女の影響なんじゃ…』


と幹太は内心で思っていた。


「でも、これは参考になるかも…。

アンナ、王都でも名物になるラーメンを作るつもりだろ?」


「はい!もちろん!

幹太さんもそのつもりですよね?」


「あぁ、ぜひやってみたいな」


「それは素敵ですね♪

私の村のラーメンであんなに美味しかったのに、これだけ食材が豊富な王都ではどの様なラーメンになるんでしょう♪」


「できたらここだけじゃなくて、何ヶ所かで店を出してみよう。

とりあえずこの市場の人はボリュームがあるチャーシュー麺が好みみたいだけどなぁ〜」


幹太達がそう話している間にも、お客は次々と姫屋やって来る。


「はいー、醤油チャーシュー3つ。お待たせしましたー♪」


「幹太さん、続いて姫屋2、チャーシュー2です!」


「はいよー!」


その後も客足は途切れる事はなく、市場の昼休憩が終わるまで、三人は息つく間もなく働き続けた。


『とりあえずお昼のラッシュは切り抜けられたみたいだな…』


いくら屋台歴の長い幹太と言っても、やはり初めて店を出す場所は緊張する。


『まぁでも今日の営業は成功かな…』


本日のこのブリッケンリッジ中央市場での姫屋の営業は、売り上げ的にも市場調査的にも、まあまあの成果があった。

ひとまずお客の流れも切れ、幹太がカチャカチャと食器下げるソフィアや、麺の残りを数えるアンナを見ながらホッと一息つこうとしたところで、彼に本日最大のピンチが訪れる。


それはアンナの一言から始まった。


「幹太さん、今日はこれからシャノンと由紀さんがお店来るそうですよ♪」


「えっ、マ、マジで!?」


幹太はなぜか気持ちチャラめでアンナに聞き返す。


「えっと…はい、マジです。

久しぶりに幹太さんのラーメンが食べたいと、今朝シャノンが言ってましたから…たぶんそろそろ来るんじゃないですか?」


「そっか〜、由紀も来るか〜」


幹太は昨日の突然の告白以来、由紀と顔を合わせていなかった。


『んん〜!どんな顔して由紀に会ったらいいんだー!』


昨晩の非の打ち所がない由紀の告白…というかプロポーズの後、幹太は眠る事なく一晩中悩み続けた。


『でも…よく考えたら由紀が隣にいないってのは想像ができないんだよな…』


そして、悩み始めてすぐに幹太はそう思った。


『そうか、もしかして…由紀と結婚しないとそれは不可能なのか?』


結婚の前提として恋愛感情があるかどうかがかなり重要なのだが、なぜか彼はその辺をすっ飛ばし、由紀とずっと一緒にいる為にはどうしたらいいのかという事を考えていた。


『由紀が誰か他の男と結婚して…どこか遠くに行ったとしたら…?

ダメだ!ぜんぜん想像がつかないっ!』


この時点で、幹太は想像がつかないと思っているが、本当は自分が想像したくないと思っている事に気付いていない。

結局、昨晩はそれ以上考えは進まず、悶々としたまま幹太は朝を迎えた。


『忙しい時は忘れてたのにっ!』


持ち前の真面目さもあり、仕事をしている時は仕事にしっかり集中する幹太ではあるが、暇な時間、それもご本人登場とあってはそうもいかない。


「アナー!来ましたよー!」


市場の方から歩いてやって来るシャノンの声を聞いて、ハッと顔を上げた幹太の全身がビキッと固まる。

シャノンの後ろには、彼女の背中に隠れるように歩く由紀の頭が見えた。


「シャ、シャノン!私はいいって!

いっつも幹ちゃんのラーメンは食べてるからっ!」


「由紀さん、私一人でラーメンを食べろと言うのですか?

それでは女性衛士の皆さんに、私だけがズルいと言われてしまいます」


「ただそれだけの事でっ!?」


シャノンは嫌がる由紀の腰を後ろ手にガッチリと掴み、ズルズルと引きずりながら歩いていた。

そして遂に、二人は姫屋の屋台の前までやって来る。


「いらっしゃいませ♪シャノン♪由紀さん♪

今日は普通の醤油ラーメンと醤油チャーシュー麺ですよ♪」


二人の来店がよほど嬉しいのか、アンナが満面の笑みで接客する。


「ではアナ、一つずつでお願いします。

由紀さんもそれで大丈夫ですね?」


「ひ、ひゃい…」


由紀はシャノンの背中で俯きながらも、なんとか返事をした。


「はい♪幹太さん、注文は姫屋1にチャーシュー1です♪」


「ひ、ひゃい!」


さすがは幼馴染、キョドった時の返事も同じであった。


幹太は多少ギクシャクしたものの、きっちりと二つのラーメンを作った。

手の空いていたソフィアがそれをお盆に乗せ、二人の待つテーブルに運ぶ。


「お待たせしました〜♪

こちらがチャーシューで、こちらが醤油です〜♪」


「ありがとうございます、ソフィアさん。ではいただきます。 」


「あ、ありがとう、ソフィアさん。い、いただきます…」


シャノンと由紀は、さっそく久しぶりのラーメンをズルズルと食べ始めた。


「あっ、幹ちゃんのラーメンだ…。やっぱり美味しい♪」


啜った麺を噛み締めた由紀の表情がホゥっと緩んだ。

今日のメニューにある姫屋の醤油ラーメンは、幹太が日本の吉祥寺で屋台を出していた時の味とほぼ変わりない。

由紀にとっては試食の時から食べ慣れた、いつものラーメンの味であった。


『うん。そうだよ、昨日の私は間違ってない。

本当に伝えたかった事をちゃんと伝えただけだもん…』


久しぶりに二人の思い出の味のラーメンを食べた由紀は、改めてそう思い直した。


「ふふっ♪由紀さん、やっと元気になりましたね♪」


由紀の目の前で同じくラーメンを啜るシャノンがそう言ってニッコリと笑った。


「あ、やっぱりなんか気づいてた?」


「はい、今朝お見かけした時から…。

由紀さんが朝食を残すなんて、普通なら有り得ませんから…」


「そっか。心配かけてごめんね、シャノン。

でも、もう大丈夫♪ありがとう♪」


いつも無表情は異世界の友人が、ホッとして笑顔を見せるほど心配してくれていた事が、由紀にはとても嬉しかった。


一方その頃、屋台で二人の様子見つめる幹太は、


『あれ?笑ってる…?』


さっきまでの恥ずかしそうな態度から、すぐにいつも通りの笑顔を見せた由紀の急変を不思議に思っていた。


「ん〜?もしかして幹太さん、由紀さんと何かありましたね?」


戸惑う幹太の脇を肘で突きながら、アンナが聞く。


「な、なんで分かっ…!?いや、なんでもないよっ!」


「でも幹太さん、今朝もおもいっきり様子がおかしかったですよ。

ね〜ソフィアさん?」


「はい♪何か悩み事があるのだと思いましたが、由紀さんの事だったんですね〜♪」


ソフィアはホワホワしているようで意外に鋭い。


「…ですよね。由紀さんも先ほどまで様子が変でした。

幹太さん、何があったんですか?」


「ですか〜♪」


「いや、それは…、その…」


幹太は二人の取調官に屋台の隅まで追いやられる。


「も〜逃げ場はないですよ〜」


「ですよ〜♪」


若干、恐ろしめの表情をするアンナに対して、なぜかソフィアはニコニコと楽しそうだ。


「わ、分かった!分かったよ!

その…由紀に告白されたんだ…」


怒り顔と笑顔に挟まれ、パニクった幹太は思わずそう答えてしまった。


『い、言っちまった…由紀、すまん』


そんな事とはつゆ知らず、いまだ笑顔でラーメンを食べている由紀に幹太は心の中で謝った。


「あ、なんだ。そんな事だったんですね。

てっきり私は行き着く所まで行ってしまったのかと思ってました」


「由紀さん、頑張ったんですね〜♪」


しかしそれを聞いた二人の感想は、そんなあっさりとしたものだった。


「いや、行き着く所って!?

で、でも、そんな事ってこともないんじゃないか…?」


幹太はそんな二人の反応に愕然とした。


「ん〜と、由紀さんが幹太さんを好きなのは日本にいる時から分かってましたからね。

そうですねぇ〜今さらって感じさえします 」


「最近お会いしたばかりの私でも一目瞭然でした〜♪」


そもそも先日の女子会で、それぞれの幹太に対する意識調査は済んでいた。


「そ、そうだったのか…」


確かにいくらニブい幹太とは言え、由紀からの好意は感じ取っている。

しかし、アンナとソフィアほど簡単には恋心としての好意だと断言する自信がなかったのだ。


「ですから幹太さん 、由紀さんが勇気を出した分、思い切り悩んであげて下さいね♪」


「頑張って下さい、幹太さん♪」


アンナとソフィアはそう言って、それぞれの仕事に戻っていった。

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