第7話翌日のこと

忍目好転にんもくこうてん


 雑賀衆の筆頭が到着した。

 影忍の配慮により、姿を偽って。

「して、何故協力を?」

「この忍には大恩がある。恩返しになるのであれば、それでいい。」

 何があったのだろう、それまでは聞けなんだ。

 影忍は、愚問だとばかりに呆れた溜め息をしたが。

 何故、ということをいちいち問う必要はないのだ。

 どうやら雑賀衆の頭は、影忍に幼い時命を偶然救われたらしい。

 その時と再会した時には、容姿がまったく変わっていなかった故、いつか恩返しをと考えていたのだが、此れが忍だと知って大層驚いた。

 影忍からすれば任務で偶然助けたという形になってしまっただけのことで、通常ならば殺してしまう相手だが恩を売っておけばその内化けるかもしれないと放っておいたらしい。

 それが見事的中している、と思えば恩はそれだけでなかった。

 雑賀衆として身を立てる時、やはり影忍が手を加えたのだ。

 契約を結び協力し報酬を得る、という風に立ててきたことを裏切られ、一時雑賀衆は崩れそうになっていた。

 それを知っていて放置していた影忍だがこれまた任務で偶然、雑賀衆を裏切った者を暗殺することになり、仕方がないからついでというように報酬に見合う程度を雑賀衆に流し、残りの金品を頂戴したという話。

 何かと影忍に絡むものだから、苦笑してしまう。

 こういったことを大恩と表すものだから、ついでに恩と文字通り見える物事は手を施して見せて売っておけば後々特権として扱えるというわけだ。

 ただ、恩返しをしようとして協力をしても、また影忍が手を施すものだから返しきれないと申し訳なさそうに言うのだ。

 影忍は勿論、雑賀衆が使えることを狙ってさりげなく偶然でもないのに装ってやるようになった。

 だから今回は契約とは名ばかりにして報酬は抜き、火力となろうという美味しい話なのである。

「雑賀衆の事は夜影がようわかっておろう。細かな指示は任せるぞ。」

「御意に。」

「この忍には忍への指示が多くあるのだろう?そう多く背負うと、非常時動けなくなるぞ。」

 雑賀衆の言う通りだ。

 非常時になると影忍は部下への指示をしている暇ではなくなり結局は、事の抑えに独り突っ込みざるをえない。

 そこで忍への指示は次の忍が背負うのだがそうなった時、雑賀衆への指示は途絶えることとなる。

 部下が雑賀衆を如何に動かすか、が上手く行えなかろうに。

「その非常時を考えてちゃどうにもなんない。その時ばかりは雑賀衆の独断で動いてもらう他ないね。状況把握は常に忍を走らせるから問題無し。」

 そんな問題をスパッと切って答えた。

 いつもこう、面倒な問題を片付けるのが影忍だ。

 その時のことはその時でいい、と。

 重要な話ではない、と。

「しかし、非常時はそう忍も動けまい。」

「うんにゃ、非常時を片付ける忍はこちとら一匹だから部下はほぼ通常運転。そうそう大きく取り乱したりしたら、その隙を突かれるのは当たり前、だからね。」

 それが武雷だった。

 微動だにしない戦運びができるのは、この影忍の働きがかかっている。

 いつもそうしている。

 そして影忍は誰よりも戦歴がある。

 絶妙な判断は長年の勘と知識のお陰である。

「あとは、奥州の相手もしなくちゃいけない。」

 溜め息混じりにそう零した。

「奥州?」

「草然と手を組んでんのは前々から。にしても、この組み合わせは鬱陶しいものですよ。」

 奥州といえば、伊吹のことを指す。

 ただ本音を言えば実の所、影忍にとって大きな最たる問題は、伝説の忍。

 あれで消耗するのは痛い。

 攻めてくるだろう、これに刺されるとたとえ本気だとして、どの道転んでも不都合である。

 長年の戦の中、こうも引っかかる相手はいない。

 つまりは、突くことができない。

 伊吹と草然を相手に炎上無しとは、ちとしんどいか。

 此処で武雷が負ければ終わり…。

 常に何故だろうか武雷は背水の陣が如き状況に見舞われている。

「是非も無し。」

「夜影?」

「本気でお相手するしか、ない…と。暴走が少々恐ろしいですがここは一つ、伝説の忍を抑えて伊吹を突く。ただそれが、忍にできたとしても…。」

 眉間に深く皺を寄せて、唸った。

 この影忍も珍しく参ったような声だ。

 どんな状況であろうとも、平然として判断を即座に上げていたというのに。

 ということは、今まで以上にこの状況はまずい、という…。

「我ら雑賀も、草然を抑えるに不足か…。」

「副将が殺られたのがかなり痛手でしたね。手詰まりです。」

 影忍にはもうどうしようもないらしい。

 お手上げだと、両手を顔の横で開く。

 この賢い忍がそれを言うと萎えてきてしまう。

 このまま終わるというのか。

「ん?今、副将がいない…のか?」

「うむ。表にはおるということにしておるが、やはり限界か…。」

「何故、そのようなことを?」

「夜影が応と言わぬのだ。」

 その言葉に呆気を取られる。

 なんの冗談だ?

 忍を副将に?

 いやいや、有り得ない。

「あっのねぇ!忍が副将となりゃ外から何と言われるか!一度体験済みだから言うけどね!!仕事押し付けられるのは願ったりだからいいけど、あんた様にゃかなりの負担がかかんの!!!人間様の面倒は並大抵じゃないんだから!!」

 くわっとそう説教じみた言い返しが勢いのままに放たれる。

 ぜぇぜぇと肩で息をしながら、わかったか?と目が睨んでくる。

 それから目をそらした。

「覚悟を決めて副将をやったらどうだ。きっと、埒が明かないままに終わる。」

「お断りですよ。でもまぁ、副将候補はいるんですよ。目星ついてるのが。」

 巻物をどこからともなく取り出し机の上に置き、端へ転がした。

 それは落ちることなく綺麗にピタリとぎりぎりで止まる。

 その器用な力加減はなんなのか。

 その巻物にはよく見ると武雷の者の名が連ねてあった。

「い、ろ、は、に、ほ、へ、と…これです。」

 指がツツツ…と滑り止まったのは、景孝カゲタカ 刀也トウヤという名であった。

 この名は、どうも聞いた覚えがない。

「忍に理解あり、冷静、軍師でもある。ただ、武雷では影が薄い。」

「影が薄い…のか…。」

「あんた様ですら知らなかったでしょう?中々腕がたつし、気に入ってんだけどな。」

 ということは影忍とは馬が合うような奴か、相性がいいのだろう。

 互いに面識があるかどうかは兎も角として、その様子だとよく目にしている、或いは見ているのだろう。

「会いに行けばわかるさ。こりゃ、隊長格だなってね。」

 ここまで褒めることはまずない。

 本心からの言葉となれば尚更だ。

『呼び出せば』ではなく『会いに行けば』と言っているあたり、本心だろう。

 影忍が目星をつけた武士はこの一名であることから、もう他にそれに合うような者が見つからなかったと察せられる。

 影忍は人、忍を見る目がある。

 副将に相応しいと目星をつけたならば、それを信じて会わなければ。

 それに、ここで時間をかけていいほど戦は待ってはくれやしない。

 いつ火が飛ぶかもわからない。

「ほう、刀也殿というのは彼奴か。」

 遠目でそれを確認する。

 太刀を鞘に、堂々たるその姿は貫禄がある。

 青と黄を持つ黒い服装は、暗闇を貫く雷光を思わせる。

 影忍は黙って木の葉を一枚、墨で黒く染めると風に飛ばした。

 それは男の足下へ届く。

 それに気付いた男が此方を振り向いた。

「貴殿が刀也殿だな?」

「あぁ。忍かと思えば、墨幸様か。」

 畏まるような素振りもなく、肯定を口にする。

「刀也殿に頼みがあるのだ。」

「話は聞いている。副将を務めろと。墨幸様の命ならば構わん。」

 流石、話が早い。

 いつの間にそれを本人へ伝えたのやら。

 これは確かに影忍が気に入るわけだ。

 どことなく似ておる。

 無愛想な男だが、影忍の見る目は確かだ。

 自分もこの男が良いと見える。

「夜影、刀也殿のことはよく知っておるのだろう?」

「さぁ、どうでしょうね。忍じゃないんでよくは知りません。」

 影から出て、微笑みながらそう答えた影忍に刀也は首を傾げた。

 するとそれに対して、口元に人差し指を添えるのだ。

「ならば、いつもの勘か。」

「そんなところです。八割は。」

 この忍は、ただ腕がいい者や賢い者には一目で首を振る。

 これではない、らしく。

 それなのに、ふと目を凝らしたかと思えばこのような優れた者を見つけ出す。

「して、いつに?」

「顔を合わせたのは墨幸様がまだ幼い頃だ。」

 というと……。

「目星をつけたのはまだ副将が生きておる内ではないか!!」

 それに答えるわけでもなくクスリと笑うて、小首を傾げる。

 まったく、この忍という者は。

「その顔…殺されると予知しておったな?」

「予知…か。忍はそんなことも可能なのか。」

 小さく僅かに驚いたというような声を出す刀也に影忍はケラケラと声をたてて笑う。

「こちとら限定、かな。他の忍にゃまずできないだろうね。」

 あれか…「死の影が見えた」というやつか。

 巻物を取り出してそれを広げる。

 そしてこちらに見えるように持ち変えた。

「副将が軍師様なので、戦運びに話を戻しましょう!」

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