第42話

 2Aの教室の前に着いた。


「まったねー、あーくん!」

「ではまた。哀斗くん」


 憧子と花火はそう言って、帰っていった。どうして、登校日でもない今日に哀斗が来るタイミングで学校にいたのだろう、何か他に用事があったのだろうか。


「リミリーもわざわざ学校まで呼び出しなんて……」


 2、3度大きく深呼吸をする。

 哀斗は少し緊張していた。

 思えば、昨日。哀果の作品『インセスト・トゥルー』のパッケージにリミリーと瓜二つのイラストが描かれていたこと……それを目にしたタイミングで

『明日の夕方いつもの教室で話があるから』

 とラインが届いた。まるで、哀斗の一挙手一投足をリアルタイムで見られているみたいだった。

 明日の放課後に説明するから。そう言っているようにも思えてならなかった。


「……よし」


 がらり、とレールを走る音を鳴らせ、扉を開ける。

 教室の左後ろ、彼女がいつも座っている定位置、その机の上に足を組みながら、金髪碧眼美少女のリミリーが座っていた。

 制服から伸びる両腕は、体重を支えるように斜め後ろへと。

待ちくたびれたわよ、そんな感じがした。


「遅くなった、って言いたいところだけど、そもそも時間決まってなかった気がする」

「アタシが遅いって感じたら、もう遅れてるってことよ」

「なんてジャイアニズムだ……」


 後ろ手にドアを閉めて、中へ入る。すると、リミリーはしゅたっと机から降り、ステップを踏みながら教室の後方へと躍り出た。

 ここで話しましょう、ということだろう。

 座席が全体的に前へと寄っているせいか、できたスペース。そこに着いた哀斗に、リミリーはポケットから個包装を取り出した。


「だから、ポッキーをあげるわ」

「なんか、おかしくない? 話の流れ的に」

「今日は特別、だからよ」


 リミリーは寂し気な顔でそう言った。だから、哀斗は受け入れるしかなかった。

 それから、静かな二人だけの空間には、ぽきりとした軽い音だけが続いた。

 リミリーは一本一本、哀斗の口元へとポッキーを食べさせていく。身長差は小さい方ではあるが、それでも哀斗の方がほんの少しだけ背が高い。

 寂しそうな顔は、いつからか懐かしむような顔へと変わっていた。

 夕焼けに照らされたブロンドの髪、飴細工のような碧眼、桜色の唇。

 上目遣いに見上げられる――否、上目遣いに見惚れてしまっていた。


「はい、終わり」

「あ……」


 だから、とても名残惜しかった。

 くしゃりと音を立てながら、リミリーはスカートのポケットへと空になった袋を押し込んだ。


「哀斗ってば欲しがりね」


 リミリーが数歩離れる。


「だからきっと、もう大丈夫」


 どうして、そんな辛そうに笑うんだ。


「アタシさ、気づいたんだよね。ううん、哀斗も気づいてるんだよね」

「俺は何も――」

「アタシが、この世界の人間じゃないってこと」


 『インセスト・トゥルー』のパッケージ、そのリミリーの顔が浮かんでしまった。


「……ただ、そっくりなだけだ」


 自分に言い聞かせる。


「偶然だ」


 しっかりと。


「……哀斗はさ、お姉さんのこと救いたいのよね」


 リミリーがぽつりと呟く。


「昨日、哀斗はさ全部思い出したの。アタシという存在が思い出に居ないってことを。だから、その時にアタシも全部思い出した。アタシという存在が、星羅リミリーがいったい何なのかを」

「……聞きたくない」

「聞きなさい」


 有無を言わさなかった。拳につい、力が入った。


「アタシは、哀斗のお姉さん、哀果から創られた存在よ。ゲームの中の登場人物として、更には今現実世界に存在しているという面に置いてもね」


 淡々と説明を続けるリミリーを、哀斗は黙って見つめる。


「哀果が願った願いは、『哀斗を幸せにしてほしい』。そして、哀斗が願った願いは『主人公になりたい』だったわね。哀果の願いの中に納まるように願われた哀斗の願いは、勿論、哀果の深層心理が主軸となっていたわ」


 哀果の深層心理の影響。それは、哀斗がヒロイン達の前で自分の意志とは関係無く言わせられていたシスコン発言。アスモウラが解釈してくれていた通りだった。


「そしてアタシは、哀斗の理想的なヒロインとして哀果によって用意された存在。哀斗がヒロインとして認めることができて、『俺の願いは叶った、幸せだ』そう思わせられるように創られた完璧な美少女ってわけ」


 内容の重みとは真逆に、リミリーは悪ふざけを言っているようなノリで言い切った。


「どうして、そんな冗談みたいに」


 その姿に無性に腹が立ち、低い声が出てしまう。


「だって、重いとお別れが辛くなっちゃうじゃない」

「お別れ、だって……?」


 瞬きを忘れていたらしい、目が乾いていた。


「もう一度聞くわ。哀斗は哀果を救いたいのよね」


 哀斗はこくり、とまた頷いた。ほとんど脊髄反射のようなものだった。


「……哀果がアタシを創ったのはほとんど無意識のようなものよ。哀果の深層心理が哀斗の願いに影響を及ぼしている、さっき言った通りにね。だから、哀果は自分の意志でアタシを消すことができないの」

「ちょっと待ってくれ、どうしてリミリーが消えないといけないんだよ」

「アスモウラから聞いたと思うけど、哀果には哀斗の願いと哀果自身の願い、その両方の寿命を負担しているせいで、大きな負荷がかかっていて、昏睡状態に陥っている。その負荷の中には、アタシという存在も勿論入っているわ」

「……」

「ましてや、人一人、何もないところからこうやって創り出すってことが、人には背負いきれない程の負荷であることは確かよ」


 理屈は分かる、だけど――。


「だけど、もし借りにリミリーが居なくなっても、姉ちゃんが起きる保証は無いじゃないか」

「ええ、ないわ」

「だったら――」

「でも、もうこれしか手はないわよ?」

「……っ」

「わかってるんでしょ?」


 アスモウラと話して、自分でも何かないか考えて……それでもわからなかった。見つけられるはずも無かった。理由は簡単だ、人間では及びようがない超常の力、悪魔の力が哀果を昏睡状態へと陥らせたからだった。


「だから、哀斗。アタシは哀斗のことが好きよ」

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