第26話

『ブラコンを極めし女』自宅でこの文字を見た、と言えば何のことかはもう察しがつくと思うので、省くことにする。


「なんで、俺の部屋に当然のようにいるわけ」

「ここにいるとね、お姉ちゃんの心の力が回復するの。きっとそのうち呪文を出せるようになって王様を決める戦いに参加することになるわ」


 いつものへんてこ白Tに、短パンでベッドを占拠している哀果。


「あっそ。じゃあそのうち現れるパートナーと仲良くね」


 努めて興味が無い、しょうも無い、と冷めた声で返したつもりの哀斗だったが、事このことに関しては化け物じみたポジティブさのある哀果は盛大に勘違い。


「哀斗が嫉妬してくれたわ……! 今日は哀斗嫉妬記念日にしましょう」

「はいはい。毎日が記念日だもんね」


 それでも冷静な対応を続けられるのは、哀斗の長年に渡る変態姉との生活あってこそだった。


「ええ、そうよ。ちなみに今日は、愛しの主人のいないベッドで初慰めした記念日よ」

「ねえっ! 今すぐ俺のベッドから離れてっ! はやく!」

 といっても、アレな発言について言えば、その限りでは無かったが……。

「あめりかんじょーくよ」

「笑えないからやめて……」


 不敵に笑う哀果の顔が、よくよく見れば艶っぽい気がしなくもない。ほんと勘弁してほしい、と哀斗は心の中で涙を流した。


「ね、ね。哀斗―。いったいさっきから何をしているのかしら。もしかして駆け落ちの準備? それならお姉ちゃん、今すぐに荷造りを始めるのだけど」

「いや、そもそも二人暮らしだし、ご近所さまに顔向けできないようなことしてないよ」

「それもそうね」


 よいしょ、と哀果はベッドの端に寄って壁にもたれかかると、「それで?」。


「旅行に行くんだよ」

「いつ? どこで? だれと? ねえ、それお姉ちゃんが知ってる人?」

「こわいこわいこわい」


 と、ツッコミをいれつつも一応は説明する。来週夏休みが入ってすぐに友達の別荘に行くこと。メンバーはリミリーと、後は学校の友達が他に二人だと。……流石に、その全てが女子だとは哀果には言えなかったが……。


「金髪碧眼巨乳も一緒だなんてもう発禁確定じゃない」

「あんたなんてこと言うんだ」

「……いいえ、お姉ちゃんは信じているわ。哀斗は巨乳には負けないって。だって、あたしのパイパイが一番好きなんですもの」

「そうだね、オンリーワンだね」

「ええ。ナンバーワンよ」

「(調子の良い耳してるなあ……)」


 哀果に背を向け、箪笥から服やら水着やらをリュックに詰める。一泊二日ということもあって、量的にはだいぶ少なめだ。さくさくと進み、準備はあっさりと終わった。


「よし、と。あとは出る前にもう一回忘れ物ないか確認すればいいかな。姉ちゃん、晩御飯何が良い? 今からさくっと買い物いってくるけど……」


 若干日が落ち始めているような、そうでないような中途半端な時間帯だ。


「あれ、この一瞬でもしかして寝ちゃった?」


 声を掛けながら振り返ると、哀果は壁にもたれかかったまま俯いていた。

仕事の締め切りが近いという話は聞いていないし、忙しい時期じゃないはずだけど……、と哀斗は哀果の最近の言動を思い出しながら、ベッドへと。


「寝るなら、自分の部屋で寝てよね。まったく」

 とりあえず隣にある哀果の部屋までおぶっていこうかな、と手を伸ばすと、

「っちょぉっ⁉」


 そのまま思いきり手を引かれ、バランスを崩しながらベッドへと倒れ込まされた。

 そして、仰向けの哀斗の下半身のアレなところに、哀果が腰を落ち着けるというなんともアブナイ形に……。


「やられた……。寝たフリだなんて卑怯だよ、姉ちゃん。色々とマズイからどい……て?」


 哀斗が言葉に詰まった理由、それは哀果の目を見たからだった。


「……」


 癖のついた前髪の隙間から覗く、双眸からはまるで生気を感じられない。

心ここにあらずというような……今まで一緒に生活してきた哀斗でも、こんな異質な目を見ること初めてで、つい固まってしまう。

その一瞬の間のうちに、するすると伸びた哀果の両腕が哀斗の首を捕らえた。


「っね、姉ちゃんっ……な、なにを……! んぐっ」

「……」


 女の子とは思えない程に強い力が、哀斗の首を絞め、気道を塞ぐ。


「……っかぁ……」


 ちりちりとした痛みが後頭部に走った。


「……」


 必死に哀果の腕を振りほどこうとするも、びくともしない。


「(姉ちゃん……どうしてこんなことを……。まずい……目、かすれてきた……!)」

「……ぅ……」


 諦めかけたその時、不意に哀果の身体が揺れ、首元に回されていたはずの哀果の両腕からすっと力が抜けた。


「っけほっ……! ふっはっ!」


 圧迫されていた気道が開く。哀斗はえずきながらも、必死に息を吸う、酸素が入っていく度、視界に色が戻ってくる。

 何度か深呼吸をしてから、上半身を起こす。


「姉ちゃん、なんでこんなこと……。あやうく……え?」


 泣いていた。ぽろぽろと。


「あ、あた……あたし……」


 大粒の涙を流しながら、自身の掌を見つめていた。酷く辛そうな顔で。

 それを見た瞬間、哀斗の頭の中から怒りの感情はすぐに消えた。

 哀果は心底辛そうで、信じられないといった顔で青ざめていた。見れば、もの凄い量の汗も掻いている。


「ちょっと、大丈夫っ? 姉ちゃん!」


 勢いあまったか、と思うくらいには肩を掴んで強く体を揺らす。でないと、哀果がどこかに行ってしまうんじゃないか、そんな不安にかられたからだだった。


「……ごめん。哀斗。ごめん。ごめん。ごめ……んっ……」


 聞きたいことは山ほどあったが、どう考えてもまともに話せる状態に見えない。


「姉ちゃん、俺は大丈夫だから。ゆっくりでいいから。大丈夫、大丈夫……」


 優しく抱きとめて、背中をさすり、哀果を落ち着かせる。

 耳元に響く、哀果の泣き声が心に沁みる。


 じんじんと赤くなった首よりも、胸の奥が酷く痛かった。


「(いったいどうしちゃったんだよ……姉ちゃん……)」


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