第9話
「ぐへへ」
「悲報。あたしの弟がスマホにハアハアしてる件」
『れっつ姉弟えっち』とプリントされた糞Tに、短パン。ラフな格好の哀果は、ソファに寝転んだ哀斗を見下ろす形で淡々と罵った。
夕食を終えた零細家、そのリビングにて。
「皿洗いありがと」
「料理は哀斗の担当なんだから当然よ。ところで、なんのAVを見ていたのかしら」
「姉ちゃんの前でAVを見るほど、肝の据わった人間になった覚えはないよ」
「あら、残念……で、女の子?」
「違うよ」
スマホに登録された連絡先。哀果のご明察の通り、女の子――ラインに表示された涼詩路憧子の欄を見ていたのだが、面倒なことになりそうだし、黙っておくことにする。
「お姉ちゃん大好きな哀斗が、とうとう姉離れ……。やだ、辛いわ」
お姉ちゃん大好き……か。
憧子に無意識に言ってしまったあの言葉はいったいなんだったのか。
帰り際、アスモウラに何か知っているか、比鹿島神社に立ち寄ったが不在だった。
というか、あそこに住んでいるかもわからないし、現状どうやって連絡を取ればいいのか……。随分と雑把に契約を結んでしまったなと、哀斗は猛省。
「悩みでもあるのかしら?」
「え、なんで?」
「いつもなら、俺が姉離れなんてするわけないだろって抱きしめてくるところなのに」
真似をしてるつもりなのだろうが、まるで似ていない。第一に表情筋を動かす意志が皆無に見える。
「違うよね。むしろその逆だよね、捏造やめて」
恥ずかしがっちゃって、ウブね、と哀果が茶化してくる。
「学校で嬉しいことでもあったのかしら?」
「あったといえばあったけど……」
たかが知り合いが一人増えた程度のことだ、周りの真人間に比べたらよっぽど小さな一歩。気にするようなことじゃないだろう。
「よかったわね」
「……う、うん」
「にやにやしてると思ったらむつかしそうな顔になったり、忙しそうね」
「うっさいな」
「嬉しいことがあったら素直に喜べばいいのに」
「ね、姉ちゃんが茶化すからだろ」
「あら、ごめんなさいね」
哀果は軽く笑うと、「少し待ってて」と言い残し自室へと向かった。
それからしばらくして、2枚のプリントを持ってくる。
「インタビュー回答しといたから」
一枚は田中先生からもらったインタビュー用紙。もう一枚の方は綺麗に3つ折りされていて、裏からでもびっしりと文字が連ねられているのがわかる。見た感じ、インタビューへの回答文だろう。
「すごい量だ、こんなに大変だったんじゃない?」
仕事もあるのに、と哀斗は申し訳なさそうに呟いた。
「これくらい簡単よ。大切な弟が通う学校のためだもの。それに、あたしもお世話になったのだし当然よ」
気にしていない様子。
ひょっとすると、普段から物書きの仕事で長文を綴っていることもあって『簡単』というのは本当なのかもしれない。
「ありがと、じゃあこれは先生に渡しとくよ」
「あっ。中身はみないでおいてくれるかしら」
「なんで?」
「恥ずかしいからよ」
哀果はもじもじと太股を擦り合わせ、両手で顔を覆う。
その光景に不信感を抱きソファから起き上がろうとしたところ、抑えつけられた。
「セクハラは犯罪」
「あたしの普段の行い的に説得力にかけるのは理解しているけど、真面目に書いてあるから安心なさい。変な文章を書いていたところで、先生が学校案内に載せるわけがないでしょう」
哀果の言う通り、あの真面目な田中先生が目を通すことを考えると、不適切な内容の文書が掲載されることはないだろう。
「……確かに」
「それじゃあよろしくね」
「わかったよ」
哀斗の返事に満足すると、哀果は自室へと向かった。
いつもなら、のんびりテレビでも見るところな気もしたが、きっと仕事が忙しいのだろう。
「俺も宿題やろっと」
面倒ごとはやる気が出た時に一気にやってしまうのが一番だ。
廊下を渡り、自室へ向かうと、室内にはぴゅうぴゅうとそよ風が吹いていた。半袖半ズボンということもあって肌寒い。
よく見れば、カーテンも揺れている。
「窓開けたっけ?」
ぴしゃりと閉めてから、虫がはいってきていたら最悪だ、と部屋中を確認。
日中が温かくなってきているのは事実。虫の繁殖盛りだ。
実は、虫を見つけたら哀果を頼るレベルに虫嫌いな哀斗。男だって苦手なものは苦手なのだ。
「照明よし、机よし、椅子よし、床よし、ベッドよ――」
「ベッドおっけーだぜ」
「お、ありがとう。えーと、後は……ってちょっと待って」
「よ、お邪魔してるぜ」
部屋の照明で紅の髪を天使の輪っかのように光らせた悪魔と称するにはちぐはぐな様子のアスモウラが、まるで我が家とばかりにベッドでくつろいでいた。ビックシルエットの服の下であぐらをかいているのか不自然な広がり方をしていた。
「不法侵入っていうんだよ、悪魔さん」
「悪魔には法律は関係ないんだぜ」
ドヤ顔が勘に触るが、捨て置く。探していたところだったし、ちょうど会えたのは好都合だ、と整理しながら。
「……まあ、良いけどさ」
「柔軟な対応が取れるところが哀斗の良いとこだよな」
「いい加減ドヤ顔をやめないか」
訂正、やっぱりムカつくのはムカつく。
「ただの軽口だろ? 多めに見ろよ、オレと哀斗の中だろおー?」
「まだ会って二日目のはずなんだけどね」
ちなみに、まるで不純な関係を暗喩するように巨乳を揉んでいたのは、今回は無視することに成功した。それ、趣味かなんかですかね、性的にしんどいからやめて頂きたい。
「んで、美少女には会えたか?」
図書室で会った図書委員、3年の涼詩路憧子さん。彼女が美少女の定義に含まれないのだとすれば、いったい誰が美少女たりえるのか。
「……会えた。涼詩路憧子さんって人でいいんだよね?」
「名前は知らねえけど、おとなしい感じの髪が短い女の子ならあってるぜ」
リア充っぽいオーラ――とは正反対の弱気で、強いて言えば哀斗自身に近い陰キャラに近い雰囲気の一つ年上の先輩。
哀斗は「適当だなあ」と内心思いながら、
「まあ、あってるけど」
と小さく唇を尖らして言う。
「どうだ、すごいだろ」
褒められるのを待つ犬の様に、アスモウラは琥珀色の瞳を向けてくる。
なんとなしに、褒めて付け上がる様が浮かんだ哀斗は、疑問を解消するべく話のベクトルをずらすことにした。
「でも、どういう仕組みなってるんだ? 人一人思うように動かすってそんな簡単にできるもんなの?」
学内に友達がいない哀斗は、恋バナに挙がりがちな女の子や、誰が誰に告白しただとかという話題にはめっぽう疎いため定かではないが、きっと憧子はモテるんじゃないだろうか。
そんな彼女が自分に話掛けてきた事実を、哀斗は夢物語のように思う。
「人によるなあ。できるだけ哀斗へ自然な流れで関心を増幅させられるような人間なら魔力の消費も軽いぜ。そういうタイプの人間の行動を、ちょっち弄くるくらいがオレの限界だ。まあ、哀斗がもっともっと寿命をくれるってんなら全く関係の無いアイドルや芸能人なんかを引っ張ってくることもできちまうけどよ? やってみるか?」
少しだけ迷ってしまった哀斗だったが、首を振った。言い知れぬ畏れを感じたからだ。畏れ多い、流石にと。
「つくづく、悪魔なのかって疑うくらいには良心的だね。涼詩路さんは元から姉ちゃんに興味を持っていたから動かしやすかった、って解釈でいい?」
「そーゆーこと。で、どうだ? 好みだったか?」
「まあ、うん……」
哀斗は目を泳がせながら、無意識に頬を掻く。
「じっくりいけばいいと思うぜ。心に余裕のある人間って女にモテるらしいからな」
「アスモウラも女の子じゃん」
「んっ……⁉ あ、あーそうだけどオレは攻略対象じゃないからな?」
突然の女の子扱いにアスモウラはどきりとする。一瞬でも自分の心臓が跳ねたことをアスモウラは自覚すると「純粋な目するんじゃねえよっ、たかだか十年ちょっとしか生きてない人間の分際で!」と心の中で叫んだ。
「はっきりと否定しないでよ。俺も傷つくんだよ? 一応。そういう気持ちが無いににしても」
「お、おう……わかってるぜ? (駄目だ、コイツ心臓にわりい)」
どうしてか、気まずい雰囲気が流れる。
無音が気になった哀斗は、なんとなしに学習机前のキャスター椅子に座って、ころころ……。
横目でアスモウラを確認すると、顔を赤かった。哀斗は「イライラしてるっぽいしどうしよう……。女心ってむつかしい……」と自分の部屋のはずなのに居心地の悪さが加速したので、できるだけ明るく振舞うことにした。
「そ、そうだ! 涼詩路さんと話して、一つ不思議な点があったんだけどっ」
「お、おう! なんだなんだ⁉」
あれ、思ったより怒ってない?
「い、言う気の無かった言葉を勝手に口走ってしまう現象があったんだ」
興味深かったのか、アスモウラは居住まいを正して目を細めた。
「……どういうことだ?」
それに合わせて、哀斗も落ち着いた口調を意識する
「思ってもいないことを、口が勝手に俺の意思とは関係なしに喋ったんだ」
「ちなみに、なんつったんだ?」
「……ね、姉ちゃん大好きーみたいな……」
羞恥心で頭から火が出そうだ、と思いながらも無視していい話題ではないので、堪える。
前髪で隠れていない左目が鋭さを増した。
「こう影響してくるのか……面白くなってきたぜ」
そして、静かに笑った。 明らかに、何か知っている様子だ。
「原因がわかってるならどうにかしてほしい」
こんな状況化じゃ恋愛感情を抱かれるのは難しいだろう。どれだけ良い雰囲気になったところで、たった一言のシスコン発言で全てぶち壊しだ。
「悪いな、こればっかりはどうにもできないんだわ」
「そんなこと……」
「ほんと悪いな」
原因は分かっているが、どうしてもそれだけはできない、そう語っているようだった。
「確か願いが叶って俺との契約が切れる条件は、俺が満足することだったよね。それまでの期間が長引いて無駄に寿命を持っていかれるのは、こちらとしては頂けないんだけど」
「哀斗の意見はごもっともだ。だけど、その点については心配するな。哀斗が空気の読まない発言をしても気にしないくらいにはヒロイン候補に魔力かけておく。それで余分に寿命は取らねえ。初めに言った通り、願いを叶えている期間分しか取らないからよ。つうか、そもそも女慣れしてない哀斗に対して、キモいとか思わないように、既にはっぱはかけてあるんだぜ?」
「……ま、まじか。え、嘘だと言って、やっぱ」
驚きつつも、涼詩路さんとの会話中に感じたことを思い出す。あれも、アスモウラの言うところの『はっぱ』の影響なのだろうか。
「アスモウラ様舐めんじゃねえぞ。頼られた以上、しっかりお仕事こなすぜ」
そこまで言われると、哀斗はもう許容するしかない。これ以上の発言は悲しい非モテとしての発言に他ならないからだ。
「わかったよ……」
哀斗が折れてくれたことを満足そうに微笑を浮かべてから、アスモウラは思い出したように話し出す。
「あ、そーそー。主人公にヒロインは複数人いるってのは物語の定石だよな」
アスモウラは得意気な顔をして続ける。
「だから、明日は、転校生イベントだ」
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