第90話 慟哭と光明

 ボクたちが降り落とされないよう風のバリアを張ったからか、シャルアロは心置き無く全速力で翔んでくれたらしい。

 かつでミナミと合流したニアルタの街も飛び越え、日が暮れる頃には三角大陸トライネントの中心近くを西側へ横切って、樹海の入り口へ到着した。


 だんだんと高度が下がって、眼下がんか鬱蒼うっそうとした木々が迫ってくる。

 暗くなりつつある景色に目をらして、コニーが声をあげた。


「あっ、あそこ! あたしが生まれた村だ!」


「そうなの?」


「うん。バルさまのお城に住ませてもらうまでは、ここに居たんだー」


 コニーが指差す先に、山に沿って茅葺かやぶき屋根やねが並んでいるのが見えた。

 彼女の言う通り、このあたりには村があるらしい。


 周辺には段々と棚田たなだつらなっているのが一望いちぼうできる。

 見渡す限りの畑の間を縫うように細い道がくねくねと伸びて、低い屋根の家々を繋いでいる。

 村というわりには規模が大きく、全ての畑を手入れするには骨が折れそうだ。


「へえ……。人がいっぱい住んでそうだね」


「人間さんの街とくらべたらぜんぜんだよー。空き家ならたくさんあるんだけどねー」


 シャルアロが頭を低くして飛んで、地面がぐんぐん近づいてくる。

 どうやら彼はこの辺りに降りるつもりらしい。


「クルルゥ……」


「どうしたのかな、シャルアロさん。さすがに疲れちゃったのかな?」


「いや──ボクたちの目的地はここだったみたい」


 やがて、村の中心部が見えてきた。

 小高い丘の上に、周囲とは違って頑丈そうな石造りの建物が円形に並んでいる。その中心には、煌々こうこうとかがり火が燃える広場がある。


 開けた場所に人影が並んで、こちらを見上げているのが見えた。

 がっしり体型に尖り耳が生えた大人の獣人たちだ。

 影はゆらゆらと灯りに照らされて、長く伸びている。


 その中に一人だけ、細長いシルエットが混じっていた。

 見間違えようがない。リリニアさんだ!

 ボクたちがここへ来るのを事前に知っていたかのように待ち構えている。


  

 ──ずしぃん……。


 シャルアロが地面に降り立ち、足元から音と振動が伝わってきた。


「おどろかせて、ごめんなさいー!」

 着地とほぼ同時にコニーが前方にぴょんと飛び降り、獣人たちに挨拶した。

 

「ありがとう、シャルアロさん」

 ボクもバル様を抱え、しっぽ側から竜の背を降りた。

 筋力強化の魔法が切れかけていたせいか、危うく取り落とすところだった。


「うぷっ……やっと……地面だぁ……」

 ミナミだけは、顔を青くしてずるりと墜落するように転げ落ちた。


「だいじょぶ、ミナミ? ほら、肩かしてー」

「うう~……」

 


「おお、コニーか! 大きくなったなぁ。里帰りか?」

 獣人の一団の中から、筋肉質の男性がコニーに声をかけた。

 頭の両側から鹿のような立派な枝状のツノが生えており、シャツの間から覗く胸板にはふさふさの体毛が生えている。


「おじさん! こんばんは、お久しぶりー。ううん、今日はあたしたち、そこにいるリリニアさんに会いにきたんだよー」

 コニーは慣れた様子で、ミナミを支えていないほうの手を振った。


「”リリニアさん”……? め、冥眼めいがん魔王まおうことを言ってんのか!?」


「そーだけど、へんかなぁ?」


「変もなにも……なぁ?」


 彼が後ろを振り向いたのを合図に、視線が人だかりの奥に集まった。


「……」

 当のリリニアさんはけわしい表情のまま黙り込み、ボクたちから視線を外そうとしない。


 ずんぐりとしたしっぽの生えた女性が、リリニアさんに話しかけた。

「ここに来る知り合いってのは彼女たちのことだったのかい、冥眼めいがんさん? 思ってたより可愛らしいじゃない?」


 獣人たちは広場を半分占領するほど大きなシャルアロを見ても臆することなく、むしろ興味深げに観察している。

 

 しかし、ボクがバル様を抱えて進み出ると目の色が変わった。

 ぴくりとも動かない彼の様子に、ざわざわと波紋のように動揺が広がる。


「こいつは、煉獄れんごく魔王まおう!? まさか……死んだのか」

  

 鹿ツノの獣人が声をあげたのを皮切りに、獣人の大人たちは口々に議論を交わし始めた。

 

「……これはいち大事だな。この大陸のパワーバランスが崩れるぞ。人間たちは今度こそ東の火山へなだれ込むだろう」

「いいや、各地に潜む魔人たちが黙っていないんじゃないか? 彼らはオレたちが思うより強い抑止力だ」

「それより巫女みこが見つかったという噂は本当か? 強硬策も無いとは言えんぞ」

「ああ、西と北の停戦も揺らぎかねん。人間らの利がなくなれば、我々の身も危うくなるぞ」


 彼らの心配はもっともかもしれない。


 けど……いま大事なのはそんなことじゃない!

 ボクはぎしりと奥歯を噛んだ。感情を抑え込んで──。


 そこへ、リリニアさんがぴしゃりと雷を落とすように吠えた。

 

「──お前ら、黙りなッ! 憶測おくそくでモノを言ってんじゃないよ!」


「っ! すまない、冥眼めいがん


 リリニアさんはことさらに顔をしかめながら、つかつかと早足で近づいてきた。

 動かない彼の身体を冷ややかに見下みおろし、ギザギザの歯をむき出しにして。


「バルフラム……。──はん。ザマぁないねェ」


「リリニアさん、そんな言い方……」


「まったくお前は、いっつもそうだ。アタシの忠告なんか、一切耳を貸そうとしなかったな?」


 リリニアさんは、バル様の耳を乱暴に引っ張りあげた。

 彼の首はずるりと持ち上がったが、当然なんの反応もない。


「ちょ、ちょっと!」


 制しようとしても、彼女の視界にはボクのことがまるで入っていないみたいだ。

 抗議の声をあげようとしたその時、ボクはリリニアさんの目元に光るものを見た。


「お前が王国でとっ捕まった時、アタシがどんだけ慌てて駆けつけたか……お前は気付きもしなかったよな? なぁ……!」


 リリニアさんはとうとうボクの手から彼を取り上げて、ぐらぐらと揺さぶった。

 バル様は目を開けない。

 震えているのは、リリニアさんの声だけだ。


「アタシは──お前がマコのそばで笑ってるのを見て、アタシはどんだけ安心したか……お前はもう大丈夫だなって、嬉しかったか……。知らないだろ、お前、なぁ……ッ!?」


 彼女の握りしめた拳は、自らの爪が食い込み血がにじんでいる。

 長い髪がばらばらと乱れ、その表情を伺い知ることはできない。


「オイ、なんとか言ったらどうなんだよォッ、バカ野郎……! ばかやろ、ばか……うっ、ぐううッ──!」

 

 もう痛々しくて、目をそむけるしかなかった。

 ボクよりも永い時間を彼と過ごしたリリニアさんの気持ちは、ボクにははかりようがない。

 


 彼女の慟哭どうこくに圧倒されたのか、背後の獣人たちはしんと静まり返った。

 恥じるように頭を掻いて目を背ける者もいれば、貰い涙を流す者もいる。


 ずんぐりした女性の獣人が、リリニアさんを落ち着かせるように背中をそっと叩いた。

 王国の人間は一様に魔人を恐れていたけど……この村の人たちは少し違うみたいだ。


「あんたがそこまで取り乱すなんてね、冥眼めいがんさん。大切な人だったんだ?」


「……いや、すまん。見苦しい所をみせちまったな」


「いいさ。今のはあたしらが悪かったよ」


 リリニアさんは鼻をずるるとすすりながら立ち上がった。

 ひとしきり声をあげて気持ちを切り替えたのか、表情にはもとの鋭さが戻っている。


「あのう、リリニアさん。どうしてこちらに? 後ろの方たちはお知り合いですか?」

 

「西の樹海に点在する村のおさたちさ。アタシも樹海に住む者の一員だからねェ、こうして定期的に会議に出席してやってんだよ」


「会議、でしたか……。お邪魔してすみません」


「問題ない。アタシは大抵、端っこで聞いてるだけだからねェ」


 口を斜めに開けたリリニアさんに対して、また女性の獣人が声をかけた。


感謝してるよ、冥眼めいがんさん。王国との停戦の件といい、あんたが樹海に来てからあたしらはとても助かってんだ」


「……んな世辞はいい。お前ら、ちょいと外してくれるか。アタシはこの子と話があるんだ」


 今度は、がっしりと筋肉質の獣人が口を挟んだ。

「おいおい、さっきの件はどうする。煉獄れんごく魔王まおうが倒れたとあれば、早急に方針をまとめるべきでは?」


「それとも関わる話で、こっちが優先事項だ。いいから引っ込んでな!」


「……へいへい」


 獣人の村長むらおさたちは、すごすごと建物の中へ入っていった。


「あっ、あたしたちも行くよ。ミナミ、休めるところに案内するね。あっちに水場があるからさ」

「うぅん……」


 コニーは、ミナミを引きずって彼らを追いかけた。

 もしかしたら、ボクに気を遣ってくれたのかもしれない。


 

 広場は静かになり、ぱちぱちと燃えるかがり火が暗闇を照らしている。

 シャルアロは巨大な猫のように身体を丸めて、隅っこの暗がりで寝息を立て始めた。


「……あわただしくて悪かったねェ、マコ。お前がシャルアロと共にここへ近づいてくる気配は、なんとなく感じていた。バルフラムの気配が消えたことも……な」


「そうだったんですね……あ──」


 リリニアさんは屈みこんで、ゆっくりとボクの頰に触れてきた。

 その細い指は見た目から受ける印象よりもずっと暖かく、温もりがある。


「……つらかったろう。よくあの国からここまでこいつを連れてきたねェ。頑張ったな、マコ」


「ありがとう、ございます……。ボク……バル様がぜんぜん起きなくて、不安で……どうしようかと──」


「……」

 リリニアさんは何も言わず、白い腕を伸ばしてボクを抱きしめた。

 彼女の深い悲しみが抱擁を通して伝わってくる。

 

「う、あ……ごめんなさい。……泣いちゃ、いけないのに……」


「馬鹿、言うんじゃないよ。泣きたくなったら……泣けばいいだろ」


 ぎゅうっ──と、ボクを包む腕の力が強くなった。


 そっか。本当に声をあげて泣きたいのは、ボクだけじゃないんだ。

 けど──


「いいえ……この涙は、まだ取っておかないと」


 腕がほどかれて、怪訝けげんな顔のリリニアさんと目が合った。


「マコ。前も言ったが、無理は身体に毒だぞ?」


「大丈夫です。我慢しないことも、覚えましたから」


「ほう……? そうか?」


 彼女はますます眉間みけんにしわを寄せている。

 ボクは何か余計なことを言ってしまったような気がした。


「ええと、リリニアさん。それで……見ての通りバル様は……首輪が、壊れてしまって」


「……そうだな。いつかこうなってしまうかもとは覚悟してたよ」


「えっ……?」


「むしろアイツは、あんなに不安定な錬成体れんせいたいでよく繋いでたよ。火の魔素マナが豊富な、東の火山に篭もってたのが功を奏していたのかねェ」


「でも、ボクは……ここに来たのは、リリニアさんならなんとかできるんじゃないか……って……」


 ボクは嫌な予感がしてきた。

 リリニアさんが唇をぎゅっと結んで、深刻な表情を崩さなかったから。


「あのなぁ、アタシがいくら器用で天才で努力家だからと言って、何でもできると思ったら大間違いだぞ?」


「そ、そんな──!」


「早とちりするなよ。”アタシには”と言っただろ。最早もはや、アタシよりもお前のほうが可能性があるだろう。潜在せんざい魔力量まりょくりょうと……アイツとの、その他諸々もろもろでね」


「……どういうことです?」


 リリニアさんは正面からボクの両肩に手を置いた。

 何かを託すように、力強く。


「いいか、マコ。今からお前に”操魂術そうこんじゅつ”について教える。いや、覚えろ。これは命令だ」


操魂術そうこんじゅつってあの、転生に関わるっていう?」


「ああ、そうだ。……こっちへ来な。バルフラムを救える方法があるとしたら、それしかないからねェ」


「は──はいっ!」


 その言葉で視界が晴れて、暗闇の中に一筋ひとすじ光明こうみょうが見えた気がした。

 どこからか、そんなイメージが頭の中に流れてきたんだ。

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