第81話 壁を壊すもの

「アイゼンたら、あたいのことそんなふうにおもってたんねー。けけけ」


 宵星よいぼしの門の内側。

 ふわふわと宙に浮くソニアさんの薄翅うすはねは、月明かりをガラスのように透かして輝いている。

 ボクは荷台の布にくるまったまま、三人の会話を見守ることにした。


「そ、そ──ソニア。なんでだよ、なんで居るんだよォ……」

 アイゼンは、恥と困惑が混ざったうめきを漏らした。

 今すぐ身体中をきむしりたいという様子だ。


「なにー、その顔はー。あたいに聞かれちゃ困るようなこと、言ってないでしょー?」


「いや、言っただろ……」


「言ってないよー」


「言った!」


「言ってないー!」


「……なんなのあんたら、バカップルだったの? わたし帰っていいかな?」

 ミナミが、ことさら不機嫌そうに水を差した。


「カップ、ル……!? ちっ、違え! そんなんじゃ──オレはまだ、ソニアに想いを伝えてすら……」


「なあになあにー。伝える想い、あるのー? あたい楽しみだなあ、楽しみだなあー。言ってみーよ、アイゼン?」

 ソニアさんは心底愉快そうな顔で、彼のまわりをくるくると飛びまわっている。


「ウ、ウグ──」


「……はぁー。それじゃわたし、行くから。二人でごゆっくり」


 荷台を再び引っ張ろうとしたミナミを、ソニアさんが呼び止めた。

「ちょままま! 待ちねい、ミナミさんよー!」


「ソニアさん、邪魔者がいたら話せることも話せないでしょ」


「逆よお! アイゼンたらいっつも硬派こうは気取ってるもんだからさー、あたいに何も話してくれないんよー。ちょっと加勢してよー」


「ええ? なんでわたしが……?」


「いやあ、さっき話聞いててさー、ミナミさんならアイゼンのかたくななトコロをなんとかしてくれそーって思ってー」


「わたしは、カウンセラーじゃないんだけどな」



 しばしの沈黙を置いて、アイゼンは居心地が悪そうに顔をあげた。

「ソニア、さっきはああ言ったが……。オレには、言う資格なんて無えよ」


「どーしてさー?」


「前から気づいてたんだ。オレは、取るに足らない男だって」


 彼の弱々しい声に耳を傾け、ソニアさんはすとんと彼の前に着地した。


「けけけ、そーかもね。でも、そこがアイゼンのカワイイとこなんじゃない?」


「そう簡単には割り切れねえ。オレは……弱いんだ、ソニア。……おまえと長く添い遂げることはできねえし、降りかかる火の粉から守ることすら満足にできない」


「だから、魔人になりたかったんだー?」


「おまえには黙っていたが、そうだ。認める。オレはおまえに相応ふさわしい男に……なりたかったんだ……」


 アイゼンは崩れるようにしゃがみこんで、ソニアさんの小さな身体と目線を合わせた。

 悔しさとあきらめの気持ちを抑え込むように、拳を握りしめて。


「……ソニアさん、こいつにひとこと言っていいかな?」


「どーぞ、ミナミさん?」



 ミナミは彼の前までつかつかと歩くと、息を吸い込んだ──。


「アイゼン、あんたは本当に独りよがりで……おおバカ野郎だーッ!!」


 彼女の声が、暗く静まり返った敷地内に響き渡る。

 その迫力はざわざわと庭園の木々を揺らすほどだった。



「う──うるせえよ! オレだって悔しいが……身のたけと引き際はわきまえてるつもりだ。魔人とそれ以外の種族の間には、どうしようもない壁が……あるんだよ」


「ああもうバカ、本当にバカ! なにさ、壁って。そんなもん、あんたが勝手に自分の中に作ってるだけでしょ!」


「……ッ! あ、あるもんはあるんだよっ! 見えてねぇのは……おまえだろ」

 アイゼンは反論しながら立ち上がったが、ミナミに気圧けおされたのか伏し目がちだ。


「そりゃあ、この国にはそういう人間もいるかもしれないさ。けど、ソニアさん本人に聞いたの? いいや、さっき言ってたよね。話してないって」


「話せるわけねぇだろが、んな……情けねぇことをよ」


 彼のこぼした言葉に不満があるのか、ソニアさんは無言でぴょんぴょんと跳ねている。


「はあ、だから独りよがりだって言ってんの。だいたいさ、お互いの気持ちも確認してないのに何でそんな先の段階のことを悩むかな? くっつく前からくっついた後のこと心配してんじゃ……。世話ないでしょ」


 ミナミは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 その拳は、彼と同じように固く握られている。



「オ、オレの気持ちは──」


「……けけけ」

 視線を落としたアイゼンと目が合うと、ソニアさんはようやくせわしなく動きまわるのをめて、彼の言葉を待つようにニコニコと微笑んだ。


「──ソニア。オレはおまえの事が好きだ。おまえと居ると落ち着くし、オレの"こだわり"なんてちっぽけで……どうでもいいことだと思えてくる。おまえと居るだけで……救われるんだ」


 アイゼンは時折ときおり声をつまらせながら、彼女へ伸ばそうとした手をちゅうに泳がせて、引っ込めた。

 目の前に彼にしか見えない壁があって、それに触れてしまうのを恐れているかのようだ。


「やっと言ってくれたねー、アイゼン」


「だが……ソニア。オレは、オレ自信を許すことができない。だから──ムガッ!?」


 ソニアさんがふわっと浮いて、彼のほおを左右に引っ張った。


「アイゼンー、かっこいいけど、かっこわるいー!」


「──ほ、ホニア!?」


「自分がゆるせない? 今すぐゆるす必要なんて、ないじゃん! なんでかって? ……あたいが、どーでもいいと思ってるから!」


「なん、だって……?」


「アイゼンはそのままでいいんだよー。どーしてもっていうならさー、あたいが許すから! けけけっ」

 

 ソニアさんは、にひひと歯を見せて笑っている。

 笑顔が月に照らされて、まるで彼女自身が光ってさえ見える。


「……どうしてそんな事を言う? オレはずっと……。あこがれてたんだ、くやしかったんだ。今さらそう言われても……」


「じゃあさー、こうしよ! アイゼン、あたいのこと好きって想ってくれてるんでしょー?」


「……ああ。その気持ちに偽りはない」


「あたいはねー、人間で獣人でー、ハーフのアイゼンが面白くて好きだよー! だってさ、どっちでもあるなんてお得じゃんー。だから……そのままでいてよ! そのままでいて、いいんだよー!」


「おまえ……」


 ソニアさんは、ふふんと満足げに微笑んだ。


「あたいは、そう思ってる。それでじゅうぶんでしょ?」


「ソ──ソニアァ……ッ!」


 彼はとうとう腕を伸ばして、ソニアさんの小さな身体を抱きしめた。

 つうっと一筋ひとすじの涙がアイゼンのほおを伝っていく。

 本当はずっと前から、そうしたかったのだろう。

 

 妖精のような細い腕が、アイゼンのしなやかな身体を包むように抱きしめ返した。

 言葉はなくとも、二人の間にとうとい絆が生まれたことに間違いはない。

 


 ミナミは熱い抱擁ほうようを眺めながら、やれやれと笑った。


「……はは。わたしの出る幕、なかったじゃん」


 ──おそらく、ボクだけが目撃した。

 ミナミの背後、明るい建屋の内側に立つ、狐頭きつねあたまのシルエットを。

 ソニアさんとアイゼンが抱擁ほうようほどくのを見届けて、狐頭きつねあたまの影はスッと建物の奥へ消えていった。


「……ミナミさん、そんなことないよ。あたい、すんごい感謝してる。アイゼンにかつをいれてくれて、ありがとーね」


「オレもだ、すまなかった。ひとりだけで考えてちゃ、いい答えなんて見つかりっこなかったんだな」

 アイゼンはそう言いながら、愛おしそうにソニアさんの肩を抱き寄せた。


「ま、そう言ってくれるなら。わたしが考えてたことも、少しはためになったのかもしんないね」

 ミナミは二人を少し羨むように、ぎこちなく笑った。


「ソニアとオレとでは立場が違うし、大変なこともあるだろうが……。オレ一人じゃ壊せねえ壁も、両側からなら壊せるかもしれねぇな」


「アイゼン、アイゼン。ミナミさん言ってたじゃんー。壁を作ってるのは自分だって。あたいは、そんなもん無いと思ってるよー」


「いいや、あるにはあるんだ」


「ないってー」


「ある……」


「ないよー!」


 ミナミは大きな咳払いで二人をさえぎった。

「オッケー。それじゃわたしは今度こそ行くから。おやすみなさい、バカップルさん」


「ミナミさん、ありがとー! あたいはアイゼンと帰るから、ロゼッタによろしくー」


「はいはい」



 ──ゴト、ガタン。


 ミナミが荷車を引っ張って、ようやく車輪がまわりはじめた。

 三人の会話に気を取られていたボクは我に返って、自分の背骨がガチガチに硬直していることに気がついた。

 部屋についたら、大の字になって寝転がりたい。


 それにしても……ふふ。なんだかいいものを見せてもらっちゃった気分だ。

 今のやりとりを自分と重ねるようにして、バル様の顔を思い浮かべた──。



「……あんたらは、十分恵まれてるよ。壁がひとつしか無かったんだから」


 

 ──ボクは暗闇の中で、小さな小さなミナミの声を聞いた。

 それはきっと誰にも聞かせないはずの、胸の内側からこぼれ落ちてしまった言葉だった。

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