第77話 エーテル
ウルスラさんは、気が進まないというジェスチャーをしてみせた。
「ロゼッタ~。人が通れるほどのゲートなんて、大変なお仕事なのヨ。急ぎの用事ナノ?」
「お願い、ウルスラ。大至急よ」
「オー……。わかったヨ、準備するワ。それじゃあ、地下室に向かいまショ」
彼女はボクたちをリビングへ案内するつもりだったみたいだけど、進路を変えて階段を降り始めた。
その後ろにロゼッタさんが続き、ボクとミナミとソニアさんも狭い通路を一列に並んで、ぶつからないように追いかけた。
地下へと続く階段はくねくねと長く、家の外観からはわからないほど奥深くまで掘られているみたいだ。
壁を埋め尽くす細長い棚はどこまで降りても並んでおり、そのぶんだけ廊下は更に狭くなっている。
もはや、身体を壁にぶつけずに歩くのは不可能に近い。
この家の棚に並んだ品々は、見れば見るほど不思議な気分になる。
魔王城で見たような漫画本や、料理の本や歴史の本……。
どれも、地球から転移してきたらしき品物だ。漢字や平仮名やアルファベットで書かれた背表紙が並んでいる。
「マコがさっき言ったこと、やっとわかったよ。こりゃ、すごいね……」
ミナミが通路をカニ歩きしながら
「ここが異世界だってこと、忘れちゃいそうになるね。……ううん、ボクにとってはもう、あっちが異世界なのかな……」
「……ふうん」
ロゼッタさんが以前教えてくれた通り、
この世界で言葉が通じるのも、料理の味付けにそれほど戸惑いを感じないのも、元を辿れば
そう思うと、まだ出会って間も無いウルスラさんに対して感謝と尊敬の念が湧いてきた。
「──サァ、ついたヨ。ここが”転移室”だヨー!」
階段の長さからして、地下五〜六階くらいまで降りただろうか。
大きなガレージのような、高さと奥行きのある部屋だ。
真っ先に、部屋の中心にあるアーチ状の"門"が目に入った。
軽くくたびれたボクは、ミナミと一緒に壁にもたれかかった。
下りだったからいいものの、帰りに登ることを考えると気が滅入る……。
ふわふわと浮遊移動してきたソニアさんだけが平気な顔をしている。
「あたい、この部屋に来るのは久しぶりだなー。前よりも片付いてるねー」
「そうでショ! ワタシったら、お片付け頑張ったのヨ!」
「ウルスラさんは頑張り屋さんだねー。
ボクにはそうは思えなかった。
この部屋はどこからどう見てもごちゃごちゃしていて、お世辞にも"綺麗"だとは言えない。
ここまでの狭い通路に棚が並んでいたのは、まだマシなほうだったらしい。
ここには整頓のせの字もない。ただただカオスが床を埋め尽くし、足の踏み場など存在しない。
部屋に隅にはゴミ箱らしき筒が三つも四つも並んでいて、こんもりと山のように物が詰め込まれている。
入りきらなかったガラクタは、とうとう口を開けたままのポリ袋にそのまま放り込まれるようになったようだ。
しかし、それでもこの部屋が広く見えるのは中心に
内側に焦げ付いたような跡がある。材質は金属だろうか。
周りに扉や柵などは備え付けられておらず、ぽっかりと口をあけて静かに建っている。
向こう側の景色は部屋の後ろの壁があるだけで、どこにも繋がっていない。
「さあ、マコちゃん、ソニアさん、これを
ボクたちの手に、銀のスプーンと手のひらサイズの
「これは?」
「二人には、これからウルスラが開くゲートを
「がってん承知、ロゼッター。報酬ははずんでくれるんだよねー?」
「ええ、ソニアさん。あなたが満足する額をお支払いするわ」
「けけけ、期待してるよー」
ソニアさんは嬉しそうに空中で一回転し、スプーンと小瓶のフチをキンキンと軽快に鳴らした。
「えーっ! ロゼッタ先生、わたしは行っちゃダメなの?」
「残念ながら、ミナミちゃん。このゲートの奥には地面が無くてね。空を飛ぶ力がないと、次元の
「……うへぇ」
ロゼッタさんが、今度はうっすら光る
その手つきは慣れた様子で、迷いがない。
どうやってこの乱雑ながらくた山の中から、目当てのものを拾い上げたんだろう。
「もしかして、危険な場所なんですか?」
「……気をつけていれば問題ないわ。マコちゃん、あなたは”
「マコさん、へいきさー。あたいは以前ロゼッタに同じことを頼まれたことがあるけど、無事に帰ってこれたよー」
ソニアさんはそう言いながら、荒縄を腰に巻きつけ始めた。
縄を床にたわませながらふわふわと浮遊するソニアさんは、なんだか緑色の風船みたいだ。
「ううん……。結局、
「いいえ。あなたは、
「へっ?」
ロゼッタさんは散らかった床の踏み場を探しながら大股で歩いて、どこからか本を拾い上げて戻ってきた。
「突然だけど、マコちゃん。”
「……ええと。ゴムとかプラスチックみたいな、電気を通さない物質だって……習った事があります」
「ふふ、正解よ。
「
目の前に、分厚い本のページが広げられた。
そこに描かれていたのは……青白く光る、細部までびっしりと
この特有の青白い光には、確かに覚えがあった。
数ヶ月前──ボクがこの世界で初めて目覚めた、魔王城のとある部屋。
バル様が見せてくれた”転生術”の儀式の時、床に描かれていた魔法陣と同じ光だ……!
「ロゼッター! ワタシ、その本が無いと
ウルスラさんが大股で歩いてきて、
「あら、ごめんなさいね〜。説明に必要だったんだもの」
「なんだ、そうだったノ~。マコチャン、教えてあげるワ!
「
「ソウヨ!
「でも、ボクやミナミは元々
「ホントに珍しいことヨ。普通は
ウルスラさんの話を聞きながら、頭の中に新たなパズルのピースが落ちてくる気がした。
ミナミが
きっとその時に
「その……意図的に穴を開けるなんてこと、できるんですか?」
「魔人サンくらい強い魔力がなければ、まず無理だと思うワ。あとは……大昔、
「う、えっ……異世界へ、旅行──!?
「落ち着いて、マコチャン。いまはそんなコト夢のまた夢だわヨ。
ボクは、ミナミのほうへ振り返った。
彼女も真剣な面持ちでウルスラさんの話を聞いていたようだ。
元の世界へ、帰ることができる?
だとしても……ボクはもう、地球人の
だけど、ミナミは?
いざ目の前に選択肢が現れると……もし、戻る方法があるなら──。
──ぴしっ!
「あ
ミナミが、ボクのおでこを指ではじいた。
「なーに
「……そうだったね。フフ……」
「
「うん、わかったよ」
……今は、迷う時じゃない。
ここへ来たのは、バル様のためだ。
それに、ボクがいま大事にしたいものは……全てこちらの世界にある。
──ばささっ!
背中から、再び翼が生えた。
彼を
腰に縄をギュッと結んで、ソニアさんと共にぽっかりと口を開けた大きな門に向かい合った。
その向こうには、いまは壁と散らかった床しか見えない。
「──サァ、準備はイイ?
「待ってましたー。よろしくー」
ウルスラさんは門の正面にあぐらをかいて、分厚い本を広げた。
そして両手を
『ヴァチェ……ヴィールム……ポルテム……アペル……ムンドゥス──』
──ズ、ズズズ……!
突然、門の内側にシャボンのような虹色の膜が張った。
渦を巻いて、奥に別の景色が浮かび上がってくる──。
ここからでは、その向こうに何があるのか確認することはできない。
「いい? マコちゃん、”あちら側”へ行ったら、余計なものを見たり探したりしないこと。ソニアさんについていけば、心配いらないわ」
「わかりました。では……いってきます!」
ミナミがしっかりと縄を握るのを見届けて、ボクは”門”へと飛び込んだ。
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