第75話 回顧

 先代の巫女みこの名は、マリア・ルージュ。


 そう──バル様のフルネーム、”バルフラム・ルージュ”と同じ苗字だ。

 彼と関係ないわけがない。


「バル様、これ……読ませてもらっても、いいんですか?」


「ああ、読んでみろ。元よりそのつもりで出したのだ」



 ボクは机の上に手を伸ばして、しわくちゃになった古びた手紙をゆっくり手に取った。

 きっと百年近く前のものだ。

 触れた拍子にさらさらと砂になってしまうんじゃないかというほど、はかなげな古紙だった。



『よう! バル、元気か! あたしだ、マリアだ!

 こんな紙きれしかのこせなくて、マジでスマン!

 でもな、あの時のアレはあたしとしてはホントに不本意だったんだ!

 オマエなら信じてくれるよなっ?!』


 

 ……目を疑って、顔をあげた。何度見直してもそう書いてある。


 それは、ボクが事前に想像していたものとはかけ離れた内容だった。

 こう言っては失礼だけど、とても”巫女みこ”と呼ばれるような人物がのこした文章だとは思えない。

 そもそも、内容と言うほどの内容もない。


 手紙に書かれた字はミミズがのたくったようで、この世界ニームアースの文字にまだ慣れてないボクにとっては、ことさら読むのに苦労がともなった。

 紙に対して文字がでかでかと書いてあるのがせめてもの救いだけど、それにしても大き過ぎてつつしみのない文字だ。

 もっとスペースを節約すれば、たくさん書くことができるだろうに……。


 ミナミのほうを見ると、彼女はボクに怪訝けげんな顔を向けた。

 たぶんボクもいま、同じ表情になっているような気がする。


 へらりと手紙をめくると、後ろから二枚目の便箋びんせんが顔を出した。


『バルのウワサは、アルカディアまで届いてるぞ! さすがだな!

 できることなら、直接顔を見たかったな。

 きっと、あたし好みのチョイワルなイケメンになったんだろう!

 見なくてもわかる! なにせ、あたしはオマエの親だからな!』



 お、おや? バル様の? バル様に、おや……?

 頭の中で繰り返しても、どうにも想像が及ばなかった。


 ちらりと彼の顔を見る──。

 確かにバル様は、そういう雰囲気の顔をしているけど。


 へろりと重力に負けそうな便箋びんせんをもう一度めくると、三枚目が出てきた。これが最後の一枚だ。



『オマエのことだから、あたしと同じでたまにはうまくいかないことだってあるだろう。

 そんな時は、イヤなコトぜんぶ紙に書き殴って、そんで

 案外どうでもいい悩みだったなんて思えてきたりするからな!

 達者で生きろ! あたしの親愛なる──』


 手紙の最後の部分は破れて欠けていて、読めなかった。



 顔をあげると、彼はまるで自分が書いたものを読まれてるかのように、はにかんでいた。


「ずいぶんと……ええと。個人的なお手紙でしたね」


「ああ、たまらんだろう」


「た、たまらん?」


「これは間違いなく、あいつの……マリアの字だ。俺は……。俺はなァ……数十年ぶりに、故郷ふるさとを思い出した気分になった」


 バル様の声は、感極まってかすかに震えていた。

 魔王の目にも涙……という言葉が一瞬よぎったくらいに。


「大事な方だったんですね」


「そうだなァ。マリアがいなければ、今の俺はなかった。”俺”という存在に火をつけて、”魂”と”世界”をくれたやつだ」


「親って、ことですか」


「そうともいえるし、そうでないとも言える」


「……はぐらかしてません?」


 彼は口をもごもごと動かして、ンンンと声にならない音をだした。

 柄にもなく、何かを隠しているのは一目瞭然いちもくりょうぜんだ。


「……マコ。俺が煉獄れんごくの魔王となった所以ゆえんを聞かせてやろう。……大ッサービスだぞ」


「えっ──はい」


 ボクが背筋を伸ばして座り直すと、横にいるミナミも口をヘの字に曲げながら、背骨だけをまっすぐに伸ばした。



 バル様は静かに姿勢を整えると、昔話を聞かせるようにゆっくりと低い声で語りはじめた。


「太陽のようなやつだった。……俺の一番最初の記憶は、マリアと暮らしていた時から始まる。物心ついた頃からアイツは俺のことを肌身離さず……いや、ゴホン。……ともかく、共に居たのだ」


「……ぜんぜん、想像つかないです。バル様が小さかったころなんて」


「クク。そんな事は想像しなくていい。……それから数年間、俺はマリアと共に過ごした。あいつは炎の魔法を扱うのが好きで、俺はよく特訓を手伝っていた。その頃は魔素合戦マナゲームなんて無かったし、とにかく燃やせというのが炎魔法のセオリーだったが……。マリアは火加減を調節して、魚をうまいこと焼くのが得意だったなァ。空中に火文字を書いて遊んだこともあった──」


 遠い目で語る彼は、郷愁きょうしゅうを心から感じているようで……。

 すぐそばに焚き火があって、じんわりと身体が温まるみたいだ。


「──だが、いつまでもその日々は続かなかった。ある日、天弓てんきゅう宝杖ほうじょうを携えた王国の兵士達がやってきて、マリアを巫女みこだと言って連れていった。……俺はそれきり、あいつと生き別れてしまったのだ。俺の事を置いて行ってしまったものだと……ずっと思っていた」


「……」

 ミナミがぎりりと歯を食いしばり、表情をけわしくした。


「恨むまではしないが、納得もしていなかった。だが、その後……。あいつが祭壇さいだんを起動したと聞いた。……最初は心が踊った。胸が高鳴った。ああ、マリア。役目を終えたなら、俺のところへ帰ってきてくれるだろうと──。……だが、来たのは……魔人を駆逐くちくしようとする人間の軍勢だった」


「そん、な……」


 ボクはまた、胸の奥でチクチクととげが膨らむような気がした。

 人間のエゴが、やりきれない気持ちが、胸の奥のどこか手では触れられない部分に刺さっていく。


「……っ。……俺は、それから。……として、名をとどろかせた。……悪名でもいい。あいつの所まで届くようにと──」


 バル様は、何かが歯の奥に引っかかっているような口調で続けた。


「──だが結局、あいつに会うことは最後まで叶わなかった。祭壇を起動して役目を終えた巫女みこマリアは、数年後にひっそりと……生涯を終えたと聞いた」


「えっ。に……? あっけなく?」


「俺だって信じたくはなかった。嘘だろうと思った。……それから操魂術そうこんじゅつの心得があるというリリニアに頼み、どこかにマリアの魂が漂っていないか探してもらったが……見つからなかった。納得いかず俺自身も探したが、マリアはどこにも居なかった……」


 彼の声のトーンが落ちて、部屋まで暗くなっていくようだった。

 目の前で煌々と燃えていた焚き火の感覚は、跡形もなくなった。


「その後……俺は力を蓄え続け、ついには魔王とまで呼ばれるようになった。が……。マリアがこの世からいなくなってからの数十年は……なんともむなしかったなァ……」


 ──ピシッ……。


 ボクは、はっきりと見た。

 天井を仰ぎ見た彼の首輪のヒビが、くっきりと濃くなる瞬間を。


「バル様──!? く、首輪が、また……!」


「……ああ。どうもは、俺が”あの世”を意識する瞬間、少しだけもろくなるらしい。ヒビが広がるようなことは滅多にないがなァ」


 返事をする彼の瞳はどこかうつろで、その大きな身体には似合わないはかなさを映している。


「あの世って……」


「この”黒い首輪”が、俺の肉体と魂を繋ぎ止めているのだ。これが砕ければ、俺の身体は崩壊し……命を落とすだろう」


「──なん、ですって?」


「昨日、こうしてマリアの欠片かけらを拾えたことで……俺の中にずっと空いていた穴が、いくらか埋まる気がしてなァ」


 そう言う彼に、焦りや危機感の色はまったく見えなかった。

 むしろ、受容すら含んでいる。


「待ってください……! それで満足したら、生きる意志を失くしたら……首輪が砕けて死んじゃうってことですか?」


端的たんてきに言えば、そうかもな」


「どうして……!? たしかに、大切なマリアさんを失った悲しみにひと区切くぎりついたのは大きいかもしれませんけど……。いま、バル様の周りには……いっぱい、仲間がいるじゃないですか!」


「マコ……」


「ロゼッタさん、コニー、ダイダロスさん、フウメイさん……。リリニアさんだって、バル様にとってはいいお友達だと……思いますし? それに今は……ボ、ボクだって……いるじゃないですか」


 いつのまにか、机の上に身を乗り出していた。

 いまさら身体を引っ込めるのもおかしいので、斜め後ろを振り向いてミナミにも援護を乞う視線を送る。


「……あーあ。わたしだって、あんたが居なくなったらつまんないとは思ってるよ、バルフラム? ……マコが、悲しむだろうしさ」

 ミナミは明後日あさってのほうを向いて、ふてくされたように言った。


「ク、クッハッハ……! オマエらなにを早合点はやがてんしている、馬鹿を言うな。……少し故郷ふるさとを思い出した気分になっただけだ」


「ほんとに? ほんとですよ?」


「ああ、マコ。オマエをまもると言ったのも本当だ。俺は嘘は言わん」


 バル様の瞳に、炎が戻っていく。

 部屋が再びほんのりと明るくなった気がする。



 こんなこと、今考えるようなことじゃないのに。

 ボクはいますぐ、彼の首元にかぶりつきたいと思った。

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