第55話 揺れて、溶けて

 ボクの心の中には、”本能”を自称する夢魔サキュバスの少女が居た。


 彼女はたびたび夢の中に出てきては、ボクをまどわす。


 本能、欲望、解放──。

 甘美かんびな言葉を並び立てて、ボクの理性をくすぐってきた。


 ……そして、あの日。


 彼に会いたくて、ふらふらと誰もいなかった部屋を訪れた、あの日。

 

 ボクは布団の暗闇の中で……はじめて自分の身体に触れた・・・・・・・・・・・・・

 その時、理性はプツリと音を立てて、糸の切れたたこのように飛んでいってしまった。



 ──その日から、ちてしまったんだ。


 夜、布団をかぶって眠りにつくたびに。

 鏡の中で見た、銀髪の紅い瞳をした夢魔サキュバスの少女には……もう会わなくなった。


 代わりに出てきたのは、彼だった。

 

 燃える頭髪とうはつに、切れ長の目。

 褐色かっしょくの力強く輝く肌は筋骨隆々きんこつりゅうりゅうで、首元には黒い首輪。


 "彼"は夢の中に出てきては、優しい言葉をかけ──それから、ボクの頭をでて──。


 ……っ。


 思い出すと、おなかの奥がひっくり返りそうになる。

 

 もちろん、それはボクの脳内にしかない、幻だ。

 夢と幻の狭間はざまで、何度も何度も、ボクの身体は溶けて、ちていった。


 ”封魔ふうまの髪留め”によってフタをされた夢魔サキュバスの魔力は、外に出ることができずにボクの中で膨らんで……はちきれそうになっているらしい。

 その影響か、ボクは毎晩のように夢の中で顔をおおいたくなるような光景を見せられている。


 これは、ボクが望む光景なのか、本能の少女が見せる欲望なのか、わからない。

 だけど……それは確実に、現実でのボクの判断と思考を狂わせ、むしばんでいた。




 ミナミとは、先ほどの会話を最後に口を聞いていない。


 いまは、深夜……何時だろう。

 消灯された室内に、ロゼッタさんとコニーの寝息が聞こえる。

 ミナミはこちらに背を向けているけど……起きているんだろうか。



 ミナミは、さっきボクに──"付き合って"と言った。


 ミナミと……?

 付き合う……?


 本人から言われるまで、考えてもみなかった。


 ──いや。

 考えないようにしていた。

 

 やっぱり、どうしても……交際は、男女でするものだと思っていたから。



 そうだとしても、ミナミは……。


 ミナミは、いつも一緒にいた幼馴染。

 地球に居た頃は、お互いに家族がいないという境遇きょうぐうが、かえってボクたちの絆を強めていた。

 なんでも話せる、気を許せる相手だし、一緒にいて一番楽しい相手はミナミだと思う。


 そして──そのミナミが、ボクのことを”好き”だと……言った。

 友達として好きだと意味じゃない。

 付き合って。つまり、恋人になって欲しいという意味だ。


 “好き”……彼からは、まだ貰ってない言葉。


 どうして、いまになって?



 恋人って言っても、まず。

 ミナミは女の子だし、ボクだって……。


 ボクは……?


 

 ……男女で付き合うのと、同性で付き合うのでは、根本的に話が違う。


 男女間であれば、"まずは交際から。付き合ってください"というのもなんらおかしくない話だ。


 ミナミの告白は、そうじゃないんだ。

 

 ボクはミナミの気持ちに……実のところ、前から気付いていたのかもしれない。

 自分の恋を追いかけるのに必死で、見て見ぬフリをしていたのかもしれない。

 その"気持ち"を確認したら──友情が壊れてしまうんじゃないかと思った。


 だって、同性同士の恋は……。

 ──あえて、"同性同士"と言うけど。


 少なくとも、堂々とするものではない……と思っている。


 彼女が、ボクに"付き合って"と言うのに……いったい、どれほどの覚悟と勇気が必要だったろう。

 いったいどれほど、自分を押し殺していたんだろう。


 星乗りの韋駄天スターライダー号の船室で、ボクのバル様に対する気持ちを"応援する"と言った時、ミナミはどんな気持ちで──?



 でも、ノージェさんが言うには……この世界ニームアースにはどうやら、性別なんか関係なく恋愛ができるようになる手段が存在するらしく……。


 いやいや──!?



 ああ──今日は、うまく眠ることができない。


 もし……次に眠った時、夢に出てくるのが彼ではなく……ミナミだったら?

 そう思うと、恐ろしくてたまらない。


 ……まるでボクが、誰とでも夜を共にする”夢魔サキュバス”そのものになってしまうかのようで。



 恐ろしくて、たまらない。


 ボクはもう、”人間のマコト”ではなく、”夢魔サキュバスのマコ”なんだということが──女の子とか男の子とか、そんなこと以上に。



 * * * * * * *



 朝日が部屋にしてきた。


 ……頭が、ガンガンする。

 

 結局ボクは昨日、夢を見ることなく……寝たのか寝ていないのかよくわからないまま、大会当日の朝を迎えた。

 髪留めから、ぎしぎしと不穏ふおんな音が鳴っている気がする。いいや、この音はボクの頭から──?


 時折ときおり眠気ねむけに意識を持っていかれそうになる。こんな状態で、大会に出れるだろうか……。



「マコー、目つきがへんだよ? だいじょぶ……?」


「ごめん、コニー。だいじょうぶじゃ、ないかも……」


「ええーっ! お医者さん、いく?」


「ううん。大会はじまっちゃうから……なんとか、がんばるよ」


「むり、しないでね? マコがダウンしちゃっても、あたしが頑張るからさ!」



 重い身体を引きずって、朝食を済ませて、着替える。


 洗面所の鏡に映ったボクの顔は、いつにも増して白い肌だ。


 昨日ミナミは一度だけ、ボクを”マコト”って呼んだっけ。

 マコトがどんな顔をしていたのか……もう思い出せない。


 思い返せば、“マコ”と名前を呼ばれるたびに、ボクの中には”マコ”が刻まれていった。

 “マコト”の名が呼ばれなくなるにつれ、忘れられた男の子は溶けるように消えていったんだ。


 それも一種の、”言霊ことだま”なのかもしれない。

 フウメイさんが言った通り、”名前”が持つ魔力の大きさは、計り知れない。



「おはよう、マコ」

「……おはよう、ミナミ」


 ミナミが、洗面所に入ってきた。

 昨日あんな会話をしたばかりから、なんだか気まずい……。

 


「……ごめんね。昨日はあまり眠れなかった?」


「ううん、ミナミのせいじゃないよ」


「そうは見えないよ……ほんとに、ごめん。今日は大事な日なのに……」


「ねえ、謝らないで。ボクのほうこそ……ボク、自分のことで精一杯で、ミナミの気持ちを考えられてなくって……」


「そういうの、いいから。今は大会に集中しよう?」


「うん……」


 集中するって言っても……ボクはまた、答えを出せていない。


 このままバル様に交際を申し込んだら、ボクとミナミの今の関係はどうなるんだろう?

 もしもミナミと付き合うとしたら、その先にある未来はどういう形をしているんだろう?

 

 そもそも今のボクに、そんなことを悩む資格があるんだろうか──。


 

 自分の優柔不断さに、嫌気がさす。

 この世界ニームアースに来てからの毎日は、本当に楽しいと思ってたんだ。


 だけど、それが永遠に続く保証はない。

 いつか何かが変わってしまって……進む道を選ばなければならない日は、ふいにやってくる。

 例え、望んでいなかったとしても。


 これは、ボクがずっと答えを出せずにここまで来てしまった──いわば、ツケだ。



「あ、あのさ……ところで、マコ、アレ。しっぽカバーさ……つけないと、だよね」


「あっ──! ええと……あぁ~……」


 ……何も言えない。

 フウメイさん風に言えば、”よよよ……”だ。


 試合が始まるよりも前に、身体がバラバラになってしまいそうだ。



 * * * * * * *



 ボクはあられもない悲鳴とよくわからない声を交互にあげ、やめて、はやくして、とひとしきり叫んだ。

 こんな事を頼める相手は、ミナミ以外にいない……。

 こんな姿を見せたのも、ミナミしか……。


 こういう関係を、なんて言うのかな。

 ”親友”だろうか……でも、彼女はそれ以上の関係を望んでいて……そうでなければ。



 ……本当に頭が、ガンガンする。

 そこへカバーに包まれた尻尾の、妙な感覚も加わった。


 ボクは未成年だからお酒を飲んだことがないけど……二日酔いって、こういう感覚なんだろうか。

 想像でしかないものの……もしかすると、それよりもひどい状態ではないかと思う。



 ──ガヤ、ガヤ、ガヤ、ガヤ……!


 おとといよりもさらに観客が増えた闘技場コロッセオ喧騒けんそうが、寝不足の脳を容赦ようしゃなく揺さぶった。

 足元で地震が起きている。ボクだけが揺れる地面と戦っている。



「マコちゃん……悪いことは言わないわ。棄権きけんすべきよ」

「ああ、マコ……。その顔色はカワイくないぞ。頼むから、休め! なァ!」


 心配そうな二人は、ボクと同じくらい青ざめた顔だ。

 ロゼッタさんはしゃがみこんで、説得するようにボクの両腕を掴んだ。

 

 ……それでも。ここまで来て、帰るわけにはいかない。


「はは……平気ですよ、魔素合戦マナゲームは怪我しない競技ですから。調子がいいとは言えないですけど、やれるだけやってみます」


「マコォ~……!」


 これ以上バル様の顔を見てると、気が変になりそうだ……色々な意味で。


 空元気からげんきで、無理やり背筋を伸ばした。

 再び、どこからかぎしぎしと不協和音ふきょうわおんが聞こえた。



 途切れそうな意識を繋ぎながら選手控え室までたどり着き、椅子にへたりこむ。

 本戦に出場する十五名のライバルたちの情報を一人一人確認する……そんな余裕は、いまは無い。

 少しでも体力を戻して、試合にそなえなければ──。



「──マコさん。本戦の相手は、予選の有象無象うぞうむぞうとは違います。どの相手も一筋縄では参りません。……聞いていらっしゃいますか?」

「……ふぇっ!? す、すみません」


 フウメイさんが、ボクに話しかけていた。

 時間が少し飛んだみたいだ。


「そして、わたくしの見立てですが。これからマコさんの出場する一回戦目。……この試合が、事実上の決勝戦となるでしょう」

「……えっ」


 フウメイさんから、本戦試合の組み合わせ表が手渡された。

 

 ボクの初戦の相手に決まったのは──アイゼンだった。

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