第56話 種族の壁

 このめまいは……なにか、おかしい。

 単に寝ていないから頭痛がする──というものではなく、別の違和感がある。


 まだ自分が人の形をたもっていることを確かめるように、頭を押さえる。

 手のひらに”封魔ふうまの髪留め”が当たる感触がした。



 きつねの頭が、目の前でボクの顔をのぞき込むようにかがんで──。

 ……ああ、フウメイさんだ。何か手に持っている……ほかほかと湯気の立つ湯呑みだ。


「マコさん。バルフラム様より、あなたの顔色がすぐれないようだとしらせを受けています。こちらに気つけの薬湯やくとうをお持ちしましたので、どうぞおしあがりください」


「ああっ……ありがとうございま──ウッ」


 ショウガと香草をどろどろに溶かして混ぜたような、とげとげしい香りが鼻に刺さった。

 これは、以前ロゼッタさんが二日酔いになった時に飲まされていたものだ……。

 あまりに刺激的な香りに、脳が”これは飲み物ではない”と警鐘けいしょうを鳴らしている。


「マコさん?」

「アッハイ」


 飲むしかない。効き目は既に証明済みだ。

 恐る恐る受け取って、えいやっと喉に流し込む──。


「──こくん……。──ごぼぉっ!? げほ、えほぇ……!」


 唇から喉にかけて、ハリネズミの大群たいぐんが侵入してくるような気がした。

 それから、次にやってきたのは……、


 口から身体の中に新しい背骨が入ってきて、強制的にしゃきっと背筋が引っ張られるような感覚──!

 胃袋の内側で、熱と光を放つ蒸気機関車がぐるぐる延々と走りはじめた。

 頭の上に大きな橋が架かり、無数の小人こびとがバンジージャンプしながらボクをはげましてくる。

 足の裏に空いたスピーカーの穴から絶えず陽気な音楽が流れ、意志を持った膝がひとりでに踊り出す。

 

 それらは全て、刹那せつなに見た錯覚さっかくだった。

 しかし──今から小一時間くらいは、よくわからないけど無敵だと思った!



「マコさん、ご気分はいかがですか?」


「……フウメイさん。これ……ドーピング検査に引っかかりませんか?」


「ほほほ、問題ありませんよ」


 ……何が問題ないのかわからないけど、ボクの頭がぐらぐらするという問題に関してはできたようだ。

 フウメイさんの見立てでは、初戦さえしのげればいいのだから。



 * * * * * * *



『ご来場の皆様、お待たせいたしました。これより魔素合戦マナゲーム大会本戦、第一試合を開始いたします!』


 ──ワアァァーーッ!!!


 大歓声が、大音響が、周囲すべての方向から降ってきた。鼓膜こまくと肌が、ビリビリとふるえる。


 闘技場コロッセオは、超満員だ。


 舞台から見上げる客席に、空席はほとんど無い。

 こんなにたくさんの人間が、いったい王国のどこに住んでいるのだろう。



『東からの入場は、”銀彗星ぎんすいせい”こと、マコ・オトナシ選手! 先日の予選では圧倒的な魔力で史上最速の予選突破を果たしました!』


 ──オォォーッ!


「かわいいー!」

「がんばってー!」

「期待してるよー!」


 見知らぬ人々から、応援の声が投げかけられた。


 図らずも、ボクの名は少々売れてしまったみたいだ。

 バル様から受けた忠告ちゅうこくが胸の中でチクチクと大きくなる……。

 


『西からの入場は、”血染めの剃刀ブラッド・レイザー”こと、アイゼン・ルナール選手! 王国西地区では有名なマナ・ゲーマーで、第26回大会の優勝者です!』


 ──ブゥゥーッ!


「ひっこめー!」

タグ返せー!」

「夜道に気をつけろー!」


 ボクの紹介の時とは一転して、場内からブーイングが沸き起こった。

 反対側から舞台に上がってきたアイゼンは慣れたように涼しい顔をしていたが、こちらを見ると目を細めた。

 

「まさかしょぱなからおまえに当たるとはな、お嬢」

「ボクもびっくりしてます……よろしくお願いします」


「ああ、お互い手加減は無しだ──と言いたい所だが、お前なんだその……耳と尻尾は! その手には乗らないぜ!」

「え、どの手ですか」

「だってお前、猫耳ってお前。しかも銀髪に紅い瞳ってお前、なぁ。……反則だろうが?」

「これは、あの……フウメイさんが……」


「……おふくろか。ああ──またか。いつもそうだ」

「こっちはこっちで大変なんですよ、色々……」


 ──キィィン……!

 アイゼンは歯を食いしばるように顔を強張こわばらせ、タグを起動した。

 三枚のタグが赤黒いマグマのような光を放ち、彼の周囲に浮かんだ。


「……何が、”大変”だ。呑気のんきなやつめ。……お前のような奴には、獣人や人間が味わう苦労はわかるまい。オレはお前が、ねたましい……!」


「……どういうことです?」


 ──ゴゴゴ……。

 舞台上で対峙たいじするボクとアイゼンの間の空間に、試合用の障害物が床からもりもりとせり上がってきた。

 はしらじょうの壁や足場が、お互いをさえぎるように高くそびえていく。


「……ああ、気に入らねえ! 何故だ、おふくろ──オレに魔人になるなと言っておきながら!」

 

 そんなつもりはなかったけど、どうやらアイゼンの反感を買ってしまったらしい。

 すでに彼の姿は遮蔽物しゃへいぶつで見えなくなったが、当たり散らすような声だけがこちらへ飛んできた。


 ──キィィン……。

 ボクも試合用のタグを起動する……相変わらず緑と青ともつかない色に輝いている。

 本戦は、一対一で三枚のタグを先に撃ち落としたほうが勝利する、基本のルールだ。


 心臓が高鳴ってくる。

 直前に見たアイゼンの目には、怒りが宿っていた。



『準備はよろしいですね? それでは、マコ・オトナシ選手たい、アイゼン・ルナール選手……闘唱セッショーンッ!』


 ──ドォンッ!


 拡声魔法による実況が試合開始をげると同時に、目の前で炎と煙がはじける。

 アイゼンとの間にせり出していた障害物の白壁がまるで砂のようにもろくずれ去り、黒煙の中からニット帽が現れた。


「お前は、知らないだろう。どれだけ努力をしても……生まれつきの差でくつがえすことのできない無力感を。種族の壁を越えられない絶望をッ!」


 ──ギュウンッ!

 アイゼンが腕を振るうと、血のように赤く、剃刀かみそりのように鋭い魔法の刃が、白い床を染めて切り裂きながら襲いかかってきた──!

 ボクは間一髪、空気の盾を作ってその軌道きどうらした。


 背後の障害物に刃があたって、ガラガラと音をたてて崩れていく。

 属性の相性がわるく、彼の攻撃を正面から受け止める事はむずかしそうだ。なんとかかわすしかない。


「──種族の壁、ですか? あなたは、どうして魔人になりたいんですか?」


「お前に話しても、仕方のない事だッ!」


 アイゼンはまた、腕を振りまわした。

 彼の激昂げっこうを反映するように、激しい刃の嵐が飛んでくる──!


 ──パキィン!

「くうっ!」


 身体をひねったが避けきれず、ボクのタグは一つ光を失った。

 反撃、しなければ──!


旋風刃エアレイドッ!』


 ──ビュゥウンッ!!


 ボクの腕から空気を裂く刃が巻き起こり、彼に襲い掛かった!

 これは、魔素合戦マナゲームにそなえてコニーと一緒に作った、”短い名前ですぐに発動できる魔法”だ。


 ──パキィン! バキバキバキ……。


 ボクの魔法はアイゼンのタグを一つ減らし、彼の周囲にあった壁や柱を派手に吹き飛ばした。


「ぐあ……ッ! ──やはり、圧倒的な魔力差を感じるぜ。恵まれてるな、お前は!」


 歓声が、ひときわ大きく響いた。

 ボクたちの会話する声など、きっと観客席までは届かないのだろう。

 

「……魔力が高いから、なんだって言うんですか! それは、命をかけるほどのことなんですか!?」


「それだけじゃあない! 寿命が長く、肉体は強靭きょうじんで、れる必要もない。食物連鎖しょくもつれんさで言えば本来、獣人や人間の上に立つ存在なんだよ、魔人はッ!」


 お互いの魔法がぶつかりあい、その余波で周囲の障害物がその数を減らしていく。

 激しい魔力の応酬おうしゅうで、舞台が徐々にたいらになっていく。


「だからって──魔人になったからって、幸せになれるとは限らないじゃないですか!」


「そんなことは、なってみないとわからないだろうが!」


「わかりますよ!」


 だって、ボクは──元は、人間だ。

 転生して、魔人の一種である夢魔サキュバスになったけど……人間だった時よりも、悩みや苦労はえない。

 しかし、彼にそれを説明したところで……。


 ──バシュウ!


 アイゼンは無数のやいば弾幕だんまくを張ると、距離を取った。


「……利いた風な口をきくなッ! お嬢……お前を乗り越え、おふくろに証明してやる。オレはオレの道をく──!」


「アイゼンさん……!」


 彼の周囲の床が、燃えるように輝いた。

 魔素マナうず巻いて、集まっていく──。


残映ざんえいぜる鬼灯ほおずきどくくれないした煙火えんかとなれ!──爆燐牙スパーキング・タスクッ!!』


 ──ズドドドォッッ!!


 赤黒いとげが地面から鋭く突き出してくる──は、はやい! 避けられない──!

 咄嗟とっさに身をかわそうとするもむなしく、それはボクの頭に命中した。


 頭に──?


 ──パキィン、カシャァンッ……!



 景色けしきが、別の色に染まる。

 バランスを崩して、世界がゆっくりになる。

 


 タグと一緒に何かが砕け散って、壊れる音がした。


 これは──ルビー色の三角形のヘアピン。

 封魔ふうまの髪留めの赤い破片はへんがキラキラと光って、ボクの足元に散らばった。

 


「あッ!? ……う──。あァァ……、ア──!」

 

 その悲鳴ひめいは、ボクの口から出ていた。



 ……頭が──割れるように──痛いッ!!

 


 幻のむこうに、くさりで巻かれた鏡が見えた。

 それは、音もなくバラバラに散り飛んで──。

 

 紅い瞳が、笑った。

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