第44話 種同一性

 霊水エーテルを飲むと、魔人になる──?

 そもそも、ボクは霊水エーテルがどんなものか名前しか知らないけど……そんなことが、あるのだろうか。


 重苦しい空気に耐えかねたのか、コニーが不安げに声をかけた。

「……ロゼッタ、だいじょぶ? おなかいたくなった?」


「──ふふっ……。大丈夫よ、コニーちゃん。少し考えていただけ……」


「それで、どうなんだよ? 答えてくれる気はあんのか、ロゼッタさんよ」

 アイゼンは半分物怖ものおじしつつも、催促するように一歩前に出た。


 ロゼッタさんは、ようやく意を決したように淡々と語りだした。


「……まず、霊水エーテルについてだけど……。飲んでも、魔人になったりしないわ。そんなのは、霊水エーテルの価値を引き上げようとするやからが流した、都市伝説よ」


「……どうしてそんな事がわかる? 実際に試したとでもいうのか? オレは魔人になれるんだったら、どんな方法でも構わないんだ。あんたがそう言ったとしても、オレは霊水エーテルを手に入れたら試してみるつもりだぜ」


「──やめなさいッ! 絶対に!」

 

 かすかに、空気が震えた。いつものロゼッタさんからは想像もつかないような気迫だ。

 側で見守るボクたちは、同時に身を縮こませた。


「……そもそも、アイゼンくん。あなたは、どうして魔人になりたいの? お母様には相談したの?」


「したさ。……頭ごなしの反対だ。だが、オレが何になりたいかなんて……オレの勝手だと思わないか。なァ?」


「心配しているのよ、フウメイさんは。あなたが取り返しのつかない判断をするんじゃないかって……家族って、そういうものでしょう」


「それは余計なお世話ってもんだ。おふくろには……育ててくれたことは感謝してるが……どうしてオレは魔人に生まれなかったんだって、文句を言ってやりたいとも思ってる」


「そんな悲しいこと、言わないで。もう一度言うわ……霊水エーテルは、絶対に飲んだりしたらダメ。最悪の場合、魂がバラバラになるわ」


「……最悪の場合って、なんだよ。じゃあ、最高の場合はどうなるんだ? 成功すれば魔人になれるのか? オレは可能性があるなら一か八かに賭けるし、魔人になれないならいっそ……死んじまったっていいんだぜ」


「縁起でもないこと、言うんじゃないの!」

 ──バチィンッ!!


 ロゼッタさんの右手が、アイゼンの頰をひっぱたいた。

 その音は、およそ人間の顔から出たとは思えない快音だった。


「ぐあーッ!」

 ──ゴシャァン……!

 彼の身体は木の葉のように吹き飛び、道端に無造作に置かれた樽に背中を打ち付けた。


「ご、ごめんなさい。力をいれすぎちゃったわ~」


「……よく言うよなぁ……。効い、たぜ……ギロチンビンタ……」

 そう弱々しくうめくと、アイゼンはガクリと力尽きた。



「──ロゼッタさん。バル様が魔人に……"なった"って、本当ですか? もし、なる方法があるんだったら……バル様を紹介しても、いいのでは?」


 ボクには、アイゼンの独白を他人事とは思えなかった。

 自分が思う自分の形と、現実の不一致。

 それは、ボク自身の状況にも当てはまる部分がある。


「うう~ん……」


 ボクの問いかけに、ロゼッタさんは頭を抱えた。

 アイゼンの意志は固そうで、説得したり諦めさせたりということは難しいだろう。


「もし、陛下と会ったことが彼の決断を後押しすることになってしまったら……私はフウメイさんに顔向けできなくなるわ」


「でも、いまの彼が霊水エーテルを入手したら、どちらにせよ……だめなんですよね? 飲んじゃったら」


「それは、自殺行為に等しいわ。そんなことをしたら、命を落とすでしょうね。アイゼンくんはきっと……微かな手がかりにしがみ付いて、盲目的もうもくてきになってるんじゃないかしら」


 迷っている様子のロゼッタさんに、ミナミが横槍をいれた。


「そんじゃ、マコとコニーが大会に出て、優勝したらいいじゃん! アイツの優勝を阻止できるし、マコにだって霊水エーテルが必要なんだしさ」

霊水エーテルー? は知らないけどー、あたしは大会でたいよー!」


「まず、あなたたちが優勝できるかどうか断定できないわ。良い成績は残せるとは思うけど~……。それに、今回はそれでよくても、アイゼンくんが別の方法で霊水エーテルを求め続けることに変わりはないでしょう」


「じゃあやっぱり、オジサンに会わせるしかないんじゃないですか? それに、あいつはフウメイさんの息子って言ったっけ。どっちにしても、鉢合わせするのは時間の問題では?」


「んん~。そう──そう、よねぇ……」


 ロゼッタさんは、先ほど自ら吹き飛ばしたアイゼンが伸びているところまでつかつか歩くと、彼の頰をぺちぺち叩いた。


「アイゼンくん? ちょっと、起きてくれるかしら」

「……ぎ、ぎろちん──痛ッ!」

 

 ロゼッタさんがおまけにもう一発強めにはたくと、彼はようやく起き上がった。


「アイゼンくん。陛下には、あなたのことを伝えておくわ。でも……あまり期待はしないで頂戴。それと、早まった真似はしないこと。いいわね?」


「……へっ。あんた、そんなに優しかったか?」

「元はと言えば……。いいえ、なんでもないわ」



 短く言葉を交わすと、ロゼッタさんはボクたちのほうへ戻ってきた。


「──さあ、帰りましょうか。すっかり遅くなってしまったわね」



 よろよろと路地の裏へ消えていった彼を見送り、ボクたちは再び旅館への帰り道を歩いた。


「でもさ、ロゼッター! さっきの話だけど、魔素合戦マナゲームそんなにつよかったの!? 帰ったら、あたしとやってよー!」


「ふふ、もう昔の話よ。今日はもう遅いから、また改めてね」

「ええ~っ! ぶーぶー!」


 コニーは若干不満そうながらも、それからしばらくロゼッタさんの周りを飛び跳ねていた。



 * * * * * * *


 旅館への、帰路。

 ゴタゴタしていたのですっかり忘れていたけど……ボクはいま、ミナミが選んでくれた"カワイイ服"を着たままだ。

 ……とうとう着たままで、ここまで来てしまった。


 夜の涼しい風が、あらわになった肩と太ももを撫でた。

 慣れない着心地に落ち着かず、どうしてもそわそわしてしまう。


 自分の中にあったはずの性別という名の壁に穴が空いて、その中を風が通り抜けていくみたいだ。


 ああ、ミナミ。さっきからなんで、そんな顔でボクを見るんだ……。

 いまのボクは、そんなに面白い表情をしてるんだろうか。


 ミナミはこちらをじろじろにやにやと見るばかりで一向に声をかけてこないので、ますます顔が火照ほてってくるような気がする。


「──あら?」


 ボクたちが”宵星よいぼし”へ到着する直前、仮面を付けた人物──恐らく男性が、旅館を後にする姿が遠目から見えた。

 彼は長いマントをひるがえして、闇に紛れるように足早に去っていった。

 

「ロゼッター、どしたのー?」

「……ううん、なんでもないわ。早く入りましょ、フウメイさんが美味しいごはんを作って待ってくれてるわよ~」


「そっかー! んふー、楽しみだねーっ!」


 二人の会話をよそに、ボクの心臓はどんどん早くなっていく──。

 



「陛下、只今戻りました~」


 バル様は旅館のロビーに一人、くつろぐように座っていた。

 側の机には空のカップが二つ並んでいる。つい先ほどまで、そこに誰かが居たかのように。


「──おう。ご苦労……ん、どうした、マコ」

「マコちゃん? ふふふ」


 ボクは……つい、ロゼッタさんの背後に隠れてしまった。

 

「マコ、乙女かよ〜。うりうり♪」

「あーっ!?」

 ミナミに脇腹をくすぐられた──!


 ボクは耐えきれず、前につんのめってしまった。

 彼の目の前に、べしゃりと着地して……ああ、目が合っちゃった──。

 

「あっ、あの。今日、買ったんです。ふくを……それで」

 

 バル様はこちらを凝視して……わなわなと震えながら立ち上がった。


「マッ……マコ──! カワ、かわっ……ふはーーッ!!」

 

 ──ボッ……ゴォオーッ!!


 彼の髪に文字通り火がともり、松明たいまつのごとく勢いよく炎があがった。

 ゴウゴウと上がった火柱が、旅館の天井をブスブスと焼いて黒い煙となって──。


「へっ、陛下~!?」

「なんって──カワイイんだ! その格好、マコ……暴力的なカワイさだ! 俺は、俺はもう」


「バル様、落ち着いてください! 天井燃えてますよっ!?」


 木造の建屋は当然、火に弱い。

 このままでは、燃え広がるのは時間の問題だ──。


「大変だわ、誰か水の魔法で火を消して……ああ、でも、この中には──」


 水の魔法? そうだ、ボクが……!

 魔素マナを集めようとした瞬間、後ろからコニーが叫んだ。


『あっ、水冷弾アクアショットー!』


 ──バシャアン! ──シュウウ……。


 飛び出した大粒の水の弾によって、火は一瞬にして消え去ったが……、

 

「なんか……水、めっちゃ出たーっ!?」


 いちばん驚いたのは、コニー自身だったみたいだ。

 


 ……その場にいる者は、唖然として天井にぽっかり空いた穴を見つめた。

 水滴がぽたぽたと、バル様の頭に滴っていく。


 ロビーの奥で、フウメイさんが口をあんぐりと開けて、手に持っていた盆を落とした。

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