第38話 山崩しのフウメイ

「むにゃにゃ……にんじん~……ぐう──」

「──ぐふっ!?」

 

 ボクの微睡まどろみは、またもコニーの寝ぼけ頭突きに吹き飛ばされた。

 次に眠る時は、布団で壁を作ることにしようか、いや──ミナミと場所を代わってもらおうかな。


 ミナミの寝顔は、コニーと反対側の布団の中だ。

 その向こうには、中にロゼッタさんが入っていると思わしき布団のかたまりが転がっている……。

 昨日の晩酌がどのくらい遅くまで盛り上がっていたのか、ボクには知るよしもない。


 いま、何時だろう。ふと、そう思ったけど……そもそもこの世界ニームアースに来てからは時間に追われて行動することは少なくなっている。

 なんとも、気ままな暮らしだなぁ……。

 

 ミナミの言う通り、このままこの世界で暮らしていくのも──わるくはなさそうである。

 ボクの魔術適正の高さなら、何かしら魔法を使った商売で生計を立てることも可能そうだし。


 ……リリニアさんが”夢魔サキュバスの先輩として色々教えてやる”とも言ってたけど──それはひとまず、選択肢の外だ。



 * * * * * * *


 ボクは布団から起き出して、何気なく館内を歩いた。

 窓からは、よく手入れされた庭園が見える──過ごしやすい気温だし、散歩してみるのも面白そう。



 朝の日差しが降り注いで、さらさらと気持ちのいい風が吹いている。


 庭園を少し歩くと、着物姿に狐の頭がついた人が優雅に歩く姿が見えた。

 昨日、旅館の入り口で受付をしてくれた……フウメイさんだ。



 彼女が両手を静かに掲げると──まわりを小さな風の渦が巻いて、落ち葉が楽譜のようにつらなって舞った。

 池から水柱が立ち上り、ゆらめく霧が空中に模様を描きながら花々に潤いを与えていく。

 

 それは、"朝の掃除と水やり"と言うには勿体無いくらい、洗練されていた。

 ボクはその場に立ち尽くしてその光景を眺めた。いつしか、息をするのも忘れるほどに。


「──おや、あなたはマコさん、ですね。おはようございます」

「あっ、おはようございます。つい見とれてしまいました」


 彼女──フウメイさんは、バル様の元部下であり、かつて”山崩やまくずしのフウメイ”と呼ばれた四天王だった、と聞いている。

 顔が獣のようで人間離れした見た目に、流れるような立ち振る舞いからかえって人間以上の神秘性を感じる人だ。

 

「ほほほ……。お聞きした通り、優しい魔素マナまとっていますね。バルフラム様もロゼッタさんも、あなたのことを大層褒めておいででしたよ」

「へっ、そうですか……なんだか、照れちゃいますね」


「ええ。あなたの話をするバルフラム様のはしゃぎぶりたるや、こちらまで頬がゆるむほどでした」

 フウメイさんは奥ゆかしく笑った。その合間も彼女の背後では道を辿たどるように風が流れ、ひとりでに落ち葉が集まっていく。


「え──バル様、なにか言ってました……?」

 ボクの居ない場所で、彼がボクの事をどのように語ったのか……聞くのが失礼に当たらないか考える前に、質問が口をついて出た。


「わたくしの口から多くを語るわけには参りませんが……人と人とのえにしとは、まことに奇妙で不可思議で、奇跡きせき賜物たまものなのである──と、思いまして。わたくし感慨かんがいもひとしおでございました」

「は、はあ……」


 何か、うまくはぐらかされてしまったようだ。ふさふさと毛が生えたフウメイさんの狐顔きつねがおは、表情が読み取りにくい。

 彼女の長いまつげが揺れている部分を凝視したが、瞳の奥を覗くことは叶わなかった。


「それからロゼッタさんは、あなたのことを実の娘のごといとおしそうに紹介してくださいました。それでわたくし、今日はあなたと喋ってみたくてたまらなかったのです。こうして早朝からお会い出来たこと、喜ばしく思います」


「わぁ──。そんな風に言って頂けるなんて、光栄です……」


「ほほほ。わたくしにも息子がおりますから、年頃の子供は皆かわいいものなのですよ」


「息子さん、ですかぁ」


 フウメイさんの表情は読めないけど……周囲には、やさしい風が肌を撫でるように吹いている。

 きっと彼女は微笑んでいるのだろう。それだけは、確かだ。


 ボクは、なんとなくリリニアさんとベリオのことを思い出した。

 バル様の知り合いで、お子さんがいる方は二人目だ。


 ……バル様自身は、子供が欲しいとか考えた事はないんだろうか──。


「……おや、マコさん。顔が赤いようですが……具合は悪くないですか」

「あっ──い、いえっ! なんでもな──大丈夫ですっ!」


「それならよろしいのですが。──嗚呼ああ、そういえば。具合が悪いと申しませば……今朝、ロゼッタさんの様子はいかがでしたか」

「ロゼッタさんですか? ボクが起きた時は、まだ寝ているようでしたけど」


左様さようでございますか。いえ、昨晩わたくしの都合でロゼッタさんにいささかおしゃくをし過ぎてしまいまして。彼女はお酒を飲むほど口数が増えたものですから──悪いことをしてしまいました」


「そうなんですか。言われてみればロゼッタさんは、いつもボクより早起きなので……ちょっと心配ですね」


「では、二日酔いに効く薬湯やくとうをご用意いたしましょう。お手数ですが、お部屋までおちになって頂けますか」


「わかりました、ありがとうございます」


 フウメイさんが旅館の建屋のほうへ歩きはじめると同時に、風に舞う落ち葉が列をなして庭園の裏手のほうへ押し寄せて行った。

 気がつくと、地面はすっかり綺麗に片付いている。


 いいものを見れた、と思った。

 この旅館に泊まっている間は、毎朝早起きしたい気分だ。



 * * * * * * *


 ボクはフウメイさんからマグカップに入った薬湯やくとうを受け取って、宿泊している相部屋に戻った。

 これは──ショウガと香草を煮詰めたような、いかにもよく効きそうな強烈な香りを放っている。

 なんとも言えない黄緑色でどろりとしていて、持って歩いてもこぼれる気配はまったくない。

 

 散歩に行っていた時間は、三十分足らずだったろうか。

 室内の様子は、コニーが寝ている位置が大きく移動している以外、変わったところはない。


 ミナミとロゼッタさんは、よく寝入っているようだ。

 まだ湯気の立つ薬湯を机の上に置き、自分の布団に戻ろうと大股で歩く──。


「んふぁ……だれ……?」

 布団のかたまりがもぞもぞと動いて、中から寝癖で跳ね返った黒髪が顔を出した。ロゼッタさんだ。


「おはようございます、ロゼッタさん。すみません……起こしちゃいましたね」


 寝起きのロゼッタさんの目は、今いる場所を理解していないかのようにうつろだ。

 寝間着ねまきからは無防備に肩口が露出していて、いつものメガネをかけていないせいか、別人のように見える。

 そして──ほのかにお酒の臭いが漂ってくる。


「マコちゃ~ん! ふふふ~。ぎゅう~!」

「わぁ!?」


 腕を掴まれ、布団の中に引き込まれてしまった。むわっと生暖かい……。


「うふふ、やわらかぁい……ねえ、くすぐっていい? くすぐっちゃうわよ~!」

「やっ、ひゃ! やめ──てっください! ロゼッタさん……お飲み物もってきましたから、飲んでくれませんか」


 うう、初めて見たけど……ロゼッタさんはお酒を飲むとこうなるみたいだ。

 羽交い締めにされて、うまく逃れられない──。

 

「あらあ。ごめんなさい? ふふ、ねぼけちゃってたみたいだわぁ~。いただけるかしら、その……のみものぉ?」

「は、はい。それです」

 

 ボクが机の上を指差すと、ロゼッタさんは手を伸ばしてマグカップを取り、すぐに口をつけた。

 鋭い香りがこちらまで届き、鼻に刺さる。


「はぁ、いい香りぃ……? ──ごくん、ごく……。──ごぼぉっ!!!」

「ロゼッタさんっ!?」


 布団の上に、空っぽのマグカップが転がった。

 ツノの生えた黒い髪が落ちるようにボクの視界を横切り、彼女の身体はどさりと崩れ落ちた。


「……ロゼッタさん? ろ──」



「は~っ! よく寝たわぁ! すっきり~!」

 と──大声と共に、すっくと背筋を伸ばして立ち上がった。


「ロゼッタさん??」


「あら、マコちゃん。おはよう~。昨日はよく眠れた?」


「えっ、えっ? はい。おはようございます……」

 

 まるで今の出来事そのものが夢だったかのように、ロゼッタさんは何事もなさそうだ。

 いつのまにかぼさぼさだったはずの寝癖までピッシリと無くなり、まるで顔を洗ってきたかのようにつやつやになっている。


「身体がすっごく軽いわぁ。今日はお買い物に行きましょうか~♪」

「そ、そうですね。いいですね、買い物……」


 薬湯のあまりの効き目に、酒気が吹き飛んだのだろうか……。

 ボクはその場にいないフウメイさんのことが、いまになって空恐ろしくなったのだった。

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