第25話 交換条件

「──こっちに向かって来てるねェ。うわ……はやいな。アイツ、一晩中走ってたのか?」

 リリニアさんは手で顔の左半分を抑えながら言った。彼女は顔の右半分も長い前髪で隠れているので、表情を読み取れない。


「わかるんですか?」

「ああ、アタシは意識と視界を遠くの場所に飛ばせるのさ、操魂術の応用でな。集中しすぎると本体側の注意力が鈍るのが弱点だが……」


 彼女が宮殿に居ながらにしてニアルタの街にいるボクたちを見つけられたのは、そういうことらしい。

 さすがに冥眼めいがんの魔王と云われるだけのことはある……。


「便利なんですね、操魂術って……」

「そうさ。それから、目を見ればそいつがどんな人格をしていて、いまどんな気持ちなのか大体わかったりもするんだ。魂と瞳には強い繋がりがあるからねェ。マコ、お前もそのうちできるようになるかもな」

「それは──ちょっと、怖いです」


 リリニアさんから、この瞳は誰にでも悪さをするものではないと聞いたとはいえ──まだ、誰かと軽率に目を合わせるのには抵抗がある。


「ま、ともかく……じきに迎えが来るってことだ。愛されてるねェお前」


「う~ん……」

 バル様がボクに心を傾けてくれることに対しては──なんだか嬉しいような気持ちがある反面、自分が最終的にそれに応えられるかわからないので、複雑な気持ちだ。


「バルフラムのヤツ、まさかあの距離を走って来るつもりなのか……? 今日中には到着しそうだが、まだかかりそうだな。まあゆっくりしていきなよ」

 彼女はぎゅっとまぶたを閉じ、しぱしぱとまばたきしながら背伸びした。


「ありがとうございます……ひとまずバル様には瞳の力が効かないって聞いて、なんだか安心しました」


「ふぅん……? いいさ、アタシはお前の”先輩”でもあるからねェ、マコ。夢魔サキュバスに関することなら、”先輩”として色々教えてやるよォ?」

 リリニアさんは、ニヤリと笑いながらこちらへ身を乗り出した。顔が近い!


「さ、さきゅばすのこと……?」

「ああ、話のタネとしてはこれ以上ないネタばっかりだぞ。北の王国のヤツなんかアタシの話に興味津々でねェ……アタシたち夢魔サキュバスは性に関するあらゆる技術や魔法に精通しているからして──」


 それを聞いて、ミナミがガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。

「すごい興味あります。詳しく聞かせてください」


「お、ミナミ。興味ある? どういうものがお望みだい?」

 二人は意気投合した様子で顔を突き合わせた。ミナミは興奮を隠せない様子で口を押さえている。


「こういうのってできます? 女の人でも、男の──」

「──ちょっと!! なんて話してるんですかっ!?」

「おやァ、マコ。なんの話してると思ったのかなァ?」

 リリニアさんはニヤニヤと意地悪く口角をつりあげた。……ボク、からかわれてる?


「いや、その──あのですね──そう、ボクは聞きたいことがあるんです」

「ほう?」


 彼女のペースに呑まれてはいけない! まだ解決しなきゃいけない課題がある。

「……この瞳の力を、うまく抑える方法はないでしょうか」

「それねェ。ん~……ああ、イイモノがあるぞ。夢魔サキュバスの魔力が外側に溢れるのを抑える装飾品だ」


「本当ですか!」

「取ってくるから、ちょっと待ってろな」

 リリニアさんは席を立つと、外へすたすたと出ていった。ボクとミナミは二人、部屋に残された。


「……いい人だよね、リリニアさん」

 ミナミに声をかけると、彼女は口をくの字に曲げてこちらを見ている。なんなんだ……。


「マコまこぉ~」

「うん?」

「しっぽ、さわっていい?」

「えぇ〜……」

 ……ミナミは、一時はどうなるかと思ったけど……いつも通りに戻ったみたいで、よかった。


「へへへ……ね、マコ」

 ミナミが、後ろからそっと肩を寄せてきた。


「……なあに、ミナミ」

「これからも、友達以上で、いてね」


「……こちらこそ」


 いや──元の世界にいたころよりも少し、距離が近いのかもしれない。

 理由はどうあれ、ボクはそれが嬉しいと思う。



 ──たたたたっ。

 廊下を走る音が近づいてくる。


かあさま、おハナシおわったー? ……あれ。姉ちゃん、かあさましらない?」

 部屋にベリオが駆け込んできて、キョロキョロと見回した。


「いま、何か探しに行ったみたいだよ。この部屋に戻ってくると思うけど……」

「そうか……もう、かあさまったら。今日はおれと魔素合戦マナゲームであそんでくれるって約束してたのになァ」

 ベリオはしょげた様子だ。突然の来客と長話で、疎外感も受けていたようだ。


「そうだったんだ……ゴメンね、かあさま取っちゃって。ボクたち、今日には帰るからさ」

「なんだ、姉ちゃん、かえっちゃうのか? もっとあそんでいけよ~!」

「えっ、うーん」


 ベリオは、この宮殿に母と二人だけで暮らしているんだろうか。そう考えると、来客は彼にとって一大イベントだったのかもしれない。


「……それじゃ、ボクたちと魔素合戦マナゲームする?」

「ほんとぉ!!?」

 ベリオの顔が、途端にぱっと明るくなった。


「それはいい考えだねェ」

 部屋の入り口に、リリニアさんが戻って来た。手には小さな赤い箱を持っている。


「あ、かあさま! 姉ちゃんが魔素合戦マナゲームやってくれるってー!」

「おお、よかったねェ。そんじゃタグ持ってきな。十二枚だ」


「うっわー! わかったー!!」

 ベリオは勢い余って転ぶんじゃないかというくらいはしゃぎながら、部屋を出ていった。


「マコ、お前にイイモノをやろうと思ったが……よく考えたらこれは大変貴重なモノだからな。アタシに魔素合戦マナゲームで勝ったら、くれてやるよ」


「まっ、魔素合戦マナゲームでリリニアさんに……?」

 ボクはコニーとしか対戦したことがないけど、どう考えてもリリニアさんはコニーよりも強そうな予感がした。

 ゲームとはいえ、魔法を扱う巧さがそのまま強さに反映される競技だからだ。


 ……それでも、それが条件というなら挑戦してみるしかない。


「もちろん、手心は加えてやるよ。それに──アタシ一人とお前らのチームで、一対三だ」

 リリニアさんは、自信たっぷりに微笑んだ。 



* * * * * * *


 玄関ホールに着いたボクたちは、中心を挟んで入り口側にリリニアさん一人、奥側にボクとミナミとベリオの三人が並んで向かい合った。

 彼女は先ほど料理していた時のエプロン姿ではなく、漆黒のドレスを身にまとっている。彼女なりの戦闘服なのだろうか。


 このホールは宮殿の中で、おそらく最も広い空間だ。

 象やキリンを何十頭も連れて来てもまだ余裕がありそうだ。


 床には端から端まで絨毯が敷き詰められている。宮殿の壁は水晶でできているが、絨毯ごしの感触から察するに、どうもここの床だけは違うものでできているような気がする。


 競技場と比べても引けを取らないほど広大なこのホールは、一体なんのために作られたのだろう……。


起動アクティベートォ!」

 ベリオはタグを放り投げ、元気よく叫んだ。

 ──キィィン……! 細い旋律と共に三枚のタグが炎のように輝き、彼の周りに浮遊しながら戻ってきた。


「あれ……そんな掛け声いるんだっけ?」

「アハハ、格好つけたいお年頃なのさ」

 リリニアさんはボクの問いかけに答えながら、タグを起動した。三枚のタグがサファイア色に輝いて共鳴し、彼女を取り囲んで浮かんだ。


 ボクとミナミも、それに倣う。エメラルド色の光と、太陽のような光が踊った。ボクたちの九枚のタグと、リリニアさんの三枚のタグが対峙する。


「マコ……わたし、魔素合戦マナゲームを実際にやるのははじめてなんだけど」

「えっと、ミナミ。このゲームは魔法をうちあって、先にタグを三つ壊したほうが勝ちなんだ」


「……うん?」

「……リリニアさんを魔法でやっつけて!」

「オッケー、やってみる!」


 ミナミは頷くと両手を構えた。そういえば、彼女が魔法を使うところはまだ見たことがない。


「今日はかつぞ、かあさま!」

 ベリオが拳を掲げた。


「どっからでも、かかってきな」

 リリニアさんは不敵に笑うと、腰に手を当てて余裕のポーズを取った。


「よし、おれが合図するぞ! せーの……闘唱セッション──灼炎陣ブレイズヘイローッ!!」

 ベリオは前へ走りながら腕を振った。炎が勢いよく吹き出す。


「アッハッハ!」

 ベリオが放った炎は、地面からせり上がった氷の壁に阻まれた──リリニアさんは一歩も動いていない。


「なにっ! おれのかんぺきなさくせんが──ぎゃっ!」

 またも氷の壁が出現し、ベリオは正面衝突した。


「ボサッとしてると危ないよ!」

 リリニアさんが腕を大きく振ると、地面から次々とつららが突き出し襲ってきた!

 ──パキィン、パキィン!

「あうっ!」「うわっ!」

 ボクとミナミのタグはあっという間に光を一つずつ失った。固まっていると危ない──!


「ミナミ、こっちは数で有利だから詠唱えいしょうで火力を上げて、挟み撃ちしよう!」

 ボクはミナミに声をかけながら、リリニアさんに対して周りこむように走った。


「マコ、詠唱えいしょうってなんだっけ!」

「えっ、その……何か言葉を込めると魔法の威力が上がるんだよ!」


「そうだったのかっ!」

 ……知らなかったのかっ! と言いそうになったけど、そんな暇はない。ミナミはボクと反対方向に走った。


「お前たち、面白いな。だがその作戦、悪くないねェ──見せてみな!」

 リリニアさんは笑いながら構えた。


「いくよ!」

「オッケー!」

 掛け声を合わせ、魔素マナを練る──! ボクは息を吸い込んだ。


雪華せっか穿うがしろがねかぜとなりてつらぬけ!』

 ──キュキュゥン! ボクの手から無数の風の矢が飛び出した!


ァーーーッ!!』

 ──ズァオッ!! ミナミの腕から力強い光線が放たれた!

 

「えぇ!?」

 ミナミの詠唱らしからぬ詠唱にボクは面食らったが、その威力は充分だった。


 ──ドドォン!!

「……やるじゃないか」

 リリニアさんは魔法を受ける直前に氷の壁を二つ出したようだったが、そのどちらも半壊していた。彼女のタグは一枚減り、残りは二枚だ。


「まだ二枚ある……!? 二人ぶん当たったのに!」

「身体に魔法を受けてタグが減った時は、数秒間だけ攻撃を受けない"無敵時間"ができるのさ。連携の正確さが仇になった──ねェ!」


 ──ビキビキビキィ!!

 彼女が地面を踏みしめると、ホールの床一面が分厚い氷に覆われた。両足をがっちりと氷に捕らわれ、一歩も動けない!


「やばっ!」

かあさま、手加減はァ!?」

「アハハ、サービスは仕舞しまいだよ」

 冥眼めいがんの魔王が舞うように腕を振ると、天井から無数の氷柱が降り注ぎ──ボクたちは圧し潰された。

 ──パキキィン……!

 彼女の、サファイア色に輝く二枚のタグだけが残った。あっけなく、全滅だ……。


「悪いな、勝負を急がせてもらったよ。が到着したようだからねェ……」

 彼女がパチンと指を鳴らすと、その場に残っている氷が全て一瞬で掻き消えた。

 

 そして──。

 玄関ホールの扉が、バアンと勢いよく開かれた。


「リリニアァーーーーッッ!!!」


 烈火の如き、怒号が響き渡る。

 全てを焼き尽くさんとする煉獄れんごくの魔王が、そこに立っていた。

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