第24話 魔王たちの追想
まぶしい、朝日が差し込んだ。
ここは、どこだろう?
そうだ。ボクたちは樹海で
がばっと起き上がると、そこは白いベッドの上だった。すぐそばには窓があり、外には日の光を浴びてきらきらと輝く湖面が見える。
ベッドの反対側では、ミナミが椅子に持たれてうとうとしていた。
「ミナミ……」
「ん……マコ、おはよ」
彼女は目の下に
「おはよう──ごめん、気を失っちゃって」
どうやらここは、水晶宮殿内部の一室みたいだ。
部屋は広く片付いていて、樹の根が這うように壁を彩っている。
ミナミはやや疲れて見えるが、怪我をしている様子はない。
「ううん、大丈夫だよ。あの人……リリニアさんは、わたしたちに危害を加えるつもりはないみたい」
「リリニアさん……?」
「うん。
ボクはミナミの顔を覗き込んだ。瞳の焦点ははっきりとした様子で、正気を失っているようには見えない。いつものミナミだ。
「そっか……ベッドを貸してくれたくらいだから、そうなのかな」
まだ半信半疑ながら、こうして生きているのだから──もし
バル様はどうしているだろうか。きっと心配している……なるべく早く、無事を伝えたい。
ボクは頭の中でロゼッタさんの顔を思い浮かべた。こちらへ向かって来ているような、そんな気がする。
「起きて、マコ。なんだか良い匂いがするよ」
たしかに──部屋の外から何らかの肉が焼けるような、香ばしいかおりが漂ってくる。
おなかが、ぺこぺこだ。
* * * * * * *
香りにつられて宮殿の中を歩くと、机が並んだ客間のような部屋にたどり着いた。
奥のキッチンで、長い髪を後ろに束ねたエプロン姿の女性が、フライパンを片手に料理をしている──ボクは目を疑った。
料理をしているのは、
「
隣に居るのは、母親にせっつく小さな男の子。ベリオだ。
「座ってな! 今日はいつもより量が多くて時間がかかるんだよ」
「ええ~」
「──おっ。お前ら起きたか。座れよ、もうじき朝飯ができるからねェ」
こちらに気づいて振り返った彼女は、ただの母親の顔をしていた。魔王らしさは少しも感じられない。
「……どういうことですか」
ボクは油断しないよう辺りを見回した。
昨日と比べれば、身体にはすっかり
「アハハ、そう怖い顔するなよ──あー、マコって言ったか。ちょっとおハナシしようぜェ?」
敵意は無さそうだ──ボクはこの人を信じていいのだろうか。ミナミは大丈夫だと言ったけど──きゅるるる……お腹が鳴った。
「
ベリオが足元に寄ってきた。こうして見ると、本当にただの小さな男の子だ。
「ほれ──できたよ。ベーコンチーズオムレツだ。パンが欲しけりゃそっちから取りな」
机の上に四人分の料理が並んだ──ボクはこの人を信じることにした。
……勝てない。食欲には。
彼女の料理は、確かにおいしかった。
ダイダロスさんの手料理と同じように、そこには愛情という名の最高の調味料が入っているのを感じた。
「あらためて、アタシはリリニア・ウェサイア。好きに呼べ」
「──マコ、です。ごちそうさまです、リリニアさん」
朝食を平らげると、彼女が
ベリオはどこかへ行ったのか、いつのまにか姿がない。
「昨日はわるかったねェ、ケガしてないか?」
「はい、特に大丈夫です……。ボク、リリニアさんの事、その──もっと怖い人だと思ってました」
「楽しんでくれたかい? アタシはイタズラが趣味でねェ。ことわざで、”人を見たらとりあえず
「いや、言わないと思いますけど……」
リリニアさんが言う”イタズラ”には、身の危険を感じるくらいの凄みと迫力があった……。
この人を怒らせたら大変な事になるのは想像に難くない。そういう意味では”魔王”と呼ばれるのも頷ける。
「アハハ、冗談さ……それで、マコ。バルフラムは元気かい?」
彼の名を懐かしげに語る彼女。いったいどういう関係なのだろう。
「……バル
「"バル
彼女は呆れたようにため息をついた。
「──い、言われました……」
それに関しては事実なので、誤魔化しようがない。
「ちょっとマコ、それだけどさ、どういうことよ? あいつと結婚するわけ?」
ミナミが横から口を挟んだ。看過できないという口ぶりだ。
「……わかんない」
これも事実だ。……実際、いま彼に
「はあ? まんざらでもないってこと?」
ミナミはついていけないという調子で椅子に背中を投げた。
「ただの憧れなのかもしれないし……依存なのかも。ボクは、
「もう、なんだよそれぇマコ──この……チョロマコ!」
ミナミはいらついたように腕を振った。もしこの場にバル様が居たら、彼に向かって石を投げてただろう。
「えぇ~……。でもさ、仮にそうだったとしてもボクは──」
──ボクはいま女の子になっているから、というだけであって。
彼への”好意”──いや、"親しみ"?
これは、元の……男という立場に戻って考えたら単純に、ただ友情を感じているだけかもしれない。
性別という立ち位置を前提にして悩んでいるだけかもしれない。この気持ちは、ただの錯覚かもしれないんだ。
でも──ボクはそれを声に出さなかった。これまでとは違う意味で、困っている。
ミナミは言葉の途中で口を
「……しっかしバルフラムの新しい
短い沈黙の後、リリニアさんがバル様のほうに矛先を戻した。
「えっ、同族って……どういうことです?」
ボクは聞き返した。彼への罵倒についてはたしかに一理ある気はしたので流した。
「そのままだよ、マコ。お前も
「えっ……はい。リリニアさんも、そうだったんですね」
言われてみれば、リリニアさんとボクは髪の色、肌の白さ、ツノが生えている点など、共通点が多い。
「さ、
ミナミはまた仰け反った。そろそろ彼女に申し訳なくなってくる。
しかし、これは
「あの、リリニアさん。ボク……悩んでるんです。全部、この瞳のせいだったんじゃないかって」
ボクの、紅い瞳。知らないうちに悪さをする、
ミナミの様子が一時おかしくなったのも、この瞳が原因だ。
「わかるよ、マコ」
リリニアさんは、こちらを見つめた。
短い言葉だったが、その一言にはあらゆる感情と経験が内包されているように思えた。その響きを聞いただけで、内からこみ上げるものがあった。
「アタシたちの瞳には、
「はい……。それで……人と目を合わせるのが怖くなっちゃったん、です……」
ボクの声は……理解者を得た歓喜で、震えた。
「なるほどねェ。けど、そんなに心配しなくてもいいよ。誰にでも効くもんじゃないからな」
「……そうなんですか?」
「ああ──まず、お前に恋愛感情を
視線が思わずミナミのほうへ泳ぐ。彼女はそっぽを向いた。
「でも、そんなこと……わからないじゃないですか、たまに女の人に効いちゃうことも──あったりするんです、よね?」
ボクの質問の言葉は、誰かを庇いながら迷走した。
「まぁ……意外とそういう事もあるねェ。それと、これは単純な対処法でもあるが……メガネをかけたやつには効きにくいね」
一瞬ロゼッタさんの顔が浮かんだ気がしたが、すぐに振り払った。
「あとは、そうだな──性知識が
「ぶッ!! げほッげほ!」
ボクの隣でミナミが咳き込んだ。
「な、なるほど……あの──バル様みたいな方には、どうなんでしょう」
なかなか知りたい確信に辿りつかないので、思い切って尋ねる。
「バルフラムねェ──それがな、アイツにだけは全っ然、どんなに調子良い日でも、とんと効果がないんだわ」
リリニアさんはため息をつき、やれやれと首を振った。
「えっ……試したことが、あるんですか?」
「ああ、もちろんだ。何度も試してみてやったさ……イタズラでな。もう二十年くらい前になるが──アタシはアイツと一緒に魔王城に住んでたからねェ」
「ほえぇ!?」
あまりに予想外の返答に、
「アッハッハ、もう昔の話さ。それにアタシたちは恋仲になったことは一度もないし、ましてや夜を共に過ごしたりしたことも断じてない。ただの共同研究者さ」
リリニアさんの補足を聞いたボクは、何故かホッと胸を撫でおろした。
「共同研究者……ですか」
「アタシは
「転生術ですって?」
頭の中で点と点が、線になって繋がった気がした。
「そうさ。いまはこうして道を分かれたが……アタシはバルフラムから細胞錬成術を学ばせてもらったし、アイツもアイツで少しながら
「バル様は……いまも転生術を研究してますよ」
「なんだと?」
彼女は驚いて、背筋を伸ばした。
「モンスターの受肉を促して、
「……へェ──それで十年以上引きこもってたのか……久々にこっちのほうまで来てるからちょっかい出してやろうと思ってたが……そりゃ悪いことしたねェ」
そう言う彼女は、なんだか嬉しそうだった。頬杖をついて、昔を懐かしむような表情だ。
「アイツ、根気あるな。アハハ──そうだったか。見直したよ……バルフラム」
リリニアさんの瞳に、うっすらと光が宿った。
それは、長年のあいだ形を変えなかった氷山が、溶け落ちたかのようだった。
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