第22話 冥眼の誘い
闇の中。
地面すらも黒く染まり──先刻までボクたちが居たはずの街や宿は、遠くへ溶けていった。雨だけが、重たく肌を叩いている。
姿なき何者かの気配が、そこに立っていた。
『──探したぞ。何年ぶりだ? お前が城に引きこもってから』
辺りを包む闇全体から聴こえてくる。
「さァな」
バル様がぶっきらぼうに答えた。
彼の全身はゆらめく炎の如く光を放ち、獲物を狙う肉食獣のように隙が無い。
『女を連れているねェ……。まだ
「余計な御世話だ」
気配が移動しているのを感じる。全身をあらゆる方向から観察されている気がする。
「……バル様、ボクにできることはありますか」
小声で問いかける。
「オマエは、自分の身を守ることだけを考えろ。ヤツと王国は停戦協定中だ。ここで派手なことはできまい」
彼はちらりと目配せをしたが、すぐに目線をせわしなく動かしはじめた。ロゼッタさんも辺りを警戒して構えている。
『アハハ……聴こえてるよォ? それにしても贅沢だねェ、バルフラム。三人も女を連れているなんて……』
「何……?」
「──おりゃァアッッ!!」
突然、大きな掛け声が聞こえた。ミナミの声だ!
──ブゥンッ!
彼女は両手で勢いよく剣を振り回し、気配がある場所の虚空を裂いた。
『──なかなかイイ太刀筋だ。惜しかったねェ。だが──』
「くッ、あぁっ!!」
ミナミは見えない何かに縛り上げられ、空中で身をよじった。
『本体はここにはいないのさ』
「ミナミっ!」
ボクは身を乗り出して、彼女に近づこうとした。
『どれ……見てあげよう、バルフラム。こいつらがお前にふさわしいかを──』
「やめろッ!」
その瞬間。踏みしめていたはずの地面が、消えてなくなった。
身体が下へ下へと、落ちていく。
「マコーーッ!!」
彼の声は、彼方へ遠ざかっていった。
* * * * * * *
それは、一人がやっと通れるような細いトンネルだった。
落ちていくような感覚と、押し出されるような感覚が交互に襲ってくる。
トンネル全体がうねうねと脈動し、身体ごとどこかへ運ばれていく。
まるでウォータースライダーのようだ。暗い光が、眩しい影が、ぐるぐると流れていく。どこが上下で、なにが左右かわからない。
このまま、どこへ連れて行かれるんだ──? 黙って身を任せているわけにはいかない。なんとか、脱出しないと。
トンネルを断ち切るイメージ。自分を守るバリアのイメージ。
ボクは頭の中で魔力が膨らむように思い描き、
──シュァアッ!!
一瞬、トンネルがブワッと膨らんだ。流れが止まり、空中に放り出され……。
──ギュウウン。
周囲の壁がすぐに元どおりになり、ボクの身体を再びどこかへ運びはじめた。
威力が足りなかった? ボクの力では、及ばないというの? バル様──。
その時、頭の中に彼がいつか教えてくれた言葉が蘇った。
『
そうだ……詠唱だ。このトンネルを打ち破る力を持つ、詠唱が必要なんだ。
ボクは目を瞑り、ありったけの
『
──キィィィンッッ!!!
閃光が
重力が身体を捉え──景色がまわって空中に投げ出され、星空が見えた。
──ザフッ。
……全身をやわらかい植物に受け止められた。
満月が高く、夜空に輝いている。
なんとか……外に出られたみたいだ。どこなんだろう。右を見ても左を見ても、青々と茂った背の高い木々が並んでいる。
ここは……樹海?
近くには建物の残骸のような石柱がまばらに立っており、かつてここに人が住んでいたことを伺わせる。
しかし植物による侵食が進んでおり、長いあいだ人の手は加わっていないようだ。
……立ち上がり、思惑を巡らせる。
ロゼッタさんの話では、"西の樹海"は
ここから東を目指せば、
どのくらい距離があるのかわからないけど……とにかく、歩いてみるしかない。だけど、なんだか身体に力が入らないような気がする……。
月を見ながら、東と思われる方角を計算する。地球と同じ常識が通用するかわからないけど──。
──しゅるる。
「わっ!?」
何かに足首を掴まれた。振り返っても、何も居ない──いや……植物だ。植物のモンスターだ。大きな葉っぱを身にまとった太い幹が、しなるように動いている。
足をぐいぐいと引っ張られ、ボクは地面に転がった。思わず足元の草を両手で掴む。
しかし、身体をずるずる引きずられ、掴んだ草はむなしくブチブチと引きちぎれた。
「放してっ!」
反対の足を懸命に動かし、足首を掴む
こうなったら魔法で──そう思った瞬間、自分の中の
だめだ……さっきトンネルを脱出する時に、殆ど使い切ってしまったようだ。
足首を掴む
「うぅっ……! やだっ……!」
身体を起こし、腕で触手を
ついにはその腕も、触手に掴まれた。身動きが、とれない──! ローブがまくりあげられ、服の内側にしまっていたしっぽが飛び出た。
顔をあげると、触手の主の太い幹のような胴体の先で、目玉がギョロリとこちらを向いている。
目が合った瞬間──植物に表情があるのかはわからないが、それが邪欲に
「や、やだ……やめて……」
ボクは目を瞑った。助けて──バル様、ロゼッタさん──ミナミ──!
「知ってた? マコ。お姫さまを
──ザンッ!
足首を掴んでいた触手が本体と離れ離れになり、ボトリと地面に落ちてのたうった。
ボクの身体は一瞬宙に浮き、彼女の腕に受け止められた。
「ミナミ……!」
「へへっ、勇者は遅れてやってくる……ってね」
ミナミがボクと植物のモンスターの間に立ち塞がった。気がつけば、四方をうねる植物に囲まれている。
「ミナミ……ごめん。さっきは」
彼女と目を合わせないようにしながら周りを警戒する。力が出ないけど、なんとか
「そんなこたもういいんだよ、マコ。わたしのほうこそ恥ずかしいとこ見せちゃったし……お互い様ってことでさッ!」
──ザシュッ!
ミナミはボクに背中を預けるようにして、背後の
「もひとつごめん、ミナミ……。ボク、もうへとへとで……力が出ないんだ」
「むむ、ちょっと
周りの植物が、じりじりとその囲いを狭めてくる。視界が狭くなり、追い詰められるのも時間の問題だ。
「逃げよう、ミナミ。なんとか詠唱で
「無理しなさんな、顔色わるいよ?」
「でも……」
彼女の声色から、ミナミも強がりを言っていることが伺えた。
「奇跡を起こすのだって……勇者の役目だからね──てやあァッ!」
──ガキィンッ!
ミナミが振り下ろした剣は、石に当たって弾かれた。植物の
「こいつ──!」
その時、頭上から威勢のいい声が降ってきた。
『
──ゴゴォッ!!
「うわっ!」
目の前を熱い炎が
「おまえら、おもしろそうなコトしてるなァ。おれもまぜてくれよ!」
空に目をやると、背中に翼が生えた小さな男の子が、したり顔でこちらを見下ろしていた。
銀色の短髪に、額には短いツノが生えている。月を背に腕を組んだポーズで、得意げだ。
「君は──誰?」
「ふふん……よくぞ聞いた! おれこそが魔王のむすこ! ひとよんで、
男の子は、誇らしげに親指で自分を指しながら叫んだ。ドーン、と効果音が聞こえてくるかのようだった。
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