第11話 転生術

 夕焼けが射して、あたりは黄昏色たそがれいろに染まりつつある。

 ゴウゴウと音を立てていた竜の噴水石像はいつのまにか水を吐くのをやめていて、中庭はすっかり静かになった。

 

 魔素合戦マナゲームを切り上げて中庭の入り口へ戻ると、ロゼッタさんが待ち構えていた。


「あらあら。二人とも、ずいぶん汚れたわねぇ……。ちょっと、こっちへいらっしゃい?」


「す、すみません……!」

 ボクは一瞬、怒られるのかと思って身を強張こわばらせた、が……ロゼッタさんは指先をくるりと回して、短く魔法を唱えただけだった。


洗浄繭ウォッシュベール!』


 ──フワァ……!


 きらめく桃色の膜がボクたちの全身を包み込んで、着ている服がふわりと持ち上げられる──。


「うっ……!?」


「はい、おしまい」


 視界が晴れると、服についていた汚れは綺麗さっぱりなくなっていた。

 まさに魔法のように、一瞬で新品同様のぴかぴかの服に戻っている!


「ロゼッタ、ありがとー!」

 コニーは彼女の魔法に慣れた様子で、ぺこりとお辞儀した。


「いいえ、お安い御用よ~」


「わあ……魔法って、こういうこともできるんですね。炎や風をあやつったりするだけじゃないんだ」


「そうよ~。私はこういう生活に便利な魔法が得意なの。他にも壁についた汚れをぎ落としたり、雑草・・を根こそぎ刈り取ったりする魔法もあるわ」


「ロゼッタすごいよねえ。一人であたしのママの五倍くらい働けちゃうんだもん」


「確かに魔法ならあっという間に出来るけど、手仕上げには手仕上げの良さがあるのよ。比べてはいけないわ」


「ええー? でもさあ、早ければ助かるじゃん!」


「ふふ、そのうちコニーちゃんにもわかる時が来るわよ」


 ロゼッタさんが今朝けさ、任せられる仕事は特にないと言った理由が今わかった。

 掃除も洗濯も魔法ですぐに終わるなら、この広い城を隅々すみずみまで掃除するのだって一人でできてしまうのかもしれない。


「すごいと思います。複雑そうな魔法を、こんなにパッと発動できるなんて……ボクは風を起こすだけでも一瞬じゃできないのに」


「だって、マコちゃんは即興そっきょうで魔法を使っているんでしょう? それなら、普通はもっと時間がかかるものよ」


即興そっきょう……だと思いますけど。他に方法があるんです?」


「あらぁ? コニーちゃんたら、マコちゃんに”定唱化ていしょうか”を教えてなかったのかしら?」


「えぇっ!? ごめん、もう使ってるのかと思ってたー! マコ、あれぜんぶ即興そっきょう魔法まほうだったの!?」


「へ? うん、たぶん……」


 どうやら、ボクは何か大事なことを知らないまま半日遊んでしまったみたいだ。


「マコちゃん、”定唱化ていしょうか”っていうのはね。あらかじめ魔法が働く流れを組み立てて、名前をつけておくことなの。そうすれば、次からは名前を唱えるだけでそれを再現さいげんできるのよ」


 ロゼッタさんいわく、それはコンピューターのプログラムみたいなものらしい。

 確かに名前を言うだけでいいなら、もっと簡単だ。


「知らなかったです……。そんな使い方があったんですね」


「ええ。その代わり充分な魔素マナがないと詠唱えいしょうが必要になったりするわね。タグのように定唱化ていしょうかの応用で作られた魔道具はその限りではないのだけど……」


「お、奥が深いんですねぇ」


 ロゼッタさんには申し訳ないけど、魔素合戦マナゲームでへとへとに疲れたボクの頭には、更に知識を吸収するほどの余裕がなかった。

 だけど、”魔法”についてもっと色々学んで、試していけたら……きっと楽しいんだろうな。



 * * * * * * *



 コニーと別れたあと、ボクはロゼッタさんに連れられて城の奥へと案内された。

 目的地はバル様の作業部屋だ。

 夕方になったら、何か仕事を貰えないか相談しにいくという約束だったから。


「そろそろ、陛下へいかがひと息つく時間のはずよ。マコちゃんをれて行ったらきっと喜ぶわ~」


 ……この廊下ろうかは、見覚えがある。昨日、ボクが初めてこの城で目覚めた部屋の近くだ。


「バル様って、普段は何を……どんなお仕事をされてるんですか?」



「ふふ、お仕事というか、研究もねているのだけど……。”転生術てんせいじゅつ”を使ってたましい循環補助じゅんかんほじょをしているのよ」


「循環、補助……?」


「きっと見た方が早いと思うわ~。ああマコちゃん、ちょっとここで待っていてくれる?」


「は、はい」


 どうやら目的の部屋に着いたらしい。

 ロゼッタさんはボクを部屋の入り口に残して、先に中へ入っていってしまった。



 ……ボクは廊下にひとり、ポツンと残された。


 目の前の扉は開け放たれていたけど、薄暗くて奥の様子までは詳しくわからない。

 

 入り口からかろうじて見える室内には、たくさんの棚に高く積まれたビンが並んでいる。

 ビンのひとつひとつは謎の液体で満たされているようだ。なんだか、学校の理科資料室を思い出す。



 しばしの間、ぼうっとしていると……。

 

 ──ピチャ、ピチャ……。


 どこからか水音みずおとが聞こえてくることに気付いた。

 気のせいでなければ、だんだん近づいて来ているような。

 

 ……ピチャ。


 いや、近くどころか……すぐそばで?

 

 ──ヒヤリ。

「ひぃッ!!?」


 突然──。

 足首をひんやりとした何かにつかまれた!


 反射的に自分の口から出たなさけない悲鳴が、ぜんぜん自分の声じゃないみたいで……ううん、そんなこと今はどうでもいい。

 視線を足元へ向けると、ぶよぶよとした固体とも液体ともつかないカタマリがボクの足に絡みついているのが見えた。


 大きさは野生のイノシシくらいだけど、そこには目も牙もない。

 

「な、なんなのキミは……ううッ!」


 ──ぎち、ぎち。

 

 足を振って急いで逃れようとしても、どうやら手遅れみたいだ。

 がっちりと足を絡め取られている……ああ、バランスが取れない──! ボクは耐え切れず、床へ転がった。


「や、やめて……!」


 返事を期待していたわけじゃないけど、スライム状のカタマリは無機質むきしつにボクの足首をめ上げるだけだった。

 ぞぞぞ、と冷たい感触がひざを登ってくる。背筋せすじまで凍ってしまいそう……。


 それ・・は、見た目から受ける印象よりずっと力が強かった。

 関節もなにもない軟体にぐいぐいと縛りあげられ、皮膚が冷えていく。


 不意を突かれて混乱のあまり、反撃の手が出ない。


 こいつは、ボクのことを捕食しようとしているんだ。

 このままじゃ、呑まれて……しまう……!



「……マコちゃん?」


 ふと、声が聞こえた。

 それと同時に、ボクの太ももまで巻きついていたぶよぶよ・・・・の動きがピタリと止まる。


「うっ、ろ、ロゼッタさんっ!?」


「なんだ、どうしたァ?」


 ──ぐいっ。

 今度は別の何者かに襟首えりくびを掴まれ、ボクの身体はちゅうりになった。


「わ、わ……!?」


「なんだ、スライムか。そら、あっちへ行きなァ」


 ──ボウッ。

 首元を包み込むように熱がはじけ、身体がじんわりと温まる。

 絡みついていたぶよぶよはひるんで床にボトリと落ち、うぞうぞと逃げていった。


「ば、バル様?」


「クハハ! おう、マコ! オマエのバル様だァ!」


 彼は部屋の扉と同じくらい大きな身体で、いつのまにかそこに立っていた。

 ボクは、ストンと床に降ろされた。


「こ、怖かったです……!」


「ごめんね~、マコちゃん! ほんのちょっと目を離しただけなのに!」


「い、いえ……大丈夫です。バル様が助けてくださいましたし」

 

 彼の手に触れられて感じたのは、何故だか……ホッと安心した気持ちだった。

 きっと、単に冷えた身体をあたたかくしてくれたから。それだけなのだろうけど。


「すまん! 俺が扉を開けっ放しにしてたからなァ。いまのヤツは、転生直後で混乱していたのだろう」


「……あのぶよぶよは、なんだったんです?」


「ああ、スライム・・・・だ。モンスターの一種だ。さっき錬成れんせいしたばかりの、な」


 やはりというか、想像した通りの名前だった。

 だけど、”モンスター”というものを初めて見た。獣人や魔人のような人型ではない生き物も、この世界には当然いるのだろう。


「モンスター……を、錬成れんせい? 生き物を創れるんですか?」


「正確には少し違うが、まァ見せてやろう。こっちだ」


「ええと、はい」


 彼は腕を振って、再び室内に引っ込んだ。

 ロゼッタさんが無言でうなずくのを見て、ごくりと生唾なまつばを呑んでから後を追う。


 ……ようやく室内に足を踏み入れた。

 やっぱり、ここはボクが最初に目を覚ました部屋だ!

 

 あらためて見回すと、壁の棚にはガラス瓶が並べられ、木製の机の上には本が無造作むぞうさに散らばっていた。

 見覚えのある寝台しんだいもある。

 そうだ、ボクは昨日……気がついたらあそこに寝ていたんだ。



 ひときわ目をひいたのは、部屋の中心。

 床一面ゆかいちめんえがかれた、ぼんやりと青白い光を放つ巨大な魔法陣まほうじんだ。


 それが無数の細かい線によってまれ、綿密めんみつ繊細せんさいに、時間をかけてつづりあげれた傑作けっさくであることは一目で分かった。

 大きな円から線が伸びるようにして、部屋の端にも小型の魔法陣まほうじんがある。


 バル様はその上をずかずかと横断おうだんしたが、ボクは魔法陣まほうじんを踏まないよう慎重にふちを歩いた。


「さァ見るがいい、マコ。俺たちが長年の研究によって編み出した秘術──たましいへ肉体を与える転生術。……そう、”受肉じゅにく”だ」


「えっ、それって──」


 その言葉で混乱するボクをよそに、彼は背を向けて魔法陣の内側に腰掛けた。

 そして胡座あぐらをかいて、右腕を中空にかかげる。


 ………………。


 静寂……。そのまま、数十秒ほどが過ぎた。

 喋ってはいけない雰囲気だ。自分の心音だけが聞こえる……。



 ──ピクッ。

 と、ふいにバル様の指先が動く。


 赤い輝きと共に、細かい粒子りゅうしが手の上で回転している。


「……見つけたぞ。こいつは……コカトリスのたましいだ……」


 彼がスッともう片方の腕をあげると──ゴトリ。

 背後から音がしたと思うと、液体で満たされたびんが空中を滑るようにスイーッと移動してきた。


 ふたがひとりでにくるくるとまわって開き、中身が空中へと逆流する。

 重力に逆らうように中の液体が渦を巻いて、魔法陣の中心で粒子の中に混ざっていく──。


 バル様が、ブツブツと何かの呪文を唱えた。


『ヴァチェ……ジーレ……マディエ……レインガ……ヅィグルス……』


 すると──宙に浮いた液体がドクリと鼓動こどうした。

 みるみると形を変えて、膨張ぼうちょうする──。

 

 まず見えたのは、湾曲わんきょくした背骨せぼねがするすると縦に伸びながら太さを増していく様子だった。

 そこから神経細胞しんけいさいぼう蜘蛛くものように外側へと伸びて、もりもりとふくらんで筋肉と脂肪でおおわれた。

 立派な鳥の羽と頭が形作られ、尾のほうは鱗に覆われた蛇がぐんぐんと伸びていく。

 

 それはまさに物語の中で読んだことがある、想像上の生き物。コカトリスそのものだった。


「……コケーーッ!」


「おう、おう。お前はあっちだ」


 コカトリスは挨拶がわりに鳴くと、バル様が指差した方向へトテトテと歩いていく。

 そして部屋のすみの小さい魔法陣の上に乗ると、シュウンという音と共にどこかへ転送されていった。


 ……全ての動作が終わるまで、ボクはまばたきも呼吸も忘れていた。


「はあっ……! こ、これが、転生術……ですか……?」


「クハハ、神秘的だろう!」


「すごいです、生命を──つくるなんて」


 本当に、圧巻だった。

 地球上のどの国の科学力でも、こんなことはできないはずだ!


「……つくる、というと少し違う。彷徨さまよう魂をびだして、肉体を与えるだけだ。魂までつくることは、俺にはできない」


「魂に、肉体を与える……? 肉体の形は、バル様が決めているんですか?」


 ……うすさむい感覚を覚えた。

 この世界にボクがやってきた経緯は、いま見たものと同じはずだ。


「いいや。肉体の形は、魂がみずから決めることだ。俺はそこに関して一切いっさい、手出ししない」


「えっ? そうなん……ですか。本当に?」


「ああ」


 嘘をついているようには見えない。

 じゃあ、ボクの今の身体は、ボク自身がのぞんだものだったのだろうか?


「……でも、どうしてこんなことを?」


「ククク、俺はな。転生術を通して、この世界の成り立ちや、生命の神秘、種族の壁と自我、そして……俺たちが得た”命”の意味を知りたいと思っているんだ」


「は、はあ。それは……素晴らしいことだと、思います」


「そうだろう! 転生者は、時々思いがけない記憶を持って生まれてくる。俺は、オマエらのような者たちから話を聞くのが好きなんだ」


 夢を語る彼の瞳は、いつになく輝いて見えた。


 それとは逆にボクは、自分自身の正体がわからなくなって、視界が暗くなっていくような気がした。



 ……自分の形を一番わかっているのは、自分だったはずなのに。


 ボクの身体の形は、今と昔とでは、だいぶ違う。


 心の形は、どうだろう。

 心に形ってあるんだろうか? 魂に形ってあるんだろうか……?


 その答えは少なくとも、手の届く場所に落ちていないことは確かだった。

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