第12話 夢
「……ところで
だしぬけに声をかけたのは、ロゼッタさんだ。
「ああ、そうだった。マコ、今日はコニーと
ボクは我に返った。
そういえば、この部屋には仕事を貰う目的で来たんだった。
「はい、そうです。あの、何かいけなかったでしょうか……」
「いいや、問題ないぞ! むしろ、しばらくはそうしていたらいい。強い
「や、野望? ううん……ですが、それじゃあ遊んでばっかりみたいで後ろめたいです。何かボクにできるお仕事はないでしょうか」
「そうかあ? なら……。そうだなァ、肩でも揉んでもらおうか。今日は座りっぱなしで疲れちまってなァ」
「えっ。わ、わかりました」
そんなことでいいなら安いものだ。
ボクは
──うわっ。
「どうした?」
「……いえ、なんでも。それじゃ、揉み……ますね」
バル様の肩は、触ってみるとガッチリと
ボクは全力で親指に力を込めたが、肩筋が
「んん~? 何も感じないぞォ、マコォ?」
「うぐ、ぐぅ……」
彼のたくましい
肩から伸びる腕の太さも目を見張るものがあって……この腕で抱かれたら、逃げられないだろうな。
いや──!?
何を考えてるんだ。これは、ただの憧れだ……男らしさへの、憧れ。
「……悪かったなァ」
彼は、
「は、はい?」
突然の謝罪を受け、手を
「オマエと初めて会った時、俺は……その、オマエのあまりのカワイさに
後ろからでは表情を読み取れないけど、その声はぼそぼそときまりが悪そうだった。
ボクは彼の意外な態度に少し笑いそうになって……ふふ、ふぅ。と息を吐いて
──肩を揉む手を、再び動かした。
さっきまでよりも、
「もう、気にしてませんよ。あなたが
「ククク。……そうか」
たしかに最初はびっくりした。
けど、人は誰だって、たとえ魔王だって、失敗したり後悔するんだ。
……そのまましばらく、手を動かし続けた。
バル様の筋肉って本当にがっしりしているなあ。ああ、触れば触るほど──
「っ!?」
ふと、ロゼッタさんがこちらをじっとりと見ている事に気づいた。
まさかバル様の肩筋と夢中で格闘している間、ずっと顔を見られていた?
ボク、どんな表情だったんだろう……。ひとまず
「ふふふ。そろそろお夕食の時間ですね~」
「ああ、もうそんな時間か! マコ、ありがとなァ」
彼がスッと立ち上がると、
「いえ……。お安い御用です」
食堂へ向かうバル様の後を追いながら、ボクは自分の手を見つめた。
彼のごつごつとした太い指とはまるで違う、きめ細やかな白い指。
手の中には、不思議な
なんか……
* * * * * * *
すでに食堂にダイダロスさんの料理が並んでいることは、廊下からでもわかった。
食欲をそそる香りに引っ張られて、駆け出してしまいそうだ。
ボクの
それだけじゃなく、食べたい、眠りたいといった
「バルフラム様、皆々様。お疲れ様で御座います。本日は肉料理ですよ」
「おう、ダイダロス! 楽しみにしてたぞ!」
食堂で待っていたのは、巨体の威圧感を感じさせないくらいニコニコ顔のダイダロスさんと、両手にフォークとナイフを握ったまま長い耳をしだれさせたコニーだった。
「おそいよーっ! あたし、お皿まで食べれちゃいそう!」
「あらコニーちゃん、珍しいわね? いつもは先に食べているのに」
「今日はいっしょに食べたい気分だったのー! ねっ、マコ! こっちに座ってよー」
「ありがとう、待っててくれたんだね」
「んふふー。みんなと食べたほうがもっとおいしいだろなぁって、思っただけだよ」
ボクは彼女の隣に腰掛けて、ほかほかの料理を見回した。
こんがりと焼けた骨つき肉、青々とした葉のサラダ、とろりとタレがかかった謎の穀物に、クリーム色のスープもある。
ああ、早く口に運びたい。
何の肉なのかどんな野菜なのかは、よくわからないけど……。それが間違いなく美味しいことは、香りが証明している!
「いただきます……!」
「はい、どうぞ」
──天才だ。
ダイダロスさんの料理は超一流だと、心からそう思った。
こちらの世界の食べ物が口が合うかどうかなんて、要らない心配だった。
むしろ、この料理を毎日食べれるだけでも魔王城に住む価値があると言ってもいい。
ボクは夢中で料理にかぶり付いた。
こんなにおいしい料理を前にしたら、食べ方に気をつかうことなんてできない。
「いい食いっぷりだなァ、マコ! 食べてる姿もカワイイぞ!」
「あっ、すみません。あまりにも美味しくて」
我に返って料理を口に運ぶ手を止めたが、バル様は笑いながら首を傾げるだけだ。
「どうした、遠慮するな。もっと食っていいんだぞ?」
子を見守る親にも似た、暖かい眼差しだ。
彼は皮肉を言ったのではなく、純粋にボクをもてなそうとしてくれているみたいだった。
「それじゃ、お言葉に甘えます……ね」
だけど、ロゼッタさんの無言の視線がちくちくと刺さったような気もする。
明日はもう少しお行儀よく食べなきゃ……。
* * * * * * *
ボクはダイダロスさんに何度も感謝の気持ちを述べてから食堂を後にし、温泉に浸かりにいった。
男湯へ歩いていきそうになって引き返し、怪しい足取りで禁断の地”女湯”の引き戸を開ける……。
正直言って脱衣所で服を脱ぐのは、まだまだ勇気が要る。
抵抗感がないと言えば嘘になるけど、それはボクだけの問題だ。
コニーやロゼッタさんには知る由もないことだし……。今日は疲れた身体をほぐしたい気持ちのほうが強かった。
──ざばぁ……。
温かい湯に身体を沈めれば、一日の疲れがすべて溶け出ていく。
湯船に寄りかかって、目を閉じて、ああ……。
この時だけは目の前にある色んな問題を忘れられる。
しばらくして、ぺたぺたと足音が近づいてきた。
「マコー、おつかれさまー!」
「あっ、コニー。……お疲れ様」
ここは浴場だから、もちろん彼女は服を着ていない。
昨日なら硬直して目を逸らしていたけど、今日は何故だか平静を保つことができた。
コニーが、獣人らしいふわふわした肢体を持っているからかもしれない。
「マコ、今日はたのしかったよー! また明日もあそんでくれる?」
「こちらこそ、ありがとう。うん、バル様もそうしていいって言ってくれたよ」
「やったー! まいにち
そう言うとコニーは、うっとり顔でぶくぶくと肩を湯船に沈めた。
ボクもそれを真似して、深くお湯に浸かることにした。
ああ、そっか。
彼女とリラックスして話せるのは、性別を意識しなくていい相手だからなのかな。うっすらとそう思った。
「ボクも楽しみだよ。……コニーとは昨日会ったばかりなのに、なんだか
「きょうだい?
「えわッ?! い、いや。そのぉ……ま、間違えちゃったや」
「んん〜……?」
ボクは胃がひっくり返って、意識だけが一気に湯船から引っ張り上げられたような気がした。
お湯に浸かったままなのに、肌の表面がひんやりする。
ずずいと、コニーの
瞳の奥を覗き込んでくるように……。
「ど、ど──どうか、したの」
どうかしてるのは明らかにボクのほうだ。
肌がお湯で濡れていても、それ以上にだらだらと汗が噴き出してくるのが自分でわかる。
「あのさ、マコって、もしかして……」
「は、はい……。なんのことでしょう」
──ああ、どうして! 完全に油断していた。
「あのね。違ったら、ごめんね? 答えたくなかったら、答えなくてもいいんだけど」
「う、ううん」
まさにいま、余命宣告を受ける
今すぐここから逃げ出したい──!
「マコって、ホントは男の子に憧れてたり、する?」
「……へっっ??」
「んっとね。女の子に生まれたけど、男の子がよかったなぁ、みたいな感じ?」
「その、それは……違う、かな」
ボクはバレないように息を整えた。……心臓が、まだ暴れている。
「あれぇ、そっかぁ。ごめんごめん。ちょっとだけそうかもしれないって思ってさ」
「そ、そうなんだ」
「んふふ。マコ、へんなかお」
……正確にはすこししか違わないし、コニーの言うことは当たらずしも遠からずだ。
あと少しで、観念して全てを吐き出すところだった。
ボクは正直に言って嘘をつくのが下手だし、つきとおせる自信もない。
「……どうして、そう思ったの?」
「んー。マコと話してると、よくあたしと
「お兄ちゃん……そっか」
「それにね、もしもマコがそうだったら、あたしにもそういう気持ち、わかるかもって思って」
「えっ? ……コニーは男の子に生まれたかったの?」
「そうじゃないんだけどさ。ううーん……んん〜!」
コニーはちゃぽんと音をたてて、お湯の中から水面に指を突き出した。
──へろ、へろ、もこ、もこ……。
水面がわずかに沸き立って、集まっていく。
彼女もぷるぷると踏ん張りながら、同じように目と口をぎゅっと顔の真ん中に集めている。
「コニー……?」
「ん……ぷはぁー!」
──ぱしゃり。
ほんの数センチだけ波立っていたお湯は力を失って、元に戻った。
「だ、だいじょうぶ?」
「はぁ、やっぱりダメだぁ。……あたしねー、ほんとは水の
「水の
「ううん。あれは
「……それって、生まれつきのものなの?」
「そうだよー。あっちがいいなって思っても、変えられるもんじゃないんだよねー」
その言葉に暗い気持ちは含まれていない。
彼女は、自分が持つ理想と現実の違いを自然に受け入れているようだった。
「そっか……」
「マコ、そんなかおしないで! あたしは大丈夫だよ。そういうものだとおもってるからさ」
「……でもさ。ある日、目が覚めたら突然かわってたりしたら、どうする?」
「ん、んふふふ〜……」
コニーは嬉しそうに身体を揺らした。
「ええ、何かおもしろかった?」
「実はね。いつもそう願い事してから寝るようにしてるの。だから、いつそうなってもいいように、いまのうちに
「……いいね、それ」
「でしょお〜?」
「はぁ……ボクも練習したほうがいいのかなぁ」
「え、なにをー?」
「いや、なんでもないよ」
……露天風呂から見える星空は、昨日と同じようにきれいだ。
魔王城で過ごすのは楽しい。
まだ二日目だけど、そう思えるようになった。
ボクがいなくなった世界で、
もし、いまのボクを──女の子になってしまったボクを見たら、ミナミはなんて言うだろう。
できることなら、この姿を見せたくはない。
いや、すぐに考える必要はないはず。
元の世界に戻る方法が見つかったなら、元の身体に戻る方法だって一緒に見つかるかもしれない。
……今日もいろいろな事があった。
身体をたくさん動かしたからか、心地よい疲労感だ。
いますぐベッドに入ったら、とてもよく眠れる気がする──。
* * * * * * *
気がつくとボクは、暗闇の中にただ立ち尽くしていた。
目の前にあるのは、一枚の全身鏡。
……見覚えがある鏡だ。
そう、今のボクとはじめて出会った鏡。
しかし、中には何も映っていない。まるでただのガラス板みたいに。
『アナタ、ずいぶんおとなしいのね』
──少女の声がする。
きょろきょろと周りを見回すも……その姿は見えない。
「……キミは誰?」
居所のわからない声の主に、ひとまず返事をした。
『ワタシはね。アナタの──フフフッ。”本能”よ』
「……本能?」
『そ。ウフフ』
「おとなしいって、どういうこと?」
『そのままの意味。アナタ、自分では気づいていないかもしれないけど……ホントウは、内側に
からかい
ボクは少し気分がわるくなって、ぶっきらぼうに反撃した。
「欲望だなんて。キミ、失礼じゃない? いったいなんなのさ」
『……ワタシは、あなたに気づいて欲しいだけ。もっと内なる欲を解放してもいいんだって』
見えるのは、
「よけいなお世話だよ。ボクはそんなことは──」
『いいえ、マコ。忘れたの? アナタは"
鏡の中に、さらりと真珠色の髪が揺れた。
あれは……ボク──?
──思わず
窓から差すまぶしい朝日に顔を照らされて、全身の感覚が戻ってくる。
うう、重い……。
身体には、いつのまにか汗だくになった下着がまとわりついていた。
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