第24話 灯火
そこからは断片的にしか覚えていない。
ヨウコを中心に広がりだした魔虫の暴走を避け、死に物狂いでテイラー邸を目指して走った。
混乱しきった頭で何度も『
それから、トリスを引き渡して……倒れたんだっけ?
そんな情景が脳裏をめぐる。やけにリアルな悪夢を見ているような気分のままベッドの上で目が覚めた。
「ヨウ、コ……」
「目が覚めましたか、きつね憑き?」
隣のベッドからニカさんが起き上がり水差しを手渡してきた。促されるまま水と回復薬を交互に飲み終えた頃にはだいぶ意識がはっきりとしてきた。
「喋れますか?」
「大丈夫……だと、思う」
背中を摩るニカさんの手が左肩へと触れる。血に染まった包帯を解き、手当てしながら彼女は淡々と言葉を紡ぐ。
「肩口が残っていて幸いでした。止血が早く完了しましたから。意識も戻った」
「そう、みたいだね」
普通なら腕の怪我と強力なスキルの反動で指一本動かせない状態だ。それがここまで動けるんだから、手厚く介抱してもらったのだろう。
「ニカさん」
「はい」
「戦況は?」
「……前線は
包帯を結びながら彼女は続ける。ヨウコが発生させた黒色は殻とも
「……トリスは?」
「働かせています。いまのトリスは貴方のそばで冷静ではいられませんから」
「……ありがとう」
「それは……」
ニカさんは包帯を巻き終えると少し寂し気な笑みを浮かべ『私の台詞です』と漏らしてから俺の頭を優しく抱きしめた。
「トリスを助けてくれてありがとう。貴方が生きていて私は嬉しく思います」
「……うん」
ゆっくり休んでくださいとニカさんが頭を撫でながら囁いてくる。身体はその言葉に従い瞼が重くなっていく。だけど、まだ眠る訳にはいかない。
「いや、これからどう動くのか。それだけでも聞きたい」
「ですが……」
「頼む。ニカさん」
「……わかりました」
俺にはやらなくちゃいけないことがある。
§ §
部屋に入る前にニカさんの指示で壁に耳を当て、皆の会話を盗み聞きする。どうやらゼロとトリスが揉めているようだ。他の人は押し黙っているのか二人の声だけがはっきりと聞き取れた。
「……煮え切らないな。決め手がないなら最初の案でいくほかないだろ?」
「しかし、避難者を囮にするようなことは……したくない」
「なら、俺達であのデカブツを倒すか? ギルドへの協力要請だっていまなら出来るはずだ」
「生半可な戦力では……勝てない。それは分かるだろう?」
「堂々巡り。らしくないねぇ……」
ここまで聞いたところでニカさんはやれやれと肩をすくめた。その様子だと話し合いは進展していないのだろう。目配せしてからニカさんはドアを開き入室を促す。俺が姿を現すと仲間たちは安堵半分困惑半分の雰囲気で俺を出迎えた。
「よぉ、きつね憑き! 生きてたか!」
そんな空気を破るようにゼロが声を上げドスドスと近づいてきて肩を叩いた。荒っぽい歓迎に俺が応えているうちに部屋の空気が少しだけ弛緩した。手荒く俺の頭を撫でつけるゼロがカカカと笑う。一方トリスは暗い表情で俯いたままだ。
「お前のおかげでユゥとトリスは無事だ! ユゥはまだのびてるが、トリスはご覧の通りさ!」
ようやくトリスがこちらを直視した。その瞳が揺れ、ぎこちなく笑みを浮かべかけたところで彼女は首を振る。それからトリスは一歩踏み出すとともに深々と頭を下げた。
「すまない、きつね憑き。私が足を引っ張ったばかりに!」
部屋は静まりかえり誰もが息を潜めた。そばにいるゼロからも笑みが消え、神妙な面持ちになっている。俺が顔を上げてくれと二度三度伝えてようやくトリスと向き合うことが出来た。
「それは違うよ。トリスはやるべきことをやっただけ」
「…………」
「俺もそうしようとしたんだけど……失敗した」
「そんな……ことは」
この怪我は俺の失敗だ。あいつに頼りきりだったくせに状況判断も情報共有も疎かにしていた。ヨウコに
それに俺はトリスに謝ってもらうために来たわけじゃないんだ。
「トリス……これからどうするの?」
その一言に部屋にいる皆がぎくりとする。ある者は目を逸らし、ある者は俺達を注視している。トリスは口ごもり、肩に乗せられたゼロの手に力が入る。
「なあ、きつね憑きよぉ……」
「いいんだ、ゼロ。これだけは私から……私に、言わせてくれ」
トリスは真っ直ぐ俺を見つめ拳を握りしめて告げる。
「ヨウコの救出には行けな……行かない。我々は
「…………」
方針は固まっていなくてもそこは満場一致のようだ。トリスは沈痛な面持ちで目を伏せ、ゼロの手が肩に食い込む。
だけど、それも違うんだよトリス。
「そうじゃない。俺が聞きたいのはそこじゃない」
「え……?」
「トリスたちはタイラントとどう戦うの?」
「それは……」
「駄目だよトリス。トリスが決めなくちゃ、皆がまとまらない」
「きつね憑き……」
「トリスはトリスのすべきことをして」
トリスが俯いては駄目なんだ。トリスも俺達もやるべきことをした。その結果、俺が傷ついたかといってトリスが足を止める理由にはならない。いまもトリスの手にはバトンが握られているんだから。俺とあいつが繋いできたバトンが。
「だから、ここで足を止めちゃ駄目だ」
「……わかった。すまない」
「そこは、ありがとうを言って欲しいな」
それは重荷なのかもしれない。だけど、いままでトリスが俺達を信頼してくれて俺は嬉しかったんだ。だから俺の気持ちも嬉しいものとして受け取って欲しい。
「ありがとう」
泣き出しそうな顔でトリスは笑う。その瞳にいつもの光が戻った。
§ §
「……さて、行くか」
迷いがなくなったのかトリスは作戦のおおよそを即決した。いまは全員が準備のため動き出している。ギルドとも連絡が付き物資支援や僅かながら追加戦力の合流も始まったようだ。
端の方で腰掛けていた俺は立ち上がり、活気づいた部屋を後にする。
「よぉ、きつね憑き。行くのか?」
「テイラーさん?」
裏口に続く廊下へ出ると壁にもたれたテイラーさんが手を上げ俺を出迎えた。
「ええ。ヨウコを連れ帰りに」
「一人でこっそりと、か?」
「はい。皆に止められるのも、トリスが付いてきちゃうのも困りますから」
「そうか……」
彼の前を通り過ぎようとするとテイラーさんはスッと腕を突き出した。そこには赤いマントのような布が握られている。
「テイラーさん?」
「フレアマントだ。炎のダメージを軽減してくれる。お前と相方用に、二枚だ。持っていけ」
「いいんですか?」
「常連は大事にしないといけないからな。それに店が燃えたら全部、パァだ」
そう言って笑いながらフレアマントを押し付けてくる彼に礼を言って出口へと向かう。ありがとう、テイラーさん。
「戻って来いよ。今度は二人で」
「はい……行ってきます」
詰まりそうな声で必死に言葉を返してからドアを開く。視界いっぱいに広がった灰色の空が涙で滲む。
拳で目元を擦る俺の正面で銀髪が煌めいた。いつから待ち構えていたのだろう。
「来ましたわね。きつね憑き」
ニカさんはピクニックに行くような気楽さで俺の手を取ると不敵に笑った。
「さっ、行きますわよ?」
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