罪と罰のイノセント

シラトリ

第1話

 カラカラと荷馬車の車輪の音が、のどかなあぜ道に響いていた。


「この先を右に曲がれば、じきにリュート村が見えてくるよ」


 荷馬車の主人が、後ろの荷台に腰かけている金髪の少女に話しかける。

 少女は時折吹く風になびく髪を右手で押さえながら、主人の声に答えるために後ろに振り返った。


「はい。ここまで運んでくださって、ありがとうございます」

「私はこのまま真っ直ぐ、国境の方まで行くから、その木の辺りまででいいかな?」

「大丈夫です」


 自分の足で歩くより、馬に引かれた方が全然早く、何より疲れない。少女は先ほどまで、何もない田舎道で大きな鞄を持って歩いていた。途方に暮れかけていたとき、自分に声をかけてくれた主人に、本当に感謝していた。

 少女は髪をかき上げ、再度荷馬車の主に丁寧に礼を述べる。


「本当にありがとうございます。思っていたより遠い村だったので……。とても助かりました」

「まあ、村までは一本道だし、三十分も歩けば見えてくると思うよ」


 分かれ道に差し掛かって、荷馬車の車輪の音が止まる。

 少女は鞄を持って荷台から降りると、主人に向かって深々と頭を下げた。


「おじさんも、道中お気をつけて」

「うん。ありがとう」


 そう言って荷馬車の主は手綱を引いた。車輪がまたカラカラと音を鳴らして、少女を降ろした場所から遠ざかっていく。


「ホント、なんでわざわざこんなに遠い村にいるのかしら……」


 少女は人を探していた。その人物がリュート村に滞在しているという話を聞いて村に向かったのだが、人々の話を聞く限り、国境付近の辺鄙な位置にある、なんの変哲もない村だと言う。

 理由は分からないが、目的の人物に会えるのなら、なんだって良かった。


 通称『悠久のスピネルスピネル・ザ・エタニティ』。

 今は数少なくなった魔法使いのひとりで、『大魔法使い』とも呼ばれている。実力だけは折り紙つきだ。

 ただ、神出鬼没で金の亡者。非常識で血も涙もない厄介者だと、良くない噂が絶えない。本当はあまり関わりたくない人物ではあるのだが、少女の目的を遂げるにはどうしてもこの人物に会う必要があった。

 彼女の友人を救うため。

 そのために少女は長い旅をして来たのだから。


「うまくやるんだ、ルチル……」


 それは、やっと見つけた手がかりだった。

 少女は両頬に手を添えて気を引き締め直し、リュート村に向かって足を踏み出した。



 荷馬車の主人の言うとおり、一本道で半刻もしないうちにリュート村に到着した。

 噂通り何もない村で、ポツリポツリと村人が歩いている。困っているという様子はなく、皆平穏に暮らしているといった風に見える。

 来訪者が珍しいのか、すれ違い様にルチルを横目に見る村人が多かった。

 途中、声をかけてくれた中年の女性に村長の居場所を聞いて、ルチルはそこへ向かっている。


「この村に続けて人が訪ねてくるなんて、珍しいこともあるものねぇ」


 中年の女性は少女を見てそう言った。

 スピネルも来ているに違いない。ここで逃がすわけなはいかないと自然とルチルの足取りが早くなる。

 スピネルを探しはじめて約一年。やっと真に迫る情報をつかんだ。神出鬼没とは言い得て妙だと何度思ったことか。それくらい、スピネルは自分の痕跡を残さなかった。


 村長が客人の相手をしていると言う集会所に着くと、中から人が話している声が聞こえる。

 ルチルは人目につかぬよう、集会所の近くに生えている木の影に身を隠しつつ、そっと壁に耳をそばだてた。

 子細は聞こえてこないが、所々『魔法』と言う言葉が聞こえてきた。

 科学技術が発展した今となっては、魔法はいにしえの技術だった。まだ、科学の及ばないところに手が届く技術として認識はされているが、人々が生活する上で魔法使いが必要とされることはほとんどなくなった。

 ほとんどなくなった、人々に必要とされるが使える魔法使いは数えるほどしかいない。


 ビンゴだ。ルチルはそう思った。

 村長と話しているのは『魔法使い』。

 そして、とある有力筋から入手した、この村にスピネルが向かったと言う情報。

 中にいるのは本人で間違いないだろう。

 ルチルは村長の話が終わるのを待った。


 暗く重たいトーンの声と、明るくカラッとした笑い声が交互に聞こえてくる。

 ガチャッと木製のドアが開き、同時にルチルは立ち上がった。中年の男性が後ろに話しかけながら、扉を開けて外に出た。続けて出てきたのは赤髪の中性的な女性で、こちらがスピネルだろうとルチルは思った。


「見ての通りの村ですので、なんのお構いもできませんが……。あちらに宿を用意いたしましたので、今晩はそこでお休みください」


 スピネルと思わしき人物は臆面もなく言葉を返す。


「そうだね。 では、私は遠慮なく休ませてもらうよ。できれば、食事と酒なんか用意してくれないかい?」

「……ええ、わかりました。後程部屋まで運ばせましょう」

「あはは!  感謝するよ。食べるものはなんでもいいんだけど、酒はぶどう酒でよろしくね、村長」


 村長は、 思わぬ要求に少し驚いた表情を見せたが、すぐに取り繕った笑顔を見せて言った。


「ええ。お持ちします」


 そして、そそくさとスピネルの傍から離れていく。

 スピネルは気にする様子もなく、上機嫌な様子で村長の指し示した宿屋に向かって歩きだした。


 ルチルは周りに人がいないことを確認し、自分を落ち着かせるように一度深呼吸をした。

 そして、スピネルの後を追って声を掛けた。

「すみません」と言う少女の声に、スピネルは訝しげに後ろを振り向く。


「私に何か用かい? お嬢さん?」


 そう答えてルチルの正面に立った。


 スピネルは、ゆったりとした白い服と黒いボトムスの上に、美しい刺繍が施された黒いローブを羽織っていた。太ももまで長さのあるローブと両腕につけている魔道具と思われる腕輪が、スピネルを魔法使い然としている。肩ほどまでありそうな赤い髪は、無造作に後ろにまとめて縛られていた。二十代後半から三十代といった見た目をしているが、魔法使いの年齢など見た目から推し量れるものではない。

 ルチルはスピネルの質問に言葉を返す。


「はい。『魔法使い』のスピネルさんでお間違いないでしょうか?」

「うん。そうだよ。で、なんの用かな?」

「ええと……、お仕事の依頼です。あなたにお願いしたいことがあります」

「うーん、そうだねぇ。それは金額と内容次第かなぁ。悪いけど、こっちも商売なんでね」

「それと、私は安くはないけど、君に支払いができるのかな?」


 ルチルは裕福な身なりはしていなかった。どちらかと言えば、長い旅で服は汚れてくたびれている。旅に出る前に新調した青いコートも依れてほつれているところがあるし、皮のブーツも傷だらけだった。

 彼女の風体を見て、スピネルは試すように告げた。

 ルチルは苛立つ心を落ち着けて、冷静に且つ丁寧に対処するよう努めた。彼女にとって、今は二度とないチャンスだ。一年探して見つからなかった人物に、怪しまれ、避けられるようになったら見つけられる自信がない。


「確かに、見ての通りのですが、必ず希望の報酬をお渡しします」

「まあ、払ってくれるならなんだっていいんだけど。で、依頼ってなんなの?」

「私が依頼したいのは、ある封印の解除です」

「封印? なんの?」

「以前あなたが施した、竜の封印です」

「は? ……竜?」


 スピネルは露骨に嫌な表情をする。

 そして――


「悪いけど、他を当たってくれ。封印式の解除は特に高額でね。五百万。たぶん、君に払える金額じゃないよ」


 そう言って笑った。

 噂通りの人物だ。この笑顔も、人を馬鹿にしたような嫌な笑みだとルチルは思った。

 しかし、真っ当に依頼をしても受けてくれないことも、途方もない金額を吹っ掛けられることも、ルチルは分かっていた。だからこの日のために、絶対に依頼を受けさせるために、入念に準備をしてきたのだ。


「はい。それは分かっています。だからあなたが私から奪ったものを、その費用に当てていただきたいのです」

「奪った?  悪いけど、人様から物を盗むほど、私は落ちぶれていないつもりだよ」


 スピネルの表情が険しくなった。奪ったと言われたことが気に障ったのだろう。これ以上刺激しないよう、ルチルは淡々と話を続けていく。


「ええ。それには理由があります。五年前、あなたは宝石のネックレスを対価として、竜の封印の依頼を受けましたね?」

「宝石の、ネックレス……?」

「持ち主は竜に殺された。だから、それを持っていく代わりに、竜をどうにかしてほしいと」

「ん~。――ああ。……アレか」

「思い出していただけましたか?」

「なんとなく、ね……」


 記憶をたどるように思考を巡らしているのか、スピネルは鈍い返事をした。


「でも……、そうそう。アレは仕事の報酬として村人が提示したものだろう? それでなんで盗人呼ばわりされなきゃいけないのさ?」

「はい。それは……その宝石のネックレスの持ち主は、私だからです」

「は?」


 寝耳に水の話に、スピネルが頓狂な声をあげる。

 ルチルは構わず話を続けた。


「確かに殺された村人はいましたが、ネックレスの持ち主は、その人物ではありませんでした。あなたに依頼をした村人たちは、勘違いをしていたんです」

「な……なるほどね」


 この点に関しては、本当に村人の勘違いで、ルチルも当時その場にいなかった。完全にスピネルに非があるとは思っていない。

 さすがに、スピネルもそこを突いてくる。


「まあ、事情は概ね理解したよ。けど、何度も言うが、私はそれを報酬として提示されたから依頼を受けたんだ。その言われ方は心外だね」


 ルチルは冷静に、淡々と次に出す言葉を選ぶことだけに集中する。


「そうでしょうか……? あの晩、あなたはどうやって村を出たか覚えていますか?」


 スピネルは眉を潜めながら少しうつむき、十秒程考え込んだ。

 一瞬表情が凍りついて、少しずつ、焦りの色が見えはじめる。


「あ、ああ……覚えているさ。けど、あの時はちょっとばかし急いでいてね……! すぐにでも村を出なければならなかったんだよ」

「あの時の村人も見つかんなかったし、報酬が屋敷にあるとは聞いてたからね。だから取り急ぎ、受け取らせてもらったんだ」


 ルチルはこの言葉を待っていた。ずっと懐にいれて持ち歩いていた一枚の古紙に手を掛ける。そして、念には念を。確かめるようにスピネルに尋ねた。


「持ち去ったんですね? 屋敷から宝石のネックレスを……」


 スピネルは返答に詰まり、少し押し黙るも観念したように口を開いた。


「……ああ、そうだ。 私が持ち去ったとも」

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