第11話 急襲する事態

クリスマスまでには、ユイの実家がある木更津とボクの実家である宇都宮に、それぞれの挨拶をきちんと済ませる予定だった。

ユイの父親は、まだユイを許してくれていないようだが、母親とは連絡がとれたみたいだった。それでも、まだボクのことは話せてないらしい。

「仕方ないよね。ちょっと話し難いよね。年の離れた婚約者って。しかもいきなりだもんね。」

「週末までにはちゃんと話しておくわ。せめてお母さんにだけでも。」

ユイも週末に向けて、少しずつ緊張感が高まっているようだった。


そんな緊張するはずの週末を迎えようとしていたさる平日の夜。

いつもの様に仕事が終わって『もりや食堂』へユイを迎えに行ったのだが、暖簾をくぐって引き戸を開けた瞬間。信じられない光景が目の前にあった。

ざわついた感じのする店内の様子。ボクを冷ややかな目線で迎える常連客たち。

そして、女将さんがボクのところへ猛然と駆け寄ってくる。

「キョウちゃん、大変だよ。ユイちゃんの元カレがやってきて、お前たちの写真をばら撒いていったんだよ。」

「えっ?」

瞬時に状況を飲み込めないボクは、女将さんが握りしめている写真を強引に奪い、そして驚愕した。

それは、あの忌まわしい九月の出来事である、ボクとユイが例の元カレたちに散々暴行されたときの写真だった。

しかもその写真の多くは、ユイがレイプされているその場面である。

「あいつら、これみよがしにウチの客に向かってばら撒いたもんだから、何人かはこの写真を見ちまったんだよ。それでユイちゃんは、あっという間に店を飛び出しちまって、そのまんま帰って来ないんだよ。」

もう、女将さんの目は悔し涙で腫れ上がっている。

「あいつらはそれだけをばら撒いたら満足したみたいで、ユイちゃんの後を追うでもなく帰っていったんだけど、ユイちゃんがどこへ行ったかわからないんだよお。」

その言葉の最後を聞くまでもなくボクは店を飛び出していた。

一目散にボクはアパートへ帰る。走って帰る。息も切れんばかりに走りつくして。


そして部屋のドアを開けたボクは呆然とするしかなかった。

すでに室内にユイの気配はなく、静かすぎる空間だけが佇んでいる。

リビングのテーブルには、見覚えのある小箱と便せんがおいてあった。

小箱の中にはボクがプロポーズしたときに贈った指輪が入っていた。

便せんにはユイの自筆の走り書きが綴られていた。

指輪の入っている箱も便箋も、心なしか濡れている感じがする。



「愛する恭介さんへ。

 ごめんなさい。やっぱり私がいるとみんなに迷惑がかかります。

 あいつは恭介さんの会社にもばらまくと言ってました。

 これ以上あなたにも女将さんにも迷惑をかけるわけにはいきません。

 私と結婚すると一生あいつにつきまとわれることにもなります。

 せめてこれ以上迷惑をかけないために私は行きます。

 私がいなくなることで、私はあなたとは関わりのない女になります。

 恭介さんと過ごした日々は、私にとってかけがえのない時間でした。

 初めて真剣に愛してくれた人に出会って、とても幸せでした。

 でも、私は恭介さんに迷惑をかけるだけの女だったみたいです。

 結局恭介さんにも女将さんにも何も返せなかった。それだけが心残りです。

 こんな私を許して下さい。愛しています。            ユイ 」



便箋を読み終えて震える手で、慌ててユイのスマホに電話してみる。

何度も何度もコールするが、ユイが出る気配はなかった。

ボクは膝から崩れ落ち、声をあげて泣いた。


それから毎日、ボクは会社も行かずに『もりや食堂』に蔓延っていた。

そして酒を浴びながら、なす術もなくずっと泣いていた。

親方も女将さんもボクにかける言葉を探していたが、結局はうまい言葉が見つからずにオロオロするばかりだ。

夜になると会社を終えたヒデさんも毎日様子を見に来てくれた。

ボクはもう何もする気力が起こらない。

あの日から毎日、ユイのスマホにコールし続けているが、未だに応答はない。メールも送ってはいるものの、やはり返信はない。

やがて何日かたったある日、ついにスマホのコールが変わった。


=おかけになった番号は現在使用されておりません=


ボクは天を見上げ、あきらめるしかなかった。胸が引きちぎられそうだった。

アパートの部屋に残されたユイの痕跡。

それは、一緒に住むことになったあの日、二人で買いに行ったマグカップ。気がつけば、足元で粉々に砕け散っていた。

渾身の想いが詰まった月明かりを綴った最高のポートレート。涙に濡れてぐちゃぐちゃになっていた。

後はボクの心の中に残っている淡い思い出があるだけだった。

それは『もりや食堂』での痕跡も同じだった。

いつものテーブルにボクは独りで座る。隣にも向かいの席にもユイの姿はない。

コンクールで入賞した写真が掲載されている冊子が女将さんの宝物として、部屋の奥底に眠っているだけである。


ユイは女の命ともいえる秘密の一面を、一番和やかな場所で晒された。

だけど、どうせどこかへ行くならボクも一緒について行きたかった。

なぜ、せめてボクだけでも声をかけてくれなかったのだろうか。

「一緒に逃げて」と言われたら、どこまででも一緒に行くつもりでいたのに。

女将さんは、そんなボクの想いを聞いて、

「ユイちゃんは解ってたんだよ、キョウちゃんがきっとそう言うだろうことを。だからこそ、あんたを置いて行ったんだよ。きっと。」

解っていたなら、なおさら一緒に行きたかった。

ユイのいない世界なんて、なんの未練があるだろうか。

結果的にボクは女将さんの予言通り、毎晩ココでワンワン泣く羽目に陥った。

女将さんも最初の夜だけは、ボクの背中を抱いて一緒に泣いてくれた。親方もとても残念がっていた。親方と女将さんは、ボクとユイが結婚したら本気でこの店を譲る気だったようだ。そんな話をしてくれた。



今となってはそれも夢物語。

ボクとユイの恋路も夢物語。

全ては夢の中の作り話だったのだろうか。その浅い夢に酔っていただけだったのか。

しかし、ボクはその夢から覚めることを未だに拒否し続けている。



数日後、ボクは会社を辞めた。半分はクビになったみたいなものだ。

ヒデさんも事情が事情だけに、かなり引き止めてくれたし、会社にも説得してくれたようだが、ボクが辞表を出すことでケリがついた。

それ以降、目標を失ったボクは新宿を徘徊することが多くなっていた。

もしかしたら、ユイが新宿のどこかの店にいるかもしれないと思ったからである。

ポッケの中ではユイが置いていった指輪の入った箱を握り締めて。

色んな店に尋ねてみた。でも、彼女の姿を発見することはできなかった。

ユイはどこへ行ったのだろうか。また萌愛の姿に戻ってしまったのだろうか。

いずれにせよ猫の本性は変わるまい。




街中では、そろそろクリスマスの準備が進められている。

そんな景色も見えずに、「いつかはユイを探し出してみせる。」そのことだけを思い、毎日街中を徘徊していた。

親方も女将さんも朦朧としているボクを見て相当心配してくれていたが、そんな矢先のこと、ボクはヤツの弟分の姿を見つけた。サングラスの男だ。

そして気が付けば、そっと男の後をつけ始めていた。

いつかヤツらがとった行動をボクはそのまま真似をしているのだ。

新宿の繁華街を抜けて、いくつかの角を曲がり、やがて辿り着いたのは、とあるホストクラブの店だった。看板にはヤツの写真がデカデカと宣伝されている。

その瞬間、ボクの体中に熱い血が走った。




ボクはそこから先をあまり覚えていない。

近くの金物屋で、異常に先の尖った長い包丁を買ったことまでは、なんとなく記憶にあるのだが。




ああ、遠くでサイレンの音が聞こえる・・・・・。

「ユイ、愛してる・・・・・・。」





                         =つづく=

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