08 選択肢があるということ

 秋の夜は、爽やかに感じられた。

 暑さも寒さもなく、そぞろ歩きには最適だ。

 逢い引きラウンというような一語がクレスの内に浮かんだが、相変わらずリンは女性らしさを見せないし、少年の方でもときめきらしいものを覚えることはない。一緒に歩いていてもそういう感じじゃないな、などと思い直した。

 深更近い街並みは、よい町憲兵隊のおかげで治安もよく、大通りを歩いていていきなり盗賊ガーラに刃物を突きつけられるということは――滅多に――ない。いい街なんだな、とクレスは思った。

 それから、他の街はどんなふうなんだろう、とも。

 ここにやってくるまで幾つもの街町を巡ったけれど、そこがどんな町であるものか考える余裕などクレスにはなかった。命令をこなすので精一杯だったからだ。

 ふと、もしかしたらもったいないことをしたのかな、などと思う。

 そのままふたりは何と言うこともない話をしながら東区へと歩き、一座が天幕を立てている広場までたどり着いた。座長の仮宿である倉庫に入ったのはクレスは初めてだったが、ヴァンタンが思ったのと同じように、意外と飾り気がないな、と感じた。

「おお、きたか」

 ジェルスはこれまで見たときと同じように黒いローブを羽織っていたけれど、舞台に上がっているとき――或いは、対町憲兵のときのように底の知れない感じは伺わせず、ただ黒い服を着ているだけのように見えた。

「元気だったか、クレス少年」

「おかげさまで、座長」

 「座長」と言うかそれとも「術師」と言うべきなのか少し迷ったけれど、この場は前者が相応しいような気がした。

「リン、明日発つつもりか」

 夜にやってきたためだろう、父親は娘の予定を推測して言い当てた。リンはただ、うなずく。

「では、クレス少年」

 ジェルスはふたりに腰かけるよう、勧めた。クレスは従ったが、リンは無視をした。

「話と言うのは、他でもない」

 魔術師は少年を見つめた。

「リンは行く。クレス、お前は」

「……は?」

「おい、ジェルス」

 クレスは聞き返し、リンは父親を睨んだ。

「いきなり訳の判らないことを言い出すんじゃない。クレスは、このアーレイドに住んでるんだ。仕事もある。私やあんたのように、あちこちふらついたりはしない」

「まだ若いのだから、いまから生き方を決めてしまわなくてもいいだろう。だいたい」

 ジェルスはじろりとリンを睨んだ。

「お前の決めることではなかろうに」

「私が決めてなんかいない。ただ、クレスはアーレイドに足をつけてる」

「どうかな、少年?」

「俺」

 少年は気の毒に、困ってしまった。

 仕事がある。確かに、その通り。まだまだ未熟ではあるが、調理の腕は確実に上がってきていて、もう少しすれば友人にではなく客に調理をしてもいいと言われるかもしれない。日々は楽しく充実していて、もう、暗い影もない。

 だが――ずっとこうしていくのかと言うと、そんなことはまだ考えていなかった。

 リンは余所からきた。いずれ、出て行く。

 彼は、先ほど思ったことを再び思い返す。

 自分だって、余所からきた。ならば、いずれ――?

「判らないよ」

 クレスは正直なところを答えた。であろう、とジェルスはどこか満足そうにうなずく。

「自らの行く先は、誰にも判らぬものだ。例え、どんなに強い魔力を持つ魔術師であっても」

 魔術師が言えば、それは何とも説得力のある言葉となった。

「そう、先のことは判らん。そして、私も人の子の親」

 突然に魔術師は、父親になった。

「どうだろう、クレス。の面倒を見てやってくれんか」

「はいっ?」

「おいっ!」

「などと言い出す訳ではなくてな」

「はあ」

「ジェルス!」

「怒るな。ちょっとした軽口というやつだ。話の潤滑油にすぎん」

「あんたの潤滑油の使いどころはおかしいんだ」

 リンは憤然としたようだった。

「そういうのは、町憲兵にでも使えばいいだろう。怪しまれたら面倒な相手に、わざわざ怪しまれるような態度を取るなんてことをしないで」

「それは仕方がない。私は、町憲兵なんぞが嫌いなんだ」

「嫌いだろうが何だろうが、愛想笑いのひとつもして機嫌を取る。それが商売のコツってものだろう」

「私は商人ではない。魔術師であり、芸人である」

「金を取って芸を見せている以上、商人の括りだと思うがね」

「例えそうであったとしても、私は作り笑いをしてまで商売をしたいとは思わない」

「いい年をして、子供みたいに我を張るのはやめたらどうなんだ」

「年齢の問題ではない。お前は、まだ若いのに冷淡すぎると言われてどう思う」

「これは私の性格だ」

「そう。これも私の性格だ。生憎だったな」

 何とも勢いのよい親子の口喧嘩――なのか、親愛の情なのか何とも言えないやり取りに、クレスは思わず拍手などしそうになった。

 ジェルスは、おどろおどろしい雰囲気も見事な芸達者であるが、笑いを取るような演技もできるし、リンはリンで、ジェルスの前では他の誰にも見せない様子を見せる。

 少年は彼らの芸でも見ているような気持ちになってしまったのである。

「商売と言えば、あんたはまだあの煙を使っているそうじゃないか」

 そのことを思い出し、リンは追及をした。ジェルスは肩をすくめる。

「まだそれを言うのか? きちんと説明をしただろう。あの煙には確かに、人の思考能力を弱める力がある。だが、それで客は猜疑心を捨てて楽しむ。こちらは、純粋に楽しませる。互いにいいことだ。幻惑草などは使っておらんのだし、習慣性も違法性もない」

「そういうことを言ってるんじゃない」

 リンは首を振った。

「あんな無茶苦茶なやり方で不特定多数に使う、それが気に入らないと言ってるんだ。そうそう手に入るものじゃないのに、使い方が雑だ」

「え?」

「ならばお前は、欲する人物に売るとでも言うのか? そんなものを求める奴がろくな使い方をするはずもなかろう」

「もちろん、売る相手は選ぶ」

「……ええと。待ってくれる」

 クレスはそこで、口を挟んだ。

「リンが例の煙について怒ってたのは……こう、薬か何かで人の心を操るような真似はよくないとか、そういう意味だったんじゃないの?」

「倫理や道徳という訳か」

 ふん、とリンは鼻を鳴らした。

「そんなものは」

「人それぞれだ」

 堂々と親子は言った。

 「魔術師」または「芸人」と、「商人」という立場の違いこそあれ、この親子はけっこう似ているのではないか――と少年は思ったが、口をつぐむことにした。

「そもそも、売るのであれば私に売ればよい。売った相手がどのように使おうとかまわんのだろう」

「売る相手は選ぶと言った。あんたには売るもんか」

「ほう、それは何故だ? 私の使い方が『ろくでもない』からか」

「判ってるんじゃないか」

「――ということだ、クレス」

 ジェルスは肩をすくめて少年を見た。

「え?」

「お前の考えていた通り。リンは私の使用法が『よくないこと』だと思っているから、私には売らんそうだ」

「……違う。そんな意味で言ったんじゃ」

「ほう、では個人的な好悪か? 商売人としては、気に入らない相手にも愛想を見せるべきなのだろう?」

「……それは」

「それは?」

「……認めたくはないが、あんたはただの客じゃなくて身内だからだ」

 むすっとした顔でリンは言った。ジェルスがどこか満足そうな表情をしていたように見えたのは、気のせいだったろうか?

(ええとつまり)

(リンは……座長が町憲兵に疑われるようなことをしてほしくない、と思ってる、のかな?)

 口に出せば否定されることは簡単に推測できたので、クレスはその考えを胸に秘めることにした。

「さて、この話は仕舞いだ。クレス少年が困っているようだからな」

 引き合いに出された少年は目をぱちくりとさせたが、「いえ、別に困ってないです」と言うことも避けた。

「困らせたのであれば、それはあんたのせいだろうが」

「何、細かいことは気にするな」

 ジェルスはひらひらと手を振った。

「少年。君の話はリンからも聞いたし、ヴァンタンからも聞いた」

「ヴァンタン?」

 思いがけない名前にクレスは口を開けた。

そうアレイス。〈エルファラス商会〉で荷を買ったら、彼が配達にきた。働き者だな」

「ヴァンタンが、何を話したって?」

「君の生い立ちだ。彼は面白い男だな。私に何を言ってきたと思う」

「……さあ」

 クレスは見当がつかなくて、ただそう言った。

「君の両親を知らないか、と」

「……は?」

 彼の両親は死んだ。顔も覚えていない。ヴァンタンにそんな話はしていないが、どうしてあの青年が彼の両親のことなどを気にするのだろう?

「想像力が豊かな青年でな、もしも自分の息子がそんな目に遭ったらと思うと気にかかって仕方がないそうだ」

 成程、と判った気がした。世話焼きの真骨頂、という辺りだ。

「私がこうして旅をしているから、賊に子供をさらわれたとか、そういう話を聞いたことがないかとな」

「さらわれた」

 クレスは繰り返して首を振った。

違うデレス。俺の両親は、死んだ」

「見たのか?」

 言われて、クレスは返答に詰まった。

「聞いただけだろう。例の賊連中から」

「そう……だけど、でも」

 これもまた、考えたことなどなかった。父と母が生きていて自分を捜しているかもしれないなどという想像はあまりにも甘くて、厳しい暮らしのなかで夢見ることはできなかった。

「だが、私が偶然知っているとか、そんな都合のよい話もない。彼も同じように考えてはいた」

 ジェルスはそう語った。当然だろうとクレスも思った。だいたい、彼の両親が死んだと言ったのは確かにあの隊商の奴らだが、だからと言って生きているとは限らない。悪党どもがどんな二枚舌を持っていても、〈嘘つき妖怪シャック・ハック〉のように、言うことが全て出鱈目だという訳でもないからだ。

「そしてヴァンタン青年の問いかけは、『魔術師』ならそれを知る方法がないかと続いた。馬鹿げた話だな。魔術師なら何でもできるという訳ではない」

 ふん、とジェルスは鼻を鳴らした。

「しかし、少年。お前はこの話をどう思う」

「どうって」

 意味が判らなかった。

「両親を捜してみようとは、思わないか?」

「……え」

「ジェルス」

 静かに、リンは父親を呼んだ。

「あんたはものすごく無茶苦茶を言ってる。たぶん、自覚はあるんだろうけど」

「そうだな、ある。だが、クレスがその可能性に気づいていないのならば、告げておきたいとそう思っただけだ」

「……俺」

 〈赤い柱〉亭とこの街を離れて、見も知らぬ両親を捜しに行く。

 それは何とも冒険物語のような話であった。

 普通の少年であればわくわくし、飛びついてしまうかもしれない。だがクレスは萎縮した。あの酒場は、初めて得た彼の居場所だった。

 生きているかも判らない両親を求めて、この場所を失いたくは――ない。

「何、いますぐ決断しろと言うのではない。私のはそんな権利もなければ、お前の将来を案じる義務もない。ただ、選択肢があるということは、早く知っておくに越したことはないものだ」

 考えておくといい、と魔術師は言った。

 クレスはただうなずくにとどめ、リンは黙っていた。

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