05 友
「こいつが
トルーディは言い、ヴァンタンは驚いた。青年がやってほしいと思っていたことを告げた訳でもないのに、町憲兵は彼と同じ結論に行き当たり、真相を突き止めてきたのだ。
「クソッ、あの小心所長め。凶悪犯の脱獄なんて連絡は、とっとと寄越せばいいものを。なあにが『捜索を優先したために報告が遅れた』だ」
町憲兵はきわめてどぎつい、品のない罵り言葉を連発した。
「トルーディ」
諫めるように、ラウセアが声を出す。
「何だ。俺がここで怒って、何が悪い」
「憤りは判りますよ。僕だって同じ気持ちです。でも」
若い町憲兵は咳払いをした。
「クレスに、何か言うことがあるんじゃありませんか」
「……あー」
トルーディは頭をかいた。
「……仕方ない。どうやってか留置場を脱けたことは、大目に見てやる」
言われたクレスは瞬きをした。ラウセアは首を振る。
「足りないようですよ。ちゃんと謝ったらどうですか」
「馬鹿を言うな。あの時点では、どう考えたってこいつが犯人だった」
「それは言い訳です、トルーディ」
「まあまあ」
間に立ったのはヴァンタンである。
「この旦那から意地を取ったら、ほとんど何も残らなくなっちまうだろ」
「何だと」
「意地じゃないと、反論できるか?」
ヴァンタンの言葉に、トルーディは黙った。
「あー……」
「いいよ、別に、謝ってもらわなくても」
皮肉ではなく、クレスは言った。
「確かに怪しかったもの。俺だって、あんたの立場だったら疑った」
「
「ラウセア、お前、自分が〈銀毛の山羊〉亭に行くことを思いついたからと言って調子に乗るなよ」
「乗りません。僕はちゃんと謝ります。申し訳ありませんでした、クレス。ダタクの一派にいたというだけで、僕は君のことを信頼できなかった」
「だから、いいって」
怪しかったもの、とクレスは繰り返した。
「ラウセア、今日はお前の手であれを捕縛しろ。生憎と気を失ってるが」
「僕が? どうしてです?」
「そりゃあ、お前の志を作った張本人だからさ」
トルーディは肩をすくめた。
「お前が商家の裏帳簿を見破って、正義感に溢れてそれを告発したことで、ダタクの扱う幻惑草の存在が明るみに出たんじゃないか」
「へえ」
ヴァンタンが口笛を吹いた。
「そりゃ、知らなかった。ラウセア、あんたはアーレイドを守った功労者だな」
「とんでもない」
ラウセアは本気で、慌てた。
「トルーディが手助けをしてくれたからです」
「へえ」
ヴァンタンはまた言ってにやりとした。
「やっぱ、俺はあんたが好きだね、ビウェル・トルーディ殿」
「ふざけるな」
「ほう」
面白そうに言ったのは、ジェルスだ。
「
「ビウェル、だ」
トルーディは訂正したが、魔術師は首を振る。
「ヴィエル、でいいんだ。この街の守り手には相応しい名前だな」
「何だって?」
「判らぬか、ならばそれでいい」
「……魔術野郎め」
意味の判らない「魔術的」な調子に町憲兵は眉をひそめた。
魔術師たちが使う古い言葉で「
もしもジェルスがその言葉について説明をすれば、彼らはとても慕わしい一語を耳にしたことになる。しかし、魔術師はわずかに唇を歪めただけだった。
あまりいい感じはしないが、どうやら笑んだつもりらしいな、というのは何となくトルーディにも伝わった。
「さて、一件落着だ」
年嵩の町憲兵は気分を変えるように、ぱんと手を叩いた。
「こいつを運ぶのは面倒だが、仕方がない。ラウセア」
「はいはい」
言いながら若い町憲兵は、捕縛用の縄を取り出した。
「ダタク。アーレイド王ハワール陛下の御名において、強制収容所脱獄の罪、クレスへの暴行の現行犯、ファヴの殺害容疑、バルキー氏への脅迫容疑、及び幻惑草の違法取り引き容疑であなたを逮捕します。……意識のない相手だと、いまひとつ張りがありませんね」
「たかだか数日で大した犯罪歴だよ。さ、連れてくぞ」
「はいはい」
ラウセアはまた言い、ダタクの身体を引っ張り上げようとした。だがクレスほどではないにしても非力な彼はそれを為しきれず、トルーディの罵倒を受けながら、体格のいい相棒が面倒を引き受けてくれるのに感謝した。
「詰め所より先に、医者ですね」
「何だと?」
「ほら。この刀傷」
「阿呆か。犯罪者の怪我なんか放っておけ」
「そういう訳にはいきませんよ――」
町憲兵たちはそんなやり取りをしながら、天幕の裏をあとにした。
「頼りないと思ったけれど」
ふたりの町憲兵とひとりの犯罪者を見送りながら、リンがぽつりと言った。
「ラウセアは、いい町憲兵になりそうだな」
「トルーディとつき合えるとなりゃ、充分、合格だと俺は思うね」
ヴァンタンは同意した。
「ま、どたばたしたが、確かにどうやら落着だ。俺は仕事に行くよ。いまからなら、遅刻で済むだろう」
青年は
「ヴァンタン」
そのまま立ち去りかける後ろ姿に、クレスが声をかける。
「有難う」
「別に、何もしてないよ」
それが彼の答えで、ヴァンタンはそのままひらひらと手を振ると天幕の向こう側に消えた。
「ジェルス座長、すみませんでした」
「何?」
「僕は、あなたがファヴを殺したんじゃないかと、疑った」
聞き覚えのあった声はダタクのものであったのに、少年はジェルスのそれではないかと考えたのだ。
だが、少し考えてみれば違うと判って然るべきだった。クレスはあのとき、座長たる魔術師の声など知らなかった。舞台の上でとても強い印象を残したジェルスだが、彼は公演の間、最初から最後まで、一言だって発していなかったのだから。
「馬鹿なことを」
ジェルスは顔をしかめた。
「黙っていれば、そんなことを考えたと判らんのに」
次にはにやっとしてそう言った。何だかトルーディたちの前にいたときと雰囲気が違うな、と少年は思ったが、それがリンの言う「悪癖」のせいであるとまでは判らなかった。
「それから、リン」
クレスは友人を呼んだ。
「有難う。何度も何度も、助けてくれた。俺のことなんか、放っておいてもよかったのに」
「ヴァンタンには、言ったが」
リンは髪をかき上げた。
「私はまだ、お前の料理を食っていない」
「は?」
少年は瞬きをする。
「お前は美味い飯を作るんじゃないかと思っている。だから、それを確信するまで、お前にくっついていようと思ったんだ」
思いもかけない動機にクレスは返す言葉を失った。バルキーが笑う。
「よし、じゃあ、今日辺りやってみるか」
「え? い、いいの?」
「
「それは――いいよ」
クレスは首を振った。バルキーは片眉を上げる。
「遠慮をすることはないんだぞ。あれは、事故みたいなもんだ」
「そうじゃ、なくて」
少年は店主を見た。
「俺はさ、まだ、自分の包丁とか持つ段階じゃないと思うんだ」
「何だって?」
「嬉しかったよ、買ってくれると言ってくれて。でも、それって」
少し迷って、クレスは続けた。
「子供におもちゃを買い与えるみたいな感じだったんじゃ、ないの」
言われたバルキーは目をしばたたいた。
「……そうだな。お前が喜ぶものを買ってやろうという気持ちでいたのかもしれん。ただ、見込みがあると思うことは本当だぞ。しかしお前は、違う道を選ぶということもあるな」
「選ばないよ」
少年は言った。
「俺、調理が好きだ。楽しいし、自分に向いてると思う」
「そうか」
店主は嬉しそうに言った。
「それじゃやっぱり、今日はお前の腕を見てみるとしよう。リンの飯を作ってみるか」
「うん!」
クレスは目を輝かせた。
「よし、じゃあ行こう」
店主は促し、少年は振り返った。
「リン」
「判った。夕刻に〈赤い柱〉に行く」
うなずいて、リンは手のひらを上に向けて差し出した。クレスはそれをぱしんと叩く。
この丸一日ときたら、何ともとんでもない出来事の連発だった。
けれどこうしていると、もう、いつもと同じ一日に戻ったかのようだった。
いや、そうではない。
傍らには、これまではいなかったものが増えた。
一風、変わっている。けれどそれは、「とんでもない出来事」のなかで得られた、とても貴重な――信頼できる友だった。
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