04 そう記憶しておけ
「この」
少年の衣服を掴んでいたダタクの左手が強められた。そのあとで、右の拳が飛んでくると判った。
「クレス! 思い切りしゃがみ込め!」
――突然聞こえた異なる声に、少年はほとんど反射的に従っていた。勢いよく下方に体重をかければ、ダタクの左手はかろうじて引ききられた。男は均衡を崩す。
しゅん、と何かが飛んでくる音がした。
「クソっ」
少年の目の前で、大男の足がよろめいた。その脇に、細い刃が落ちてくる。
「バルキー!……てめえ」
その名にクレスは目を見開き、しゃがんだままの姿勢で後方を振り向く。
するとそこには、確かに〈赤い柱〉亭の主人の姿があった。肩で息をして、その手には小さな二本目の小刀がかまえられている。
「その子の容疑を聞いた。ダタク、お前の仕業だと、すぐに判ったよ。それからクレスが留置場から魔法のようにかき消えたと聞いて、リンと同日にやってきた一座のことを思った。
「はっ、この小物が。俺に刃を向けるたあ、いい度胸してるじゃねえか」
ぎりぎりと歯を食いしばったダタクの肩には、バルキーの投げたと思しき小刀が作った、切り傷ができていた。
「だがここまでだ」
男は、少年をまたも引っ張り上げる。
「これのために、わざわざ足を運んだって訳だな? 世話して、道具に情でも移ったか。なら、道具を壊されたくはないだろうなあ」
ダタクの太い指がクレスの細い首にかかった。
「やめろ!」
「やめてほしけりゃ、刀を捨てな。それから、
「ウィンディアに手は出させん。だが、クレスにもだ」
「ああん、何様のつもりだ? 立場が判らねえのか。こいつの命も、娘の貞操も、俺次第なんだぜ」
きゅ、と首にかけられた指の力が強まる。クレスは息が詰まるのを感じた。身体が硬くなる。怖ろしい。
でも。
「俺は、道具じゃ、ないっ!」
クレスは掠れる声で叫んで、思い切り足を蹴り上げた。その膝はダタクの腹に命中したが、しかし非力な少年のことである。その行為は男の怒りを増したに過ぎなかった。
「要らねえ自尊心、つけやがって! ここまで刃向かうようじゃ、もう、ろくに使えやしねえ。死ぬか、ああ!?」
指の力がますます強められた。クレスは息ができなくなる。苦しい。目の前が――暗くなっていく。
(クレス)
声がしたように思った。
ダタクのでも、バルキーのでもない。
何だかとても穏やかで――気持ちが楽になるような。
(それでいい。あのときみたいに力を抜け)
(……あのとき?)
(
(――リン)
クレスはすっと抵抗をやめた。
この状態で抗うことをしないというのが何を意味するか、判らない訳ではなかった。正確な位置をしっかりと絞められれば、人間など、簡単に死ぬ。
ダタクの殺しを見てきた少年はそれを知っていた。
それでも、彼は信じた。リンを。
ぱあっ、と目の前が明るくなった。いや、クレスはいつの間にか瞳を閉ざしていたから、明るくなったような感じがした、というのが正しいかもしれない。
ダタクの怖ろしい手が離される。その結果として、少年は地面に落ちる。尻餅をついた痛みを意識するより先に、そのまま重いものが少年の上に覆い被さってきた。
「なっ」
目を開ければ、ダタクが彼の上に倒れ込んだのだとすぐに理解できたが、その理由が判明するには、もう数
「クレス! 大丈夫か!」
大男の下敷きになった少年を引っ張り上げたのは、ヴァンタンだった。
「だ……大丈夫」
咳き込みながら、少年はどうにか答えた。頭はがんがんするが少しずつ治まってきているし、口のなかは切れたが血まみれと言うほどではないし、耳はぼうっとしているが聞こえないほどではない。もそもそとそんなことを言えば、青年は安堵と心配の混ざった顔をする。
「リンは平気だと請け合ったが、俺ぁ、投げつけた責任上、お前までこの変な術に巻き込まれたらどうしようかと」
「術じゃない」
淡々とした、声がした。
「〈轟音の投げ玉〉。ぶち当たると、対象の頭のなかにものすごい音量が響いて、一
「冷や冷やだったよ」
男は肩をすくめた。
「え……いったい……何」
何が起きたものかさっぱり判らず、少年はどうにか問うた。それがな、とヴァンタンは息を吐く。
「ジェルス術師がな、外で何か不穏な気配がすると気づいたんだ。出てみれば、何だか判らないが、お前さんが酷い目に遭ってる。リンは素早く俺に何とかの玉を」
「〈轟音の投げ玉〉」
「そうそう、それを手渡して、何だかよく判らない説明をして、術師にクレスと話をさせろと言って、どうなってるのか俺が理解し切れないでいるにも関わらず、こいつに向かって投げろと命じた」
従う俺も俺だが、とヴァンタンは苦笑した。
「で、どうなってるんだ?」
「……クレス」
「バルキー」
ヴァンタンの問いは無視された形となった。歩み寄ってきた〈赤い柱〉亭の店主が、そのまま少年を抱き締めたからだ。
「済まなかった。ダタクが脱獄してこの街にきていたこと、お前に話をしておくべきだった。金で済むならとも思ったんだが……こいつがそれだけで済ませるはずは、なかったな」
「バルキー」
クレスはただ、店主の名を繰り返した。済まなかった、と店主も繰り返す。
「じゃ……俺を連れていけとダタクに言ったんじゃ、なかったの」
そう問うと、バルキーは困った顔をした。
「お前かウィンディアか、どちらかを選べと言われた。当然、娘だろうなと言われて、否定はできなかった。連れていけと言ったも同然だな」
「……ううん」
クレスは首を振った。
「ううん」
迷って、くれたのだ。出会って半年ばかりの彼と、大事な娘と。
それは十二分に、バルキーの情を感じられる答えだった。そしてクレスは、それを理解できる少年だった。
「町憲兵隊も、もうすぐここにやってくるだろう。そうしたら、俺は自首をする」
「何だって?」
バルキーが何を言い出したものかと、クレスは瞬きをした。
「刃物を使った。例え相手が犯罪者であろうと、街なかで人を傷つけたんだ。咎めは免れない」
「そんな、馬鹿な」
確かにそれは、どの街でも通用する強い法律のひとつだった。自衛は許される。だが、先に刃物を出した側が罰せられる。
でも、クレスを助けてくれたのに。
「ああ……それを言われたら、俺も名乗りでなきゃならんなあ」
ヴァンタンが手を上げて言った。
「俺ぁ魔術師じゃないが、魔法も同様に御法度だ。自分が
「術ではない」
いつの間にか近寄ってきていたジェルス座長が口を挟んだ。
「魔術に似た効用を為す道具。お前は投げろと言われてそれを投げただけで、術を行使した訳ではない」
「屁理屈じゃないのか」
「だが事実だ」
「それなら、効用を知ってやらせた私が犯罪者ということになる」
今度はリンが言った。
「どうする? 私たちを捕縛するか?」
彼女の視線の先は、彼らの誰をも見ていなかった。彼らは彼女が見ている先を同じように見る。天幕の横には、えんじ色の制服を着た町憲兵がふたり、立っていた。
「俺は、何も見てない」
トルーディはそう言った。
「さて、ここで何が起きたものやら」
「……町憲兵さん」
バルキーが神妙な表情で、手にしていた小刀を差し出した。
「私は、これを」
「これか」
トルーディはずかずかと近寄ると、バルキーの手からそれを奪った。
「成程、つまり」
町憲兵は倒れ伏しているダタクを足で転がして仰向けにさせた。
「こいつがこれを抜いたと。そこで、あんたは仕方なく応戦をした。ヴァンタンが卑怯千万にも後ろから殴りつけでもして、こいつを昏倒させた」
卑怯者扱いされたヴァンタンは顔をしかめた。
「そういうことだな。ラウセア、そう記憶しておけ」
「判りました」
若い町憲兵は苦笑した。訳が判らないという顔をしていないところを見ると――事実をだいたいのところは知っているのだろう。ヴァンタンが〈投げ玉〉を使った辺りから、見ていたのかもしれない。
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