07 逢い引き
焼き具合の完璧な串焼き屋台を見つけたクレスは満足をし、リンの方も満足したようだった。「料理人の感性は確かだな」などと言ってきて、自分はまだ見習いの見習いくらいだと思っているクレスは気恥ずかしくなったくらいだ。
折を見てクレスは昨夜の借金を返そうとしたが、リンは頑として受け取らなかった。ならせめて食事代をと主張したが、おごられる理由はないと言われた。クレスだって同じ思いから金を返そうとしているのに、自分の意見ばかり通して人の話を聞かない。
少年はかなり頑張ったが、「金を渡す気のない者から奪う」のならともかく、「受け取る気のない相手に渡す」というのは困難である。仕方なく、クレスは諦めた。何かの機会に違う形で返せばいい。そう思うことにした。
金のいざこざについての奇妙なやり取り――よくあるいざこざは、お互い払いたくないから起こるものだ――を一段落させると、食事を終えた。そのあとは、ちょっと油っぽくなった口の中をすっきりさせるタヤ茶を飲んで、お喋りをしながら笑ったりしていた。
それは、どこから見ても年若いふたりの微笑ましい
ただ、話している内容はリンのおかげで、色気などはかけらもないずいぶんと変わった感じのものになっていた。
どうやらリンは、何とかの鏡だの何とかの粉だの、そういったものを集める変わった趣味があるようだ。クレスは改めて、いいところの「お嬢さん」なのかと尋ね直したが、リンも改めて否定をした。
「道楽じゃない。私はこれを仕事にしている」
「仕事だって?」
どう仕事になるものか、クレスには見当がつかなかった。少年は目をぱちくりとさせる。
「変わった商品を欲しがる人間もいるんだ。私は詐欺商売をやるつもりなんかないから、いんちきじゃない、効能の確実なものを集める。ただ、まだ大きな商売はできないから、いくらか中途半端な品ばかりだ」
リンは肩をすくめた。大きな商売ということは、おそらく単価の跳ね上がる、高価で珍妙な品を商うというようなことだろう。その意味は判ったものの、やはりクレスには、それが本当に商売になるのか――買うような人間がいるものか、判らなかった。
「〈失せ物探しの鏡〉みたいに、文字通り『目に見える』効用を持つものは、売りやすい。難しいのは、条件が揃わないと作用が発動しない品だ」
そんなことを言って、リンはいくつか具体的な例を挙げたが、クレスにはどうにも信じ難かった。彼女を嘘つきだとは思わないものの、誇張をしているんじゃないかとか、クレスがどう反応するか「観察」しているのんじゃないかとか、そういった感じだ。
そうしてしばらく――奇態な――話をしたあと、
クレスはずいぶん早いと思ったのだが、そうしなければいい席が取れないのだとリンは教えた。
「せっかくの初体験だ。いい場所で見たいだろう」
それはその通りである。クレスは認めた。
「でも、思っていたより盛況だな」
クレスに見せたいというようなことを言っていた割には、リンの方が興味深そうに辺りを見回していた。確かに、まだ開催には数
「演目は定番ばかりで、それほど人気が出そうにもなかったんだが」
「宣伝が巧いんじゃないか」
「それがまた、巧い」
感心したような声が背後から聞こえて、若者ふたりは振り返った。
「人の気を上手に引く口上師がいてなあ。俺もうっかりその気になっちまった」
「ヴァンタン」
見れば、そこにいたのは茶色い髪の青年である。
「よう、クレスにリン。俺も、お前たちの
「そんなんじゃないよ」
いったい何度言えばいいものか――と思いながらクレスは主張した。
「ラウンだって? じゃ、ウィンディアは?」
「ウィンディア?」
青年は片眉を上げた。
「さあ。彼女もきてるのか? 見かけてないな」
「……ヴァンタンってウィンディアの恋人じゃないのか」
「ああ、成程ね。そう思ったのか」
違うよ、とヴァンタンは首を振った。
「ウィンディアは、俺の奥さんの友だち」
説明するように男は言い、クレスは驚いた。リンも瞬きをする。
「奥さん?」
「結婚してるのか?」
「してたら、おかしいか?」
「いや別に」
「おかしかないけど」
男女とも婚期は幅広い。王族や貴族でもあれば別だが、ただの平民であれば十代の後半から、上は再婚を含めて四十を越しても、時期が早いの遅いのとは言われなかった。だから、二十代前半のヴァンタンが結婚をしていても、年齢的には何もおかしくない。
ただ、ちょっと意外だった。
「それで、その奥さんはどこにいるんだ?」
リンが問うと、ヴァンタンは顔をしかめる。
「もしかして、今日も何か疑ってるのか?」
「そうは言っていない。だが、昨日は恋人と言い、今日は奥方と言う。そしてどちらも話だけだ」
「疑ってるじゃないか」
ヴァンタンは天を仰いだ。
「結婚してない恋人を妻と言ったら間違いだが、結婚してる妻を恋人だと言ったっていいだろう」
「間違いじゃないかもしれないけど、ちょっと変じゃないか?」
意外だと思った理由はそれだったのかな、などと考えながらクレスは指摘した。妻がいるのならばそう言えばいいのに、昨夜は恋人と表現したのだ。疑うのなら、妻の他に恋人がいるとだって考えられる。そういう意味では、ないようだが。
「うちでは許されるんだよ」
それどころか、と男は片目などつむった。
「むしろ、推奨だ」
「意味がよく判んないけど」
クレスは首をひねる。リンは少年の肩に手を置いた。
「つまりいまのはな、クレス。仲がよろしくてけっこうだ、ということだ」
「はあ」
結婚をすれば、一般的には、恋人時代の情熱が落ち着くとされている。だがヴァンタンは「うちは熱烈だ」と言った訳で、要するに惚気だ、とリンは解説したのだったが、生憎とクレスにはいまひとつ通じなかった。
「彼女も忙しいんでね。ここで待ち合わせなんだ」
妻はこれからくるところである、とその夫は言った。
「子供もくるのか?」
話の接ぎ穂という辺りだろう、リンが問うた。
「俺たちに子供は、まだいないんだ」
ヴァンタンは首を振った。
「まあ、いずれは可愛い女の子を産む。俺が産む訳じゃないが」
希望だ、と将来の父候補は笑った。
リンはやはり、どこまで本当だろうとばかりに少し怪しむような目線を送っていたが、別にヴァンタンが嘘をついていようといまいと――そんな嘘をつく意味はなさそうに思ったが――関係ないと考えたか、それ以上はもうヴァンタンの結婚観やら恋愛観やらについて尋ねることをしなかった。
「〈赤い柱〉の仕事は? 休みか」
次にはヴァンタンが、クレス少年に問うてきた。
「
彼は首を振った。
「見終わったら酒場に戻って、仕事の続き」
「忙しいな。ラウンなんだから休みくらいもらったらいい」
「違うったら」
何度もしつこい、と少年が顔をしかめると、青年は笑った。
「リンの予定は?」
「クレスの料理の、実験台になる」
真顔で彼女は言った。そう言えばクレスの練習に付き合ってくれるという話だった。クレス自身は忘れかけていたが、リンの方は約束したと考えるのか、きちんと覚えていると見えた。
「そうか。俺も今日は〈赤い柱〉亭で飯にしようと思ってるんだ。それじゃ、またあとでな」
「そのときは」
「奥方もぜひ」
「……やっぱり何か疑ってるな」
ヴァンタンは嘆息した。
「もちろん、アニーナも一緒さ。ひとりで美味いもん食って帰る訳にいかん」
昨夜もそんなことを言っていたようだったが、成程、愛妻家か恐妻家か、どちらかだと言う訳だ。
何となくクレスは納得をした。仕事がどうのと言うのも、それならばアニーナとかいう妻のためなのだろう。
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