05 妙なところですれてない

 朝の仕込みが終わり、仕事が一段落してから、クレスはバルキーにリンと出かけてくることを告げた。

 バルキーは面白そうな顔をして、お前にそんな友人がいたとはな、とまた言った。

 昨日そう言われたときは額面通りに受け取っていたのだが、いまでは判る。女友だちがいたとはな、という意味だったのだ。

 ウィンディアが、クレスとリンと一緒にいれば店主の目が気になるのではないか、と言ったのも同じだ。

 クレスのようにごく狭い世界しか知らなかった人間でなければ、リンは多少変わっていても、間違いなく女に見えるのである。

「そういうんじゃ、ないよ」

 だがまさか、クレスがリンの性別を勘違いしていた、などとは店主も考えていまい。少年はその間違いが気恥ずかしかったこともあり、「女なんて思わなかったんだ」とは言わないで、ただ否定した。

「ちょっと知り合って、面白い奴だから、また話をしようかなって、それだけ」

「何でもいいが」

 バルキーはにやっとした。

「その調子じゃ、俺との約束は忘れてるな?」

「わ、忘れてないよ。でも見に行くだけなら、バルキーに一緒にきてもらわなくても大丈夫だし」

 小刀の一件である。

 昨夜の内にめでたく見つかった財布は、失った話をバルキーにしなくてもよかった。でも黙っていれば嘘をついているようで気が咎め、クレスはあのあと、店主に報告をして謝罪をした。

 バルキーは驚いたようだったが、結局戻ってきたことであるし、今度はすぐに言うように、と注意をしただけで――「今度」はない方がいいが、とも言った――何も怒らなかった。おそるおそる小刀のことを尋ねると、その話を取り消すつもりなどバルキーには全くなかったらしく、合う小刀だといいな、とだけ言ってきたのだ。

「そうか? なら、お前の目で見て、いいと思えば引き取ってこい。前金は支払ってあるし、残りはあとで頼むと言ってもサトスなら応じてくれるだろう」

 そう言われて、少しどきっとした。

「俺には……もう、金を預けられない?」

 しょんぼりとして少年が問うと、バルキーは目を見開いて、笑った。

「まさか。そういう被害に遭ったんなら今後は気をつけるだろう。却って信頼できると思ってるくらいだ。ただ、いまは他にちょっと金を使う当てがあってな。サトスからは証文でももらってきてくれ」

 クレスは胸をなで下ろす。信頼されなくなったのではという思いは、杞憂ゲルダに過ぎないようだ。

「待ち合わせは何刻だ?」

「そろそろかな。リンがここにくるって」

「じゃあ、もう行け。準備でもしてこい」

「準備なんか、別にないよ」

逢い引きラウンだろうが。少し、洒落込めよ」

「そんなんじゃないってば」

 厳しい幼少時代を送ったクレスは、男が成長すれば声が低く太くなるというようなことを知らなかったように、男女の機微にもちっとも詳しくない。例のダタクの隊商の連中は春女を買ったりはしたから〈ロウィルの結びつき〉がどういうものであるかは知っているが、少なくとも経験はなかったし、栄養の足りなかった生活は成長を遅らせたから、十五、六歳――正確なところは判らなかった――という年齢の少年にしては、に困るというようなこともなかった。

 そう、少年はまだ、初恋すら知らなかったのである。

 ウィンディアに対しては「ちょっといいな」と思っていたが、憧れという段階ですらなかった。彼自身では巧く言葉にできなかったが、もし他の者が彼の心の内を知って表現することがあれば、「親戚のお姉ちゃんくらいに思っている」とでも言っただろう。

 そんなクレスであるから、出会ったばかり、それも女だとは思わなかったリンを相手に恋をするかと言えば、そんな感じにはなりそうもなかった。リンの方でも、彼女に「お坊ちゃんなのか」と尋ねたクレスが彼女に懸想をするとは思っていないに違いない。

 つまり、バルキーやウィンディアやヴァンタン――と言うのだと、ウィンディアから聞いた――が思うように、リンと出かけるのは「逢い引き」などではない。

「あ、そうだ」

 逢い引きだの洒落込むだのという言葉に、ふとクレスは思い出してバルキーを振り返る。

「ヴァンタンの、ことなんだけど」

 他に職を見つけたらしいよ、と告げておこうと思った少年の気遣いは、しかし空回りした。

「誰だと?」

 店主は首を傾げたのだ。

「えっと」

 昨日、売り込みにきたとか言ってた男だよ、と続けかけたが、やっぱりやめて首を振った。

「何でもない」

 少年の答えは特におかしく思われもしなかったようだった。何か勘違いをしたとでも、思われたのだろう。

(危ないとこだったかな)

 クレスは何気ないふうを装った。

(ウィンディアが彼を知っててバルキーが知らないってことは)

(――ヴァンタンは、ウィンディアの恋人なのかもしれない)

 ウィンディアの刺繍を知っていて、〈赤い柱〉に勤めたがった男の正体は、その辺りが妥当に思えた。ならば、クレスが何か言って、バルキーにさせては、ふたりに気の毒だ。そんなふうに思った。

「クレス、いるか」

「リン」

 昨日で聞き慣れてしまった声がして、少年はぱっと振り向いた。リンは、昨日とあまり変わらない格好をしている。少し大きめの、男物の衣服。ざっと編まれただけの、金の髪。

 やはり、逢い引きラウンのつもりなどないのだろう。「興味を持った」などと言う少年を面白がって誘っただけなのに違いない。

 改めてリンを見ても、あまり女性らしいところは見当たらないように思った。

 言われてみれば、極端に痩せているクレスが骨格に見合う筋肉をつけようと努力中であるのに対し、リンの身体は均整が取れている。それは昨日にも思ったことだったが、二十歳前の男にしては線が細すぎる、とまでは思わなかった。

 何しろクレス自身が、十五、六にしては小さい。

 「身長が低い」というのではない。実際にリンよりも背は低いのだが、それを引け目に思うようなことはなかった。

 ただ、彼には「小さい」とか「貧相」だとかいう印象があるらしく、それは少し気にかかる点だった。リンはすらっとしているが、クレスはひょろっとしている、という感じなのだ。

 もっとも、女性であるという点で考えれば、リンも「貧弱」の仲間と言えたかもしれない。しかし彼女の身体は、胸の付近がどうであっても「大人の身体として完成されている」感があった。成長中のクレスとは違う。

「私の顔に何かついてるか?」

 店の外に出て歩き出すと、彼女はそう尋ねた。クレスがやたらとリンを眺めていることに気づいたのだろう。

「それとも、に何かついてるか」

「ご、ごめん」

 そんなところをじろじろ見ていたつもりはなかったが、見ていたのかもしれない。謝れば、しかしリンは少し顔をしかめた。

「何だ。気づいたのか。或いは誰かが入れ知恵した」

「え?」

「私が『お坊ちゃん』ではないと判ったんだな」

「え、うん、ああ、そう」

 ヴァンタンに笑われたんだ、とクレスは昨日の男との話をリンに説明した。

「ふうん、ヴァンタンか。お節介だな」

 とリンは、知らぬながら、ある町憲兵がヴァンタンを評したのと同じ言い方をした。

「私としてはお前がいつ気づくか、それともずっと気づかないか、それを観察するつもりだったのに」

「観察」

 ずいぶんだ、という気もした。彼が思い違いをしていると知った上で、からかい続けるつもりだったのか。

 しかし公正に考えるならば、有り得ない思い違いをしたクレスの方が悪いのである。少年は抗議を差し控えた。

「催しは七刻から。まだ早いな。飯でも食うか」

「じゃ、先に小刀を取りに行った方がいいな」

 クレスは考えついて言ってから、リンに説明をする。バルキーが買ってくれるのだ、と誇らしく話せば、リンは――よかったななどとは、言ってこなかった。

「お前、あの店にきてどれだけだって?」

「半年……弱かな」

「以前からつき合いがあった?」

「いいや、俺はさ」

 クレスはざっと彼の身の上話をした。昨日も、犯罪連中と関わっていたという話をちらっとしたが、詳しいことは言わなかったのだ。

(おい――ガキ)

(何をもたもたしてる)

(言われた通りにしなかったな)

(この、役立たずが)

(殺してやろうか、ああん?)

 ダタクから離れてしばらくの間は、不意に隊商主の声が耳に蘇るようなことがあり、少年はもう存在しないはずの恐怖に翻弄された。

 だがそういった痛みは時間が癒すもの。ダタクを思い出せばまだ怖ろしかったが、身がすくんで動けないようなことは、なくなってきた。

 バルキーのおかげだと、思う。

 話を聞いたリンは、それはたいへんだったな、とも言わず、両腕を組んで眉をひそめる。

「ならず者に世話をされていた、全く素性の知れない子供を引き取り、半年でそこまで可愛がる? バルキーってのは余程のお人好しか?」

「どういう、意味だよ」

「そのままだ。得体の知れない子供――まあ、四、五歳くらいならよしとしてもいい。だが、〈知恵のない悪ガキより知恵のつきだした悪ガキの方が厄介〉と言う通り。頭のある商売人なら、もっと様子を見るだろう」

「様子を見るって」

「投資するからには元を取る。商売の基本だ」

 リンは鼻を鳴らした。

「拾って半年弱の子供に投資するなんてのは、先見の明があるか、余程のお人好しか、或いは何か企みがある」

「バルキーが……」

 リンの言うことが判らなくて、クレスは少し混乱をした。

「バルキーが、俺を疑ってるって言うのか?」

「逆だよ。お前がバルキーを信じすぎてるんだ」

「何、馬鹿なこと言ってんだ」

 今度はクレスが鼻を鳴らす。

 あの店主が信じられなかったら、他に誰を信じる? 少年を助けてくれて、寝床と仕事をくれて、褒めてくれて、道具を買ってくれると言う――。

「だから、そこだ」

 そうクレスが口にすれば、リンは肩をすくめる。

「子供がいないとでも言うなら、そういう態度も判らなくない。勝手に自分の息子のように思って可愛がる。だが彼にはウィンディアがいるし、ずいぶん溺愛してるようだな。身近に、あの子に色気を持ちそうな男を置いておきたくなんてないはず」

「勝手なこと言ってるのは、どっちだよっ」

 クレスは腹が立つのを覚えていた。

「俺がバルキーの世話になってたら、おかしいってのか?」

その通りアレイス

 リンは、それだ、と言って手など叩いた。

当たりだレグル

「何でだよ。バルキーは、いい人だ」

「虐げられた子供時代を送った割には、人を信じやすいんだな。それとも、だからなのか。狭い世界で育ったために、妙なところですれてない」

「放っとけよ」

 クレスはむすっとした。何となく馬鹿にされたような感じがした。

「俺をこき下ろしたいならかまわないけどさ、バルキーのことは許さない」

「馬鹿になんかしていない。もしかしたら彼はお前を騙しているかもな、と忠告をしているだけ」

「リン」

 クレスはそれを遮った。

「あんたは頭がいいかもしれない。経験も、俺より積んでる。何だか知らないけど、不思議な品も持ってる」

「例の鏡なら、別に私の見識とは関係がない」

「とにかく。俺の知らないことをいろいろ知ってるかもしれない。でも、バルキーのことは俺の方が知ってる」

「そう思うなら、それでいいさ」

 特にそれ以上持論を展開させることはせず、リンはその話題を打ち切った。

 何となく気まずい沈黙が流れる。悪かったかな、とクレスは思った。リンはあれでも、クレスを心配してくれたのかもしれない。

「……なあ、リン」

「あれだな、サトスの店」

 だがリンの方では沈黙を大して気にしていなかったと見えた。彼女が黙っていたのは、少年が訪ねると言った金物屋を探していたためのようだ。

「用事を済ませよう。そうしたら、飯かな」

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