04 ちょっと急だなって
町憲兵と座長の視線がぶつかった。トルーディが職業柄、強気の姿勢でいるのはいつものことだ。だが町憲兵に睨まれたらまずい立場のジェルスがこうも挑戦的であるのは、ラウセアにはいささか意外だった。
「何とでも言え。だがいいか、騒ぎは起こすな。何もやらかさずに出ていけば、俺は何も言わん」
「成程、騒ぎならば余所でやれと言う訳だ。結構、町憲兵。よく覚えておくとしよう」
ジェルスの返答を聞き終えぬ内に、トルーディは踵を返している。はらはらと展開を見守るしかなかったラウセアは、座長に謝罪をしたものかどうか迷ったが、トルーディが明らかに何か掴んでいる以上、ここで彼が引いた態度を見せるのは問題があると気づいた。
組みで動いている町憲兵同士に意思の疎通がないと思われれば――事実なのだが――彼らを頼ろうとする人間にも印象が悪いし、ましてや、もしも本当にジェルスが何か企んでいるのなら、隙を見せることになるのだ。
「……あの、トルーディ」
「何だ」
「あの人、何をしたんですか」
「さあな」
「……は?」
「かまをかけただけだ。隊に注進してきた奴ぁ、何か知ってるここの人間なんじゃないかと思ってな。だが簡単に尻尾は出さんようだ」
「はったりですか」
ラウセアは口を開けた。
「呆れますね」
「阿呆。こういうのは、技巧と言うんだ」
覚えておけ、と年嵩の町憲兵は言ったが、新米町憲兵はそっと首を振った。
「それにしてもあの野郎。俺の指摘に眉ひとつ動かしやがらねえ」
トルーディは口汚く罵った。
「そりゃあ、だって、はったりだったんでしょう。やましいことがないのなら、動じないのは当然」
「阿呆」
ラウセアの台詞は瞬時に却下を食らう。
「やましいことがなけりゃないで、焦って弁解するか、眉吊り上げて怒鳴ってくるか、どっちかだ。全く謂われもない中傷なら、誰だって正そうとする」
中傷をしたという自覚はあるのか、とラウセアは少し驚いた。
「だが、あいつは怒ったふりさえしなかった。何か隠し玉を持ってるこたあ、間違いない。警戒は、必要だな」
彼の結論はそれだった。判るような、判らないような。
「俺はもう少しこちらの裏を見る。お前は表を見てこい。数
「判りました」
ここは素直に返事をし、やっぱり座長には謝った方がよかったんだろうか、とラウセアは少し思いながらも、その言葉に従った。
いや、従おうとした。
だが、表に回ろうと歩き出して数歩を行ったところで、若者は呼びとめられた。
「ちょいと、お兄さん。町憲兵さん」
誰が彼を呼んだのかと足をとめてきょろきょろすれば、三十前ほどのひとりの女が彼を手招いていた。肌も露わな衣装を身につけた――逆に言えば、ほとんど衣装を身につけていない――姿に、ラウセアは少しどきりとする。
「ど、どうしました?」
若者は意味もなく緊張し、少し声をうわずらせた。
「ねえ、あの座長、何かやったの? やばいこと?」
「……その」
ラウセアは戸惑った。少なくとも、まだ何もやっていない。トルーディがほのめかしたのも単なるはったりであると知れたし、先のヴァンタンの話を思い出せば、あの先輩が疑った挙げ句に誤りであったということも幾度かあるようだ。
「何か、心当たりでもあるんですか」
しかしラウセアは「何でもありません、許可証の確認です」などとは言わず、そう尋ねてみた。責任者が町憲兵に何か尋ねられるということ自体は、大して珍しいことではないはずだ。なのに、女は気にかけた。何かあるのかもしれないと、思ったのである。
「心当たりなんかないけどさ」
女はわずかに眉をひそめた。
「彼、魔術師だもん。裏では何やってるか、判らない」
「裏って……あなた方の座長でしょう」
「あたいはさ、臨時雇われなんだ」
女は肩をすくめる。
「賑やかしがほしいからってさ、簡単なのを踊る約束をつい何刻か前に取り付けたばかり」
「それって、普通のことなのですか」
芸人事情が判らなくてラウセアが問うと、女は考えるようにした。
「まあ、なくはないね。こういう旅の一座なら有り得ることだよ。一緒に旅をする芸人は、気心の知れた熟練だけ。慣れた芸人の方が客を呼ぶコツを知ってるし、そうなれば多少は給金を張ったって、元は取れるから。有能なのだけを高額で捕まえておくという訳」
でも、と女は眉をひそめる。
「ちょっと急だなって感じはあるよ。この一座、やってきて二日目だろう。たいていは臨時雇いを取っても、二日や三日は一緒に練習をして、それから公演となるもんさ」
「それじゃ、この一座は、その」
ラウセアは言葉に迷った。
「変わっているのですか」
「一概にそうとも言えないけど」
女は考えるようにした。
「秘密主義、なのかもね」
「秘密主義?」
「
それに、と女は思い出したように手を打った。
「この一座には便乗客もいたみたいだから、そのせいかな」
「便乗客」
街から街へ移動する者は、
「だから、その客が覗き見た芸の内容をばらさない内に公演をしちまいたいのかもしれない」
「そうですか」
ならば特に不審ではないだろうか、とラウセアは考えたが、引っかかるものもあった。
「秘密主義なのに便乗客を取るというのは、少し変わっていますね」
言うと、女は瞬きをした。
「そうだね。言われてみれば、そうだ。もしかしたら……乗車賃が欲しかったのかな」
「この一座には、金に困っている様子があるんですか?」
「そういうことなのかもしれない。だったら、あたいは困る」
女は嘆息した。
「前金はもらったけど、微々たるもんだし。公演がこけたら払ってもらえない、なんてのは冗談じゃないよ」
そう言うと女はすっとラウセアを見上げた。不意に、その目に色気が宿る。
「ねえ――町憲兵さん。あんた、夜の〈森椿〉通りには行く?」
「よ、夜ですか」
「
言いながら、女は彼の手を取る。
「あんたみたいなすてきな町憲兵さんがきてくれたら、嬉しいと思うよ」
「ぼ、僕はあんまり出歩かないんです。踊り子がいるような店はよく知りません、済みません」
二十歳過ぎの男としては何とも情けないことに、ラウセアは顔を真っ赤にして手を引いた。女は笑う。
「何も謝ること、ないのに。可愛い人だね、名前は?」
「……ラウセア・サリーズと言います」
「いい名前だね、ラウ」
女は勝手に省略した。
「あたいは、ファヴだよ。何だったら公演のあとにでも――呼んでおくれ」
「よ、呼ぶ」
それはつまり、そういう――ほのめかしである。もしもこの公演で金を稼げなかったときのことを考えて、彼に春を買わせようと言うのだ。そうと気づいたラウセアは、ぶんぶんと首を振って、仕事がありますからと告げると逃げるように踵を返してしまう。
女の笑い声が聞こえた。
何だか情けないな、と自分でも思った。
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