02 下町の事情通
流れ者だから
だが現実問題として、西に港を持つアーレイドの街では、
陸続きでやってくる
つまり、「何を引き起こすか判らない」という意味では、旅の芸人たちは街に巣食う
もっとも、ひとり旅の
広場には、大きな天幕が立てられていた。
それを見るともなしに見ている見物人もそこそこいる。まだ何も
「暇人どもだな」
トルーディは野次馬たちをそう評した。
「そういう言い方は、どうかと思うんですけれど」
ラウセアが諫めるように言えば、先輩は鼻を鳴らす。
「事実じゃないか」
その返答に若い町憲兵はただ肩をすくめ、野次馬と同じように天幕を眺めた。
赤黒い、
(何だか――)
(不吉だな)
そんなふうに思ってしまったのは、その色がまるで血を連想させたからだったろうか。
ラウセアは厄除けの印など切ってしまったが、素早くそれを取り消す仕草をした。公正を期すべき町憲兵として、意味のない先入観を抱くのはよくない。
「ふん、気に入らない色だ」
トルーディも同じことを思ったのか、こちらは遠慮なく呪いの言葉を吐いた。
「おい、そこの」
彼は近くでそれを見ていた街びとのひとりに目を留めると、無造作に声をかけた。こういう態度が町憲兵への悪印象を助長するとラウセアは常々思っているのだが、トルーディに限らず、こういう調子は町憲兵隊でよく見るものだった。
彼のような新米が「もっと礼儀正しくしましょう」と言って聞かれるものではないし、強気で行かなければなめられるだけだ、という理屈も判らなくはない。
「俺か?」
振り向いたのは、年の頃二十代前半と見られる男だった。茶色い髪はラウセアよりも少し明るく、伸び出したそれは短い尻尾を作っている。だが、特に洒落っ気を出しているというよりは、放っておいて伸びてしまったものを邪魔だからくくっている、という感じだった。
と言うのも、男の服装は比較的下層のもの、要するに質の悪いもので、外見を飾るために何かする
「――あ」
ラウセアは小さく呟く。
「昨日の」
そう言うと、トルーディは鼻を鳴らした。
「ああ、昨日の、掏摸の捕縛に手ぇ出した素人か」
「トルーディ」
どうしてこの先輩は、やたらと街びとに喧嘩をふっかけるような台詞ばかり吐くものか。
だが男には、特に腹を立てた様子はなかった。その代わり、こう言う。
「せっかくの協力も、無駄だったと聞いたがね」
その言葉に、ラウセアはぎくりとする。
「逃がしたんだって?」
「は。耳の早い。それとも、何か。お前は奴とグルで、あのときの財布はお前のものじゃなく、どこかに渡り、既に山分け済みとでもいう寸法なのか」
「すごい想像力だな」
男は口笛を吹いた。
「町憲兵なんか辞めて、
言われたトルーディは顔をしかめた。この強面が街角で何か語り物をしていても誰も足をとめないんじゃないだろうか、とラウセアは思った。
「もちろん、グルなんかじゃないさ。俺はただ、そう聞いただけだよ。あのあと、同じガキが街を平気でうろついてたってね」
「捕まえたところで一晩ぶち込むくらいしかできん。逃がしたところで、ろくに変わらん」
トルーディは仏頂面で応じ、男はその返答をどう思うものか、へえ、と呟いた。
ラウセアの気質であれば、ここで「その一晩の間の被害者をなくすことはできた」とでもかますところであるが、このときの青年は黙るしかなかった。
何しろ、捕縛の縄が痛いと泣く子供の演技を真に受けてトルーディのきつく編んだ縄を緩めた結果、逃亡を許したのが――ラウセア自身なのである。
一方でトルーディは、ここで青年町憲兵をこき下ろすこともできた。容赦なくラウセアを指して「この阿呆が逃がした」と事実を言うことは簡単だろう。
しかし年嵩の町憲兵はそうしない。
ラウセアは気づいた。
(――憎まれ役を引き受けてくれたんだ)
トルーディが悪い人間じゃない、とラウセアが思うのはこういうときなのだが、同時に、それでもやはり言い方はもう少し考えた方がいいんじゃないか、と思う。
「あれは、どういう一座だ」
話題をすっと換えてトルーディが問えば、男は肩をすくめた。
「そんなこと知るもんか。知りたいなら、ほら」
男が顎をしゃくった方角には、忙しく立ち働いている一座の人間たちがいた。
「訊いてくればいいじゃないか。だいたいの演目や、開催日時も丁寧に教えてくれるに違いないよ」
「こちとら、楽しく見ようって訳じゃない」
「へえ、そうかい。俺は楽しく見たいね。恋人との
「ラウンか。それなら、不穏な演し物をしそうじゃないんだな?」
「知るもんか、と言ってるだろ。判らない町憲兵さんだな」
男はしかめ面をした。
「どうして俺が知ってなきゃならない」
「『なきゃならない』ことはないが」
トルーディはじろじろと男を見た。
「お前はただの野次馬じゃない。一歩を引いて、見ている。我も我もと好奇心丸出しで見てる連中とは違う。観察をしてる」
「へえ」
男はまた言った。
「町憲兵さん、やっぱり物語師になった方が」
「おかしな一座がきている、と町憲兵隊に注進をしたのはお前だろう」
トルーディはものすごい切り込み方をした。と、ラウセアには感じられたのだが、男も同様なのか、驚いた顔をした。
「まさか。何で俺がそんな目立つ真似をしなけりゃならない」
「……ふん」
町憲兵はあからさまに怪しむ視線を男に向けた。
「で、何を掴んだ」
「俺が観察をしていた、と言い張る訳か?」
「ごまかすのならもっと上手にやるんだな」
トルーディは続けた。
「こんな判りやすい目標がある場合、不審に思われたくなければ、ごく普通に興味あるふりをした方が自然だ。その辺の野次馬に混じってあれやこれや聞き出す。誰もが気にしてるんだ、何もおかしいことはない。場合によって臨機応変。覚えておけ」
まるで教え諭すかのようなトルーディの言い方に、ラウセアは少し面食らった。男は面白そうな顔をする。
「ご教示、ありがとさん。参考にするさ」
本気なのか皮肉なのか、男は礼を言った。
「それにしても、誰かが何か言ってきたなんて、聞いてなかったな」
「え?」
ラウセアは、男の言葉の意味がよく判らなかった。誰から何を聞くという意味であるものか。
だがトルーディは平然と返す。
「そういうことは自分で掴むんだ。ラウンに相応しいかどうかも含めてな。さ、行くぞ」
最後の一語はラウセア宛てだ。言う間にトルーディはもう歩を進めている。若町憲兵は、慌ててついていこうとして、耳にした。
「状況に応じて、巧くやれ。気にしている相手にそれを気づかれたら元も子もないんだからな――ヴァンタン」
「了解。気をつけるさ、
そのまま、年上の町憲兵は男とすれ違い、釣られてついていきながらも振り向こうとした年下の町憲兵の頭をひっつかんだ。
「何も、改めてもう一度見てやる必要のある相手じゃない」
「ど、どういうことです。知り合いなんですか?」
「あれはヴァンタンって節介焼きでな。下町の事情通だよ。一歩間違えば金でネタを売る
「じゃあ、立派な人なんですね」
「阿呆。昨日の騒ぎを覚えているだろう? 俺を見つけて託したんだから、あとは、黙って財布が戻ってくるのを待てばいいものを」
「捕縛の瞬間まで、一緒に追いかけてきましたっけ」
「
「それはつまり、彼を心配してるんですか」
「阿呆」
トルーディはまた言った。
「たまには酷い目に遭って反省すりゃいいんだ。たいていは協力的だが、こっちが犯人と追いかけてる奴を冤罪だと言い張って匿ったりもする。今日の目標は同じようだが、あいつとは過去に何度かやり合ってんだ」
「……で?」
「何?」
「過去には、どっちが正しかったんです?」
「……行くぞ」
答えなかったところを見れば、答えは歴然としていた。それならばあのヴァンタンという人物は町憲兵隊の協力者どころか恩人と言ったっていいほどではないか、と思ったラウセアだが、そんなことを言えばトルーディの機嫌を損ねるだけだ。青年は黙っておくことにした。
その内にトルーディは一座の者らしき男を見つけるとまたも尊大に声をかけ、ラウセアは相手の顔が反発で満ちるのを見守った。この先輩町憲兵が、権威を笠に着て威張り散らすことを楽しんでいる訳ではないことくらいは判っている。下手に出ればいいと言うものではないことも。
だが、ラウセアにはできそうもない。だからトルーディに、お前は向かないと言われることもまた判っているのだが、彼みたいな町憲兵がいてもいいではないか、とも思う。
(もっとも)
(逮捕した掏摸を逃がしてしまうようじゃ話にならないよな)
トルーディはそのことをネタにちくちくと苛めてきたりはしない。ただ、ラウセアの方でその失態を思い出しては、当分、トルーディに対して遠慮をしてしまうだろう。
そういう性格もまた町憲兵に向かない――と経験ある町憲兵が思ったとしても、若者はそうは思っていなかった。
「で? 座長はどこだと?」
笑みひとつ浮かべぬ顔でトルーディが言えば、相手はむっとした顔のままで天幕を指差した。
「あの裏だよ」
それにうなずき、礼も言わずにトルーディは奥へ進む。仕方なく、ラウセアが礼を言った。
「座長は、ジェルスとか言うそうだ」
ラウセアの方を見ていないが、ラウセアに説明しているのだろう。
「話は、俺がする」
お前は黙っていろ、ということだ。納得しかねる気持ちもあったが、先輩に任せた方がいいだろうとも思え、ラウセアは渋々とうなずいた。
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