第八話 黒刀

 大陸の北側の国々が加盟する北方連盟内で有数の商業都市トヌカを訪れた征四郎とロズワグン。

 買い物途中で街中に奇妙な聖騎士が現れた。聖騎士はこの街出身のカファン。

 正気を失ったかのようなカファンだったが、不意に正気を取り戻して征四郎に後を頼んだ後に、理性無くした獣と変わった。

 二足歩行の狼のような姿に変わったカファンが征四郎を切り裂く為に鋭く伸びた爪を振るうが、大地に落ちたのはカファンの腕であった。



 征四郎はいつ剣を振るったのか、ロズワグンには分からなかった。

 そもそもカファンなる聖騎士の……いや、人狼の動きすら良く分からなかった。

 凄まじい速さで征四郎に襲い掛かったと思えば、人狼の腕がレンガの敷かれた地面に突き刺さったのだから。

 ただ、征四郎の剣の切っ先が地面に向いており、カファンの右腕の付け根から鮮血が吹き上がっている事から、征四郎が斬り飛ばしたとしか思えなかった。


「す、すげぇ」


 衛兵の内の誰かがそう呟いた。

 彼等の中にも正確に二人の動きを見えた者はいない。

 だが、結果が示されればそうとしか考えられないほどの速度で双方が動いた事実に、ただただ驚くばかりであった。


 腕を斬り飛ばした征四郎は、これで終わりではない事を知っている。

 使い慣れぬ長剣と言う事もあり、全力で振るったが、その分次の動作に遅れが生じた。

 それが致命的に近い隙である事は人狼と相対した時から分ってはいたが、この変化した聖騎士相手に余力を残した戦いなど出来ない事も事実。

 故に僅かな遅れはあったが流れるように次の動作に移った。


 理性無きカファンだが、攻撃を組み立てる思考と言う物はある。

 その思考が今の攻防において一撃で動きを止められなかった事に安堵していた。

 自身の不死身を知るカファンにとって動ける限り敗北では無いのだから。


 斬られた右腕を気に掛けるよりも、残された左腕で相手を殺しておかねば、今度こそ動きを封じられる。

 そう本能で感じたカファンが左腕の爪で征四郎を切り裂かんと振るうが、征四郎は剣を振り上げて爪の一撃を弾き、その反動を利用して後ろに飛び退った。

 再び距離を開け、一瞬の判断で窮地を脱した征四郎は構えた。

 あの異様な構え……トンボを。


 征四郎の構えを見たカファンの動きが止まる。

 右腕を付け根から失い、肩口からは夥しい量の血が溢れている。

 普通の生命ならば死の危機にありながら、カファンは真っすぐに征四郎を睨み付けた。

 牙をむき出しにして敵意を示しながらも、いかにあの攻撃を掻い潜り、己の爪を征四郎に突き立てるかを算段する。

 腕を失いバランスを崩した体でいかに戦うかを算段しながらも、獣の蛮勇か、結論が出る前に再び征四郎に駆け寄った。


 僅か二歩で征四郎を攻撃圏内に捉えると、ほぼ同時に征四郎の剣が振り下ろされた。

 この攻防で驚愕に目を見開くのは征四郎の方だった。

 己の一撃を受ければ、大抵の者は萎縮いしゅくする。

 萎縮しないまでも対策を講じてくるのに、この人狼はまるで対策を講じなかったからだ。


 だが、その考えが誤りであったことにすぐに気付く。

 上から振り下ろしかけていた左腕を途中で引っ込めて、カファンは征四郎の一撃を体で受け止めたのだ。

 征四郎の振るった剣は、カファンの左肩から腹までを裂いていたが、まるで鋼を斬ったかのような手応えを感じた。

 鋼の如き筋肉で剣を奪う。

 これこそが人狼となったカファンの征四郎対策であったのだ。

 そして、恐るべきことにカファンは攻撃を止めようとはしていない。

 裂かれていない筋肉を用いて無理やり、動きを止めざる得ない征四郎に左腕を突き出す。

 伸びた爪はレンガすら容易く抉る鋭利さ。

 征四郎は剣より手を放して、仰け反る様にその一撃を避けた。


 武器を奪われた征四郎と深手を負ったカファン。

 だが、勝負はまだついてはいない。

 伸びきったカファンの腕、その手首を征四郎は赤光しゃっこう放つ左手で掴み、同じく赤光を放つ右拳を肘目掛けて折れよとばかりに打ち上げた。

 鈍い音が響くが肘を砕く事は叶わず、獣の咆哮を上げてカファンが腕を振るうと征四郎は攻撃に固執することなく、その手を放して流れるような足運びで、距離を開ける。


「何て野郎だ――」


「ああ、カファンの奴、あんな化け物になっちまって……」


「違う、俺が言っているのはあの黒髪の方だ。あの状況下で剣を捨てる勇気が俺にはない」


 衛兵の一人が感嘆したように告げた。

 もし征四郎がカファンの肉体を途中まで裂いた剣を抜く事に固執すれば、命を失っていただろう。

 人狼へと変化したカファンの筋肉は異常である。

 肩を裂かれても腕を無理やり振るい、突きを繰り出した事からもそれが伺える。

 ましてや、鍛えられた腹筋で固定された剣を抜く事は、まず無理だ。

 それに固執するのは致命的な隙。

 そう頭では分かるのだが、カファンにも通用する武器を失う恐怖は如何ほどか。


 話しながらも衛兵たちは、ぞれぞれが覚悟を決めたらしく、武器を構えた。

 征四郎が剣を失った以上、この街を守るのはやはり自分達衛兵しかいないのだと。

 元より職務に忠実な男達は、決死の覚悟でカファンに向かおうとした。


「待て! ――君達では足手まといになる」


 遠巻きに事態を見ていた野次馬を割って表れた男が、そう声を掛けた。

 黒い髪に黒い瞳、それに黄色味がかった肌はこの大陸では見ない人種。

 いや、瞳の色以外は征四郎によく似ている。


「ロウさん……。しかし、俺達がやらねば」


「直にロニャフの巡回騎士団が来る。クラッサの聖騎士絡みで向こうでも何かあったらしい。それに……あの人は勝つかもしれない。スクト、例の剣を」


 ロウは傍らに控える冷たい眼差しのメイドに声を掛けると、メイドは抱えていた木箱を開けて、布に包まれた剣を取り出す。

 布が解け落ちると黒い刀身が姿を現した。

 それは、東の剣士が用いるカタナと呼ばれる剣によく似ているが、僅かに短く厚みがある。

 身分の高い者が求めるような優美な造りではなく、がっしりとして無骨だった。


「其処な御仁! これを!」


 ロウと呼ばれた青年が叫ぶと、メイドのスクトはその黒い刀を正確に征四郎へと投げ放った。

 回転する刃を一目見て、カファンは危険を感じた。

 決して征四郎に渡してはならない、そう本能が囁いた。

 が、彼の理性が再び目覚め、本能の行動を縛った。

 左腕を伸ばしかけた状態で止まった人狼へ一瞥を与え、征四郎は臆することなく回転する刃へ手を差し出した。そして柄を見極め掴み取れば、三度構えた。


「……これは、ピースの一つか?」


 黒い刀を手にした瞬間に呪術の力が増幅したように感じ、小さく呟く。

 刀身に波打つ様な文字が赤く、淡く浮かび上がった。

 その意味を把握した征四郎は小さく苦笑する。


(こいつを造った刀鍛冶は何と戦う心算だったんだ?)


 胸中の呟きは一瞬。即座にカファンを斬る事のみに集中し、征四郎はゆるりと一歩前へ踏み出した。




 ロニャフの巡回騎士団の騎士は対聖騎士の訓練を受けた特別な騎士達だ。

 ロニャフ王ロランドは聖騎士の存在を知った六年前から、奴らは何れ強大な敵になると特別な素質のある者を集めて過酷な訓練を課した。

 その訓練に耐え切った者だけが所属する精鋭騎士団こそがロニャフ北方巡回騎士団。

 白、赤、黒、青の四部隊に分けられ、北方連盟領内を闊歩する彼等は、嘗て北の地を支配していたロニャフの驕りと義務感の表れである。

 北の地の治安はロニャフが守ると言う驕りと義務感。


 北の地にある国はロニャフだけではないと言うのにだ。


 ともあれ、北方連盟内ではトップの戦力である巡回騎士団がトヌカへと急いでいるのには訳がある。

 聖騎士の暗躍が北方連盟内で確認されているからだ。

 数年前に騎馬民族ホースニアンの集落を滅ぼされた記憶は彼等にとっては苦いものだった。

 同じてつは踏まないと、彼等は北方連盟領内を所狭しと駆けている。


 そこにボロを纏った聖騎士が一人トヌカに向かった等と聞けば、急ぎ向かうのは必定だった。

 案の定、トヌカでは騒ぎが起きていた。

 巡回騎士団が到着しても衛兵が出迎える事も無く、街中では騒ぎが起きている。


 黒の巡回騎士団を束ねるリマリアは、街に踏み込む選択をした。

 大型の鹿に似た動物に騎乗していた彼等は降り立ち、街の中へと足を踏み入れる。

 レンガが敷かれた大通りを掛けて騒ぎの場所までたどり着いた瞬間、騒ぎの決着がついた。


 リマリアは見た。

 ボロボロのローブを纏った黒い髪の剣士が、その髪色と同じく黒い刀身を信じられない速度で振るえば、剣が突き立てられた人の形をした狼が崩れ落ちた所を。

 そして――右肩から腰骨まで断たれても尚、蠢く人狼の姿をも。


【第九話に続く】

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