●推敲版「青い導火線 クセモノたちの狂詩曲」作者:奈月沙耶 氏


 Episode 01 池崎正人の受難(1)


※「狐に睨まれたうさぎ」の言葉を知らないので、少し変更しました。

※「おとがい(頤)をかいて」頤は下顎ですが、あまり良い意味に使われない場合が多いので、感手に変更しました。

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 春眠暁を覚えず……。


 春はうららかにして 柔らかな日差しの中、池崎正人が やっと目を覚ました時には、既に遅刻は確定していた。


 桜吹雪の中 どこまでも晴れ渡る蒼穹の下、その学校では入学式が挙行されている、はずなのに、それなのに 彼は、無情にも閉じられた門扉の外にいる。

 ――何やってんだ、オレ。


 呆然とする。しかし それは一瞬の事。

 入学式をボイコット、いや放置して逃げる訳にいかない以上、何とかして中に入らなければならない。と思い返しはしたたものの、見上げる門の頂は あまりにも高く、とてもではないが 正人の背丈では届きそうもない。

 左右を確認する、塀の高さも かなりあるが、門ほどではない。緩やかな坂の上り側、こちらにこそ活路はある。決して褒められるようなモノではないが、彼には こういう時にこそ働く、超常的ともいえる『感』があるのだ。


 その直後 大きく身を翻した正人には見えなかったが、門から隠れた位置にある小さなドアから人影が表れた。


 彼が 塀に沿って少し進むと……、あった。瘤のように盛り上がった岩と、塀からは少し離れているが、その上を覆うように桜の樹が立っている。

 『スルスルとましらのように』とはいかないが、何とか塀を跳び越えた、時には遅かった。

 当然ではあるが、塀の内側の高さは 上り坂割り引きなどされてはいない。

 とっさに 体勢を立て直すのが精一杯で、衝撃の吸収は不十分だった。入学に合わせて、母親が新調してくれた革靴の中に それが伝わって来る。「ぐっ」ジンと痺れる足裏に鼻の奥が熱くなった。

 ほっ、と溜息を吐く。本当に 何をやってるんだろうな、オレ。

 ――何とか校内には入れたようだ。


「何をやってるいるの?」


 まさに今、正人本人が感じた事を言葉にされて、その声の方を振り向く。

「何をしているのかしら? 君は」

 髪の長い女子生徒が目を細めて、再度 同じ質問をして来た。

「……」

 あまりに突然で 言葉に詰まった彼を、その生徒は 何とも言えない目付きで数秒眺めた後、あっさり踵を返すと サラリと言った。


「池崎正人くんでしょ。付いて来なさい」

「えっ」


 その女子生徒は、正人の驚きなど 全く気にした様子もなく、さっさと歩き出した。

 慌てて その後ろに続きながら、彼は疑問を口にした。


「何で オレの名前を……」

「新入生で、まだ来ていないのは 君だけだから」

 正人の質問に被せるように答えて、そのまま 体育館らしい建物と校舎の間にある 細い路地へと入り込んだところで、彼女は彼をチラリと見て言った。


「入学式に遅刻だなんて、いい度胸だね」

「ただの朝寝坊に 度胸は関係ねえだろ」 

 条件反射である。女子生徒の 呆れの混ざった言葉に、彼は うっかり噛み付き返してしまった。


「……」

 彼女がゆっくりと目を細める。正人は ギクリとして身を竦めたが、『時、既に遅し』である。これはヤバい。

 明らかに上級生、それを相手に、入学早々 これはマズかっただろう。

 いや それ以前に、この女子生徒から 何だか良く分からないが、威圧感のようなものを感じる。

 正人は固まったままで、それでも そのキツイ一瞥を、真っ向から受け止めた。

 ここで怯んだり出来いところが 正人の長所であり、また短所でもある。


「ま、それもそうだね。失礼な言い方をしてごめんなさい」

 彼の予想に反し、いとあっさりと、彼女の方が引いてくれた。そして体育館脇の路地を そのまま擦り抜けて行った。


 女子生徒に続く正人に、侵入したのとは別の門が見えて来た。

 どうやら こちらが正面側だったらしい。

 既に式典が始まり 閉ざされた正門の脇で、数人の生徒が 机や段ボール箱の片付けをしていた。


「来たよ。池崎正人くん」

「いたのかよ」

 クリップボードを持った 銀縁メガネの男子生徒が、正人に徽章リボンを差し出して言った。

「付けろ。早く」


 突然の事に もたついていると、彼を この場所まで連れて来てくれた、髪の長い女子生徒が 制服の左胸に、その徽章を付けてくれた。


「君は一年一組だよ。席は 一番左端の列で、来賓席の真ん前」

 キュッと徽章の向きを整え、そして 彼女は口角を上げる事で 疑似的な微笑を浮かべると、正人の背を押した。

「目立っちゃうね。ご愁傷様」


 そこの 観音開きの扉を少し引き、銀縁メガネの男子生徒が 厳しい顔をして「早く行け」と、目配せで彼を促した。


 青陵学院は、中等部と高等部を擁する私立の進学校である。創立十年足らずと 歴史はまだ浅いが、並外れた進学率という実績で注目を集めている。

 この地域の 歴史ある名門校、西城学園と共に『西の西城・東の青陵』と並び称される所以だ。

 だが、この学校の神髄は 極めて高い生徒たちの自治力にある。

 「克己復礼」を教育理念に掲げ、「清く正しく美しく」をモットーに、自立心溢れる生徒たちが『傍若無人』に活躍する。

 大いなる可能性に溢れる……、とか。

 要するに、異彩を放つ学校である。


*****


 入学式の翌日である。


『ただいまより、生徒会入会式を執り行います。一年生は速やかに体育館に お集まりください。

 繰り返します。ただいまより……』


 アナウンスを聞き流しながら、正人は 同級生たちの波に乗っかって体育館へと流されていった。

 その間にだけでも、何度も 何度も欠伸あくびを噛み殺している。


 昨日の今日だからと、彼は死ぬ気で早起きして来たのだ。そのせいで昼下がりの今は、眠くて 眠くて仕方がない。

 ――帰りたい。


 生徒会入会式とやらの後には部活紹介が続くらしい。

 体育館に入ったところで ついに我慢出来なった正人は、特大の欠伸を一つ。涙まで出る始末だ。


「おい。三大巨頭だ」

 彼の前を歩いていた男子生徒たちの囁き声が聞こえる。

「すっげぇ迫力だな」

 彼等の 目線の先を追うと、舞台の端に 昨日世話になった髪の長い女子生徒と、銀縁メガネの男子生徒がいた。それと もう一人、見知らぬ男子生徒。


 三大巨頭って何だ? そう訊こうと思った時だった。

「池崎」

 後ろから肩を叩かれ、それは出来なくなった。

 後ろを見ると、見覚えはあるが 名前の分からない顔が二つ。

「えっと……」

「森村だよ、寮生の。こっちの片瀬は 池崎と一緒のクラスだよな」

 片瀬と呼ばれた方が頷いたので きっとそうなのだろう。彼は覚えていないが。


「一緒に座ろう。席、自由なんだ」

 空いている座席へ向かいながら、妙な気配を感じた正人は、舞台の上に視線を向ける。

「……」

 髪の長い女子生徒と目が合った。何だか笑っていたような気がした、一瞬の事だったが。

 その直後、彼女は視線を外し、舞台袖へと引っ込んだ。

「……」

 狐に摘ままれた ついでに、蛇に睨まれた時の蛙の気分。

 正人の、野生の勘が警鐘を鳴らした。

 ――ヤバい。


「池崎、美登利さんと知り合いかい」

 目敏くも、今の遣り取りに気が付いた森村が尋ねて来る。

「美登利……さん」


「中川美登利さん。あの髪の長い奇麗な人」

「あぁ、昨日 ちょっと世話になった。それだけだ」

「ふぅん……」

 森村は まだ話しを続けい様子だったが、式の始まりを告げるアナウンスが流れて来たため そのまま沈黙した。


「……池崎、池崎」

 肩を強く揺すられ、正人は やっと頭を起こした。

 生徒会入会式の始まりから 部活紹介の最後まで、ずっと寝入っていたのである。

 森村拓己は呆れ気味に溜息を吐き、彼の肩から手を離した。

「もう、みんな移動してるよ」


「んーっ」

 体を大きく伸ばしながら ゆっくり辺りを見渡した正人は「悪い、悪い」と、半覚醒のまま呟いた。

「部活の見学はどうする」

「帰ったら、ダメなのか」


「まだ終礼をやってないからダメだね。それまでは見学の時間に当てられてるだったな」

「そうだな」

 片瀬が言葉少なに同意する。


「オレ、教室で寝てるわ。部活も委員会も遣る気ないし」

 バイバイと、手を振る正人を 拓己は呆れて見送るしかなかった。

「あんな奴の事、どうして美登利さんが気にしてたんだろう」


「昨日の遅刻。あれは、中々 インパクトが大きかったからな」

 片瀬である。

「あぁ……」

 確かに。と拓己は頷くしかない。

「ぼくは 中央委員会室に行くけど、片瀬はどうする」

「行く」


*****


「品良く小粒が揃ってますって感じですね。今年の一年は」

「上手いこと 言いますね」

 船岡和美の言葉に「ぷっ」と吹き出しながら、坂野今日子が お茶を差し出す。

 受け取りながらも 中川美登利は眉をひそめた。

「品良く纏まり過ぎなのも考えものよ」


「しっかり み出してる子がいただろう?」

 こちらも お茶を受け取りながら、生徒会長の一ノ瀬誠がのたもうた。


「あぁ。一組の池崎正人」

「あの子、ずうーっと居眠りしてたよね。あたし 放送室から見てて笑っちゃったよ」

 船岡和美が ベシベシと、机を叩いて喜びを表した。

「もう、すっごい度胸ね」

「居眠りに 度胸は関係ないって言いそうだよ、彼なら」

 湯呑の縁を指でなぞりながら 美登利がクスクスと笑む。


「あれ? 美登利さん、ツボってる?」

「うーん、そうかも」

「ジェラシーだな、それは」


「あたし 部活に行くから」

 もう十分喜んだようで 船岡和美は立ち上がった。


 和美が 勢いよく中央委員会室を飛び出すのと入れ違いに、風紀委員長の綾小路が そこに来た。

「一年生の名簿だ。先に こっちでピックアップさせて貰った。残りは好きにしてくれ」

「……ん」

 差し出された名簿を受け取ってページを繰りながらも、美登利は あまり気が向かない様子だ。

「うちは 有志の子が入ってくれれば、それで良いかな」


「池崎少年は?」

 のんびりと誠が言うのに綾小路の瞳が吊り上がる。

「彼を入れるのか?」


「うーん」

「まぁ、お前の好きにすれば良いが……」

 坂野今日子が お茶を淹れようとするのを制し、綾小路は出て行った。


 入れ違いに、今度は森村拓己が緊張した面持ちで顔を出した。

「あのぅ」

「拓己くん。いらっしゃい」

 お辞儀をして 森村は片瀬と並んで、美登利の向かい側に座った。


「こっちは一組の片瀬です。中等部からの内進組で……」

「知ってるよ、片瀬修一くん。入学試験の成績、すごく良かったね」

「ありがとうございます」


「ふたり共、うちに入ってくれるの」

「勿論です」

「はい」


「どうもありがとう」

 満面の笑みを浮かべる美登利の横から、坂野今日子が名簿とボールペンを差し出した。


*****


 翌日から風紀委員会による朝の登校チェックが本格的に始まった。 時間ギリギリに 校門を通り抜けた池崎正人は、風紀委員集団の中にいる 銀縁メガネの男子生徒を見た。

 彼は委員長と呼ばれていた。


 通常授業が始まり、五月の体育祭に向け クラスでの話し合いが行われる時期になる。高校という閉鎖空間は、滅茶苦茶に慌しいのだ。


 正人の緊張の糸が、プッツンと切れた。


「一週間だぞ。一週間! それも毎日!」

 かつてないほど 綾小路が怒っている。

「一週間 連続遅刻の新入生など、前代未聞だ!」


「まぁ まぁ、少し落ち着こうよ」

 のんびりと茶をすすっている一ノ瀬誠を ギロリと睨んで「ふぅ」と肩で息を吐き、綾小路は 自分も一口 お茶を飲んだ。

 そして いくらかトーンダウンしつつも、苦々し気に苦言を吐き出す。

「寮長に厳重注意するべきでは」


「でもさ、それだと大事になりすぎじゃない? 体育祭の準備も始まって忙しいのに 余計な仕事を増やすのもさ」

 美登利が下顎に指を充てたまま反論する。

「それなら どうするんだ! このままで良い訳がなかろう。俺は許さんぞ」

「うーん」


「こんにちはー」

 タイミング良く 森村拓己がやって来た。

 美登利は チョイチョイと拓己を手招きする。

「拓己くんさ、池崎くんの事なんだけど……」


 分かってます。という顔で 拓己は肩を竦めた。

「すみません、美登利さん。

 今日こそはって 頑張ったんだけど、あいつ 何をやっても全然ダメで……」

「全然ダメって?」

「ダメですね、全く起きないんです。柔道部の先輩が『窓から放り投げてやるか』なんて言ってたけど、本当に放り出す訳にもいかないし……。

 目覚ましだって 五個も使ってるのに」


「全然、ダメかぁ」

「そりゃ困ったね」

 ははははは、と笑い合う美登利と誠を、綾小路が もの凄い目で睨み付ける。


「……あぁ。と、とにかく、そう……だね。

 放課後にでも連れて来て。そう、池崎くんを、ここに連れて来てちょうだい」

「美登利さんが お話しをするんですか」


「うん。私が お話ししましょう」

 ニッコリ、美登利が微笑んだ。


 その 美しくも凶悪な笑みを見た森村拓己は、背中に氷の塊を放り込まれたかのように、ゾクリとした。

 ――池崎正人 安らかに眠れ。……無理だろうが、生還を祈る。


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