プッチンプリン事件

池田蕉陽

第1話 プッチンプリン事件


「おい誰だよ! 俺のプッチンプリン食べたやつ!」


 朝起きてリビングに降りるなり、シェアハウスの同居人の土井つちい 拓海たくみくんがしかめ面で叫んでいた。


「おっ。起きたか誠也せいや


「おっはー川谷かわたに


 同じく同居人の大木おおき 蓮斗れんとくんと篠原しのはら 歩美あゆみさんが、そんな土井くんを無視して僕に挨拶をした。


「おはよう。なんの騒ぎ?」


 僕はいつもと違う朝の光景に、やや戸惑いながらも皆に聞いた。


「まあ、全然騒ぎって程でもないんだけどね。こいつが大袈裟に言ってるだけだから」


 篠原さんが苦笑混じりに土井くんのことを指差す。


「お前くだらないことでいちいちでかい声出すなよな」


 大木くんが大きく溜息を吐いた。


「全然大袈裟じゃないし、くだらなくもない。これは大問題だ!」


 土井くんが顔を真っ赤にして机を叩いた。その前のソファーに座っていた篠原さんと大木くんが肩をビクつかせる。


「ちょっと!」


「おい。ビックリするからやめろよ」


 篠原さんと大木くんが眉をしかめて土井くんに怒声の言葉を放った。


「そ、それで土井くん。何が大問題なの?」


 このままでは三人の言い争いが起きると予測した僕は、間に入るように土井くんにそれを聞いた。


 土井くんは僕のその声で顔を上げる。その時の土井くんは泣きそうな表情をしていた。


「俺の……俺の愛しのプッチンプリンが誰かに食べられたんだ」


「はい?」


 一体どんな大問題なのかと思ったが、あまりにもくだらなさすぎることに僕は思わず甲高い声を上げてしまった。


「な? くだらねーだろ?」


「う、うん……」


 こんな状況の時、たいてい僕は引きつった笑みで誤魔化すのだが、さすがにこれだけは大木くんの言葉に頷くしかなかった。


「なんだよ誠也まで! さては、お前が食ったんだな!」


 土井くんが根拠もない言いがかりをつけてくる。


「食べてないよ。僕、プッチンプリンそんな好きじゃないし」


「じゃあ一体誰が食べたんだ! 俺は昨日の夜からずっとプッチンプリンを食べることを楽しみにしてたんだぞ! そして今日の朝、いざ食べようと思って冷蔵庫の中を覗いて見てみたら、プッチンプリンがきれいさっぱり無くなっていた。ちゃんとふたに名前まで書いていたのに……」


 土井くんは嗚咽おえつを吐いて泣き始めた。怒ったり泣いたり大変だなと思った。


 それでも僕は、土井くんがどれほどプッチンプリンを愛しているかは知っていた。いつも食べる時は、プッチンプリンと二人きりになりたいと意味の分からない発言を残し、一人誰もいない別の部屋に行って食べるのだ。


「それに、問題はもう一つある」


 土井くんが神妙な顔つきで人差し指を上げた。


「な、なんだよ問題って」


 大木くんがそう聞く。


「ゴミ箱に入っていたプッチンプリンの容器を見たんだが……なんとそのプッチンプリン……プッチンされずに食べられていたんだ……」


「……」


「そ、それの何が問題なの?」


 僕は素朴な疑問を口にした。


「問題だろ! プッチンプリンはプッチンして食べるプリンなんだ。プッチンプリンをプッチンせずに食べるなんて、それはプッチンプリンではなくただのプリンなんだ」


「あーもう! プッチンプッチンうるさい!」


 篠原さんが耳を抑えた。


「ま、まあそれはいいとして、一番の問題は誰が土井くんのプッチンプリンを食べたかってことでしょ?」


「ああ、それはそうだな」


 土井くんが少し冷静になる。


「ちなみに俺はさっきも言ったが、プリンなんて食べてないからな」


 大木くんが言った。


「プリンじゃない。プッチンプリンだ」


「いや一緒だろ」


「全然違う! プリンはプッチンプリンじゃない! プリンはプリンだ! プッチンプリンはプッチンプリン! プリンとプッチンプリンを一緒にするな!」


「だからそれはいいって!」


 篠原さんが激しいツッコミを入れる。


「あと、うちも食べてないからね。ダイエット中だし」


 篠原さんも自分が無実だと述べる。


 確かに篠原さんは最近ご飯を食べる時に、その量を減らしている。篠原さんは特に太ってるという訳でもないのに、何故ダイエットをするのだろうと僕は不思議に思っていた。


「俺ら三人じゃないってことは、五十嵐いがらし月下つきしたのどちらかが食べたってことか」


 大木が今この場にいない残りの同居人の二人の名を出す。五十嵐 龍子りゅうこさんと月下 もえさんのことだ。


「そう言えば二人はどうしたの?」


 毎日日曜日のこの時間は、たいていその二人はリビングにいるので、さっきからいないことが僕は気になっていた。


「龍子はさっきコンビニに行くって言って出て行ったよ。萌は今日見てないけど、朝起きた時ベッドにいなかったから、萌も多分出かけてるんだと思う」


「そうなんだ。月下さん昨日の夜から見てないけど、どこに行ったんだろう」


 僕が昨日寝る頃には、まだ月下さんは帰ってきてなかった。


「そうなの? てっきりうちが寝た後に帰ってきてるのかと思ってたけど、もしかしてまだなの?」


 篠原さんが不安気な表情をした。


「いや、俺のとこにメッセージ来たぞ。なんか友達の家で勉強してたら終電逃したみたいで帰れなくなったって。それでその友達の家に泊まっていくって」


 大木くんがそれを言って、僕はまずいなと思った。


「ちょっと待って。どうして萌はそのメッセージをグループにじゃなくて、あんたの個人にだけ送ったの」


 やはり篠原さんはその点を突いてきた。僕は頭をかいた。


「え、いや、だって……ほら……あれじゃん、月下機械音痴じゃん? だから間違えて俺に送ったんだと思う。俺もおかしいと思ったんだ」


 なかなか苦しい言い訳だった。僕はあちゃーとなって顔を手で抑えた。


「ふーん。そう」


 篠原さんは不機嫌そうに顔を逸らした。そうなるのは当然だった。


 篠原さんと大木くんは別に付き合ってる訳では無い。ただ、篠原さんが一方的に大木くんを好きでいるのだ。


 そして、鈍感な大木くんはその気持ちに気づいていない。さらに厄介なのは、大木くんが月下さんに片想いしてるということだ。その事実は篠原さんは知らないが、薄々気づき始めている頃だと窺える。


 恐らく大木くんは月下さんが帰ってくるのが遅いと気になり、個人で連絡したのだろう。そして返答がさっき言ったやつだと思われた。


「じゃ、じゃあプッチンプリンを食べた犯人は確実に月下さんではないということだね」


 僕は場が重苦しい空気にならないように、出来るだけテンションを上げて言った。


「そ、そうだな……」


 ん? となった。土井くんの表情が曇っていたからだ。


「どうしたの? 土井くん」


「あ、いや別になにもない。そうだな、月下はプッチンプリンを食べてない。その通りだ。あんな良い子が食べるはずなんてない」


 確かに月下さんは良い子だ。土曜日というのに友達の家で夜まで勉強する真面目な子だし、ご飯をよく作ってくれるし、さり気ない気遣いも出来る。


 だが、土井くんの言い方が少し気になった。なんと言うか、かげりのある言い方だった。気のせいなのかなとも思った。


「じゃあ犯人は五十嵐で間違いないだろ。あいつちょっとおかしいし、何考えてんのか分からねー時あるから」


 大木くんが断定する。


 しかし、大木くんの言う通り、五十嵐さんは少し不思議な子ではあった。普段はあまり自分から喋ったりしないが、たまに話したと思ったら毒舌だったりする。僕も彼女が何を考えているのか分からなかった。


「ちょっと大木、今の言葉取り消しなよ。龍子あー見えて優しいんだよ。うちの恋愛相談とか乗ってくれるし」


 さっきのことをまだ根に持ってるのか、篠原さんの口調は尖っていた。


 それとはまた別に、篠原さんのあー見えて優しいという言い方も失礼な気もするなと思ったが、それを言ってしまうと篠原さんに睨まれそうだったので、この気持ちを胸に閉まっておいた。


「恋愛相談? なんだ篠原、お前好きな奴でもいるのか?」


 すると途端に篠原さんは、わかりやすく顔を真っ赤にした。さっきまでの威勢はどうしたのかと言わんばかりだった。


「え、あーうんまあ……。うちにだって好きな人くらいいるよ。うん」


 篠原さんが無意味にボブヘアーを耳にかけ、目を泳がせる。あからさまな動揺だった。


「へー。同じ学校のやつ?」


 鈍感な大木くんが、篠原さんの様子なんかお構い無しにずけずけと聞く。僕はやれやれと肩をすくめた。


 ちなみに篠原さんは美容の専門学校に通っている。大木くんは楽器のベースの専門学校に通っていて、僕と土井くんは私立大学に、月下さんと五十嵐さんは国公立大学に通っている。月下さんは文学部、五十嵐さんは医学部で二人は特に頭が良かった。


「え、あー……」


「おい! いつの間にか話が脱線してるぞ!」


 篠原さんが途中まで言いかけていたのを土井くんによって遮られる。


「ごめんごめん土井くん。それでなんだっけ」


 このままでは篠原さんが羞恥心でどうにかなってしまうと思った僕は話を戻した。


「犯人が五十嵐かもだってことだ。でも正直いって、まだお前達のことも疑ってるからな。なんの証拠もないんだし」


「もう、うちらは食べてないって言ってるじゃん。てかさ土井、あんたはどうなのよ? 自分が食べてない証拠はあるわけ?」


「なんで俺に証拠がいるんだよ。プッチンプリン所持者だった俺が、どうしてそんな嘘つく必要があるんだ」


「あんたがうちらの誰かに濡れ衣を着させて、また自分が食べたいからってその人に弁償させる気があるんじゃないかってことよ」


 すると、土井くんが眉間に皺を寄せた。


「俺がそんなことをする人間に見えるのか!」


「見える」


「見えるな」


 篠原さんと大木くんが何度も頷いた。僕はただぎこちない笑みを浮かべていた。


「だ、だったらここで僕達全員が、プッチンプリンを食べてないことをきちんと証明しようよ。もし出来たら、ここにいるお互いを疑わずに済むでしょ?」


「まあ、そりゃあな」


 土井くんが頷く。


「それはいいとして、どうやって証明するんだよ」


 大木くんが、そんなの無理だぜと言わんばかりに両の手のひらを晒した。


「うーん、そうだね。てかそもそもの話、土井くん、昨日最後にプッチンプリンを見たのはいつなの?」


「寝る前に最後、冷蔵庫を見たから十一時半くらいかな」


「それで、今日起きてプッチンプリンがないことに気づいたのは何時くらい?」


「起きてからすぐ食べようと思ったから、朝の八時ってところだ」


「じゃあプッチンプリンが消えたとされる推定時刻は昨日の午後十一時半から今日の午前八時となる」


「ほお、なんか刑事みたいだな」


 大木くんが尊敬するような眼差しを向けてくる。僕はわざとらしく咳をした。


「そこで、みんな何時くらいに寝て起きたのか言っていこう。僕は大学の課題が残っていたから深夜二時くらいまで寝室で勉強してたよ。起きたのはさっきだから、午前十時だね。深夜二時まで起きていたことは、大木くんが知ってるよね?」


「ああ、そうだな。俺は誠也の隣でずっとベースの練習をしていた。ちなみにこれも誠也が知ってることだと思うが、土井は言った通り十一時半くらいに寝室に来て、すぐに寝たな。俺は誠也と同じタイミングでベッドに横になったから二時ってことになるな。起きたのは八時半。その時には、もう既に土井は発狂してたな」


 大木くんが僕と同じタイミングでベットについたのは本当だった。彼の起きてきた時間も、既にリビングにいた土井くんが証人となる。


「じゃあ土井くんと大木くん。寝てる間、途中で起きてどっかに行ったりした? もしくは誰かそうしてるのを見たってのはない? ちなみにどっちも僕はないよ。証明は出来ないけどね」


「俺もないな」


「俺もない」


 土井くんも大木くんもそれはなかった。見てないってのは本当だろうが、どっかに行ったってのは真偽は不明だった。


「じゃあ篠原さんは? 何時に寝て何時に起きたの?」


「うちは昨日遊びに行って疲れてたから十一時には寝ていたかな。そのことは龍子が知ってるはずよ。それで起きたのは七時半くらい。途中で土井が起きてきて、そこでプッチンプリンがないことに気づいたから、早速うちが疑われたってわけ」


「じゃあ最初に起きたのは篠原さんなのか」


「まあ、そういうことになるね。龍子は何時くらいに寝たのかは分からないけど、起きてきたのは九時くらいだったかな。それは土井も大木も知ってると思うけど」


「ああ、そうだったな」


 大木くんと土井くんが頷く。


「ちなみに篠原さんは途中で起きたりしなかった? または五十嵐さんがそれをしてるのを見た?」


「ううん。まあでも、うちも証明は出来ないけどね」


「じゃあ三人の中で怪しいやつと言ったら篠原になるのか。篠原が朝起きて誰もいない時にプリンを食うことが出来るから」


 大木くんの推測に「そういうことになるね」と僕は言った。


「言っとくけど、本当にうちは食べてないから」


 うーん、と僕は考える。


 さすがにこれだけでは犯人を絞るのは難しかった。大木くんはグレー、土井くんグレー、五十嵐さんグレー、篠原さんが黒寄りのグレー、月下さんが白と言ったどころだろうか。


「にしても思うんだけどよ。絶対犯人は五十嵐だぜ」


 大木くんがまたそう断定する。


「どうして?」


 僕は聞いた。


「だってよ、よく考えてみろよ。たかがプリンだぜ? 認めるがそんなにやばいことなのかよ。普通名乗り出てくるもんだろ。それなのに俺たちはこんなに話し合っても誰も自分が犯人だと認めない。ということは、五十嵐しかいねーじゃねーか。それに性格のことも考えて、あいつが一番怪しいだろ」


 言われてみればそうだった。今僕達が探しているのは、プッチンプリンを食べた犯人なのだ。名乗り出てきてもおかしくはない。


 だから五十嵐さんが犯人だという大木くんの推理に納得いく物があった。


「それにあと思い出したけど、龍子甘党だったわ……」


 篠原さんがぎこちない笑みを浮かべながら言った。


「いや、じゃあ絶対あいつじゃん」


 大木くんが笑いながら言った。


「犯人は五十嵐か……」


 すると何故か、土井くんが何だか嫌そうな雰囲気を醸し出していた。


「なんだよ土井、犯人が分かったんだ。もっと喜べよ」


 大木くんがそう言うが、土井くんは変わらず曇った表情のままだった。


「五十嵐なら……まあ別にいいや」


「は!? なんだよそれ!」


 丁度、大木くんが怒り立ち上がったそのタイミングで玄関扉が開く音がした。


「あ、どっちかが帰ってきたみたい」


 篠原さんがそう言うと、一斉に廊下に繋がるリビングの扉を方を向く。どっちがあの扉を開けるのか。何故か変な緊張感が部屋に広がっていた。


 扉が開く。


「あ、龍子! おかえり!」


「ただいま。あとうるさい。外に声漏れてるから」


 帰ってきたのは五十嵐さんだった。相変わらず五十嵐さんのメガネレンズの奥の瞳は覚め切っていた。


 彼女は表情一つ変えずにコンビニ袋を片手にリビングに入ってきて、そのままキッチンの方に向かった。買ってきたデザートやらを冷蔵庫の中に閉まっているようだ。


「ねえ龍子。あんた土井のプッチンプリン食べた?」


 篠原さんがキッチンにいる五十嵐さんに向かって声を張る。


「食べてないけど」


 五十嵐さんが背中越しに答える。


「嘘つくんじゃねーよ。五十嵐が食ったんだろ」


 大木くんが疑う。


「でも、五十嵐さんなら素直に食べたって言いそうな気もするけど」


 五十嵐さんにとって、それはどうでもいい事だと考えた僕はそう言った。


「確かに言いそうね。ねえ、本当に食べてないの?」


 篠原さんがもう一度、五十嵐さんに聞いた。


「だから食べてない。二度言わせない」


 淡々とそれを口にしながら、五十嵐さんはこっちに戻ってきた


「土井くんが朝起きたら、冷蔵庫の中からプッチンプリンが消えてたらしいんだ。その推定時刻は昨日の午後十一時半から今日の午前八時。五十嵐さん、何か知らない? 夜中、誰かが部屋から出て行ったとか……」


 すると、五十嵐さんは「あー」と声を上げた。


「それなら多分、月下さんじゃない?」


「え?」


 僕は思わずそう声が出てしまった。


「萌? ちょっと待って。大木、あんた萌は友達の家に泊まってたって言ったじゃない」


 当然、皆がそう思う。そして、必然的に矛先は大木くんへと移る。


「え、えーと……」


 大木くんが目を泳がせる。何か隠しているようだ。


「へー。大木くん、そんな嘘ついてたんだ。まあ、つくとは思ってたけど、まさかそんなすぐばれる嘘だっとはね。やっぱり馬鹿だね」


 やはり大木くんは僕達を騙していたらしい。


 そして、大木くんの方は俯いて何も否定しなかった。


「じゃあプッチンプリン事件の犯人は大木?」


 篠原さんが口にする。僕も一瞬そうだと思った。


「違う歩美、さっきも言ったでしょ。犯人は月下さんよ」


「あ、そうだった。じゃあ、なんで大木はあんな嘘ついたの?」


「そ、それは……」


 大木くんが口ごもる。


「ま、まあそれは後ででいいんじゃない? それより僕が気になるのは、なんであの月下さんがプッチンプリンを食べたかなんだけど」


 大木くんを少し見てられなかったので、僕はそっちに話を変えた。


「それも大木くんが一番知ってるんじゃない?」


「え?」


 僕は大木くんに顔を向けた。変わらず大木くんは僕達の誰とも目を合わせようとしなかった。


「ほら、昨日月下さん珍しく酔って帰ってきたじゃない。大木くんと月下さん、夜中にリビングで話してたでしょ? その時の話してあげなよ」


「え!? 嘘!? あの萌が酔ってたの!? 下戸なのに!?」


 篠原さんが目を見開かせていた。


 確かに月下さんは下戸だった。シェアハウスで住むことになって初日に、彼女がそう言っていたのを覚えている。なので、月下さんがお酒を飲んでいるのを見たことはない。


「なんであの月下さんが酔ってたのかは、土井くんが一番知ってるんじゃない?」


 すると五十嵐さんが薄ら笑いを浮かべて、今度は土井くんの方を向く。土井くんは驚いたようで、目を丸くしていた。


「ちょっと待って。どういうこと? 色々と意味がわかんないんだけど。龍子は、夜中に萌と大木が話してたって言ってたけど、大木はさっき途中で起きたりはしなかったって言ってたじゃん。それも嘘なの?


「そ、それはその……」


 またしても大木くんが口ごもる。否定しないということは五十嵐さんの言ってることは正解なのか。とにかく大木くんの言動は怪しかった。


「それに土井、何であんたが萌が酔ってた理由を知ってるのよ」


 土井くんが篠原さんから目を逸らす。彼も何かを知っているようだ。


 一体どうなってきている。


 五十嵐さんが帰ってくることによって、場は混乱し始めた。僕自身、どういうことか分からなかった。


「まあ、そんなのはどうでもいいけど。とりあえず土井くんのプリンを食べたのは、酔ってた月下さんね」


 五十嵐さんは淡々と喋った。


「そっちの方がどうでもいいよ! なんで大木は嘘をついたの? なんで萌は下戸なのに酔ってたの? それで何でその理由を土井は知ってるわけ? あと萌が友達の家に泊まっていなかったら、今萌はどこにいるの? 二人とも何で黙ってるの?」


 篠原さんにそう言われても、大木くんと土井くんは下を向いて黙り続けた。


「ちょっと! 何とかいいなさいよ!」


「歩美」


 五十嵐さんが篠原さんの名を呼んで、彼女の興奮を抑えようとする。篠原さんは口を閉じたが、まだ何かを言いたげに唇だけを動かしていた。


 結局、大木くんと土井くんは黙ったままだった。無理に話させる必用はないと僕も思った。月下さんが戻ってくれば何か分かるだろう。僕はそう思っていた。


 話は一旦終わった。


 僕はプッチンプリン事件のせいで、朝ご飯がまだだったことを思い出した。僕はキッチンの方に向かった。


 しゃがんで冷蔵庫を開けると、さっき五十嵐さんが買ってきたものであろうデザートが大量に保管されていた。その中に混じって昨日の残り物の肉じゃがあった。僕が作ったものだった。


 それを取ろうと手を伸ばすと、いつの間にか隣に五十嵐さんがいることに気づいた。上から見下ろされる形になっている。


「びっくりしたよ。どうしたの?」


 すると、五十嵐さんもしゃがんで横から冷蔵庫の中を覗いた。そのまま彼女はカップケーキを手に取った。


「あなたの目には、どう映ってる?」


 突然、妙なことを言い始めた。僕は首を傾げた。何を言っているのだと思った。


「カップケーキ?」


 とりあえず僕はそう答えた。


 しかし、間違いだったようで五十嵐さんが鋭い目付きで睨んできた。と思ったら、五十嵐さんが改めて冷蔵庫の中に目を移した。


「あなたは、これがただのプリン事件だと思ってるの?」


「え?」


 五十嵐さんが何を言いたいのかさっぱり理解出来なかった。


「あなたは特別よ、川谷くん」


 五十嵐さんは最後にそう言って、冷蔵庫を閉めた。そして、その後は何も言わぬまま、彼女はリビングの方に去っていった。


 やっぱり五十嵐さんは不思議な子だ。僕はそう思った。


 朝食を終えた。僕は肉じゃがの皿に被せていたラップを捨てに行く。そして、燃えないゴミの方の箱を開けた。


 すると、色々なゴミに混じってプッチンプリンの空の容器が見えた。その隣に蓋もあった。土井くんの言う通り、しっかりとマイネームペンで「土井」と書かれていた。本当に月下さんが間違えて食べたのだとしたら、余程酔っていたのだろうと窺えた。


 そして、僕はこれにとてつもない違和感を感じていた。


 何かがおかしい、そう思ったのだ。


 そこで、はっとした。


 僕はプッチンプリンの容器を手に取った。何の変哲もないただの容器だ。


 そう、なんの汚れもない容器。


 違和感はそれだった。普通食べた後、いくら綺麗に取ったとしても、容器の底にカラメルソースが少しばかり残るはずなのだ。


 それなのにこの容器はなんの汚れもない。さらに中身の側面部分に若干の水滴が付着していた。この事から容器を洗ったのだと窺える。


 そして僕は疑問に思った。


 普通洗うだろうか。月下さんが犯人だと前提に考えてみる。確かに月下さんは綺麗好きだ。


 しかし、だからといってそこまでするだろうか。同居するようになって三ヶ月が経つが、月下さんは潔癖症という訳ではなかった。


 では、何故容器を洗った?


 考えてみたが分からない。僕はここで、蓋にも何かあるんじゃないかと思い手に取ってみる。


 表に「土井」と太く大きく書かれてある。今度は裏を見るが、こっちは少しの汚れがついていた。


 そして、僕は見逃さなかった。表面に空いている小さな穴を僕は見逃さなかった。直径一ミリくらいの穴が端っこに空いていた。


 何だこの穴は。なんの為に開けられた穴なんだ。


 考えてみたが、全くひらめきもしない。


 僕はそこで思い出した。先程の五十嵐さんの言葉をだ。


「あなたは、これがただのプリン事件だと思ってるの?」


 その言葉が頭で反芻はんすうされた。あれはどういう意味だ。その言葉と、この容器と蓋が関係しているのだろうか。


 考えてみた。だが、やはり分からなかった。




 夜になった。そろそろ夕飯だというのに、月下さんはまだ帰ってきてなかった。リビングには僕と大木くん、土井くん、篠原さん、五十嵐さんがいた。


 大木くんと土井くんは朝からのまんまだった。あれから何も喋ろうとはしなかった。


「遅いなー萌」


 篠原さんがそう口にした時だった。チャイムが鳴った。僕は席を立った。


「ようやく帰ってきたみたい。僕が開けてくるよ」


 そう言って僕は玄関の方に向かった。その途中で気づいた。何故鍵を開けて入ってこないのかと。シェアハウスの鍵は全員が所有しているはずだ。


 そんな疑問を抱きながら、玄関扉を開けた。


 月下さんはいなかった。代わりに見知らぬ男が二人立っていた。その内一人の男が何かを見せた。


「警察です。ここに大木 蓮斗さんはいますか?」


 男が示したものは警察手帳だった。


「え、えーと。はい、いますけど」


 警察が来たことに困惑しながらも、僕は正直に答えた。


「すみません。お邪魔させて頂きます」


 男の一人がそう言って、靴を脱ぐなり二人の男が家に上がり込んだ。


「ちょ、ちょっと」


 男二人はお構い無しに廊下を進んでいき、リビングへと繋がる扉を開けた。僕も慌ててついて行った。


 皆が愕然としているようだった。当然だった。いきなり知らない男二人がリビングに現れたら誰だってそうなる。


「警察です。あなたが大木 蓮斗さんですね」


「え……」


 大木くんの顔は汗でびっしょりになっていた。


「月下 萌さんが山で遺体で発見されたことについて、色々とお伺いしたいのですが、重要参考人として任意同行願えますか。まあ、断れば逮捕するつもりですが」


 大木くんは唖然としてか、何も言葉を発さなかった。


「○○山周辺であなたの目撃情報、かつ月下さんの遺体周辺に落ちていた物品とあなたの実家にある物の指紋が一致、さらに街に設置された監視カメラにより、山に登って行く車の車種ナンバーと、あなたの車の車種ナンバーが一緒だということが確認できました。同行願えますか?」


 大木くんは何も言わなかった。否定もしなかった。何か言って欲しかった。いつもの様な怒声を警察相手に放って欲しかった。


 だが、大木くんは立ち上がった。本当に大木くんかと思うほど、ゆっくりと弱々しい様子で立ち上がった。


 そして、おぼつかない足取りで二人の男について行った。


 最後に大木くんが振り向いた。


「ごめん……」


 そう言葉を残し、僕達の元から姿を消した。


 重たい静寂が訪れた。それを破ったのは篠原さんだった。


「ど、どういうこと? なにがなんだかさっぱりわからないんだけど。なんで大木が警察に連れていかれるわけ?」


「つ、月下が死んだってさっきの人言ってなかった?」


 篠原さんも土井くんも混乱しているようで頭を抱えていた。僕も同じ胸中だった。あまりにも唐突に色々な情報が頭に入ってきて、処理しきれなかった。


 月下さんが山で遺体で発見された? 大木くんがその件での重要参考人?


 僕は気持ちを落ち着かせ、どういう事なのか整理していく。


 まず、月下さんは死んだ。警察が言うのだから悲しいことにそれは事実なのだろう。


 そして、その犯人は大木くんだと疑われている。僕は彼が犯人でないと信じたい。


 しかし、彼は何も否定しなかった。最後に僕達に謝った。


 つまり、大木くんは本当に月下さんを殺したことになるのか。


 だとしたら、いつどこで殺した。


 そこで思い出した。五十嵐さんは言っていた。大木くんと月下さんが、昨日の夜中にリビングで話していたと。その時に殺したのか。その後に遺体を山に運んだのだろうか。


 しかし、何故月下さんを殺す必要があるのだ。大木くんは月下さんの事を好きでいた。それなのに何故だ。


 それと他にもう一つの謎を解決する必要がある。下戸の月下さんが酔ってた訳だ。そして、その訳は土井くんが知っている。


「土井くん、聞いてもいい?」


「え?」


 未だに信じられないようでいる土井くんが、真っ青な顔を僕に向ける。


「朝の話に戻るけど、どうして月下さんは酔っていたの? 五十嵐さんが言うには、土井くんはその理由を知ってるんだよね」


「う、うん……」


「話してくれないか」


 土井くんはすぐには話さなかった。


 しかし、話さなければならないと感じたのか、土井くんは重々しい口を開いてくれた。


「実は俺、昨日電話で月下に告白されたんだ」


「……え? うそ?」


 そう驚いたのは篠原さんだった。その反応からすると、月下さんが土井くんのことが好きだったってことも知らない様子だ。僕も知らなかった。


「ほんとだ。それで僕は振ったんだ。学校に他に好きな人がいるからって。それで多分、忘れたくて下戸なのにお酒に手を出したんだと思う」


「それで酔って帰ってきたのか」


 僕は納得した。そこで帰ってきた月下さんと大木くんがリビングで会ったのだ。


「月下……あの子が電話の最後に泣きながら俺に言ったんだ」


「何を言ったの?」


 篠原さんは聞いた。


「私応援するから。絶対にその子と付き合えるようにって神様にお願いしておくから。月下はそう言ったんだ」


「萌……」


「月下は俺みたいなクソ野郎を好きになってくれた。子供みたいに喚く俺を好きになってくれた。プッチンプリンになるとうるさくなる俺を好きになってくれた。それなのに……それなのにどうして月下が殺されるんだよ! なんであいつが……大木が月下を殺すんだよ……意味わかんねえ……」


 土井くんは頬に涙を流しながら机を叩いた。


 誰も彼が彼女を殺す動機が分からなかった。


 あなたは、これがただのプリン事件だと思ってるの?


 不意に五十嵐さんの言葉が脳裏を過ぎった。


 まさか……五十嵐さんはこの事を……!?


 僕は五十嵐さんの方を向いた。彼女と目が合った。


「私も予想外よ。少なくとも月下さんが死んだことはね」


 五十嵐さんは僕に向かってそう言った。


 少なくとも? その言葉が引っかかった。


 つまり、他のことでこうなることを知っていたということなのだろうか。


 その時、僕の頭の中に電流が走った。


 嘘だろ……そんなこと有り得ない……不可能に近い。


 月下さんが死ぬことは想定外で、大木くんが捕まることは想定内だなんて、まるで意味不明じゃないか。


 しかし、五十嵐さんの言葉はそう捉えることしか出来なかった。


 どういう事だ。考えろ、考えろ。


 僕はろくに働かない頭を動かせた。そこで、一つの可能性が頭に浮かんだ。


 本当は別の人が死ぬ予定だったとしたら? だったら誰になる?


 それは直ぐに分かった。土井くんしかいない。


 土井くんは大木くんにとって恋敵だった。僕と篠原さんは知らなかったが、大木くんは月下さんが土井くんのことが好きということをしっていたのだ。


 その土井くんを殺したら、自分にチャンスが舞い降りると浅はかな考えを持ってしまった。


 そして彼は、土井くんのプッチンプリンに毒を盛ったのだ。


 今思えば、あの綺麗な容器と蓋の穴はそういうことだったのだ。


 注射器で穴をあけ、そのままプリンに毒を注入する。穴は端っこに空けられていたので、土井くんがそれを見つけるのは困難だろうと大木くんは考えた。


 ここからは憶測だが、毒を盛っている最中に酔っ払った月下さんが帰ってきた。大木くんは慌てて注射器を隠した。二人は少し話したのだろう。


 そして、なんらかの理由で大木くんは一旦リビングから離れた。少ししてから戻ると、月下さんが倒れているのを発見した。


 月下さんの手元にはプッチンプリン。毒プリン。酔っ払ったせいで正しい判断が出来ず、人のものを勝手に食べてしまったことで彼女は死んでしまった。


 大木くんはきっと、とんでもないことをしてしまったと思ったに違いない。大木くんはどうするか悩んだ挙句、死体を山に運ぶことにした。


 そして今朝、プッチンプリン事件が起きた。


 大木くんはヒヤヒヤしていただろう。現に五十嵐さんが帰ってきて、夜中に起きたことを口にされた時は、心臓が跳ね上がっていたに違いなかった。


 そして夜になって警察が来て、大木くんが連れていかれた。


 この事件、土井くんが月下さんを振ったことにより彼女を死なせたが、もし仮に土井くんが振っていなかったら、彼が死んでいたことになるのだ。


 どちらかは死んでいたのだ。六人がシェアハウスで共に過ごし始めたあの時から、この運命は決まっていたのかもしれない。


 いや、違う気がする。まだ何か違和感を感じるのだ。僕はそう思った。


 そして、その違和感の正体はすぐに見つかった。


 大木くんが毒や注射器をどうやって手に入れたのもそうだが、何故大木くんはこんなにも早く捕まったのか。


 月下さんの死体が山に運ばれたのは日付が変わった今日の深夜。


 そして、大木くんが連行されたのはついさっき。二十四時間も経ってないのだ。


 僕は捜査とか逮捕に至るまでの流れは詳しくは知らないが、こんなに早いということは、大木くんが犯人だと疑う証拠が十分に揃っていたということになる。


 大木くんが何かミスを犯した可能性も十分に考えられるが、それだと何か納得出来ない。


 誰かが大木くんを陥れて、彼に土井くんを殺させようとした。何故そうさせたかったのかは分からない。


 そして、そいつは僕達と出会う前からその計画を企てていた。


 そんな気がするのだ。

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プッチンプリン事件 池田蕉陽 @haruya5370

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