愛と生贄と呪いの夜 ~その口づけは甘くない~
仕黒 頓(緋目 稔)
第1話 序章
「愛する者を目の前で喰われる気分はどうだい?」
ロバのように尖った耳、狼のように鋭い牙、牛のような尻尾――人間とは明らかに違う特徴をちらちらと見せつけながら、この館の主が悠々と嗤う。その青白く長い指の先が、意識なく横たわった少女に向けられた。
「テュシアに触るな……ッ」
それを止める術を一つも見付けられないまま、少年は叫んだ。叫ぶことしか出来なかった。体はボロ布のように痛めつけられて、両足は折られ、動かせるものが喉しかなかったからだ。
(なんで……こんなはずじゃなかったのに!)
期限となる十二歳直前にこの館にきて三年、その間に出会った二人だった。最初は幾つかの共通点に、ささやかな安らぎを覚える程度だった。次第に一緒に過ごす時間が増え、気付けば好きになっていた。
誰かを好きになることは、この館では酷く無意味で、辛いだけのことだと分かっていた。それでも、少女を好きな気持ちは止めようもなく膨らみ、少年を主に抗わせるほどに強くなっていた。
でも、それでも。
「愛を育むという行為は、実に興味深いよ。君たち二人の行動は、見ていて飽きなかった。だからこそ、その先の好奇心を抑えられなくてね」
「やめろッ! 喰うなら俺を喰えばいい! だからテュシアだけは……ッ」
「愛する者を失いそうな時、失った時、人間はどんな行動を取るのだろうね?」
人間を観察するためにこの谷にやってきたというその
くちゃくちゃと、何かを咀嚼する音が鼓膜の奥に張り付いて、気が狂いそうだった。目を閉じて耳を塞いでも、現実は目の前から消えてはくれない。それを突き付けるように、主の声ばかりが、塞いだ耳の内側に滑り込む。
「お前は助けてやる。その代わり、呪いをかけよう。人を愛する呪いだ。お前がもう一度、必ず誰かを愛するように――」
少女の血で口の周りを真っ赤に染めながら、主が嗤い続ける。
決して、もう決して誰も愛さないと、初めて心に誓った夜だった。
◆
世界は、
何度諫めても不心得の所業を繰り返す人間に愛想を尽かした神々は、天上に昇って二度と降りてこず、人間を助けはしなかった。
地上の島々に取り残された人間たちは、あらゆるものを食い荒らす魔獣から、それぞれの方法で身を守るしかなかった。武器を手に技術を磨いた者、動物を飼い慣らし共存した者、植物を操って防御を固めた者、神々から盗んだ魔法の知恵を修めた者。戦うことを嫌い、魔獣が現れればただ逃げ隠れるだけの放浪者もいた。彼らはそれぞれで一つの一族として纏まり、互いを守り、技術や知恵を繋いでいった。
だが中でも悲惨だったのは、一定の犠牲でその他多数を守る『生贄』という手段を選んだ者たちだった。彼らは他の島々に散らばった古い人型種族の中で、唯一人間の前に姿を現す者に自分たちの守護を頼んだ。
その種族は、興味が向けば全てのことに手を出した。そこに善悪の歯止めはなく、あらゆるものを
その中でも特に酔狂な四人の魔者が、この取引に応じた。
彼らは生贄の一族が怯え隠れるように暮らす谷底の、村の出入り口四か所に自らの館を築き、人間を食べようと襲い来る魔獣を約束通り退けた。
差し出される一族の人間を食べることと、引き換えに。
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